第132話 ドンキ・パークの前で。
いつもの様に
「裕人君、今日はサユリちゃんと話が有るから一人で帰って」
「サユリちゃんって誰のこと?」
「サユリちゃんは吉田さんしか居ないでしょ、裕人君はどのサユリちゃんなら分かるの?」
あぁ、余計な一言がヤブヘビに成った。
体は大きいが頼りないボディガードの僕が居なくても大丈夫なのか、少々不安だが気の強い
「うん、分かったよ、僕は一人で帰るから」
「十二月は直ぐに暗く成るから寄り道しちゃダメよ」
まるで君は僕の母さんですか?なんて思うが『分かっているよ』と言葉に出来ない。
これもあの日、母に僕の好きな料理を習ってから存在感が大きくなったのも気の所為か?
同じクラスの
自宅に近い西門から出ると美術部の橘葵君と遭遇して、
「槇原君も一人で帰るの?」
「うん、今日は
「新作の為に画材屋さんへ行く積りなんだ」
僕的に橘葵君は将来きっと画家に成る才能と信じている、高校受験も近い年末に彼が新作とは驚いた。
「新作か、完成したら見せてくれるよね?」
「え、ちょっと恥かしいな」
以前、僕をモデルにして『群青の魔人』を描いた橘君が恥かしいとは何故に・・・
「新作のタイトルだけでも教えて」
「あぁそうだね、まだ仮題だけど『アプロディテ』にする積り」
橘君が言う『アプロディテ』はお洒落な洋菓子かファションブランドなのか、何かで聞いた事は有るがそれが何かを思い出せない。
「その意味は?」
「う~ん、ギリシャ神話に登場する美しい女神の名前さ」
ギリシャ神話とか言われても分からないが『アプロディテ』を覚えていて自宅のPCで調べよう。
「今から橘君が向う画材屋は何処なの?」
「佐藤画材店なんだけど、苦手なドンキパークの近くで夕方は特に・・・」
深夜まで営業しているディスカウントストアのドンキ・ポーテに近い通称ドンキ・パークは、厳つい見た目のオラオラ系と可愛い女性に声を掛けるナンパ男が
「橘君が不安なら僕も一緒に行くけど?」
「本当に良いの?槇原君が一緒なら安心だよ」
ただ僕の中では新作の『アプロディテ』も誰がモデルなのか、そこを訊き出したい好奇心と言うか下心も有って橘君に同行した。
「やっぱり僕の時と同じみたいにモデルが居るの?」
「え、それは、未だ言えないけど、僕も受験が近いから完成は先の事だよ」
橘君は確かに『僕も受験が』で『僕は』でなく『僕も』と言った言葉尻を聞き逃さない。それは美しい女神『アプロディテ』のモデルも年上や後輩じゃなく同学年の受験生だと推察できる。
僕と同じ様に友達が少ない橘君に絵のモデルに成ってくれる親しい女性とは、取りあえず画材屋で用事を済まして、自宅のPCでギリシャ神話の女神を調べてみようと納得して、橘君にこれ以上は訊かずに終えた、と言うより橘君から、
「槇原君はクリスマスをどう過ごすの?」
話題を変えてきた。
「うん、クリスマスは家で家族と一緒だね、と言っても両親とも仏教だけど」
良くある会話の落ちみたいだが、
「アッハッハ、それなら僕の橘家も仏教徒だけど、プレゼントに釣られてクリスマスに便乗だね」
落とした財布が戻ってくるとか、サッカーの国際試合後に観客がスタンドを掃除するとか、街の公衆トイレが綺麗とか、日本の美徳みたいに報道されているけど、以前に父から聞いたティラミス、パンナコッタ、タピオカ、白い鯛焼き、チーズドックなどなど新しい物に飛びつき易く、飽き易いのも日本人の可笑しな気質だと思う。
勿論、クリスマスやハロウィーンのイベントも勝手な解釈で楽しんでいるのに、古来から伝わる伝統芸能や文化に興味を示さないのも理解出来ない。
これは真実なのか知らないが、楽しみが少ない地方の村で『夏祭りの夜は夜這いし放題』を聞いた当時童貞の僕は参加してみたいと不純な妄想をした。
◇
他者から見れば、学生服の大きな男子とセーラー服の美少女<女装男子>が会話して歩く。
勿論僕も橘君も同性愛者じゃないが、見ている人には男女のカップルに見えても不思議じゃない。
僕的にはどう見られようと平気だが橘君はどうなんだろう、そんな事を気にしつつ先へ歩く。
「あ、あの人は」
そう言う橘君は歩みを止めたドンキ・パークの入り口に、
「どうかしたの?」
状況が分からない僕の問いに、
「嫌だなぁ、前に僕を女子と間違えて二回ナンパされた」
橘君が過去の経験から嫌だと答える。
青と緑とが混じったブレザーとチェック柄のボトムスは、こう言っちゃぁ悪いが低偏差値の私立高校の制服と記憶している。
「おい、おまえ、灰原中学の槇原だろ」
過去に橘君をナンパした私立高校生が僕の名前を知っているとは何で?しか浮かばない。
「僕の名を呼ぶのは、どちら様ですか?」
記憶力が良いとか悪いとか、そんなレベルじゃなく、全く憶測も出ない僕へ、
「おまえ、俺とユイちゃんのラブラブを邪魔しておいて、俺がナンパした美少女とデートかよ、全く好いご身分だな」
知らない男から『ユイちゃんとラブラブ』とか言われても理解できないが、僕の名を知っているには気に掛かる。
「その件について詳しくお願いします」
こちらが下出に出ていれば暴力は無いだろうし、今は橘君が一緒だから僕としても乱暴な事は望まない。
「ネットで知り合ったユイちゃんとラブホへ入る寸前にお前が邪魔した、あれからユイちゃんに嫌われてブロックされた。今すぐに責任を取れ」
ユイちゃんとはあの時に救ったチビッコか、言われなければ思い出せない些細な事に思わず苦笑いが出た。
「そうですか、でも、あのユイちゃんは中学一年生で、あのままエッチして後からバレたら『犯罪者』に成るところでしたよ」
「それは嘘だ、俺には『私は十八歳』と名乗ったんだ」
ネットの出会い系か、マッチングアプリなのか、彼氏が欲しいチビッコの年齢詐称にしても責めを逃れられないし、
「それで、僕にどうしろと?」
「俺に謝れ、『南洋高校の石井公司さんに恥をかかせました、申し訳有りませんでした』と土下座しろ」
公園前の冷たいカラータイルに土下座か、嫌だけどこれで気が済むなら、それにしても自分から名乗るなんて低偏差値の私立高校生は本当に馬鹿なのか、自己顕示欲が強いのか理解に苦しむが、取りあえず両手両膝をカラータイルに着いて、
「南洋高校の石井公司さんに恥をかかせて、申し訳有りませんでした」
ドンキパークに居る人や、回りを歩く通行人にも聞こえるように大きな声で謝罪した。
「おい、声が大きい、分かったならもう行って善い、これからは俺の邪魔をするなよ」
その声を聞いた僕は無いも無かった様に立ち上がり、橘君の手を引いて公園前から立ち去った。
画材屋までの数十メートルで、橘君は、
「どうして土下座までしたの、僕が居たから?槇原君のプライドが傷付いたよ」
「僕は暴力を好まない、プライドではお腹が満たされないでしょ」
「フッ、確かにそうだね、槇原君のお陰でナンパされなかったし、僕がお礼にスガキ庵のラーメンを奢るよ」
スガキ庵は今も地方だけにある豚骨醤油味のラーメン・チェーン店で、カメダ・コーヒーの様に最近は東京に進出したらしい。
学生には有り難い低価格だが麺が少なくて物足りなさを感じる、女子は夕食前の小腹が空いた時には丁度好いと言う。
その後、佐藤画材店で僕の知らない上質な水彩画絵の具を購入した橘君とスガキ庵でラーメンをご馳走に成り自宅へ帰った。
そんな僕を見た母は、
「さっきサヤカちゃんから電話で『私の家に自転車を忘れている』って」
あ、いつもとルーティンの違う下校で自転車の無い明日は、徒歩で
「ウン、分かった」
母に返事してPCを起動させて、開いたブラウザから『アプロディテ』を調べてみた、ギリシア神話における愛と美の女神、英語表記だと誰も知る『ビーナス』、そして手で胸とアソコを隠した『女神誕生』の宗教的絵画を教科書で見た気がする。
別の画像でアプロディテの横顔はあの女子に似ている、僕はそんな気がした。
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