第112話 自己紹介と約束。

僕が通う灰原中学では教室掃除を当番制でなく、給食後に全員で素早く行う。それは掃除当番をサボらせないのと、六時間目の後に直ぐに部活動へ参加できるシステムで、そんなある日の事。

正面玄関内に展示されている『群青』を気になる僕は、昼掃除あとの二十分休憩に席を立った。

槇原マッキー、何処へ行く?」

引退したバスケ部で僕を親友と言う橋本ハッシーが呼び止める。


「トイレだよ」

「じゃあ、俺も行く」

おいおい、女子の友ションかよ・・・


橋本ハッシー悪いな、大きい方だよ」

「なんだ大なら時間が掛かるな、じゃあ俺は行かない」


橋本ハッシーを残してトイレに向かい、いつも快便の僕は便座に座って数十秒で用を済ます。最近の学校は生徒が気軽にトイレを利用できるよう快適環境の整備から個室をシャワートイレに改修されている。


お尻洗浄機能を他人と共有するのは抵抗が有る意見も聞くが、シャワーノズルから病気やバイキンが感染すると聞いたことは無い。


それよりもお尻に排泄後の油分が残る方が気持ち悪い僕は洗浄機能を好んで使う。


結果的に橋本ハッシーから離れた僕はそのまま正面玄関に展示された『群青』を見に行く、今日も変わらず深い青色が綺麗で心を引きつけられる。

それにしても絵全体に深い青の中心に明るいオレンジとイエローの中間色は何を意味する・・・


これは橋本が言った深い森の出口か、台風の目か、瀬戸内の渦潮か、それとも風景画じゃなく、心の闇から先に見える希望の光なのか、いくら自問自答しても正解は見つからない。


「槇原君、いつもこの絵を見ているね、気に入ったのかな?」

僕の名を呼ぶ声に振り返ると、そこには中年メタボの男性教師が居て、確かに記憶は有るが教科担任でも無いし、入学式や始業式で長話をする校長でも無い、三年じゃない学年主任かな程度に思い。

「先生、こんにちは、この絵はどんな意味が有りますか?」

社交辞令と言うか、在り来たりな言葉で返事と質問を交えた。


「そうだな美術は専門外だけど、絵画は見た人が感じたままを受け取れば良いと思うな」

「先生、それだと作者が絵に込めた思いは?」


「喜びや苦しみなど作者に共感する事は無くても良い、見たままの感想で好きとかそうじゃないと感じ取れば、この絵と作者も本望だよ」


先生が言いたいのは、見た人の感想がそのまま絵画の意義らしい。

その理屈なら僕はこの『群青』が好きだ、

「教頭先生、こんにちは」

廊下を歩く女子生徒が僕と会話している男性教師に挨拶するから教頭先生だと知った。


「先生、有難うございました」

会話を終わりたい僕の言葉で教頭は廊下の先へ向った。


「そんなにこの『群青』を気に入ったの?」

数日前に水彩画用紙の説明をしてくれたソプラノ男子の声が聞こえ、振り返るとそこには大河ドラマで見るような美形のセーラー服女子が僕に姿を見せる。


「あ、うん、この深い青が綺麗だなって」

「僕の名は橘葵たちばなあおい三年一組だけど、」

なぜか語尾を濁したが僕にも有る事だと気にしない。


それよりもアニメか何かで聞いた事は有るが、自らを『僕』と言う僕娘ぼくっこに始めて遭遇して、しかも先に自己紹介されて少々戸惑う。


「僕は三年四組の槇原裕人、それと・・」

真似した訳じゃないが、元バスケ部と言う積りの僕も言葉を濁した。


「知っているよ、有名なバスケ部の槇原君でしょ」

それはバスケ公式戦の成績か、僕の体格からなのか・・・


「橘さんって、『群青』の作者だよね、凄いよ、ええっとリスペ・・」

「有難う、槇原君が言いたいのは尊敬リスペクトでしょ、僕こそ誉められて光栄だよ」

アニメの男子ヒーローは女性の声優が演じる、何度聞いてもそんな感じの橘葵さんの声と、橋本ハッシーが言っていた不登校でない保健室登校を思い出したが、きっと何か理由が有るはずだから、それには触れない。


本音を言えば、『群青』を書いた真意を知りたいが、初対面でそれを訊くのは余りに図々しいと遠慮した。


そんな僕の思いが顔に出ていたのか、逆に橘葵さんも僕を気遣ったのか。

「もしもだけど、槇原君が良いなら僕が描いた他の絵も見てみる?」

「え、僕が見ても良いの?」


「うん、コンクールの知事賞より誉めてくれる槇原君になら見て欲しいけど、今日の放課後は予定が有るの?」

あ、そうだ、毎日の登下校は天野サヤカさんと一緒だから、今日の約束で今日は無理と思う。

「今日は予定が有るし、都合を付けるから明日の放課後に見せて欲しい」


「うん、明日ね、美術部室で待っている」

簡単な口約束で自分のクラスの戻ると橋本ハッシーが、


槇原マッキー、帰りが遅かったな、そんなにトイレが長かったか?」

「あぁ、トイレットペーパーの芯が三本くらい出たから時間が掛かった」

橋本ハッシーはこんな冗談の方が喜ぶ。


「トイレットペーパーの芯三本って出すぎだろ、汚いなぁ~」

「僕は便秘で何日も腹に溜めるより綺麗と思うけどな」

橋本ハッシーだけに言った積りが、周囲の机に座る女子数人が下を向いていた。


そして午後の授業が終わり、放課後から下校の際に、

「明日なんだけど予定が有って、誰かと一緒に帰って欲しい」

僕は天野サヤカさんへ願い出た。


「裕人君、どんな予定なの?」

「ええっと、美術部に作品を見に行くから」


「へえ~、誰の?」

これは質問と言うより尋問に近いが、決して僕にやましい気持ちは微塵も無いと宣言できる。

「絵画コンクールで知事賞を受賞した橘葵たちばなあおいさんの絵だよ」

元々嫉妬深い天野さんへ女子生徒の氏名を明かしてしまったと少し後悔したが、


「そう、裕人君は橘葵さんの絵を見たいのね、分かった、明日は松下エミさん達と帰るわ」

僕のお願いを受け入れてくれた天野サヤカさんに感謝しつつも少しだけ不安になる、これは僕がビビリで心配性なのか、いやいや間違っても橘さんを異性として見てないと神に誓おう・・・


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