7 「荘厳さから滑稽さまでは、わずか一歩にすぎない」



「これは早急にどうにかせねばならない」

 南方が深刻な顔をして告げる。

 今日は、毎週恒例の図書局会議の日だ。

 つまり、最初のミカンタワーが見つかってから一週間経ったことになる。


 佐羽が家で印刷してきてくれた写真を、作業机に並べる。

 ブッカーにくっつけないように広げられた写真は、全部で五枚あった。

「今週はカウンターにいるときも気をつけていたんだけど」

 三鷹が悔し気に漏らし、安藤もこればかりは笑みのまま腕を組む。

 今日も閉めた扉の向こうでは、平森がカウンター業務を熟している音が微かに聞こえてきた。


 最初のミカンタワーが見つかった翌日。

 放課後の四時過ぎに馬場が見つけた二本のタワーを皮切りに、毎日のように新たなタワーが建設された。

 共通点は、どの本も二河原高校図書館の蔵書であること。

 本の内容や書式に共通点は見当たらず、中身に悪戯を施した様子はないこと。

 ランダムに積み上げられた本の上には、必ず小さなミカンが乗せられていることであった。

「会議のあった月曜日に一つ。翌日は二つ。その後二日続けて一つずつ。金曜日は発見されなかったが、放課後は空調設備の故障で部活動が禁止の一斉帰宅だったことが理由とされる。そして月曜日、本日はまだ丸善化現象は確認されていない」

「南方くんはそんな風に呼んでいたの」

 いつものように議事録を作っていた佐羽が、会議のタイトルを律儀に変更した。

 五枚の写真を改めて確認する。

 本はどれも、貸し出し処理がされないまま外に持ち出されたものだ。

 タイトルでメッセージになっている、なんて案が三日目に出たが、あれこれ捻って見ても答えはでなかった。謎かけの類ではないらしい。

 第一、本の向きも置き方もバラバラで、計算された置き方のようには見えない。


 安藤曰く、三日目までの本は数か月単位で不明になっていた本だ。

 しかし、四日目のタワーにはつい最近まで書架で存在が確認された本も含まれていた。

 ただの記憶だから勘違いかもしれないと彼は謙遜したが、南方は安藤の判断に絶大な信頼を置いていた。

「木曜日に発見されたタワーにあったこの文庫本、先日まで私の友人である遠藤が借りていた。本人からも事件解決の為、情報提供者の氏名を明かすことへの許可は取ってある」

 南方は、まだ書架に戻していない木曜日のタワーから一冊の本を取った。

 緑色の背表紙に、白い表紙。

 とある孤独な小説家が描いた短編小説集だ。

 最近作者の生涯が映画化され、読書家の間では話題になっている作品である。

 三日目までのタワーに使われていた本は、すでに元在るべき場所へ戻している。

 五つ目のタワーがまるごと残ったままになっているのは、金曜日の部活動禁止が原因である。

 先ほどやっと最後の一冊の清掃を終えた。

 南方の命令でまだ積まれたままになっているそれは、生きた証拠となったらしい。


 木曜日の放課後。

 カウンター当番だった僕は、中で読書をするのをやめ、常に出入り口を見張るようにしていた。


 二河原高校の優秀な司書教諭は、いま流行のミニマリストとは対極な性格をしていた。

 そもそも読書家が蔵書を所謂「断捨離」することは、至難の技である。

 よくある片付け指南の本には、本当に必要な十冊程度だけを残すような記載が多い。そんなものは気に入って揃えているシリーズもので簡単に越えてしまう。

 作家買い、ジャンル買い、出版社買い。それらが生きがいの人間には到底できない話である。

 平森もその手の人間のようで、書庫には整理仕切れない本が無数にある。

 そして彼の場合、整理できないのは本だけに留まらないらしい。

 貸し出しカウンターの中には、歴代の図書局員が残していったのであろう雑多なものが無数に存在した。

 ペン立てには禄に使わないペンやクリップに溢れ、展示や掲示板作りの為に用意されている折り紙や画用紙はくしゃくしゃなまま引き出しに押し込まれていた。昔の色あせたものを発掘するより、新しいものを買い足した方がはやい。平森はそんな考えを持論にしている。

 僕は、これまでも図書委員会に所属したことがあった。

 過去の学校も整頓されているとは言えないものではあったが、二河原高校図書館の貸し出しカウンター内部は、ダントツでカオスである。

 僕はカウンター内の大掃除を決行し、大量の文房具を仕分けに成功した。

 余ったがまだ使える備品は、生徒会を通して各場所に分けてもらう手続きをするつもりだ。

 ごろごろと転がっていた油性ペンは、半分以上がインク切れだった。流石に管理の甘さに呆れたが、局員からは綺麗になったと褒められたから悪い気はしない。

 掃除をしていたとはいえ、やっていることは単純作業だ。出入する人間の顔を確認するのには、読書よりも都合がいい。

 入館者も手元で記録をし、不審な動きをする生徒がいないのもしっかりとこの目で確認した。


 だが、局長曰く丸善化現象は起きてしまった。

「遠藤曰く、本は月曜日の我々が会議をしている間に平森先生から借りたとのことだ。先生に確認いただいたが、データ上に確かに記録が残っている。そしてあいつは読むスピードがはやいから、火曜日には読み終え、水曜日の朝のうちに返却している」

 文庫本は、現在貸し出し状態にはなっていない。それは木曜日に僕が確認済みである。

「水曜日の昼当番はジャンだな。返却本の中にこれがあった記憶はあるか?」

「俺が戻した。平森先生から、俺が予約していた本が戻ってきたと教えてもらってね」

 珍しく発言をした伊達が、鞄から本を取り出す。

 その表紙には、僕にも見覚えがあった。火曜日のタワーに紛れていたものである。

「この作家の本は全部揃っているのに、何故かこいつだけいつ見てもなかったんだ。先生に探してもらう約束をしていたが、どっかの野郎が抱えていたんじゃ見つからないはずだ」

 彼は不満げに言うと、水曜日の記憶を語る。

 彼は午前の授業の合間に、会議に出席していた平森と廊下ですれ違ったらしい。

 そこでまたタワーが見つかったこと、そこに伊達が探していた本があったことを教わった。

 当番以外では顔を出すことが少ない伊達だが、その日はたまたま昼休みに図書館に向かったという。

 馬場も頷き、あまりにも珍しいから仕事をするように言ったと認める。

「では、確実に水曜日の朝から昼までは図書館にこの本は存在したことになる。だが、伊達が書架に戻してから我々が木曜日のタワーを発見する放課後までの間に、犯人の手によって持ち去られたということだな」

「授業の合間にも、図書館は来れるもんな。近い教室でなければ流石に厳しいけど」

 三鷹が頷く。

 横に長い旧校舎は西と東で距離がある。

 図書館が存在する東側に位置するクラスであれば問題はないが、五階の西側に位置する僕の教室からは、移動だけで休憩時間が終わってしまう。

「二階東側は二年の進学科、一階東側は一年生普通科の教室。以前上がった貸し出しの仕組みを理解していない者による犯行の線も消えてはいないな」

 南方が冷静に分析し、三階は三年普通科であることも付け加える。

 該当する教室に所属する生徒は、この場にいないようだ。図書局員は皆成績優秀らしく、三鷹以外の生徒は皆進学科である。

「掲示をしてみる? 本を持ち出す際はカウンターを通してください、と」

「うむ。それも必要な策だ。トマ、一学年の生徒は図書館ツアーを済ませているな」

「ええ、現国の最初の授業で。先生が引率してくださって、図書館の存在を教えてくれました」

「あれは平森先生が提案した画期的な授業だ。私もそれでこの二河原高校の素晴らしい図書館に魅了されたのだからな。あの春の日差しが差し込む図書館の静謐さに私は、」

「南方、話が逸れている」

 思い出に浸る局長を連れ戻すのは、やはり馬場の鋭い声だ。

 邪魔をされた南方は口を尖らせたが、しぶしぶ佐羽の提案に話を戻す。


「二河原の門を潜った一年が、つい先日に教わったことを忘却できるほど愚かではないと思いたい。ツアーを済ませたばかりの一年が犯人だった場合、我々を避ける理由があるはずだ。恥ずかしい、先輩に声をかけにくい、なんと言ったらいいかわからない。それらの感情が生んだ事件ならば、我々に原因はある」

「本の借り方を忘れたぼんくらの二年か三年のうっかり、または俺たちが翻弄される様を見たい愉快犯。どっちにしろ理由はあるだろうが、議論のしようはないな」

「一人の犯行とは限らないよね。何人かのグループで遊んでいるのかも」

 馬場が吐き捨てる諦めと、安藤の柔らかな予想は対照的だ。

「でも、一冊か二冊ならわかるけど、この量は少し悪質じゃないかしら」

「まりえちゃんに同意。いやがらせって考えるのが普通じゃねえの」

「じゃあ伊達に振られた女子生徒の犯行」

「なんでだよ。順ちゃんとお前の仲に嫉妬したヤツかもしれないだろ」

 伊達と三鷹の言い争いに、ふと、布瀬の顔が浮かぶ。

 彼は南方を敵視している。局長として今期も就任した彼を怨んでの犯行とも考えられなくはない。

 しかし、仮にも生徒の見本である生徒会の人間がやるには、手段が姑息すぎる。

 それに、手がかりとなるのは小さなミカンだけなのだ。

 謎かけにしては難易度が高いし、いやがらせは対象に気づかなければダメージにもならないだろう。

「いっそ、放送局にでも呼びかけてもらうか。本を貸し出し処理しないまま持ち出している生徒がいます、やめてくださいって」

 話し合いが頓挫しそうな流れに、馬場が溜息をついた。

 並べた写真をめくっていた佐羽も頷く。

「丸善化現象が起きなければいいからね。私達へのデメリットは不明本を探す手間だけだし」

 確かに、どんな理由があるにしても、図書局員の仕事量はさほど増えない。

 蔵書は定期的に清掃を行っている。返本作業も日々の業務の一つだし、図書局員を困らせたい行動だとすれば弱いと言わざるを得ない。処理をしないまま持ち出されるのは迷惑ではあったが、戻ってくるならそれでいいというのが皆の本音である。

 どんなに管理を機械に任せていても、扱っているのが人間である以上、毎年不明本は発生する。

 局員の片づけ間違い、生徒の他意のない移動。本に本が重なって見えなくなってしまうこともあるし、延滞したまま持ち逃げされることも珍しいことではない。

 ただし、データは残り続ける為、本を検索すれば出てくるのに書架にはない、ということは起こってしまう。依頼された本があるはずの棚で見つからなかったときの絶望は、経験した者にしかわからないだろう。

 判明している不明本は手書きでリストを作っているが、それも全てではない。

「見張りを強化するしかないな。皆、今週は当番日以外にもなるべく顔を出して、館内を無人にしないように」

 南方も折れ、その日の会議は終了の運びとなった。馬場と佐羽の案は採用されることになり、早速局員は、放送局に渡す原稿を作る係と、掲示を作る係にわけられた。


 話し合いは終了したため、司書室の扉は解放した。

 平森はコーヒーを淹れ、事務作業に戻る。

 借りた本を読みたいと言った伊達がカウンターを引き受け、僕は佐羽と共に掲示作りに取り掛かる。

 モップを持って書架に出た三鷹は、クラスメートと会ったようだ。談笑する声が司書室にも届き、南方が注意しに出ていく。

 率先して生徒に声をかけにいく姿は、局長らしい。

 僕が思わずこぼすと、原稿を見直していた馬場と安藤が真顔で頷いた。



「あの、聞いてもいいですか」

 ふと、聞き慣れない声がした。

 カウンターを振り向くと、伊達が女子生徒を対応しているところだった。

 大人しそうな生徒は一年生だ。伊達がいつになく甘い声色で彼女の用事を尋ねる。

「辞書って、貸出禁止ですよね。現国の時間にそう教わったんですが」

「うん。館内で使うのはいいけど、数が多くないから借りるのはできないよ」

「あの……、見間違いかもしれないんですけど」

 前置きをした彼女が、図書館の扉を振り返る。

 いまは閉じられた扉は、この学校で唯一の観音開きだ。

 木製の暖かな枠取りで、向こうが見える大きなガラスがはめられている。デザインは新校舎ができた際に図書局が提案したものらしい。

 場所はわかりにくいかもしれないけど、誰でも入りやすいように。

 名も知らない先輩たちの心遣いが残る扉は、潜る度に心が温まる。


 つられて視線を動かした僕の視界に、何かが通り過ぎたのが見えた。


「さっき、大量に鞄に詰め込んでいる人がいて……。そのまま、出て行っちゃったんですが、大丈夫でしょうか」


 内容を理解するより前に動いたのは、馬場だった。

 彼が素早くカウンターを抜けて走り出した。すぐに後ろを追ったのは南方で、慌ただしい様子に女子生徒は目を丸くした。

 彼女を宥めるのは伊達に任せ、僕も先輩たちを追う。


 階段を下りたところで、南方の姿を発見した。

 彼らの他に、男子生徒が二人いる。

 図書局掲示板の真下で、男子生徒が一人倒れていた。もう一人の生徒は彼を起き上がらせていて、馬場と南方がそれを見下ろしている。

 佐羽と安藤も追いつき、狭い通路に図書局員が並ぶ。

「ぶつかってしまって、すいません。それよりどうしたんですか。皆さんで怖い顔をして」

 二年のネクタイを結ぶ生徒が首を傾げる。

 倒れている生徒の脇に、普遍的なスクールバッグが転がっている。そこからこぼれたものを見て馬場が低い声で呟いた。

「お前が爆弾犯か」

「……馬場はそんな呼び方をしていたのね」

 佐羽の呆れた声がひとけのない通路に響く。

 

 南方は無言のまま、盗まれかけた辞書とミカンを見つめている。

 仁王立ちをする表情はこちらから見えなかったが、小柄な背中からは確かな威圧感を覚えた。


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