第170話 最終前話、君は綺麗だ。

物置状態だった隣室の掃除を終えた僕に母は、

「サヤカちゃん、最近うちに来ないけど裕人は喧嘩したの?」


陽気な人は時として残酷で遠慮が無いと言うか、悪気は無いと思うが平気で相手を傷つける言葉を口にする。

その返事に困る僕を見て、

「やっぱり振られたのね、素敵な女性は沢山居るから、ドンマイ」

と笑顔で言うけど、母さんはそれで僕を慰めた積りなのか・・・


その翌日、三月三十一日の日曜日、僕はいつもの習慣ルーティンを変える事なく6:30に起床した。

午前のバスケ部活は無い、昨日訪ねてきた天野サヤカさんのママ、エミリさんが言っていた『サヤカは明日挨拶に来る』の時間を気にして、午前中に課題テキストを少しでも消化させようと、朝食を終えた八時に自室の学習机に向かった。


天野サヤカさんの口から『私、LAに行くから、もう裕人君とは会えない』を聞かされても僕は現実を受け止める覚悟をして居た。


入学前の課題テキストに集中できずに時間だけが過ぎる、時計の表示が十時を過ぎた頃、階下の母から、

「裕人、サヤカちゃんが来たから降りて来なさい」

の声に僕は自室を出てリビングへ向かった。


「裕人君、お久しぶりね」

そこに居たのは僕が知っている、黒髪 長髪ロング天野サヤカさんでなく、肩の長さまでカットして前髪を左右に分けて額を出したショートヘアの美少女に変身している。

母がリビングテーブルにカフェインを好まない僕へ麦茶と、天野サヤカさんの好きなミルクティーを出してキッチンへ戻った。

 

以前に女性が髪を切るのは失恋した時だと何かで聞いたことが有って、失恋したのは僕の方で天野サヤカさんじゃないよと心の中で呟いた。


言葉が出てこない僕へ天野サヤカさんは、

「何か言ってよ裕人君」

そうか、髪形が変わった事に気づかないと失礼だと思う。

「あ、うん、髪を切ったんだね」

「そうバッサリとね、感想は無いの?」


天野サヤカさん、とても似合っている」

「どんな風に似合っているの?」

これでは話題が髪型から先に進まない。


「ショートヘアの方が清潔感が有って仕事の出来る、清楚な知的美人ってイメージで」

「いつもの裕人君は似合っていればロングでもショートでも構わないって言うのに、なんで今日は?」


最後の挨拶で天野サヤカさんと言い争う積もりの無い僕は、

「本当に好きな女性には僕が好きなショートヘアでいて欲しい」

「フフ、嬉しいな、もう一度言って」


「僕が好きな女性はショートヘアの天野サヤカさん、君は綺麗だ、これで好いでしょ」

「そうね、よく言えました。所でママから聞いてくれた」

それが本題のLAに転居の事と思い、

「うん、USAのロスでしょう」


「裕人君もやっぱり寂しいの?」

「もちろんだよ、それでも本人が決めたなら反対は出来ないし」


「そうよね、私も寂しいけど我慢するから、でも三年って長いよね」

短くて三年、長ければそれ以上とエミリさんから聞いた通りだ。

ここまで我慢していたが自分の目に涙が滲むのが分かる。


「あの旅行で約束した、どんなに遠く離れても僕は絶対に天野サヤカさんを忘れないから」

感情の高ぶりと悲しみで声が震えないか心配しながら、僕は最後に別れの言葉を搾り出した。

「うん、私も裕人君を忘れないからって、え、何を言っているの?」


別れを告げに来た天野さんの口振りこそ、僕は何言っているのと思う。


状況が理解出来ない僕の耳に、キッチンから母の大きな笑い声が聞こえる。

僕と天野さんの会話に聞き耳を立てていた母がリビングに来て、


「裕人、光一さんに付いてLAへ行くのはエミリさんだけ、娘のサヤカちゃんはこの家で三年間同居するのよ、だから裕人に部屋の掃除を頼んだのに気付かなかった?」


え〜母さん、そんな事は聞いてないし、ちょっと待てよ、サヤカさんに振られた僕へドンマイって言ったのは何処の誰だよ。



「え、裕人君は私がママとロスに行くから別れる積りだったの、酷い~」

パパさんをロスに単身赴任させられないから『私も行く』とママのエミリさんが言えば、当然娘のサヤカさんもロスへ行くものだと思う僕の何処がが間違っていたのか・・・


「でも『この旅行を一生忘れないから裕人君も覚えていてね』は何だったの?」

「あれは中二の私が転校して来た時の裕人君が、私の事を忘れていたからよ」

全くその通りで、僕は返す言葉が見つからない。


そんな時に玄関のインターフォンが鳴り、『白猫宅配便です』の訪問に、

「ハ~イ、私です」

天野サヤカさんが席を立ち、配送業者の応対に出る。

「こちらに置いてください」

「はい、お荷物は全部で八箱です」


一般的な住宅の玄関口を1m四方のダンボール箱が八個で占拠する。


「裕人、サヤカちゃんじゃ荷物を持てないから、二階まで運びなさい」

尤もな母の口振りに逆らえない僕は八往復して運ぶ、その次にも業者が来て、

「ミトリです、お買い上げの商品をお届けに参りました」

生活用品のミトリは僕でも知っている量販店で、それは分解された組み立て式の家具のようで、同じ様に僕の隣室へ運んだ。


白猫の荷物はプラスチック製の引き出し式衣装ケースに天野さんの衣類が満載で八個。

それを並べた部屋にベッドを組み立てる隙間スペースがなくて、

「裕人君の部屋はベッドと机だけね、そこに私のベッドを組み立てて」

僕の部屋に押入れが有り、そこに僕の衣類と私物の全てが収まっているから何も無い部屋に見える。


言われるがままに僕の部屋にベッドが二つ並ぶけど、天野サヤカさんのベッドが僕のベッドより長くて横幅も大きい。


「隣は私の衣裳部屋クローゼットで、この部屋は私と裕人君の愛の寝室かな、えへ」

勘違いした僕も悪いけど、今の気持ちは『えへ』じゃねえし、

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