10 南方の提案


「体育祭に出る?」

 寝起きの馬場と僕の声が重なる。

 誇らしげに頷いた南方はいつもの誕生日席に収まり、報告を彼に一任した平森はコーヒーをすすっている。

 図書館の鍵は閉めた。

 佐羽は南方の決定には賛同の姿勢だし、安藤はいつものように穏やかにほほ笑むだけだ。

 いつもと異なるのは、所在なさげにたたずむ城之がいることくらいだ。

 いつもは閉館したらすぐに帰る彼も、今日は司書室に入ることが許された。そわそわと落ち着かないのが気になるが、いまは彼にかまっている時間ではない。

「知っての通り、我が二河原高校の体育祭は年に二度ある。一度目は金曜日に開催される陸上大会。二度目は冬に行われる球技大会」

 南方は、いつもの演説をするような声ではきはきと告げる。

 体育祭は、入学前後の諸行事を除けば、新一年生が最初に参加する学校行事である。

 出場する競技はもう決定している。僕のクラスは火曜日に体育があって、参加する陸上種目の練習をしたところだった。


「陸上大会では毎年余興として、部活動対抗リレーと教職員リレーが開催される。平森先生は今年も辞退されたようだが」

 肩を竦めた平森は、ほっとけというように手を払った。

 南方も尊敬する教師の言うことはよく聞き入れる。

「その部活動対抗リレーに、図書局も出場することになった。参加資格は男子生徒五名がエントリーすることだから、条件は軽く達している」

「南方くん、馬場、椿くん、三鷹くん、伊達くんの五人?」

「その通り。アントワーヌ先輩は受験もあられるし、応援に回っていただければ」

「うん。まりえちゃん、一緒に応援幕を持とうか」

 あっさりと補欠を受け入れた先輩は、紅一点にも礼儀正しい。

「部活動対抗リレーは運動部の腕の見せ所ではあるが、文化部は出場するだけで意味がある。名が知れるし、何より宣伝になるからな。まだ部活を決めかねている一年に注目してもらえる機会だ。それに万が一優勝でもしたら」

「いや、不可能だろ」

 馬場がすかさず南方の幻想を止める。

 これには南方も反論の仕様がなかったらしく、彼は夢を語るのはやめにした。

「まあともかく、名を知らしめるのにはちょうどいい。先ほど体育祭実行委員長にも話をつけてきたところだ。問題は、どんな衣装で出場するかだ」

「衣装?」

「部活動対抗リレーだから、他の部はユニホームや部活ティーシャツを着るね。図書局にはないから困ったね」

 安藤が説明し、困ってなさそうな口調で締めくくる。

 展開を面白がっている様子の平森が制服でいいのではないかと言い出して、馬場が安全性の点で否定をする。

 二河原高校の男子の制服はブレザーだが、当然ながら走ることは想定されていない。全速力で走るとネクタイが首に絡まりそうだし、一着しかないブレザーに土埃を着けるのも避けたい。

「学ランなら……、ありますけど」

 ふと、それまで黙って話を聞いていた城之が声を出した。

 皆の注目を受け顔を赤くした男は、言い訳をするように腕をぶんぶんと振る。

「うち、地元の中学の制服を売ってる洋服屋なんで。古くて売り物にしないヤツならむちゃくちゃあるんで、五着くらいなら、多分、ある、っす」

「素晴らしい。確かに文学少年のイメージに学ランはぴったりかもしれないな」

「お借りることは本当にできるの? ご迷惑にならない?」

 南方の絶賛と佐羽の問いかけに、城之はますます顔を赤くした。注目されると緊張するタイプらしい。

 携帯電話で両親に了承の返事を取り付けた彼は「大丈夫」と繰り返すと、皆のサイズを尋ねた。三鷹と伊達は想像に頼る他ないが、大体のサイズが合えば問題はないだろう。

「素晴らしい、素晴らしい。では、我が図書局は学ランを着て部活対抗リレーに参加しよう。三局としての誇りと伝統を見せつけ、ますますの発展に全力を尽くそう」

 学ランはブレザーと違って、少なくとも前はしっかりと止まる。

 着崩れる心配はないだろうと馬場も了承し、図書局のユニフォームはあっさり決まった。

 靴は運動靴厳守とも決まって、早速明日にでも試着をしてみることになった。


 二年のメンバー間では連絡事項が共有できる仕組みがあるらしい。

 その場は解散となり、僕はいつものように先輩たちと帰路に着く。

 なんとなく最寄り駅までも一緒だった城之は、思い出したように頭を下げると、来た道を戻っていった。自宅の方向を間違えたようだ。

「なんか、独特な子」

 佐羽が呟く。

 二河原から家が近い南方とは校門で別れていて、安藤と馬場と佐羽は地元が同じらしい。僕は途中まで地下鉄が一緒だ。

 地下鉄の駅の階段を下ると、周囲の空気が一気に冷える。

 最近暖かくなってきて、春らしい陽気が暑いくらいの日もあった。

 学ランがどのくらい通気性があるものかはわからない。金曜日は冷たい飲み物を用意した方がいいだろう。 

「悪い子ではなさそうだね。どうしてあんなことをしていたのかわからないけど」

「そもそも、本当にあの子がやってたのでしょうか。辞書を持ち出したのはたまたまで、別の人が犯人の可能性もまだありますよね」

「どっちにしても、南方が聞き出そうとしないから、俺らは何もわかんないよ」

 口々に言いあいながら地下鉄の通路を進む三名はどこか呑気だ。

 僕は思ったことを噤んだまま、彼らと共に改札を通る。


 二河原高校の最寄り駅は、終着駅だ。

 すでにホームで出発を待っていた電車に乗り込み、横並びの席に並んで座る。

「『トマ』は納得いかないって顔だな」

 隣になった馬場が、鞄からいつもの飴を取り出した。

 口にくわえると、表情が分かりにくい先輩が笑っているように見えてドキリとする。


 正直のところ、僕は城之が図書局に出入りすることが気に食わない。

 唯一の一年というポジションを取られたようで不服だし、皆に迷惑までとは言わないが、手間をかけさせたのは事実なのだ。

 なのに、弁解も謝罪もないまま受け入れられてしまうのは話が違う。

 加えて、彼は相変わらず教室では僕の認識をあまりしていないらしい。僕の方もこの二日は気に掛けるようにしていたが、彼が積極的に僕と関わろうとした様子は一度もない。

 そんな子供じみた言葉を並べるのは、不格好だ。

 桶田にも告げる気になれないままもやもやと留まっている言葉は、胸の中で毒素が増している。

「いいんだよ。不満は言っても」

 安藤が穏やかに言う。

 先ほどより顔色がよくなった馬場も頷く。

 一番向こうに腰かける佐羽は興味がなさそうだが、彼女がクールに見えて優しいのはもう言われなくても知っている。


「実際、丸善化現象は止まったので、僕はあいつが犯人なのは間違いがないと思います。僕には、皆さんもわかっていて何も言わないでいるように見えます」

 思い切って吐き出すと、感情は素直な言葉になった。

 素直なことは、いいことだ。

 ここのところそう思えるのは、彼らが絶対的な年上だからだろう。

 これまでの義務教育で、漠然としてあった歳の差とは違う。

 彼らは二河原高校の生徒らしく独立した考えを持つ人間だ。

 自ら行動し、結果を残してきた存在は、僕にとって初めて憧れるべき存在として数えられつつある。中学で部活に失敗した僕にとっては、はじめて「先輩」と心から呼べる存在だ。


 だからこそ、余計な異分子が気に食わない。

 行きつく先は子供のままだが、僕が絶対的に高校一年生であることには変わりはない。 

「どうして、城之に何も言わないんですか。どうして、あのままにしておくんですか」

「南方くんが何も言わないから」

 佐羽がきっぱりと答えて、自分の鞄から文庫本を取り出す。

 移動中は読書をすると決めている彼女は、それ以上何も言わずに文字を追い始めてしまった。

 いつもの光景に目を細めた安藤も、彼女の言葉に同意する。

「僕たちは、南方くんの決定には従うって決めてるからね」

「南方は頼りないとこもあるかもしれないが、一応、局長だから。俺もそれに異論はない」

 いつも南方の言葉を否定する副局長も続く。

 庇護と過保護が過ぎる言葉は、なんとなく予想がついていた。

「僕は、不思議です」


 二河原高校図書局は、不思議だ。

 地味かと思えば注目され、存在感がないかと思えば圧倒的な魅力でこちらを惹きつける。

 部活動紹介で僕を魅了した先輩は、蓋を開ければただ声ばかり威勢がいい小柄な少年だった。だが、局員からは慕われ、教職員も手を焼きつつ彼の言動は認めている。

 そんな破天荒で、理屈ではないことがあるのだろうか。


「確かに彼にはリーダーシップがあるし、誰かに従うよりは上に立つ方が向いていると思います。でも、洞察力があるようには見えないし、思いつきで行動をしているところもある。彼の判断が全て正しいと思えないから、先輩達がそうやって全部委ねているのが、不満なのかもしれません」

 安藤は周囲からも慕われる穏やかで完璧な上級生だ。

 馬場は冷静で頭の回転も速く、誰よりも真面目に雑務を熟すことができる。

 佐羽は言動こそそっけないところもあるが、優しくて真面目で、誰よりも図書局を大事にしているとわかる。

 三鷹や伊達も行動の理由は様々だが、何かあれば真剣に取り組み、問題に対処できる。

 そんな中、南方だけが不思議だ。

 僕には、彼に何があるとは思えない。 

「椿、」

 地下鉄が動き出す。

 車輪の音が大きく、隣の人との会話も困難になる地下鉄で、議論を続けることはできない。

 口を噤んだ僕に、馬場が言う。

「南方以外が図書局をまとめるのは、いまのところ不可能だよ。あいつだからできるんだ」

 それは、僕もすでに知っている事実だった。

 何も言えなくなった僕を差し置いて、先輩達はそれぞれ本を取り出す。車輪の音が響く地下鉄の窓に、並んで読書をする僕らの姿が映っていた。



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