第95話 休業中のCMモデルは夏祭りを願う。

八月の十三日から二十日はつかの日曜日まで、僕は天野サヤカさんの家で勉強合宿の名目で留守番を任された。


初日にサヤカさんから混浴を求められたが何とか回避して、二十二時まで学習した。


「裕人君は私の部屋で一緒に寝るでしょう?」

「エアコンの冷気が苦手だから、扇風機が有ればリビングで眠るよ」


「それじゃ、熱帯夜で死んじゃうよ」

「サヤカさんの設定温度じゃ、僕が凍死する」

昼間のエアコン使用は仕方無いが、サヤカさんが望む十八℃設定は関節が冷えて、身体から汗が出にくくなる。


「エアコンを除湿モードにするから、同じ部屋で寝ましょう?」

「サヤカさんがベッドで、僕がフローリングで良いなら?」


「え~、なんで?」

「前も言ったけど、サヤカさんは寝相が悪いから」



「私の寝相が悪いって始めて聞くけど、何月何日何時何分の事よ?」

それは小学生の口喧嘩かよ・・・

「修学旅行の大阪で橋本ハッシーと部屋を替わったサヤカさんに、裏拳で一回殴られて二回膝蹴りされた」


「そんな昔の事を言われても覚えてないわよ、そうだ、今日は大人しく寝るから何処の夏祭りに連れて行って、終わってないなら打ち上げ花火も見たいよ?」

旧盆の十三日から十五日にPTA父兄の主催で灰原小学校の校庭で夏祭りが開かれ、それに合わせて盆踊りの櫓が建ち、その周りを取り囲むように大人と子供達が踊る。


「小さくて地味な夏祭りだけど盆踊りも踊れるけど、行く?」

僕の記憶から三年前の小学生時代を思い出して天野サヤカさんを誘った。


「え、本当に? でも裕人君は人混みが苦手じゃないの、それに盆踊りを踊れるの?」


そうさ、真夏の暑さ日差しと人混みが苦手な僕はプールが嫌いだが、夕涼みが出来る夏祭りは嫌いじゃないし、それに小学三年生の運動会では、徹夜踊りで有名な郡上八幡出身の女性教師の指導で『かわさき』『春駒はるこま』『やっちく』を飽きるほど練習して踊らされた。


「郡上踊りのイントロを聞くと今でも身体が動き出すよ」

「小学校入学と同時に父の転勤で東京へ引っ越した私の知らない時代ね、なんか悔しい」

七歳から十四歳まで地元に不在だった天野サヤカさんが知らないことは他にも有るけど、ここで全てを言う必要は無い。


「夏祭りと言っても父兄が開く縁日だから、金魚すくいじゃない風船釣りとか、綿飴もなくて塩味のポップコーンと甘いパッカーンが有ったと思う」

「裕人君が言うパッカーンって何?」


え、パッカーンはパッカーンでしょ、

「お米と砂糖を入れたドラムを火で熱して、一気に圧力を抜くと大きな音でパッカーンと弾けるやつ」

「それって駄菓子屋であるポンハゼじゃないの?」


地方に因って呼び名が変わるのか、それとも灰原小学校のローカルネームなのか、


「そうか、ポンハゼだよね、それで良ければ行きたいの?」

「うん、でも夜祭って怖い人が居るイメージだけど大丈夫なの?」


大きな祭りならそう言う事もあるが、灰原小学校の夏祭りは地元商店の協力も有って、無料のお菓子やお茶のサービスと土木建設で働く、中学時代はヤンキーだった強面こわもての卒業生達が警備係で参加してくれる。


数年前にはそれを知らない隣町のヤンチャな中学生達が灰原小の夏祭りに来場して、入り口で警備の強面こわもてさんに止められ、

「お前ら何処どこの奴だ、ポケットの中を見せろ」

三人組は運悪くタバコとライターを入れたまま、おまけにビールを飲んで赤い顔をして居たから言い逃れが出来なく、

「ちょっとこっちに来い」

と首根っこを掴まれて、校門前の電柱にぐるぐる巻きに縛られた。


「それでどうなったの?」

「午後9時前に祭りが終わって、帰る子供達から指を刺されて笑われ、その後に警察が来て未成年飲酒と喫煙で連行された」


「それなら安心して行けるね」

とサヤカさんは言うが、顔見知りの強面さんと当時の恩師に会うのは気が引ける。

その夜は無事に過ごせそうだと思うがサヤカさんへ

「寝る前にトイレに行く」

と理由を付けて排尿と自慰を済まして部屋に戻った。


「裕人君、遅かったね」

「大きい方も出たから」


「そこは報告しなくて」

「おやすみなさいサヤカさん」

二人で夏祭りに行く約束で機嫌が良くなった天野サヤカさんに泣き脅しで襲われる心配も無く熟睡出来た。

翌日の十四日、昼食から夕方までテキストで受験対策の学習と、サヤカさんの手料理<僕が好きなカレーライス>を頂き、軽くシャワーを浴びて出かける準備に掛かった。


「ねぇ、裕人君、これとこっちの浴衣、どっちが良いと思う?」

白地に青と赤の朝顔の浴衣、そして淡い黄色に大きなヒマワリ柄の浴衣を見せて僕に訊く。

洋服のセンスに自信の無い僕は夜祭りを思い浮かべて、

「可愛く見えるのは朝顔の方かな?」

休業中とは言え人気CMモデルの天野サヤカさんが一般人より目立つ黄色いヒマワリは無いと思うし、万が一でもファンに遭遇したら夏祭りが混乱しなかと地味な朝顔柄を選んだ。


「そうね、私も朝顔の方が良いと思った、向日葵は打ち上げ花火の日に着るね」


年に一度の総打ち上げ数二万発以上の全国花火大会より小さい規模の数千発が上がる、地元新聞社主催で県内各地の打ち上げ花火、十六日の送り盆に河港で上がる。


不慣れな下駄を履いた天野サヤカさん合わせて、僕は小さい歩幅で歩く。


夏祭りを目的の人は同じ方向へ、小さい子供連れの親子、小学生達は友達と連れ立って駆け足で、卒業生らしき中学生のグループもチラホラと居るが、来春に受験生の僕は成るべく目立たないよう顔を隠すように歩いた。


六年間通った懐かしい校庭と校舎に入る校門前で、

「あらまあ、槇原君じゃないの、今の相変わらず大きいわね」

小学六年生時代の担任だった浅井芙美子先生が僕より先に声を掛けてきた。


当時の僕は身長170cmを超えて、推定155cmの浅井先生を物理的に見下ろしていた。

「お陰さまで191cmの育ちました、先生は今も小さくて可愛いですね」

「成人女性として私は標準身長よ、未だ彼氏は居ないけど」

あの頃は新卒二年目の担任で、随分頑張って居たのが生徒の目にも痛々しく見えて成るべく協力しようと橋本の提案から浅井先生を支えたと記憶している。


「槇原君は可愛い彼女と一緒なんだね、なんだか追い越された気分、私も頑張るわ」

頑張って彼氏が出来る訳でも無いが、そこは当時を思い出して、

「先生なら大丈夫、素敵な彼氏が出来ますって」

根拠の無い社交辞令でその場を離れた。


「可愛い彼女って、私の事よね」

満面の笑みで僕に訊く天野サヤカさん、

「僕の横には他に誰が居るの?」

僕の昔を知る先生に遭遇して、今の姿を見られて生活ぶりを想像されるのも恥かしさから口が滑った。

「裕人君の意地悪、でも嬉しい」

校庭の真ん中に盆踊りの櫓が立ち、実際にお囃子の演者は居ないが録音された曲が流れて、それに合わせて踊る参加者も多く見える。


「ねえ、裕人君、バブリーダンスの曲は流れないの?」

数年前から全国的に盆踊りで流行っているバブリーダンスの『何とかヒーロー』の事だと思うが、灰原小学校の夏祭りでは聞いた事が無い。

「そこは知らないな」


小さな風船に水と空気を入れたボンボンを金具と紙縒りで吊り上げる風船釣り、サヤカさんが言う無料のポンハゼを手にして校庭の先へ歩いた。


鉄棒やうんていなど懐かしい遊具は同時の大きさだが、中学三年生の僕には小さく見えた。

そんな感傷に浸る僕の耳に、

「あ、サヤちゃんだ」

聞き覚えの有る声に振り返ると、元女子バスケ部の松下エミさん篠田ユミさんと清水アキさんの三人が天野サヤカさんへ手を振り微笑む。


元担任も遭遇したくなかったが、受験を控えた同級生にも会いたくなかった。

「こんな所で会うなって偶然だね」

自分で言っても意味不明な挨拶に松下エミさんは、


「2mの槇原マッキーは100m先から見つけていたよ、近くに来たらサヤちゃんが一緒で驚いたけど、今日はデートかな?」

一時の勢いで男女の仲に成った女子が三人揃っての遭遇に焦る僕は、

「デートじゃねぇし」

バレバレの言い訳をしたが、それを遮る様に

「いいえ、今日は裕人君と夏祭りのデートです」

朝顔の浴衣を着た天野サヤカさんは力強く訂正した。


「なんか二人にお邪魔したみたいね、私達は踊りに行くね、サヤちゃんバイバイ」

元女子バス三人は手を振り、背を向けて僕達から遠ざかっていった。


「裕人君、デートって訊かれたら否定しちゃダメよ『もしデートじゃないなら私達と合流しましょう』から勉強合宿を知られて『私達も一緒にお泊りとパジャマ会しましょ』に成ったらどうするの?」

あ・・・その可能性も無くは無い、僕は全く気付かなかった。


「そ、そうだね、助かったよ、天野さん有難う」

「そう、素直に誉めて裕人君、例えば私のどこが好きとか」


有難うからどこが好きと言え、無茶振りなのか、それが女性心理なのか・・・


「可愛い顔だよ」

「顔の何処?」


「大きな瞳と小さい小鼻、白い肌とピンクの唇、柔らかそうな耳朶と細い首から白いウナジ、浴衣の裾から見えるくびれた脹脛ふくらはぎ、未だ見たこと無いけど整った胸と細い腰の全てが魅力的だよ」


「顔は好きって言ったのに、身体のパーツまで言うなんて恥かしい」

確かに言い過ぎた、その証拠に天野サヤカさんの両頬が桃色に染まっている。




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