15 「最も大きな危険は勝利の瞬間にある」


 結果から言うと、二河原高校図書局の部活対抗リレーは散々な順位で幕を閉じた。


 優勢だった運動部を抜いて一位に躍り出た伊達は、全校生徒の歓声に応えると何かを叫んだ。

 走り終えた僕からは明確に聞き取れなかったが、応援をしていた安藤と佐羽曰く、彼は新入局員を募集していることを声高に宣伝しながら走りきったらしい。

 続く三鷹も注目を浴びながらなんとか上位を死守し、最後の南方にバトンが渡された。

 局員の功績に、触発されたのだろう。

 バトンを受け取った南方も何かを叫ぶように息を大きく吸い込んだ。

 皆が「二河原のナポレオン」による破天荒な声を期待した瞬間、南方は静かに転倒した。



 帰りのバスでは、僕はちょっとしたヒーローのような扱いを受けた。

 図書局の展示を見に行ったという声もあって、どうすれば入局できるかと問い合わせも何件か受けた。僕は平森の存在を皆に伝えながら、手足の残る疲労に閉じそうになる瞼を必死にこじ開けた。


 学校に戻ると、校門で待っていたらしい馬場に声をかけられた。

 すっかり顔色が戻っていた彼は、後輩である僕にも丁寧に頭をさげた。

「ごめんね。肝心な時に役立たずで」

「とんでもないです。先輩には普段から助けていただいてますから」

「城之はいる? あいつ椿と同じクラスだったよな」

 きょろ、と首を回した彼が、何かに気がつくように声をあげた。

 僕も視線を追う。

 旧校舎と新校舎を繋ぐ通路の下に、見知った姿が複数あった。僕らは顔を見合わせて、何やら話し合っている彼らに近づくことにした。


 話をしているのは、南方と松尾だった。城之の姿もあって、先ほどの話の続きをしているのは明白である。

 傍には安藤と伊達の姿もある。一人だけ名の知らぬ生徒がいて、ジャージの色で上級生であることだけわかった。

 剣道部の袴を脱いだ松尾からは、先ほどのような威圧感は失せていた。

 僕らに気がついた安藤が、にこやかな顔で手招きしてくれる。

「犯人が見つかったよ」

「爆弾犯のですか」

「図書館から本を無断で持ち出していた人」

 安藤が肩を叩いたのは、僕は初対面の生徒だった。

「こいつ、染屋。俺のいとこ」

 血縁者を紹介するような親しさは皆無な伊達の紹介に、思わず目を丸くする。きまり悪い表情でこちらを見下ろした彼は、静かに伊達そっくりな瞼を伏せて僕らにも謝罪の言葉を口にした。

 


 彼らが語ることには。

 染屋嵐は、一年の春に図書局に入局している。


 伊達とは母親同士が姉妹で、幼い頃から交流があった。馬は合わないようだが、その理由は後に知ることになる。とはいえ、伊達が二河原高校を選んだのも染屋の存在があったことが大きいようだ。

 二河原高校は自由な校風と、文武両道が売りだ。

 しかし、ここ最近は部活動の時間も制限され、生徒を勉強漬けにしたいという方向に指針が変わりつつある。運動部は普通科に任せ、進学科はその名の通り進学率を上げる為に努力を強いられている。

 図書局と剣道部。二つの部活動に籍を置いていた染屋は、幼い頃から親しんでいた剣道に専念するために、図書局を辞めている。

 それが一年の冬の話らしい。


 二年の終わりごろから、染屋は、進路の悩みを抱えていた。

 何か一つのことにしか打ち込めない性格の彼は、受験を意識するようになって調子を崩した。剣道で思うような成績を残せなくなった彼は、よく図書館に逃げ込んでいたという。

 そこは、まだ希望溢れる頃に何度も通った場所だった。

 図書局に入ったのは、安藤の誘いだったようだ。友人と過ごした穏やかな時間に縋ることで心の安寧を保っていたのかもしれない。だが、伊達が当番である木曜日にだけは決して近づかなかったというのだから正直な人であるという印象を受ける。


 そんなとき、染屋が図書館に訪れると、貸し出しカウンターの奥の扉が閉まっていた。

 なんでも、毎週図書局会議をするようになったのは、南方が作った習慣らしい。それまでは議題があるときしか行われていなかったというから、染屋にとっては知らない習慣だったのである。

 中から微かに、声が聞こえる。

 顔見知りの平森に話を聞くと、図書局員が喧嘩混じりの会議をしているのだと教えられた。

  

 図書局の仲の良さは、染屋も知っている。彼は、彼らに嫉妬したと正直に告白した。

 

 剣道部は二年の後期から、松尾が部長を務めている。

 一年の頃からエースで恵まれたセンスを持つ彼の実力は、誰もが認めていた。教師からの期待も大きく、皆が松尾が部長になることに賛成した。

 だが、彼に指導者としての素質があったかどうかは怪しかったようだ。

 厳しい訓練方法しか知らなかった松尾は、他の部員にも同じ鍛錬を強制した。

 休みの日も欠かさず練習をし、積極的に試合も行った。

 ある日曜日の練習試合。

 後輩部員に面を取られた染屋を、松尾は厳しく叱責した。反抗心を燃やした染屋は表向きは従いながらも、剣道部との距離を感じ始めた。それは過去の後悔や、幻影に縋る理由と変わっていく。


 次の日の放課後。

 カウンターの中の扉が閉まっていることを確認した染屋は、目についた話題書を鞄の中に隠した。

 元局員である彼は、それが彼らへの嫌がらせとなることを知っていた。


 それから彼は、何度か些細な盗みを繰り返すようになった。

 戦利品は剣道部の部室で使われていないロッカーに詰め込んでいた。万が一見つかっても、他の人の所為にもできる。そんな考えがあったのだろう。


 そんなことが続いたまま学期が変わり、春になった。

 剣道部にも新入部員が訪れ、最終学年になった松尾や染屋に礼儀正しく頭を下げる。冷めた目でそれを眺めていた染屋は、部員たちが荷物を置くためにロッカーを開ける様子を見ていた。



「松尾は、当然犯人捜しをすると思った。そこで皆に非難されて、退部することになっても構わないと思った」

 後日。

 剣道部を無事に退部した城之と、皆に事情を説明したいと言ってきた染屋が、並んで図書局を訪れた。

 会議の為に集まっていた局員は、染屋の説明に耳を傾けている。

「最初は、誰もそれが図書館の本だということも気がつかなかった。私物を持ち込んでいる部員がいることへの注意だけあって、本はロッカーの上に移動された。そのまま、誰も注目しなくなった。俺は拍子抜けしたし、何も言えなくなってしまった」

 旧友であるという安藤は、寄り添うように染屋の隣を選んだ。

 南方はいつもの誕生日席に腰かけ、その横には佐羽が陣取る。

 三鷹と伊達は定置で手持ち無沙汰にしていたが、今日は内職の手を止めている。カーディガンを復活させた馬場はまだ本調子ではないらしい。いつも以上に不愛想な顔で染屋の告白を聞いている口元には、棒つきの飴が咥えられていた。

 話の中心にいるはずの城之は、何故か一人目を輝かせている。

 やっと図書局に入れたのがよっぽど嬉しいらしい。今日は珍しく教室で声をかけてきて、僕らは一緒にここまで降りてきた。


「ある日、城之が俺に聞いてきたんだ。あれ、図書館に返さなくていいやつなんですかってな。こいつは本なんか読まない癖に、授業は真面目に受けたんだとわかった。図書館ツアーなんてめんどくさい授業、皆すぐに忘れてしまうのに」

「うむ。修二は中学から図書室に入り浸っていたようだからな」

 南方が補足する。

 彼が存外読書家であることは、局員全員が目撃した通りだ。

「だから、こいつに言ったんだ。誰にも気づかれないように戻してこい、ってな。あれは松尾が借りパクしてるものだから、あれを返してやったら松尾もお前に優しくなるかもな、なんて嘘をついた。城之が松尾の指導に不満を持っているのは知っていたから」

「ミカンも、染屋くんの入れ知恵?」

 安藤が穏やかに尋ねる。染屋の代わりに首を横に振った城之は、膝に乗せた鞄から大量のミカンを取り出して見せた。

「あれは、俺のおやつです。嵐先輩の言うことは聞きたいですけど、悪いことっていうのはわかってたんで、罪滅ぼしってやつで」

「爆弾犯は言い過ぎだったな」

 馬場が反省し、三鷹が思わずというように噴き出す。

「何回かに分けて城之は本を戻した。でも、松尾の態度は当然変わらない。あいつはこの件に何も関わっていないから当然だよな。疑問に思った城之がとうとう松尾に話ちまった」

 剣道部のロッカーにあった本が、不当に置かれていたものだったということ。それを松尾の所為だと考えていること。城之が部長に告げたのはその二点だった。

 染屋を庇う形になったのは偶然か、意図してのことか。

 当の本人は「忘れた」と言い、染屋も苦笑いを漏らすしかない。

「松尾は濡れ衣に怒って、黙って行動した城之も非難した。卑怯な真似をするやつは剣道部にいらないと言って、城之は部活に出られなくなった」

 城之は入部当初から、松尾とは相性が良くなかったようだ。

 松尾のスパルタ指導への愚痴を周囲によくこぼしていたというから、松尾にとってはいい機会だったのかもしれない。僕は彼が体育祭の委員に立候補していた姿を思い出す。あれは部活になるべく行きたくないという彼の主張だったのかもしれない。

「俺は罪悪感でどうにかなりそうだった。謝りに行こうと図書館にも行った。でも、また同じことをやってしまう。城之の真似をして本はすぐに戻そうとした。それを城之に見られるというヘマもした」

 それが五つ目のミカンタワーが発見された木曜日の出来事だったようだ。

 聞けば、僕がカウンターを整理している隙を見計らって出入りしたのだというのだから、僕の自信も形無しだ。元局員はカウンターからの死角も熟知していたのだと自分を鼓舞するが、染屋からすればザル警備もいいところだったらしい。

 持ち出した本をどうしようかと逡巡していた染屋の元に、剣道部室にあった最後の本を抱えた城之がやってきた。

 いつものように図書館の入口近くに本を積み上げた彼は、一番上におやつのミカンを捧げた。文豪の作品のオマージュとなっていることに気がつかなかった染屋は理系らしい。 

 帰路、城之が何故あんなことをしているのか尋ねてきた。

 染屋は、真実を全て語って、城之に謝った。謝っても謝りつくしても、足りなかった。

「他にどんな言葉をつかえばいいのかわからない。そう言ったら城之が急に笑顔になって、そのために図書館があると言い出した。あとで聞いたら、こいつ、俺の為に辞書を盗もうとしたんだってな。どうせあとで戻せばいいからって。辞書くらい持ってるつうの」

 金曜日は空調設備の故障で、全校生徒が強制帰宅となった。その週末はどの運動部も活動を自粛したとのことで、松尾へ謝罪に向かおうと考えていた染屋の意思が弱まるのに十分な時間が出来てしまった。

 翌週、染屋は部活に出なかった。

 顧問に退部の相談をしている際に、城之も退部を希望していることを聞かされる。また、平森の介入を伝えられ、彼は正式に司書教諭への謝罪を行っている。僕たちが展示で慌ただしくしている最中の出来事であるらしい。

 すでに司書教諭が真相を知っていたと聞いて、局員全員が絶句する。彼は黙って我々が翻弄される姿を見守っていたようだ。


 以降は、それまで黙っていた南方が説明を引き継いだ。

 彼はまず、平森と城之に箝口令を強いていたのは自分だと打ち明け、更に絶句する皆に頭を下げた。 


「城之修二の存在は、四月から認識していたのだ。君、よく図書館には来ていただろう」

「っす」

「放課後は現れないことから、運動部員の生徒だろうと思っていた。本は借りないで中で読んでいることも多い。その集中力は私も関心していたのだ。運動部なのが勿体ないとさえ思っていた」

 本を借りていなかったのは、方法がよくわからなかったらしい。

 また、カウンターにいつも座っている人が怖かったとも言いだし、皆が馬場を振り返る。朝と昼にいつもいるといえば彼くらいなのだが、こういうときの馬場は知らぬ顔が上手だ。

「辞書のことがあった日、彼と私は遅くまで話したのだ。染屋先輩のことも、松尾先輩もことも、剣道部の不穏な空気のことも、彼は全て話してくれた。私は、まず彼らとの仲を修復するように指示した。三年通うことになる学び屋に悔恨を残すのはよくないからな」

 だが、城之はどんな言葉をかけていいのかわからないと言った。だから辞書が必要だとも言ったらしい。

「私は辞書に頼らなくても、物語の世界にはいくらでも参考になる言葉があると教えた。語彙を鍛える彼の姿は皆も見ただろう」

 うさぎの物語が参考になったのかは不明だが、城之は自分の言葉で剣道部をやめた。それが体育祭の日に南方が匂わせた「説明」の内容だったようだ。

 平森をはじめ、顧問や他局を巻き込むことになった騒動に、松尾も事の大きさを自覚したようだ。独断で部員を休部にしたことや決めつけを反省し、城之と染屋は円満に退部となったらしい。


 体育祭のあと、宣言通り城之の「面を借りて」いた松尾を止め、話し合いの場を作るように進言したのは南方だという。

 染屋もその場に遭遇し、自分の過ちを部長に告白した。

 安藤や伊達のような顔見知りが図書局に存在することが、染屋にとってはいい後押しになったようだ。

「改めて、色々と迷惑をかけて申し訳なかった」

 染屋が端正な顔に後悔を滲ませていう。

 もう持ち出した本はないという彼は、安藤が肩を叩くまで顔をあげようとはしなかった。きっかりと結ばれた濃青のネクタイが垂れるにも頓着しないで謝る姿勢に、彼も二河原の学生らしい真面目な性格なのだろうと僕は推測する。 


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