第166話 今までありがとう。

鳥羽市の海女小屋で昼食ランチを頂いた後に天野サヤカさんは、

「一生のお願い、新婚旅行みたいな外国の雰囲気を感じたい」

と強請る、しかし大きなキャリーケースが邪魔じゃないかと思う僕は、

「別に良いけど、それは何処なの?」

半分否定するように訊ねた。


天野サヤカさんが要望リクエストするのは、西班牙スペイン題材モチーフとした遊園地テーマパークを訪れたいと言う。


そこは鳥羽市の料理屋『海女小屋』から自宅の帰路とは逆方向の志摩市に有り、

「その遊園地に立ち寄ると帰りが遅く成るよ」

僕の問いに天野サヤカさんは、

「未だ時間は有るし、松坂市で夕食を頂くなら丁度良い時間に成ると思うけど」


松坂で食事する、その言葉ワードで今回旅の目的だった『松阪牛まつさかうし』を思い出した。

御馳走グルメに釣られた訳じゃないけど、天野さんがそれほど望むなら西班牙のテーマパークを訪れても悪くないと同意した。


私鉄の最寄駅からバスで十五分、テーマパークは大人と子供の間に中高生用の中人チケットが僕達に該当する。


「私が裕人君を誘ったから」

携帯スマホ決済で支払う天野サヤカさんを見て、

「それもポイポイ?」

「そうよ、チャージしておけば、キャッシュレスでお財布要らず、ポイント還元もメリット、裕人君も携帯を持てば、私といつでも連絡が取れるよ」

確かに便利そうだけど、その口ぶりが携帯会社の営業みたいで、天邪鬼あまのじゃくの僕は素直に『そうだね』と答えられなかった。


最初は乗り気じゃなかった僕は園内の外国風の建造物や、雨天でも楽しめる屋内ライド体験とゆるキャラ風の着グルミパレード・ショーを見てワクワクの興奮を隠せない。


そんな楽しい時間はあっと言う間に過ぎて、松坂市への移動時間と夕食時間を逆算して十七時前に西班牙パークから退出した。


バスと電車を乗り継ぎ、松坂市に到着したのは十九時前、駅前でタクシーに乗って十分前後、目的の老舗店に到着したが、格式高そうな店構えにたじろぐ僕へ、


「裕人君、私が予約してあるし、前に来た事あるから心配しなくて大丈夫よ」


やっぱり僕と違って天野サヤカさんは裕福セレブだ、でも何でこの店を選んだのか僕の興味は尽きない。

「このお店に決めた訳は?」


「う~ン、そうね、お肉の美味しいお店は他にも有るけど、灘金なだきんはお店の仲居さんが目の前で調理してくれて、お肉が一番美味しい状態で頂けるから」

僕の中で和牛と言えばステーキが一番だが、天野サヤカさんが言う一番美味しいお肉とは・・・


「ちなみに料理は何?」

「もちろん寿き焼きよ、お肉以外のお野菜も美味しくて、何度でも食べに来たくなるわ、それとも他のが好いの」


僕の中ですき焼きのイメージは、正月の爺ちゃん婆ちゃんで、母さんは『お節料理に飽きたら、すき焼きね』と毎年同じように言う。

「駄目じゃない、郷に入れば郷に従えでしょ」


大門をくぐり玄関から案内された畳敷きの個室に円卓、床の間に絵の軸が掛かり老舗感が半端無いし、今の僕は期待より緊張感が大きい。


前もって予約していたから待たされるのも十分弱で、和服姿の仲居さんがお肉の皿と野菜の皿、鉄鍋を円卓のコンロに置いて火を入れる。


熱せられた鉄鍋に牛脂を回して、薄切りの松坂牛を一枚二枚と入れ、焼きすぎる前に醤油と砂糖のみで味付け『美味しいうちにどうぞ』と薦める。


家でのすき焼きは最初から溶き卵を付けるけど、人生初の松坂牛をシンプルにそのまま口に運んだ。

その柔らかさと肉の旨みは想像の十倍美味しくて、咀嚼してないのに肉の繊維が解れている食レポは決して大げさでは無い。


一枚が100g以上のボリュームで一人当たり二枚、それで充分満足するけどお肉を焼いた後の鉄鍋に、仲居さんが玉ねぎ、人参、ネギ、椎茸、豆腐と割りしたを入れて寿き焼きの出来上がり、牛脂の旨みをまとった野菜たちの美味しさに驚く。


白米と小鉢料理も美味しくて、テレビの回顧番組で見たオリンピック選手が『生きてきて一番幸せです』や『なんも言えねぇ~』に強く共感している。


「あ~美味しかった、満足満足」

僕の言葉を聞いた天野サヤカさんは嬉しそうに笑い、

「裕人君が喜んでくれて良かった、でもデザートは食べないの?」


白米と小鉢料理も完食した僕の前にカットされたメロンが残されていて、

「うん、お肉のあと味が名残惜しくて、甘いデザートは遠慮したいな」


「残すのもなんだから私が貰うね、パクリ、あ~美味しい」

女性は甘いものが好きで『どんなに満腹でも別腹に入る』と僕の母が言っていた。


天野サヤカさんのあれほど細いウエストの何処に別腹が有るのだろう、僕の視線を感じたのか、

「裕人君、どこを見ているの?」

「え、あ、うん、天野サヤカさんのウエストが何センチかなって?」

咄嗟に出た僕の言葉に、

「えっと、公称57cmだけど実際は58cmなの、でも絶対に60cmは無いから」


モデルやタレントのウエストサイズは60cm以下なのか、その数値に驚く僕の帽子サイズは59cmか60cmと憶えている。


「凄いな、僕の頭サイズより天野サヤカさんの細い腰とは」

ウケ狙いのボケでない僕の正直な言葉に、


「ヤダぁ裕人君の頭が私のウエストなら、裕人君の後頭部が私のお尻で、裕人君の顔が私のアソコなの、もうエッチ」

そう言う意味で言ったんじゃなくて、身体の部位の寸法だけを比べたから・・・


満腹で気が緩んだ会話から老舗店を出て、天野サヤカさんの大きなキャリーケースを僕が引いて最寄駅から地元駅を目指す。


お腹がいっぱいに加えて、線路の継ぎ目がガタンガタンと揺れて心地良くて、睡魔に襲われる僕へ、

「裕人君、今まで私の我侭に付き合ってくれて有難う、この婚約旅行は一生の思い出、絶対忘れないから裕人君も私を忘れないでね」

真面目な顔した天野さんが旅のお礼か、僕に別れの言葉みたいに伝える。


いつかはこんな日が来ると覚悟していたが、もう少しだけ一緒に居たかった。

未練がましいのも男らしくないと常日頃から心に決めていた僕は、


「こちらこそ有難う、この三日間は僕も楽しかった、絶対忘れないから」

真面目に答えた僕へ、

「でも裕人君は、私の事なんて一晩寝たら忘れるかもね」

笑えない冗談の後は天野サヤカさんの家へ送るまで、僕と天野サヤカさんも無言だった。

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