第99話 ホラー映画とゾンビ。

一週間の勉強合宿もあと少しの金曜日。


僕は名邦高校の選抜試験セレクションを受ける事を天野サヤカさんに言い出せなかった。

それを後ろめたいから私に隠していたと言われても否定できなかった。

『裕人君の不合格を願う私の本心が嫌い』と自己嫌悪する天野サヤカさんを慰めようと、僕なりに全身全霊で優しくした。


その代償で天野サヤカさんが望む『新婚ゴッコ』を受け入れて、コンビニへ買物ショッピングに行きスイーツとカキ氷を買い、更にサヤカさんの願いは続いた。


「もう少しだけお願い、夜になってから裕人君とイチャイチャ・ドキドキしたい」

『新婚ごっこ』を続けたい天野サヤカさんが言ったその意味を僕が知ったのは、午後八時を少し過ぎた頃。


リビングの三人掛けソファの中央に座り、僕を呼ぶサヤカさんは、

「ソファの横に座って、あ、隣より私の後ろが良いな」


正面に大型テレビを見られるフローリングのラグに座り、僕の身体を座椅子代わりにサヤカさんは背中から僕へもたれて、僕の両手を絶叫マシンの安全バーみたいに掴むその手にはテレビ&DVDのコントローラーが、


「これからホラー映画を見るけど、裕人君が怖いなら止めるけど」

女子から『ホラー映画は怖いの?』と訊かれたら、大抵の男子は意地でも『大丈夫』と答えるが、僕は物質的に存在する海外の妖怪映画は平気でも、呪いのビデオなど恨み辛みの怨恨の邦画は苦手だった。


「うん、モノに因るけど?」

「ゾンビ映画は?」


ゾンビ映画って主人公が生き残って、その殆どはハッピーエンドで解決すると想像していた。


天野サヤカさんが見たいゾンビ映画は数年前に一度だけ地上波初でオンエアされたが、当時小学生のサヤカさんは一人で視聴していたが怖くて途中離脱した。


結末を知らないゾンビ映画のエンディングを確認したい思いから、モデル業界の知り合い<メイクさん>から市販DVDを探して貰った。


そのストーリーは、資産家の両親を持つ高校生が、男女十五人の友人を誘って湖畔の別荘を訪れた。

夏休みの避暑地は高原と湖、昼間はBBQと夜は男女のカップルで肝試し、幾つもの個室が有る大きな別荘で一人一人と友人が消える。抜け駆けしたいカップルが隠れてイチャ付いていると誰もが気に止めなかった。


別荘で友人捜索を検討した主人公と彼女の元へ、冗談で隠れていると思った友人が生気の無い青い顔で戻って来たが、それはゾンビに襲われて既にゾンビ化していた。


そこからはゾンビから逃げる展開の中で、一人一人とゾンビに襲われた仲間が逆に襲ってくる恐怖・・・


映画に集中するサヤカさんは僕の右腕に抱き付き恐怖を和らげているのか、風呂上りサヤカさんの髪から石鹸シャンプーの香りに僕はゾンビ映画に集中出来ない、それよりも小さな肩と細い腕に白く柔らかい体、右手に伝わる天野サヤカさんの胸の膨らみから小さな丸いお尻が僕の股間を刺激して危険なレベルで警鐘を鳴らす。


良くあるB級映画と思うが、画面に集中するサヤカさんへ、

「ちょっと、トイレに行くから一人で見てて」

「ヤダあ、一時停止ポーズするから早く戻って来てね」


股間の高ぶりを収める為に自慰で抜く予定の僕は、

「大きい方だから数分は掛かるよ」

「もう裕人君、そこまで言わなくて良いわよ」


思春期男子の身体は外的な刺激に過剰反応するから、その対策で自己処理は仕方無いと考えていた。


その言葉通りに数分でリビングに戻った僕を見たサヤカさんは青い顔を見せて、

「裕人君、勝手口の擦りガラスから誰かのぞいていた、あれはきっとゾンビよ」

ホラー映画を見た影響で勝手口の窓に映る影をゾンビと思うのか、取りあえず僕が確認して『誰も居なかったよ』と安心させる積りでキッチンの勝手口へ向った。


「裕人君、危ないよ」

「きっと大丈夫だよ、それでも僕が出たら施錠して、絶対ドアを開けちゃ駄目だよ、何か異常が有ったら警察に通報して」


キッチンで目に止まった30cmくらいの麺棒を右手に握り、女性物の小さなケロックス・サンダルを履いて裏庭へ出た。


そこにはサヤカさんが言うような不審者やゾンビの姿は無く、玄関の方で何かの気配を感じて追いかけた。

サラリーマン風のスーツを着た男性の後姿を確認し、空き巣や窃盗犯は怪しまれない様にスーツを着用していると元刑事の防犯ニュースで見た記憶が蘇る。


明らかに怪しいサラリーマン風の不審者へ、

「ここで何をしている、警察に通報するぞ」

元々は好戦的で無く、物事の解決を暴力に訴える性格でも無い僕は、ただサヤカさんのご機嫌を取る為に必至だった所を邪魔されて、いささか不愉快を感じていた。


その不審者が素直に『家を間違えました』と謝意を示して立ち去れば、これで事は済んだと思う瞬間。

あれほど『外に出てくるな』と僕が言ったのに、不審者が進む先の玄関ドアからサヤカさんが開錠して様子を見に出た。


突然に不審者と直面したサヤカさんは、

「キャ~」

絹を裂くような声で夜の市街地に絶叫した。


その悲鳴に僕も驚いたが、サラリーマン風の不審者は狼狽うろたえて、

「し、静かにしろ」

と、その右手でサヤカさんの手首を掴んだ。


『ギャ~』

それが切っ掛けで二度目の絶叫が町内に響き、向こう三件両隣のご近所さんが様子を見にきた。

僕が苦労して機嫌を取ったサヤカさんを不審者は二度も驚かせやがって、温厚な僕にも怒りの感情が溢れてきた。

日本の法律では先に手を出した方が罰せられる、先に相手から殴らせて正当防衛でボコってやる、『骨が有る部位を素手で殴ると自分の手が痛くなる』格闘好きな級友の言葉を思い出して、


「おい、オッサン、クソ汚い手で僕のサヤカに触るんじゃない」

明らかにメタボ体型の不審者を挑発しようとののしった。


「ガキが、調子に乗りやがって」

掴んだサヤカの手を離したメタボのオッサンから相当のアルコール臭を感じる。

軽く一発だけ殴られたら、正当防衛で鳩尾みぞおちに拳を叩き込んでゲロをはかせてやると身構えた。


左頬に受けた不審者の拳、中年メタボの腕力は想像以上に強かった。

想定外に痛いが、これで正当防衛が成立すると、僕は右手の拳を固めた。

左手ジャブで軽くフェイントを見せて右手から注意を逸らし、メタボ中年を退治してやろう。


そんな思いから少しだけ口角を上げて笑った僕を見て、

「裕人君、暴力はダメよ」

企みをを読んだサヤカさんは僕の反撃を禁じた。


え〜、アッパーカットに身構えた拳を止められた僕へ、メタボ不審者から二発目の右パンチが迫る。


僕の顔にヒットする瞬間にボクシングで言う最低限のヘッドスリップで避け、肩透かしを食らったサラリーマン風の中年男は前のめりにバランスを崩す。

避けた僕の靴先が偶然に中年男のスネへ当たり、ドカンと大きく音を立てて前のめりに倒れた。


「う〜んん」

悶絶する中年不審者は庭の植木鉢か何かで腹部を強打したのか、派手に嘔吐して上半身ゲロまみれで失神した。


サヤカさんの通報で駆けつけた警察官へ、一部始終を目撃したご近所さんの証言と簡単な事情聴取を受け、失神したゲロまみれの不法侵入者は救急車で搬送された。


こんなゾンビ騒動で不安を感じたと思うサヤカさんは、なぜか僕に笑顔を見せた。


後日談、翌日の土曜日にサヤカさんのママ、エミリさんがロスアンゼルスから帰国して、お隣さんから聞いて不法侵入者の一件を知った。


僕の左頬が赤く腫れているのは、お留守番を依頼した私に責任が有るからと、気に病んだが『過ぎた事を悔やまないで』と僕はエミリさんを慰めた。


その後、警察から釈放された不審者は転勤で近所に越してきたサラリーマンで、会社の歓迎会で泥酔して社宅と間違えて天野家に侵入したと、上司に付き添われて詫びに来た。


「お酒の上での失態ですので大目に見てください」

上司の一言が収まりかけたエミリさんの怒りに火を点けた。


「宴席を理由に罪が軽くなんて大きなな間違いでしょ、夫の社用で留守を任せた少年を殴り、未成年の娘の腕を掴んだ強制わいせつと不法侵入罪で会社の顧問弁護士さんに相談しますから、法廷に立つ準備をして下さい」


サヤカさんのパパが勤務する商社とアメリカ企業と合同プロジェクト、その日本側リーダーの業務に支障が出たなら国益に反する。


そんなニュアンスで不審者と上司、その会社を相手に民事訴訟を検討する。

その責任から近所に人事異動したばかり不法侵入容疑者は遠方へ異動され、その社長自ら僕とサヤカさんへ治療費とお見舞いを持参して天野家の玄関で土下座したらしい。


後日それをサヤカさんから聞いた僕は『普段は優しいママのエミリさんを怒らせると怖い』を知った。





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