第122話 過去の経験。

僕に親友が増えた日の翌朝、いつもの様に自転車で天野サヤカさんの自宅へ迎えに行く。

以前のように待たされる事も無く、通学用バッグを持ったセーラー服姿のサヤカさん。

「裕人君、おはよう、昨日は有難うね」

いきなり昨日は有難うね、と言われても何の事か想像が付かない。

『あ、僕が焼き芋を買いに行った事ね』

と思うが、その後のサヤカさんは、

「私には諦めろと言ったのに、ママの為に焼き芋を買いに行った」

酷く機嫌を損ねても焼き芋を食べていた。そこを蒸し返すのは二度目の地雷を踏むようなもの。


「あ、あ~そうだね、お礼なんて要らないよ」

「それなら良かった『あのちびっ子を助けて』って強く言ったから裕人君は怒っていると心配したの」

大学生風の男が小学生の女子を誘拐、連れ去りみたいな現場に遭遇したアレか。


「そうだね、でも天野サヤカさんが必死に頼むから驚いたよ」

「うん、私にも同じ経験が有って・・・」


「え、どういう事?」

サヤカさんから『同じ経験』を聞いて、驚きから声が出たけど問う積りはなかった。


「あれは・・・」

少女雑誌のファッションモデルとして活躍していた小学五年生の頃、学校帰りに大学生風の男が近寄り、

「僕はサヤカちゃんのファンです、サインしてください」

と雑誌とサインペンを取り出して、天野サヤカさんのグラビアページを開いた。


未だ異性を意識して無い小五の天野サヤカさんに、所属モデル事務所から注意喚起もされてなく。

疑う事もなく素直にサインに応じた。


その翌日も同じ男性が現れ、校門から出てくる天野サヤカさんを待ち伏せたみたいに声を掛けた。


後から思えば、ストーカーの付きまといと気付くが、毎日同じ新しい雑誌を開いてサインを求められる子供の天野サヤカさんは満更でもなかった、らしい。


次の撮影日に女性マネージャーへ『熱心なファンみたい』と冗談交じりで話したら、

「サヤカちゃん、その人は危ないかも、用心してね」

と助言されたが、

「え、とても普通な人で、言葉使いも丁寧だったわ」

「それなら善いけど、私はとても心配よ」

マネージャーの危惧は当たり前でも、当時の天野サヤカさんには伝わらなかった。


下校途中の何回目か遭遇でその男は、

「サヤカちゃんにプレゼントを用意したけど、忘れてきたから一緒に取りに行こう」

マネージャーから注意されたサヤカは、流石にこれは危険と思い、


「今日は予定が有るからゴメンなさい」

男から離れるサヤカの手を掴んだ、逃げなきゃと恐怖が頭を過ぎった時に女性マネージャーが現れて、

「その子の手を離しなさい、警察を呼ぶわよ」

サヤカの手を離した男は激怒したのか、険しい顔で女性マネージャーへ向ってきた。


小学校の校門前で起きた騒動に一台の車が到着して、制服のガードマン二人が男を取り押さえた。


「それで?」

説明を聞く僕の問いに、

「うん、私に注意したマネージャーが事務所からテコムの個人警護セキュリティを依頼してくれて」


天野サヤカさんは小学生時代に誘拐されそうになった経験から、昨日の遭遇で必死になったと理解できた。


「あまり善い話じゃないから誰にも言わないでよ」

勿論だ、僕は口とアソコが固いと自負しているが、これを言えば『それって誰に言われたの?』と天野さんの地雷を踏むに違いない。


「分かった、絶対に他言無用だね、それよりも昨日の『ギヲミテセザル』の意味は?」

「義を見てせざるは勇なきなり、あれは目の前に困っている人を見かけたら、 見て見ぬふりをするのではなく、手を差し伸べることの出来る人こそが、勇気を持った 人である、って意味の論語よ」


論語とはその昔、中国の偉い人が残した言葉、漠然と知っているけど他に有名な物も有るのだろうか?


「うん、論語の言葉を聞いた事はあるけど、他には?」

「そうね、『故きを温めて新しきを知る』の温故知新は裕人君も知っているでしょ」


確かにそれなら僕も聞いた事はあるが、確か授業で習ったはずの論語について話しても僕の理解外だよ、なんて心配していたら中学の校門に到着して救われた気分に成った。


「じゃあね、裕人君、今日も昼休みに親友へ会いに行くの?」

それは橘君が居る美術部室の事だろう、それにしても誰が天野さんへ話したのか、気に成らないと言えば嘘に成る。


天野サヤカさん、それを誰に聞いたの?」

「え、誰だって善いでしょ、友人が少ない裕人君に親友が増えても私は嫉妬しない、だって私は未来の妻だから、そこだけは忘れないでよ」


日本一の美少女と思う幼馴染からそんな言葉を言われた僕は『ぐうの』も出ない

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