第111話 群青。

秋の恒例イベント、スポーツ祭が終わり、数日後に二年生は二泊三日の野外学習に出発した。

僕達が体験した野外学習からもう一年が経つとは、過ぎ去った過去は早いが、これから訪れる未来は遠いと思う。


僕の通う灰原中学校には三年生用の北口、東口は一年生と二年生の下駄箱が有り、そこで上靴に履き変えてそれぞれの教室へ向う。


には来客用の駐車場とエントランスからガラス製スライド扉の正門玄関、生徒が使用禁止の来客用下駄箱とスリッパが並ぶ。


玄関内のショウウインドーには運動系部活の優勝旗やトロフィーが並び、その壁にはコンクールで表彰された美術部の絵画や書道部の作品が展示されていた。


書道部員の草書体は達筆過ぎて一見では読めない、更に県知事賞を受賞した青い水彩画の前で僕と橋本は『これは何の絵?」と頭を捻った。


これは余談だが、やがて来る受験のプレッシャーから休み時間に橋本の馬鹿話と付き合う生徒は居なく、そんなクラスの空気から僕を誘って正面玄関内に展示された受賞作品を観覧に来た。


「槇原、これは深く青い森の先に見える明るい出口だよな」

「橋本には出口に見えるのか、僕は青い海に引き込まれるイメージと思う」

青い絵を見た橋本と僕の印象は正反対に意見は分かれた。

青い絵画の下には作品名の『群青』と作者の『橘葵たちばなあおい』と書かれていた。


「なあ、槇原マッキー、これは水彩画だけど東洋の群青は鉱物のアズライトで、西洋のウルトラマリンは当時金と同じ価値だった鉱物のラピスラズリで作られていたし、元々青は高貴な色とされている」


いつもの馬鹿話と違って今日の橋本ハッシーは僕に博学な顔を見せる。

「へえ~、そうなんだ、橋本は勉強もできるが、薀蓄うんちくも豊富だな」


「そうだよ、槇原マッキーも知識を広めたいなら、CMが嫌いって民法を見ないだろ、たまにはテレビを見ろよ」

橋本ハッシー、無理やり見たくもないCMを押し付ける番組に意味があるのか?」

僕の持論で予約録画しても基本的CMをカットして視聴するけど、そこまでして見たい番組を知らない。


「知識を得られるって、例えばどんなジャンルの?」

少しの嫌味もなく僕は橋本へ素直に尋ねた。


「土曜の夜9時から『ふしぎ発見』だよ、海外の歴史や文化、芸術について好奇心を満たしてくれるし、そうだ、日本でも人気絵画のフェルメールは知っているだろ?」


ああ、ピカソより人気のフェルメールなら、『耳飾りの少女』しか知らないが・・

「真珠の耳飾りの?」

「そうだよ、少女のターバンはラピスラズリ原料のウルトラマリンで描かれているから「フェルメールブルー』とも呼ばれている」

やっぱり橋本ハッシーは博学だと強く思う。


「ウルトラマリンならこの綺麗な水彩画も海をイメージしているだろ」


「そこまで槇原マッキーが気にするなら、描いた生徒に訊いてみれば?」

「この絵には興味があるけど、作者には興味がないな」


「そうだろ、それに橘葵たちばなあおいを知っている生徒は少ない」

「え、不登校なのか?」


「不登校じゃないけど普段は教室には居なくて、保健室登校ってやつだな」

「何か事情が有りそうだな、でもこんなに素晴らしい絵を描ける生徒を称賛する英単語は何だった、オマージュか?」


最近は理解に苦しむ英語が多く、才能ある芸術家をクオリティあるアーチストと表現するが、その意味を考えていると気持ち冷めてしまう。


「オマージュは模倣の意味があるが似ているなら、槇原は何が言いたい?」

「最近、よく聞く『尊敬する』英単語だよ」



「槇原が言いたいのは『リスペクト』か?」

「そうだよ、僕はこの『群青』を描いた橘さんをリスペクトする」


「本人がそれを聞いたらきっと喜ぶよな、槇原マッキー、俺はトイレに行くから先に戻るよ」

10分の休み時間も僅かとなり、トイレへ行かない僕は橋本と別れて、もう少しだけと水彩画の『群青』を見つめた。


見れば見るほど不思議な青い絵に心を奪われた積りはないが、美術の授業で描いた写生の記憶と比べて、

「この紙は波打ってないし、サイズも普通の画用紙じゃないよな」


誰に訊くでもなく、僕は独り言で小さく呟いた。


「水彩画用紙を水張りしたから凹凸は出来ないよ」

『群青』に集中する僕の背中越しに男子のソプラノ声が聞こえた。


そうかそういう技法で、え、専用の紙に水張りって何?と振り返るが、僕の視界にはセーラ服女子の背中が見えて、あの女子生徒が作者の橘葵たちばなあおいさんだと納得した。


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