6 ミカンタワー、再び



「待っていたぞ、お前たち」

 放課後。

 例の如く一番最後に登場した局長は、まるで自分が皆を出迎えたかのようなことを言った。

 三鷹が荷物をまとめているのを見て、彼は不満そうな顔をした。

 今日は当番ではないので伊達も不在だ。

 カウンターで本を読んでいた僕と、司書室で作業をしていた馬場の顔を確認して、彼は明らかにしょんぼりと肩を落とした。

「今日はこれだけか。カイも帰るのだな」

「うん。割ちゃんが今日は委員会だったから待ってただけだし」

「委員?」

「体育祭」

「そうか。じゃあしょうがない」

 南方と旧友らしい短いやり取りを交わして、三鷹は颯爽と図書館を出ていく。


 三鷹誨は図書局唯一の普通科の生徒だ。

 普通科は進学科より授業が一時間少なくて、部活動に専念している者が多い。進路も専門学校や就職を目指す者が多い為、進学科より勉学に漬け込まれることはないらしい。

 普通科は普通科で忙しい。

 三鷹はそう言っていつもはやく帰る。

 その実、彼女と帰っているというのは伊達から聞き出した情報だ。

 僕はまだ知らないふりをして、入れ替わりでカウンターに入ってきた南方に挨拶をする。

 どういう習慣かはわからないが、図書局の挨拶は昼でも放課後でも「おはようございます」だ。

 まるで会社みたいだと笑うと、司書の平森にここは社会の縮図なのだと大真面目な顔で返された。


「昼休み、生徒会に行ってきましたよ」

 今日も放課後の利用者は少なかった。

 二河原高校の図書館は、放課後の五時まで開館している。

 文化部の活動が五時半までと決められているため、図書局が裏で作業をできるのはその三十分に限られる。

 だが、書架や閲覧スペースを利用する生徒はそう多くない。

 進学科の授業が終了する四時頃には、もう普通科の生徒は帰宅し始めている。

 進学科の生徒が本を借りに来るのもピークは一瞬で、あとは閉館まで静かな時間が流れる。貸し出しの処理は一人で対応できる為、他の局員は司書室や館内の閲覧スペースを使って堂々と作業が出来る。


 中学まで、放課後とは真っ先に家に帰るものだと思っていた。

 だが、すっかり遅くまで学校に残っていることに慣れてしまった。

 南方や馬場は、放課後は毎日欠かさず顔を出す。

 三鷹や佐羽はその日により、伊達は会議や当番がないと顔を出さない。僕の立ち位置はまだ決めかねているが、当番がない日は安藤のように中で課題をしていても怒られない為、家に帰るよりも効率的なのが魅力である。


 僕の言葉に気のない返事をした南方は、一度鞄を置きに書庫まで行くと、展示に使う折り紙とはさみを持って戻ってきた。

「佐羽はきちんと出来ていたか?」

 しっかり者の紅一点を子供のように聞く南方が面白い。

 彼は佐羽のことを妹かなにかのように扱っているようだ。皆が彼女を「まりえちゃん」と呼ぶのはその所為だろう。

 今日、彼女は疲れたからとまっすぐ帰宅したらしい。

 彼女にとって布瀬と対峙することは、それだけ疲弊することのようだ。僕は彼女の堅い顔を浮かべながら、問題ありませんと模範解答を返す。

「このまま一年が入らなければ、トマが次期局長だからな。しっかり覚えていってもらわねば」

「流石に気が早くないですか。まだ五月ですし、文化部の入部は前期いっぱい受け付けてるんですよね」

 運動部は練習メニューの都合で締め切りが早いが、文科系の三局とそのほかの部活や同好会は夏休みまでに届けを出せばいいらしい。

 だが、それもほとんど気休めだ。

 春の間に出来上がった関係に途中で飛び込むのには勇気がいる。新たに出来た友人に誘われたパターンならあり得そうだが、単身乗り込む勇気がある者は、言われなくとも春に行動しているだろう。

 桶田と似たような話をしたばかりだ。

 生徒会のような人気の場所ならともかく、図書局に人が増えるのは考えにくい。

 僕が辞めたらどうするのだろう。

 なんて夢想をしながら、器用にはさみを動かす南方を見守る。

「局長、それ僕もやらなくていいんですか」

「うむ。五月の展示は新入生歓迎用で、前期からの引継ぎだからな。お前は客として見ていてくれていい」

「皆そう言ってくれますけど、間に合うんですか」

「なんとかなる」

 今日、佐羽も生徒会長に同じことを言っていたが、展示がスタートするのはもう来週である。

 半信半疑のまま頷いて、手持無沙汰にカウンター内を掃除する。


「南方、チェックしてくれ」

 司書室から馬場が出てきた。

 昼間は脱いでいたカーディガンは、すっかり彼の定置に収まっている。

 本来ならブレザーの下であってもカーディガンは校則違反となるが、教師の前ではうまく隠しているようだ。

 平森は生徒指導は管轄外だと言って、多少のことは見ぬふりをしてくれる教師である。

「名誉読書家勲章のポスターか」

 彼が今日かかりきりになっていた模造紙を、南方が受け取る。

 後ろから覗き込むと、馬場の達筆な字が図書局企画の概要をコンパクトにまとめていた。

「よければ、このまま掲示板に貼ってくる」

「うむ、ジャンの仕事はいつも丁寧だ。助かるよ」

「どういたしまして。南方の指示が的確だった」

 先日、いがみ合いのような喧嘩をしていた二人とは思えない。

 彼らは丁寧に互いをたたえ合うと、静かに互いの仕事に戻っていった。


 こういうやり取りが僕の居ぬ一年前から、何度も行われてきたのだろう。

 欲をいえば、僕も、そんな仲間がほしい気持ちはあった。

 だが、運が悪かったのだと思うしかない。

 自分の生まれた年齢を変えることはできないし、もし他に一年がいても、彼らのような関係を築けたかどうかはわからない。布瀬と佐羽のように徹底的に合わない関係というもの存在するし、たった一人の最年少は気楽でいいと思うこともある。

 図書局が春に様々な活動をするのは、新入局員を集める為らしい。

 あちこちの部活を体験し、結果どこにも居つけなかった人間が現れることがある。

平森は呑気な様子で僕を慰めて唯一の一年を歓迎してくれた。

「名誉読書家勲章って、一番本を借りた人に与えられるんでしたっけ」

「ああ。毎年白熱するぞ。図書局員は一年生だけエントリーされるから、トマも奮って参加するといい」

 去年からの引継ぎの企画らしく、僕が入局した頃はすでに開始されていた催しだ。

 借りた本はもちろんコンピューターで管理されるため、その実、不正の仕様はいくらでもある。

 だが、ガランとした図書館を見ていれば、くだらないことで名誉を勝ち取ろうとする者が現れないことにも納得だ。

 

 掲示板に向かった馬場は、すぐに戻ってきた。

 ポスターを貼り終えたのかと思ったが、そうでもないらしい。彼はまだ模造紙を手にしたままだった。

 忘れ物かと首を傾げると、彼は珍しく困惑した様子で僕たちを手招いた。

「また、ある」

「またって……」

 どうせ、利用客はまばらだ。

 僕たちは揃ってカウンターを出て、馬場に続いて外に出る。


 階段の踊り場を覗き込む。南方が歓声をあげる。

 先日と寸分変わらない位置に、小ぶりなミカンタワーが、今日は二本も生えていた。



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