第108話 ご迷惑を掛けます。

来週の月曜日から僕は自転車で天野サヤカさんの家へ行き、一緒に中学へ登下校すると一方的に決められた。

約十年前のゆとり教育の頃は毎週土曜日が休日だった、しかしその結果は日本人生徒の学力低下から隔週土曜で登校日に変わった。


今日は休日の土曜日、九時に朝食を取った僕は、月曜に備えて庭先で自転車を整備する。

ハンドルの前後ブレーキワイヤーの調整からペダルの回転とチェーンの張り、前後タイヤの残り溝と空気圧、自動点灯するLEDライトの確認まで。


朝六時からベーカリーで接客した母が小休憩で自宅へ戻り、

「裕人、何処かに出かけるの?」

「いや、月曜から天野さんに寄って学校へ行くから、帰りは遅く成るかも」


「裕人が遅くなるのは別に良いけど、天野さんに迷惑を掛けないでね」

本音で言えば、僕の方が迷惑を掛けられていると思うが言えない。


「うん、分かっているよ」

母に心配を掛けないように答えた。


「裕人君、おはよう」

自転車を整備する僕の後から声を掛けた天野サヤカさんに驚いて、

「え、今日は休みだよ、一体どうしたの?」

「そうね、家に居ても一人で退屈でしょ、『裕人君の顔を見たくなった』と言えば嬉しいでしょ」


休業中の人気CMモデル、素顔の国民的美少女が言うと、言われた僕の方が照れ臭くなる。

「別に良いけど、取りあえず家に入って」

「裕人君、私は麦茶で良いよ」

勝手知ったる僕の家とばかりに天野サヤカさんはコーヒー紅茶でなく、僕がいつも飲んでいるノンカフェインの麦茶をリクエストする。


「サヤカちゃん、いっらしゃい」

「裕人君のお母さん、お邪魔します、今日は宜しくお願いします」

母のウエルカムは分かるが、天野サヤカさんの『宜しくお願いします』は何だろう・・・


「裕人、折角サヤカちゃんが勉強を教えに来てくれたなら少しでも模試の点数を上げなさいよ」

どこでそんな話に成っていたのか、未だ状況を理解出来ない僕へ、

「裕人、名邦高校の事は天野エミリさんから聞いて納得したから、もう良いわよ」

三者面談でコケシちゃんから内緒にしていた名邦高校の内定を暴露され、母は『その話は聞いてない』と険しい表情を見せた。

それを母は『もう善い』と言う。


「サヤカちゃん、お昼ご飯は何を食べたい?」

「あ、お昼ですが、私がお父さんとお母さんの分もオムライスを作ります、キッチンをお借りして良いですか?」


その言葉に僕も驚いたが、母にとってサプライズの様に、

「え、サヤカちゃんが私とお父さんにオムライスを作ってくれるなんて、やっぱり女の子は良いよねぇ」


「はい、お店で手のく時間は十三時頃ですか?」

槇原ベーカリーはイートインの有る飲食店でないが、お昼時はお客さんが多く、父と母がランチを取れる時間は十三時以降だった。

「そうだけど、サヤカちゃん、私達の休憩時間に合わせてくれるの?」


「味に自信が無いので、出来立ての温かい料理を食べて欲しいです」

「うん、サヤカちゃんが用意してくれる料理なら冷めても喜んでいただくわ」


僕に見せる我侭わがままで小悪魔的な雰囲気を微塵も見せない、さすが人気モデルと言うよりベテラン女優だよ・・・


「裕人君、そろそろお勉強を始めましょう、裕人君のお母さん、麦茶ご馳走様でした、失礼します」

「サヤカちゃん、私の事を『裕人君のお母さん』じゃなくて『お母さん』と呼んでね」


「はい、お母さん、有難うございます」

母は僕が見たことの無い、満面の笑みを見せた。


二階への階段を上り、自室に入った僕は天野サヤカさんへ、

「色々と分からない事が有るから僕に説明してよ」


「どこから?」

「まずは名邦高校の内定を破棄した件」


「あれは私からママへ『裕人君は学生寮に入ると私と三年間会えなくなるから名邦高校を辞退した』って報告したらママが『それなら、寮に入ったらお母さんの手料理を食べられなくなる』を理由にしましょうって」


「それは、エミリさんの嘘も方便ですか?」

「そうね、ママがこれだと角が起たないって、それとママが留守の時に裕人君が私に手を出さなくて、しかも不審者から守ってくれたでしょう、あれで裕人君の高感度が爆上がりして、お互いの両親が不在の時は私か裕人君が其々の家でお世話に成るの」


「よく分からないけど?」

「天野家と槇原家で友好的な子供の交流と宿泊条約よ、今週末はママが東京のパパへ会いに行くから私が裕人君の家にお泊りよ」


「それって昨日の、三者面談の後に母とママの『ちょっとお茶しましょう』で?」

「そう言う事ね、裕人君は勘が良いよ」


イヤイヤ、そこまで話してくれたならコミュが苦手な僕でも気が付くよ・・・


「正午に調理を始めるから二時間しか勉強時間が無いよ、急いで始めましょう」

「あ、あ、うん」

僕には返す言葉が無い。



人が集中力を維持出来るのは二時間と何かで聞いたが、天野さんが『ハイ、終了時間よ』と声を掛けて、僕は過去問題集のテキストから解放された。


父母はベーカリーで仕事中、不在のキッチンで天野サヤカさんは『失礼します』と冷蔵庫の扉を開き、鶏卵を八個とパック入りロースハム、野菜ストッカーから玉葱と人参、ピーマンとシメジを準備して、カットした野菜をレンチンする。

次に石突を落としたシメジを手でほぐし、別の容器でレンチン。


「お父さんと裕人君も大盛りよね」

手を動かしながら独り言で確認するサヤカさん。何も手伝えない僕はそれを見ているだけ。

「僕が何か出来る事は?」

気を使った積りで訊いたが、

「うん、邪魔だから無いもしなくて、テーブルで待っていて」

これは足手まといと言う奴か、仕方無いと納得して金属製のスプーンを握ってダイニングテーブルの椅子に座る。


少し離れたテーブルからオムライスの完成を待つ僕。

レンチンの野菜とロースハムを入れて炒めるケチャプライスに、鶏卵2個を焼いて周りを包む。

僕の家ではこれでオムライスの完成でも、天野サヤカさんはシメジを入れた茶色いデミグラスソースをオムライスに掛けて、

「出来た、裕人君、お母さんとお父さんを呼んできて、代わりに店番をしてよ」

「え、僕のオムライスは?」


「働かざるもの食うべからず、裕人君と私は後よ」


きっと『やっぱり女の子は好いね』と母は言うだろう。


両親の代わりに店番していた僕は知らなかったが、天野サヤカさんは『自信が無いので、お母さんとお父さんのお口に合うか心配です』と言い、そのオムライスにいつもは無口な父は『とても美味しいよ』と笑顔を見せ、母は『やっぱり産むなら女の子が良かった』と言ったらしい。


兎に角、お客の途切れたベーカリーで店番する僕は腹が減っていた。

アイムハングリー・・・





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