11 体育祭



 二河原高校の体育祭は、僕の想像以上の盛り上がりだった。

 まず、全校生徒が移動をする専用のバスが存在しているのに驚く。

 時間差で集合した生徒を運ぶバスには、各部活の名がプリントされていた。遠征などで使用されているもののようで、クラスまるごとが座れるバスが何台もあるらしい。

 数往復で数キロ先の陸上施設に生徒を運び、帰りもこれで学校前解散となるようだ。


 生徒にはタイムスケジュールが配られ、各々が自分の出場する競技を確認できるようになっていた。

 担任教師の号令や呼びかけはない為、時間配分は自分自身で決めることになるらしい。生徒の自主性というのはこのような場面でも要求されるらしい。

 応援にかまかけているうちに、自分の競技に遅刻をする、なんてことも起こり得る。

 集合場所に集まると、委員会の人間が出欠をとったのちにゼッケンが配られる。

 ちなみにこの出欠が授業の単位とカウントされるため、参加は必須だ。進学科の僕らにとっては、実力を残す残さないは二の次である。

 僕は、午前中に幅跳びに出場した。

 あまりものの砲丸投げに参加することになった桶田は、微妙な成績を晒すことになったらしい。幅跳びの砂場が生徒の観覧席から遠いことに感謝しながら、僕もなんともいえない記録で元の位置に戻る。


 昼食を各々のタイミングで済ませたのちに、午後は期待の部活動対抗リレーだ。

 トラックは観覧席から一番見やすい場所にある。短距離走は朝から注目され、応援の声も多かった。どの学年にも花がある生徒はいるらしく、同級下級問わず黄色い歓声や野太い声援が飛び交っていた。

 中でも注目をされていたのは、生徒会長の暮林だった。

 彼は秀才という噂で、足も速いようだ。天は二物を与えると歯ぎしりする桶田をよそに、僕は競技場をぐるりと見まわす。

 予選で結果を残せば、更にトーナメントで勝ち上がっていく。午後までやることがなくなった僕は、図書局の先輩を探すのに専念していた。

 短距離に出た生徒はいなかったようだ。

 どの先輩も無難な競技でノルマはこなしたのか、ふと気がつくと観客席にいる。出場する種目を聞き出す余裕はなかったため、彼らの観察は冬の球技大会に期待をする。

 桶田は、砲丸投げで南方に会ったらしい。

 なかなかの成績だったという言葉を聞き流しながら、僕は体操服から学ランに着替えを済ませる。


 城之が持ってきた学ランは、ほとんど新品に見えた。

 古いというのは、古着という意味ではなかったようだ。キャンセルになったか、サンプル品なのだろう。紛らわしい言い方に内心怯えていたが、ひとまず清潔そうで安心した。

「昔は二河原も学ランだったらしいね。男子高時代の話のようだけど」

「へえ。じゃあ、伝統的な図書局にはぴったりだったのかもしれない」

 友人は、僕の話し方が南方に似てきたと呆れた。

 僕は彼と別れて、他の生徒が振り返るのを感じながらリレーの集合場所へ向かった。


「トマ、こっちだ」

 大きな声に振り返ると、身長のある伊達が目に入った。

 その横で手を振る南方は運動部の波に埋もれている。

 僕は近づいて、彼が用意したという鉢巻を額に巻いた。


 ハンサムな伊達は、今日も慣れない学ランを見事に着こなしていた。

 手足が長く顔も整った伊達鏡也は、学年問わず人気が高い。

 周囲の運動部にも引けを取らない体躯だが、彼曰く、図書局には運動部の勧誘を避ける為に入ったようだ。

 立ち姿は優雅で凛々しく品がある。

 馬場は以前彼のことを「ミーハーの見栄っ張り」と称していたが、完璧な鎧で固めてしまえばどんなものも強固に見えるものだ。

 走るのは得意らしい。

 彼は急に決まった出場にも涼しい顔で、いつになく頼もしい。


 三鷹も背は高い方だ。難なく着こなしている様子はいつになく精悍に見えて、彼に恋人がいるという事実に改めて納得がいく。過去に運動経験があるらしく、柔軟運動をする様子も板についていた。


 問題は南方だ。

 彼は小さいサイズの学ランであっても、長ランのように裾を持て余している。

 運動をして乱れたのか、いつもに増して乱れた髪がだらしのない印象が強調していた。

 子供や女子生徒が、ふざけて男子生徒の制服を羽織っているようにしか見えない。

 正直な感想は皮膚の裏に押し殺し、予想通り目立っていることを褒める。 

 膝上まで上着が落ちてる南方が走れるのかどうかは不安になったが、なにも優勝が目的ではないのだ。見なかったことにして、僕はもう一人の先輩を探す。


「あれ、馬場先輩。まだ着替えていないんですか」

 背後にいた馬場は、まだ指定の体操服姿だった。

 真面目な彼が、今更似合わないから着たくないなどと駄々をこねるとは思えない。伊達ほどではないが上背がある馬場が似合わないことはあり得ないし、彼がそこそこ整った顔立ちをしているのは前にも述べた通りだ。

 問いかけに呻き声のような声をあげた馬場は、ふいに手にしたままだった学ランを僕に押し付けた。

 僕が反応するより前に、伊達が動く。

 彼は伸ばした腕で咄嗟に馬場の肩を掴んだ。ぐらりとよろけた身体が伊達の上半身にもたれかかり、そのまま支えられた体勢のまま動かなくなった。

 伊達が、馬場をその場に座らせる。日の影になるように立った色男は、案外冷静な顔で南方を振り返った。

「局長、俺ら何レース目だっけ」

「む、二レース目だな」

「微妙だな。三鷹、ここ立ってて」

 簡単に指示をした彼は、どこかに走っていった。方角からして教師テントだと思うが、あっという間に背中は遠ざかっていく。

 影を交代した三鷹が、納得の声を出す。

 まだ事態が読み込めない僕をよそに、南方も地面にしゃがみんで馬場と目線を合わせていた。

「ジャン。無理をしなくていい」

「……ごめん」

「謝るな。私には正直でいいと前に言っただろう」

 ようやく僕も、馬場の息が荒いことに気がつく。

 彼は、先日いつかの放課後のように真っ青な顔でうつむいた。

 絞りだされるような声は、いつもの低音とは違う。

 震えて、怯えたように細い声は、僕が尊敬している真面目でクールな馬場ジャンのものとは大きく異なっていた。

「むり、かも」

 地面にぽつりと、彼の汗が落ちる。

 柔らかな競技場にしみ込んだ雫が見えなくなった時、どこかで空砲の音が鳴った。



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