12 代役




 平森を連れて戻ってきた伊達は、汗ひとつかいていなかった。

 伊達男の名は体を表すようだ。

 なんてことのないような顔で鉢巻を結びなおした彼は、再び馬場の影役を買って出る。

 足が悪いという司書教諭は、教員テントで記録をまとめる係をしていたらしい。

 どこにいるかもわからない担任や先輩を探すよりは効率のいい判断だ。伊達のファインプレーに拍手をすると、彼はいつになく照れくさそうな顔をして周囲を恋に落としてしまう。

 平森は、蒼白な馬場を見ても、いつもの落ち着きを崩さなかった。

 背の高い彼をひょいと簡単に持ち上げたと思うと、自分の車で休ませると皆に告げる。


 一連の光景は、図書局や馬場を知る者ならば、驚く光景ではないようだ。

 妙に落ち着き払っている皆の中で、僕一人が狼狽えている。見かねた三鷹が後で説明すると約束してくれた。

「しかし、リレーもダメとはね」

「うむ。これは私の判断ミスだな。面目ない」

 肩を竦めて困り顔をする先輩たちの言葉に、南方も神妙に頷く。


 約束通り後から聞いた話によると、二河原高校図書局副局長の馬場ジャンは、小・中と野球チームに所属していた優秀なピッチャーだったらしい。

 中学からは硬球を使う学外の野球チームにも属していた。高校も野球の推薦間違いなしと言われるほどで、期待の存在であったいう。

 だが、彼は中学二年の夏を境に野球はおろか、スポーツ全般ができなくなってしまった。それは彼の肩に残る傷が理由である。



 平森と馬場が去り、残された図書局は、すでに十分後に出番が迫っていた。

 棄権は可能だが委員会に申請しなくてはならない。部活動対抗リレーまでは単位に影響しないが、全校生徒が見守る中でのトラブルは周囲に迷惑をかけてしまう。

「どうする。いまから安藤先輩を呼ぶ?」

 三鷹が提案したが、伊達が首を横に振る。

 安藤と佐羽はどこかで一緒に応援すると言っていたが、場所までは聞いていない。いまから見つけ出すのも至難の業だし、事情を説明している暇もない。

「俺、二人分走るよ。こういうときくらいしか活躍できないし」

「それしかあるまい。委員に説明して特例を認めてもらおう」

「そろそろ移動しないとやばいしね」

 第一レースは運動部が中心に組まれていた。

 サッカー部、テニス部、バドミントン部、バレー部、野球部がぶつかり合う姿は生徒たちを興奮させ、続く第二レースへの期待の目も大きい。

 僕らと走ることになるのは、競技に足の速さは求められない部活動だった。

 体操着姿なのは理科部で、向こうで帯を巻いているのは柔道部だろう。剣道部の姿もあって、袴姿は制服より走りにくそうだ。

 各部活五人ずつがリレーをするため、第二走者以降は移動をしなくてはならない。南方が配った鉢巻を巻いて、第四走者の三鷹と二番走者の馬場の代わりの伊達が、自分のスタート地点に急ぐ。

 僕も、特別足に自信があるわけではない。

 部活動のリレーは速さではないと聞いたから出場を了承したが、勝利を期待されると困ってしまう。スタートを引き受けたのは、馬場や伊達のような目立つ存在と比べられない為である。

 一人残されて、ふと、馬場から預かった学ランを抱えていたことに気がついた。

 いまから客席に預ける時間はない。借り物をそのまま放置するのも忍びなく、僕も南方が向かった委員会の元へ急ぐ。



 実行委員長と話していたらしい南方の姿は、すぐに見つかった。

 二河原高校の制服も黒を基調としていたが、形が違う学ラン姿は目にも新鮮だ。近づいて、傍に別の存在がいることに気がつく。


「俺、出ます」

 そう言ったのは、体操着姿の城之だった。

 体育祭実行委員が、困り顔で南方を見下ろす。

 城之の隣にはもう一人生徒がいて、彼は剣道部の袴を身に着けていた。そちらは呆気にとられた顔で一年の様子を伺っている。

「五人いればいいんですよね。じゃあ、俺が出ます」

「君は剣道部だろ。戻り給え」

「俺、どうせ応援だし。それに、応援もしろって言われたからしてるだけです」

「お前さあ」

 のちに名を知ることになった剣道部部長が、飽きれた声を出す。

 松尾という名の彼は三年で、地区大会で個人優勝経験もある実力者だ。彼は一年の部員を持て余しているらしく、落ち着きもなく城之の肩を叩く姿は威厳もない。

「いいから、はやく戻れよ。あっちで部員全員集まってるって言ってるだろ」

「嫌っす。俺、この人に誘われたんで」

「そうなんですか」

「うむ。確かに入局は勧誘したが、体育祭は誘っていない」

「でも、いれてくれるって言ったじゃないですか」

 揉めている様子に、周囲の注目も集まり始める。

 走者の移動を促すアナウンスが入るが、ギャラリーは増える一方だ。困り顔の委員が、南方と城之を交互に見て溜息をつく。

「なんでもいいんですけど、五人揃わないと参加できないのはルールだから。図書局は出るの出ないの」

「出ます」

 南方が口を開く前に、城之が言う。

 それで決まりだと手を叩いた委員は、そそくさと自分の役目に戻っていた。

 どうやら、南方の交渉は失敗したようだが、代わりの走者は見つかったらしい。

 微妙な顔で振り向いた南方が、僕に気がつく。

 持て余した学ランを見つけた城之が目を輝かせた。

「それ、俺が着る」

「ああ……。うん、どうぞ」

「松尾先輩、申し訳ない。そちらの部員を一名お借りすることになったようです」

「ユーレイのこいつなんて、どこにいてもいいけど。修二、後で面貸せよ」

 吐き捨てるように言った松尾もスタート地点に急いだ。

 どの部活動もアンカーは部長や局長と決まっているらしく、第五走者の集合場所だけ伝わってくる熱気が違う。

 体操着の上に学ランを着た城之は足元だけ何度かまくり上げた。

 すっかり図書局らしくなった姿に、南方も諦めたように溜息をついた。

「修二。君の入局を認めるのは、君が剣道部を退部できてからの話だと言ったはずだ」

「っす。これ終わったら、即辞めます」

「そしてその際には、自分の言葉で皆に迷惑をかけたことを謝罪するのだ。我々だけではなく、剣道部にも同じだぞ」

「……っす」

「じゃあ、行きたまえ。伊達の顔はわかるな。彼と第二走者を交代し、伊達には三走目になるよう伝えてくれ」

「あのくしゃくしゃ頭の人っすよね。わかりました」

 城之は従順に頷くと、言われた通りの方向に走っていった。

 先ほど、松尾に見せていた不遜な態度とは大きな違いだ。

 呆気にとられた僕の肩を、南方が叩く。

「すまないな。君たちにはちゃんと片付いてから説明したかったのだ」

「説明って……」

「まずは図書局の未来の為に走るのだ。第一走者、期待しているぞ」

 そう言って自分もアンカーの位置に向かった南方が学ランの裾に躓くのを、僕は見て見ぬふりをしながら、しっかり脳内に焼きつけた。


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