幕間 控えめな征服者

17 アンラッキーアームと24の傷



 話は一度、体育祭が終わった直後に遡る。



◇◇ それは不可能です、ナポレオン 幕間 

       アンラッキーアームと24の傷 ◇◇



 指定されたバス停で降りると、そこは閑静な住宅街が広がっていた。

 バス停の屋根の下で待っていた佐羽が顔をあげる。

 顔は見慣れた先輩のままだが、服装が異なるだけで随分と印象が変わるものだ。ドギマギと近づいた僕を、彼女はいつものクールな表情で出迎えた。


 今日は、休日だ。

 基本的に休日の部活動が存在しない図書局では、休みの日に先輩と会うことはない。

 しかし、今日は安藤の家にお呼ばれをしていたのだ。

 家が近い佐羽が迎えに来てくれることになって、僕はやっと先輩達と連絡先の交換に成功した。


「すいません、お待たせしました」

「そんなに待っていない。うち、すぐそこ」

 佐羽が読んでいた本を鞄に戻す。

 制服が黒を基調としている所為か、纏うものが白いワンピースというだけで新鮮に見えた。

 飾り気の少ない服装だったが、よく見れば正面に並んでいるボタンが可愛らしいデザインだ。長い丈だがすっきりとしたシルエットも、彼女のオリエンタルな簪と印象が合っている。

 バスが去ると、あたりは静かになった。

 降りた乗客も僕だけだったようだ。

 バス停の目の前は病院のようだが、普通の内科や外来をしている場所ではないようだ。立派な建物を見上げているうちに、佐羽はいつもの調子で歩き出してしまう。

「安藤先輩の家も、ここから近いんですか」

「ええ。10分も歩かない」

「本当にご近所さんなんですね」

 波乱の体育祭が終わったあと。

 剣道部員の話し合いを仲介していた南方に、なんとなくの全貌を聞いた。

 城之を泳がせていたのにも意図があったという彼には、すでにほとんどのことが把握できていたようだ。

 僕は拍子抜けをしてしまったが、それ以上に他の皆がさほど驚いていないのにも驚いた。彼らは彼らで交流が深いようだから、僕の知らないところでなんらかの情報共有はあった可能性も高い。


 話し合いは南方に任せ、まだ本調子ではなかった馬場と、居合わせた安藤は、通りかかった平森先生の車で帰宅することになった。

 僕も途中まで送ってもらえることになって、そこで彼らの自宅の場所を知った。

 安藤の家には、祖父から引き継いだという蔵書が無数にあるという。

 僕が見てみたいともらすと、安藤は快く家に招いてくれた。

 週末二日間は休日で、早速日曜日に約束を取り付けた僕たちを、平森は若さだと揶揄った。


 安藤の家は奥まった場所にあるらしい。

 バス停から案内を買って出てくれた佐羽も、彼の家にはよく行くようだ。

 病院の横の路地を通り、空き地のような空間を横切る。ほとんどが草木で埋まっている小川を渡ると、林の中に一軒の民家が現れた。

 思っていたよりも現代風な建築だ。

 躊躇いなく庭を進む佐羽について、僕も磨かれた玄関扉の前に急いだ。



「おじゃまします」

「どうぞ。物が多い場所だけれど」

 休日も変わらない笑みを浮かべる安藤に招かれ、室内に入る。

 洋風と和風が融合したような家だ。安藤が案内してくれた廊下の先には、広々とした印象の和室があった。そこが安藤の部屋のようだ。

 元々は、彼の祖父が書斎として使っていた部屋らしい。

 壁は天井までの書棚で埋まり、中央に生活スペースのような空間が保たれている。

 部屋の奥には飾り窓と、それを堪能するような書斎机が置かれていた。安藤がいつも持っている鞄を見つけ、本当に彼のプライベート空間なのだと実感する。

 窓のステンドグラスに気を取られ、僕は書棚の前で丸くなるものを踏みそうになった。

「馬場はまたここで寝てるの」

 佐羽が呆れたように言う。

 飲み物を持ってきてくれた安藤は、迷い込んだ猫でも見るような笑みで大きな背中を眺めた。

「落ち込んでいたから。僕が最初から変わってあげればよかった」

 僕の座る場所を用意した先輩は、穏やかな、でも悪気の見えない表情で僕にも謝罪の言葉を口にする。


 安藤はそう言うが、全てが終わったいまとなっては、南方が馬場の調子に無頓着だったとは思えない。

 おそらく、体育祭の一件は全て南方の目論見通りだったのだろう。

 彼は城之が体育祭委員であることも承知で、当日の状況を作り出した。

 リレーに出ることを城之に聞かせて制服を用意させたのも、自発的に行動させたように見えるが、実は彼の計画の一部だったのである。

 南方は、当日になった馬場が棄権することも予想済で、安藤をわざと応援席に遠ざけた可能性もある。城之は本部に待機しているだろうから、そこで棄権者が出たと言えば彼が名乗り出ることも予想のうち。松尾が絡んできたのは偶然だったのかもしれないが、どちらにせよアンカー同士の部長は会話をする機会も作れただろう。

 伊達はどうせ目立とうとする。

 染屋をおびき寄せる準備は万全で、彼らは南方の罠にかかった。


 しかし、その日の僕が知るのはまだ事件のさわりだけで、上記のような仮説が立ったのも全てが終わってからだ。

 僕は安藤が用意した麦茶を飲みながら、寝息を立てる先輩の背中を眺めた。


 背の高い男が床に転がっていると、ちょっとした障害物のようだ。

 彼は、制服のときと印象があまり変わらない。纏っているのはこの時期には厚出のカーディガンで、爽やかなティーシャツ姿の安藤とは別の季節を過ごしているようだ。

 座布団を枕に横向きに転がり、顔はこちらからは見えない。

 右腕で、左肩を庇うように抱えている。そういえば先日も、似たような姿勢でうずくまっていたことを思い出した。


 貸し借りしていた本の話をしていた先輩達が、ふいに僕に話題を振る。

 振り向くと、彼らは少しだけ声量を落とした。

「三鷹くんに頼まれてたんだ。君にも説明してあげてって」

 それが、先日の体育祭の出来事であることにはすぐに気がついた。

 リレーのあとは南方へのフォローや解散でバタバタとして、結局ゆっくりと話す時間はなかったのだ。

「今更ですが、僕が聞いてもいいことなんですか」

「馬場から許可は得た。椿くんにも迷惑かけているから、聞く権利はある」

 佐羽が簡潔に答えて、安藤も頷く。

 当人はまだ眠っているようだが、彼らが陰口をたたくような人間ではないことは短い付き合いでもよくわかる。

 お願いします、と頭を下げると、安藤は穏やかな瞳にわずかな影を落とした。



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