第92話 受験生の夏休み。

灰原中学男子バスケ部は、七月末の県大会4位で終了した。

僕達三年生は自動的に部活引退で高校に進学する受験生になった。


夏休み明けには進学塾と地元の新聞社が協賛する最初の模擬試験が始まり、そこで志望校の合格率を目安に受験勉強に励む。


試合用のバスケパンツと校名入りのTシャツ、上下ジャージは私物だが、公式戦で使用した白と黒のユニフォームは学校の備品で、自宅で洗濯して返却する為に灰原中学の体育館を訪れた。


そこは、先週まで汗を流したバスケのコートだが、今はチームの仲間と女子マネの吉田サユリさんも居ない。

二年の女子マネへユニフォームを返却して体育館を去る僕に、

槇原マッキー先輩、俺たちとバスケしましょう」

新キャプテンの白川が社交辞令で誘ってくれるが、そこはもう僕の居場所じぁない。


「後輩の邪魔をすると悪いから遠慮するよ」

少しは空気の読める僕は体育館をあとにした。


そう、県大会から戻った僕は掛り付けの整形外科医から『軽症の肉離れ』と診断され、暫く安静と鎮痛消炎の湿布を処方された。


激しい運動をしなければ大丈夫の自己判断して、朝三時に起きてパン職人の父を主に雑用で手伝う、食用パンを予約した常連が来店する六時に母と代わって朝食をとる。


引退したバスケ部の朝練が無い僕は、公園まで5kmのウオーキングでかいた汗をシャワーで流して、気温が上がる正午まで夏休みの課題を消化する。


昼時は接客で忙しい母と父が戻らない自宅で昼食を食べて、エアコンの冷気が苦手な僕は全開の窓から流れる風に当たり、午後三時まで昼寝する。


そんなルーティンで三日間が過ぎた八月始めの朝八時、家電が鳴り僕が出ると、

槇原マッキー、足の怪我は大丈夫でも部屋に引き篭もっているだろ、気分転換に俺たちと流水プールに行かないか?」

橋本ハッシーが言う『俺たち』と謎の誘いに、


「暑いから遠慮する」

友の誘いを速攻で断り『俺たち』の意味を訊かなかったのは、小さいミスと気付いたのは数時間後だった。


家業の手伝いと朝食からウオーキング、夏の課題消化から一人で昼食を食するが、今日は父の焼いたバゲットでフレンチトーストを考えて、コンロに掛けたフライパンへバターを引いた。


ピンポ~ン・ピンポ~ン、自宅のインターフォンが僕を呼ぶ。

不意の来客がセールスなら『すべて要らないです』の返事で門前払いの応対するが、


「私よ、裕人君、天野サヤカです」

両親が居ない時間を知って訪れるのはCMモデルの幼馴染、天野サヤカさんが日傘をさして訪問してきた。


「どうしたの?」

「プールへ誘ったのに秒で断るって酷いよ、私の水着姿が見たくないの?」

この時点で橋本ハッシーが言った『俺たち』の意味は橋本ハッシーと彼女の吉田サユリさんと天野サヤカさんから流水プールの誘いと気付いた。


「ゴメン、未だ試合に負けた気持ちが落ち着かなくて、プールの気分じゃなかった」

無駄な言い訳と思う僕へ、

「外は暑いし日焼するでしょ、早く家に上げてよ」


日焼けが嫌とか言うならプールに行かないでしょう・・・なんて思っても天野サヤカさんの機嫌を損なうから言わない。


「遠慮なく、どうぞ」

「ハイ、これお土産のプリンよ、裕人君に遠慮しないわよ」

天野サヤカさんを招いた自宅のリビングは、エアコンで快適な室温をキープしている。


「裕人君の部屋にテレビは無いの?」

「テレビはリビングで見るから僕の部屋にはエアコンも無いよ」


「え、熱中症に成っちゃうでしょう?」

「窓を開けて扇風機だけで昼と夜も寝られるけど、麦茶とお水しか無いけどどうする?」

カフェインを含むコーヒーと緑茶を飲まない僕の定番から訊く。


「歯の着色を気にするし、身体を冷やさない白湯さゆを頂くわ」


そうか女優やモデルは夏でも健康を気にして白湯を好むらしいが、初めて白湯と言われて驚くが、天野サヤカさんも現役のCMモデルだと気付いた。


「今すぐ白湯を用意するね、お土産のプリンを食べるでしょう?」

「お土産だから食べないよ、それに甘い物は控えているから」

食事前の僕は食べないから、お土産のプリンは全て母の胃袋に入るだろう。


「天野さん、今日の御用件は?」

「そうね、ちょっとテレビを付けて、そのテレビ局善いわ、ちょっと待って何を作っているの?」


「ハチミツを掛けたフレンチトーストだよ、天野さんは甘い物をひかえているよね?」


「裕人君が私の為に作っているなら頂くわ」

予定した僕のランチは半分以下に減った。


いつもはCMの無い局だけ視聴する僕が見ない民放局は久しぶりだ。


定刻時間で番組のオープニングから始まり司会の青柳松子さんが、

「今日のお客様は経口保水液のCMが好評の天野サヤカさんです、どうぞ宜しく」

僕の家に居る天野サヤカさんを紹介する。


え、これってどう言う事、何かで読んだ天野サヤカさんの『ドッペルゲンガー』なのか、


「何を驚いているの、これは収録よ、ちゃんと見て」

言われて気づく僕はテレビ局のシステムに慣れてないと納得する。


そして番組が進行して、司会の青柳松子さんへ、

「私、来春に高校を受験します、それまでお仕事をお休みさせて貰います」

天野サヤカさんは自分の口から、ファンを含めてお世話になった人へ伝えたいと番組出演を決めたらしい。


「天野さんはニ度目の休養ですね」

司会の松子さんは少し意地悪な口調で天野サヤカさんにいた。


「そうですね、このまま業界から身を引く可能性もゼロじゃないです」

「え、嘘でしょ、芸能事務所とかCMスポンサーの意向は?」


「なんちゃって~、真に受けないでください、小娘の冗談ですよ」

言い負けた松子さんは苦虫を噛み潰した表情を見せて、そのままCMに入った。


「お婆ちゃんお爺ちゃん、ただいま、今年もサヤカが来たよ、井戸水で冷えた西瓜は美味しいけど、これも忘れないで飲んでね」

からテレビ画面に『命助いのちたすカルシウム』の商品名が出た。


それは天野さんが出演する経口保水液のCMで、番組のスポンサーと知った。


「番組出演は大人の事情よ」

天野サヤカさんが言う大人の事情とは、CMスポンサーの意向で成り立つ民放局のさがだろう。


その他のCMが終わり番組の再開から司会の松子さんは、

「高校生に成った天野サヤカさんはやっぱりCMモデルですか?」

特に皮肉はないだろうが、その質問に番組に出演する天野サヤカさんは、


「そうですね、今後の予定は未定で白紙です、歌も踊りも演技も素人レベルですけど、何か新しいことを始めたいです」

取り様によっては引退宣言にも聞こえるが、終始笑顔の天野サヤカさんにその意思は無いと視聴者は見るだろう。


番組のエンディングでテレビの電源を切る僕へ、

「裕人君は中学バスケを引退でしょ、来年の受験まで私と一緒に勉強できるよね」

まさかそれがCMモデル休養の本心か、不安を隠せない僕は、

「一緒に受験勉強って本当なの?」

「そうよ、私の家で受験勉強の合宿しても善いわよ」


「あっはっは、なんチャって~天野サヤカさんの冗談でしょう?」


笑顔で茶化す僕は、天野サヤカさんの口角が一ミリも上がってないと気付いた。



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