14 雨の中の帰路
◇◇
「あの男は目障りだった」
雨の中、人を乗せるのを嫌がった馬を引きながら、のんびりと帰る途中。
ふいにナポレオンが口を開いた。
またいつもの憎まれ口が始まったのだ。私はそう思って、黙って耳を傾ける。
「エジプトでは私の個人的な野心の為に、多くの兵を犠牲にしたのだと周囲に言いふらした。天使だなんだともてはやされ、軍の規律もお構いなしだった」
「ああ、彼のことですか」
「革命以前の軍は腐りきっていった。私はそれを世界一の軍に変えたのだぞ。黙って付いてくればよかったものの」
戦場では死の天使であるアズラーイールにも例えられた男は、エジプト遠征のあとに軍から追放されたらしい。当時はまだドゼーの元にいた私も、彼の奔放な性格は耳にすることがあった。
美丈夫で、裕福な暮らしをしていた男だ。
革命で出世をした男は、確かに実力のある中将だったらしい。慕う兵士も多かったが、ナポレオンが理想とする形にははまらない言動はあの極限状態だったエジプトでは裏目に出た。
ぶつぶつと続けるナポレオンの声は、次第に下品な悪口に変わっていく。
その言葉を向ける相手は、彼一人だけのものではないのだろう。
彼は、気に入らない人間とそうではない人間への差が激しかった。
だが、さっきまで罵詈雑言を並べてこき下ろしていた人間へあっても、急に優しく振舞うことがあった。
本質的には善良で寛大な人物なのだ。
私は数々の罵りを聞き流しながら、すっかり過去のこととなった日々を思い返す。
エジプトにいた頃は、もう二度と乾きと飢えからは逃れられないとさえ思った。だが、数年後の自分は、こうしてパリで冷たい雨に打たれている。
「陛下、私はエジプトでピラミッドを見ました」
「うむ?」
宮殿が見えてきた。
馬に気づいた見張りが動き、若い見張りを走らせている。
今晩は私も宮殿に泊まることになるだろう。
服を乾かす火を起こしにいったのであろう背中を見守りながら、私はのんびりと告げる。
「デュマ将軍も、見たことでしょう。きっと彼は子供に自慢しますよ。自分の言葉も忘れて」
「……そうだな。ラップの言う通りだ」
もちろん私は、のちに彼の息子が作家になることも後世まで長く親しまれる作品を何作も残すことは知らない。
彼が父を理想化していくつもの英雄を作り、大成することなど思いもしない。
そのどれもが、ナポレオンの存在なくしてあり得なかった。
そう考えるのは後の世を生きる者に任せて、私は雨に震え始めている皇帝の肩を支える。
暖かい宮殿の光の中から、仲間たちが顔を出した。
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