5 非日常と生徒会
「それは難事件だねえ」
翌日の昼休み。
カウンター当番ではなかった僕は、友人の桶田に図書館で見つかったミカンタワーについて語って聞かせた。
二河原高校の昼休みは長い。
その分、午後も三時間みっちり授業があって、部活動に使える時間はどんどん減っているらしい。進学校でありながら体育会系の部活が強い学校であるが、経営陣は進学科の生徒を勉強漬けにしたいようだ。
入学当時、僕は部活に入るつもりはなかった。
運動はどれも苦手だったし、強豪校は初心者を受け入れてくれる余裕はない。文化部はどれも本格的で僕には合わない。入学案内に記載されていた文芸同好会はすでに存在しなかった。
勉強に専念するかとあきらめたところ、図書局に出会った。
僕があたふたしている間に、周りの生徒もそれぞれの居場所を見つけていた。僕は出遅れなかったことにほっとして入局届を担任に提出したが、そんなものがあったのかと友人たちには驚かれた。
生徒手帳に書いてあるし、部活勧誘もステージに出ていただろう。
僕はすっかり南方と同じ口調で、ぼんやりしている生徒を非難する。
桶田は習い事があると言って、無所属を選んだようだ。
進学科のクラスメートはそういう生徒も多い。学校行事では委員に選抜されやすいようだが、幸い、このクラスには目立つのが嫌いではない生徒も多い。
先ほど、体育祭の実行委員を決めた。
数学の授業が余ったと担任が言い出し、急遽ホームルームを行ったのだ。放課後の話し合いが短縮できれば、部活に行ける時間も長くなる。
立候補したのは確か剣道部に入った生徒だ。
忙しいのによくやると、黒板に残されたままの名前を眺める。
「それで、本を借りてた人はわかったの?」
桶田が、ぼんやりしていた僕に話を戻す。
母親が作ってくれた弁当をつつきながら、僕は思わずため息をついた。
「わからなかった。貸し借りは全部パソコンで管理してるんだけど」
「あ、この学生証についてるバーコードだね」
「そう。本と生徒の情報を記録して、延滞記録もわかるようになっている。タワーの本はどれも貸し出し処理が行われないまま外に持ち出されていた」
「じゃあ、手がかりはゼロか」
図書館には、一回に五冊まで、期日は一週間というルールがあった。
延滞をしている状態では、次の本を借りられないシステムになっていて、一人の生徒が複数の本を長期間抱え込むことができないようになっている。
返却を渋った生徒にはペナルティを課すことができて、図書局と司書教諭の平森はそれらの情報を管理する仕事があった。
生徒のプライバシーを尊重する意味で、過去の履歴は局員でも閲覧できない。
僕が付け加えた説明に桶田は「律儀だなあ」と笑ったが、彼も図書館にはよく来てくれるので大事な弁明だ。
ミカンタワーに使われていた本は、どれも貸し出した形跡が残されていない本だった。
安藤曰く、いくつかの本は数か月前から行方不明になっていたものらしい。
蔵書の全てを把握しているわけではない、と前置きをした上で、存在するはずなのに書架で見かけなかったものばかりだと彼は言った。
「アントワーヌ先輩は記憶力がいいですからね」
なぜか南方が彼しか使わないあだ名で得意げに言い、全員でひとまず戻ってきた本を清掃した。
表紙はブッカーと呼ばれる透明なフィルムで保護している。
軽く水拭きをして中身の点検をしたが、目立つ汚れやページの抜けも見当たらなかった。全体的に草臥れているのは図書館の本が故に仕方がない。犯人の手がかりはないかと南方は執拗にページをめくったが、痕跡らしいものは一つもなかった。
三鷹が預かったミカンをカウンターに乗せる。
小ぶりなそれも、どこのスーパーでも手に入りそうな普通のミカンだった。
そちらは下校時に平森が回収して、申し訳ないが生ごみ行きとなった。腐っているかもしれないものを口にできるほど現代人は無謀ではない。
またもや事件が振りだしに戻ったところで、昨日は解散となった。
いたずらか、図書館の仕組みを理解していない生徒の犯行か。
うやむやにすることに南方は悔しがったが、迫ってきていた下校時間は二河原高校の部活動では絶対なのである。
今日はまだ図書館に行っていなかった。
南方がどのようなことを考えているかはわからないが、彼は安藤のように本が戻ってきたことだけでは満足しないだろう。
放課後のことを思うと、少しだけわくわくする。
図書局の毎日は刺激的だが、同時に平坦でもある。毎日全局員が集まるわけではないし、ひたすらブッカー貼りで一日が終わることも多い。ミサンガとビーズもそろそろ習得させられるはずだ。ちまちまとした作業をするよりは、家でテレビを見たい日もある。
そんな日々に、カーンと現れた色どりだ。
レモンを丸善に残してきた男のようなふわふわとした心地が、昨日から僕を包んでいる。
弁当をつつきながら正直に告白すると、桶田は無理もないと同意してくれた。彼も高校の勉強ばかりの日々にさっそく飽き始めているらしい。
昼食を終えた頃、ふいにクラスメートに呼ばれた。
振り向けば、教室の入口に佐羽と馬場が立っていた。
二河原高校の教室は、学年と科によって階が分けられている。別の階に降りない限り、先輩に会うことは滅多にない。
遠くからでもわかる赤いネクタイに、周囲の一年も何事かとこちらを見る。
桶田に見送られ、慌てて先輩の元へ駆け寄る。
美男美女の先輩二人は注目を集めたことを軽く謝った後、生徒会室に僕を誘った。
「昨日、あんなことがあったから結局寄れなかったでしょう。昼休み中にごめんなさい」
佐羽が、昨日僕が書き終えた書類を見せる。
馬場は付き添いらしく、口にいつもの棒つきキャンディを咥えている。
「佐羽先輩、昼当番はいいんですか」
「三鷹くんにお願いしてきた。布瀬は普通科の生徒に偏見を持っているから」
彼女はいつもの淡々とした調子で言ったが、プリントを握る指に力が入り過ぎていた。僕が届けるのだからと預かって、そっと皺を伸ばしておく。
「まりえちゃんは、本当にほせーが苦手だな」
飴を舐めたまま、馬場がもごもごと言う。
生徒会に行くからか、いつものカーディガンは脱いでいるようだ。
それだけで長身の彼の身体は薄っぺらに見える。食費を削って本代にするという彼からはいつも栄養失調のように覇気がない。
先輩と連れ立って校舎を歩くのは、初めての経験だ。
生徒が行きかう中を抜け、階段を下りる。
生徒会室は図書館の東西でちょうど反対側に位置するようだ。旧校舎の西側の階段を二階まで降り、通路を新校舎の方向に進む。
西側は全部の階に校舎を繋ぐ通路があるから、心なしか新校舎側でも賑やかだ。
一番奥の扉で佐羽が止まる。
彼女は珍しく緊張した様子で深呼吸をしたあと、生徒会室と書かれた扉を三回叩いた。誰かがすぐに返事をする。
「おや。これは図書局員の皆さん」
出迎えてくれたのは、二年のネクタイを締めた男子生徒だった。
佐羽と馬場とは顔見知りのようだ。
ニッと浮かべられた笑みが、どことなく狐に似ている生徒だった。
「活動目標とスケジュールを提出します。図書局です、よろしくお願いします」
笑みを返さなかった佐羽は、呪文のように一息で言い切った。
元々彼女は、表情の変化に乏しい。
眼鏡の奥の瞳は常に冷静で、周囲への関心の薄さは馬場と並ぶ。
口調や態度こそサバサバとしたものだが、かけてくれる言葉は優しい。良い先輩に出会えたと感じているし、美人の彼女の横にいるのは誇らしい。
どうやら彼女は、苦手な人間がいるらしい。
よく名前にあがる「布瀬」が生徒会のメンバーだというのは嫌でもわかる。
彼女の様子をにやにやと観察した男は、僕たちを中に招いた。
生徒会室は授業に使われる教室と同じ作りのようだ。
中には普通の机と椅子ではなく、古そうなソファーや会議室用の机が置かれていた。
幾人かの生徒が、机の前で列を作っているようだ。同じように書類を提出にきた者だろう。
「こちらで預かりまあす。順番に承認しますので、お待ちくださあいね」
僕が渡した書類を、男が眺める。
彼が最初に「承認」するようだ。僕が書いた文章をぶつぶつと読み上げ、その間もにたにたした笑みは崩さない。
男子生徒は、眼鏡の奥の目が笑っていなかった。
薄気味悪い人だ。
そんな印象でのけ反ると、目敏く気がついてこちらに笑みを向けた。
「おや、君は一年生なのか。新入局員がいてよかったねえ、図書局さん」
「お陰様で、どうも」
「馬場くん。室内は飲食禁止でお願いしまあす。ここにはまりえちゃんがいればいいんじゃないかなあ」
「それもそうだな」
平然と答えた馬場は、佐羽が睨むのも構わず生徒会室を出て行った。彼は本当に付き添いで来ただけのようだから、引き留める理由もない。
僕は引継ぎを教わることになっている。
先輩の横を死守して列に加わると、男子生徒はようやく僕らから離れていった。
「……ひょっとして、彼が例の」
「その話は後で」
遮るように言われてしまえば、口を噤むしかない。
だが、佐羽の反応で答えは出た。先ほどの生徒が例の「布瀬」で間違いないようだ。
後から聞いた話によると。
生徒会役員、二年の布瀬譲二は、我らが図書局長の南方と何かと因縁があるようだ。
因縁と言っても、ほとんど全部が、布瀬側の被害妄想。
佐羽はきっぱりと言い切り、中学時代からの彼らを知る三鷹も頷いた。南方が中学の時にこのあたりに引っ越して来て以来のものだというから、相当な縁の深さである。
幼い頃から何かと目立っていた南方に、布瀬が一方的なライバル視をしている。それが周囲の見解のようだ。
だが、南方自身に布瀬を負かそうだとか、出し抜こうというつもりはないらしい。
ただ、目的や野望が被った。そしてどの場面においても南方が上回った。それだけの話であるらしい。
布瀬の性格は、一言でいえば粘着質。
細かいことをいつまでも記憶しているタイプで、一度恨みを持った人間にはどこまでもつき纏う。
追いかけ合うように同じ高校に進学した二人は、図書局と生徒会という異なる土俵でいまだに確執を持ち合っている。
佐羽が布瀬を苦手としているのは、彼が南方に粘着するからのようだ。
また、彼女は入学当初、生徒会に入ろうとしたことがあるらしい。
説明会で布瀬と会ったときの印象は、語るのも嫌だ。珍しく感情的に会話を終わらせた彼女は、以来、彼と極力関わりを持たないようにしている。
なら、生徒会とのやり取りも別の人間がやればいい。そう思ったが、彼女は南方の為ならなんでもやるという一面を持つ。僕の教育を南方に任された以上、他人に投げ出さないのが彼女の美点だ。
上記のことをまだ知らない僕は、他の生徒が扉を開く度、嘗め回すように書類を点検する男の顔を観察する。
嫌なやつのことは、覚えておいて損はない。
列は、滞りなく進んだ。
最終チェックを行う生徒は、三年生のようだ。
パイプ椅子に腰かけた男子生徒は、布瀬が重ねたプリントを一枚ずつ広げ、穏やかな笑みのまま目を通していた。
青いネクタイに生徒会のみがつけられるピンをつけている。図書局には特別なマークがないから少々羨ましい。
あっという間に僕らの順番が来て、佐羽が先ほど入口で告げた呪文を今度はいつもの調子で告げた。対峙する男子生徒が、善良そうな笑みで頷く。
「お疲れ様です。図書局の目標はいつも具体的でいいね」
「ありがとうございます」
「五月に展示の計画があるけど、間に合いそうかな。最初の活動だから先生たちも見回りに行くと思うけど」
「準備は滞りなく進んでいます」
「ならよかった」
嫌味のない笑顔で、彼はハンコに手を伸ばした。
あっという間に押された承認の印に拍子抜けする。
書類の提出は、儀式的なものだとも聞いていた。このくらいの反応が正常なのだと安堵して、頭を下げる佐羽に習う。
生徒会室を出ると、馬場が外で待っていた。
飴を舐め終わった棒を弄びながらぼんやりしていた彼は、こちらに気がつくと短い労いの言葉を口にする。
「はい、まりえちゃんが好きな苺牛乳」
「……ありがとう」
「椿が好きなのはわからなかったから、おしるこ」
「こんな渋いもの学校の自販機にあるんですか」
「ウケるよね」
彼はちっとも面白くなさそうな顔で言うと、自分の分もポケットから出した。暖にしていたようで、おしるこの缶は表面にほんのり体温が残っている。
僕たち同じように書類を提出しにくる生徒が来て、道を譲った。ひっきりなしに生徒が出入りする生徒会は盛況そうで、流石学校運営に口を出す立場だと素直に感心する。
「最後の人が、生徒会長。暮林先輩はいい人だから安心して」
佐羽が前を向いたまま告げる。
僕も入学式などで目にしたことがあった気がしたが、間近で対面したのは初めてだ。
おおらかで優しそうな人だったと言うと、彼女も同意をしてくれる。
二階は、主に二学年の教室がある。
今度は赤いネクタイが多い廊下で僕が異分子だ。
自分のクラスの前でも足を止めない先輩たちはこのまま図書館に向かうらしく、僕もついていくことに決める。
「暮林会長、三期目だっけ。いかにも生徒会長って感じの人だよな」
「ああいう人が本当に秀才というのだと思う」
「卒業まで引退しないつもりって噂」
「南方くんも同じことを言いそうね」
僕に気にする様子もなく歩く二人の先輩は、ふいに出た名前に同時に笑みを漏らした。
図書局員は、皆仲がいい。
同じ学年ということを差し引くと、彼らの共通点は少なそうに見えた。
読むジャンルの本、得意なジャンル、話のツボなどは全員異なる。
馬場はオーマイティーの収集家。
佐羽は恋愛や青春小説を好んで、ミステリーなどは苦手らしい。
三鷹はライトノベルしか読まないし、伊達は流行りかどうかで本を選ぶらしい。自然、話題になりやすい文芸賞作品やミステリーが多くなると言っていたから、佐羽とは特に話が合わないだろう。
南方の専門は歴史書だ。
まだ短い付き合いだが、彼らが揃っても共通の話題はないように見える。
でも、彼らの団結力は高い。
それはひとえに、リーダー格である存在がそうさせているのだ。
共通の話題に笑みを見せた美男美女は、すぐにクールな表情に戻ってしまう。彼らのマイペースさは似ている。マイペースのジャンルが少々異なるが、会話のリズムは合っているようだ。
これだから人間観察はやめられないのだとほくそ笑むと、ふいに馬場が振り返った。
首を傾げる。
彼は無表情で僕を見下ろしたと思うと、ポケットから新しい飴を出して僕に渡した。
「なんですか」
「椿の代は苦労するだろうなあと」
布瀬が次期生徒会長候補だという噂を耳にしたのは、図書館で彼の話を聞かされたあとのことであった。
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