第159話 今夜の宿。
「某観光ホテルに勤務していた兄が数年前に戻り、妻の義姉と宿を引き継いで、人気のホテルチェーンを
一年前の
午前の
うどん以外に蕎麦の品書も有るが、客のほとんどが六百円の伊勢うどんを注文する。
昔は江戸から伊勢まで歩き疲れた参拝客に、柔らかく歯応えの無い極太麺は胃腸の消化が良いらしく、ネギだけのシンプルな具材と少し甘めの醤油タレも美味しい。
「内宮の参道にも伊勢うどん屋が有るけど、私はこの山内屋が一番美味しいと思う」
地元出身の
食事を済ました午後二時、
「少し早いけどチェックインしましょう」
オレンジ色の軽自動車で僕と天野さんをガイドしてくれる智美さんに従い、今夜お世話になる宿へ向った。
両親から兄夫婦が受け継いだ家業は、きっと古風な和旅館だと想像していた僕の目に『ファミリースパ・
夕食は十七時と十九時のどちらか二部制バイキング、朝食は七時から、七階建てホテルの最上階の大浴場は24時間いつでも利用可、お手荷物はお客様が自分で運び出来る限り人件費をカットし、地元の海産農産物とその夫人会を調理パートで採用している材料と人材も地産地消で地域に根ざしているらしい。
若女将さんから説明された食事時間に
「夕食は十七時の一部でお願いします」
僕の意見を聞くこともなく即答した。
不思議に思う僕の顔を見て、
「裕人君、お腹が空いているでしょ、それに早く食事を終えたら二人だけの時間が作れるでしょう」
いまいち
「そうだね、食事は十七時で善いね」
そう答える僕に
「じゃあ、またねサヤカちゃん」
智美さんと別れた僕達は受け付けフロントで渡されたルームキーの部屋に到着して、室内を探訪したくなるのは旅に慣れてない悪い癖と自覚している。
二人には充分な十畳の和室、海が見渡せる大きなガラス扉の先にベランダが有り、雨に降られない屋根に桧の半露天風呂、これは趣がある旅館みたいで人生初の露天風呂付き客室に少し興奮した。
十七時から食事までの時間で大浴場に浸かりたい僕へ、
「裕人君、大きなお風呂が好きでしょう、私は部屋の風呂に入るから一人で行って」
その言葉を待っていた僕は部屋のタオルと持参した手提げ袋から下着を持ち、クローゼットの中に備えられた浴衣を着て帯を締める。
これは少し丈が短いなと思う僕へ、
「裕人君、その浴衣じゃ短いよ、他にサイズが無いの?」
一度着た浴衣の首元を見るとそこにはサイズ表記のタグが、
「これでも特大だけど?」
平均的な日本人サイズで想像すると浴衣の大が175cm、特大が180cm位か、それなら193cmの僕に小さくても仕方無いと諦める。
天野さんは室内に備えてある内線電話で、
「部屋の浴衣ですが、特大じゃ小さいのでもっと大きいのは有りませんか?」
一方的に告げて受話器を置いた。
「直ぐに大きい浴衣を持って来てくれるって」
数分後にホテルの女性スタッフが届けてくれた『当館で一番大きいサイズです』の浴衣に『特特大』のタグ、着てみたが予想どうり185cm相当の着丈に仕方無いと諦める。
足首より短い浴衣を着て丹前を羽織る僕を見た
「う、うん、さっきよりマシね・・・」
そう言いながら必死に笑いを堪えているのが僕でも分かる。
荷物を少なくする為に部屋着を持ってこなかった僕は自分の失敗を後悔しない。
下着の替えとタオルを一つで大浴場へ向かう、十五時からロビー横のイベント広場で縁日コーナーが開催されて、小さな子供を連れた父母達が射的に輪投げ、風船釣りに参加している。
大浴場に隣接する畳敷きの漫画読み放題コーナーと無料マッサージチェアを横目に、大きな湯船に浸れば親友の
誰も知り合いが居ない大浴場の風呂は気兼ねなく『大』の字に手足を伸ばせるし、序に言えば股間も伸び伸び『太』の字でリラックスできる。
部屋に戻ると大きなキャリーケースを開きながら、
「嬉しそうね裕人君、大きなお風呂は気持ちよかったの?」
そう言う
「うん、手足を思いっきり伸ばせると関節や筋肉も
素直な気持ちで感想を伝える僕へ、
「そろそろ夕食のレストランへ向かいましょう」
二部制の十七時からバイキングの時間が近いとは、僕にしては長風呂したのかと驚く。
期待するバイキング形式はレストランに入場した順番に好きなテーブル席に座り、最初に対面キッチンでシェフが焼く輸入牛の赤身ステーキ、職人が目の前で揚げる天ぷらコーナー、板前が握る寿司コーナーはマグロからサーモン、イカとエビ、しめ鯖と玉子などなど十数種類を30cmくらいの四角い白磁の器に盛りつける。
小さなガラス製の器に一口サイズの色とりどりなオードブルが十種類、焼肉食べ放題の店にも有る、手を出してはいけない焼きそばとカレーライスに炒飯はスルーするがセルフのラーメン、うどんコーナーは気に成る。
子供じゃなくても気に成るデザートコーナーは一口サイズのプチケーキ、セルフで作るソフトクリームと数種類のフルーツジェラード、いつもは手を出さない白玉ぜんざいも少しは食べてみたい。
対面に座る天野さんを無視する積りは無いが、僕は無言で食事に集中する。
会話の無いテーブル席で何か文句を言われるかなと思うが、天野さんはニコニコと笑って、
「裕人君、いつもより沢山食べていて凄い食欲ね、私は見ているだけでお腹がいっぱいに成るよ」
「うん、どれも美味しいよ、この小さい器はナニ料理?」
海草と薄切りの貝と粒々した魚卵に粘り気の甘酸っぱいソースは人生初の味に満足する。
「サザエの刺身に数の子、粘る海草はメカブとアカモクじゃない?」
壷焼き以外にサザエの刺身は初めてだし、海草のアカモクも初めて食べて美味いしかない。
ひと通り料理を食した僕は『もうご馳走様』と言う天野さんを残して、デザートゾーンでプチケーキを全種類を盛り付けテーブルに戻る。
「美味しそうね、ちょっと私に頂戴」
甘いものは別腹と言うから
「好きなだけどうぞ、僕は次のデザートを取ってくるから」
テーブル席に天野さんとプチケーキの皿を残して、目に止まったワッフルメーカーの
『熱くなるので、良い子はお父さんお母さんの大人に作ってもらいましょう』
実年齢十五歳の僕は見た目に大人だし、火傷しないように注意して小麦粉と玉子に牛乳と砂糖を溶いた金属ボウルから、ワッフルメーカーの凸凹した枠型にお玉ですくい入れて上蓋を閉じてスイッチを入れて焼きあがる三分を待つ。
ホットケーキみたいな甘い香りで焼きあがり、白磁気の取り皿に乗せて生クリームかチョコクリームのトッピングに悩んでいる僕の横から、
「お兄さん、私にワッフルの作り方を教えてください」
小学一年生位の幼い少女が僕に声を掛けてきた。
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