第87話 笑顔の理由。

県北部の神山市かみやましは標高七百mの高地で周りを三千m級の山に囲まれた盆地。

春と秋の神山祭かみやままつりは、十数台の豪華絢爛ごうかけんらんな屋台の曳き揃えに、毎年二十万人以上の観光客が訪れる。


そして人気アニメの『氷花ひょうか』と『君の菜は。』の舞台になったことで若い人の聖地巡礼として有名になっている、らしい。


神山市総合体育館、通称『神山ビック・アリーナ』で開催される中学校バスケットボール県大会は全国中学バスケットボール大会、通称『全中ぜんちゅう』の県予選。


僕たちの灰原中学は県の南部に有り、北部の神山市へアクセスはJR特急の『ワイドビュー神山』で二時間弱、日本縦貫高速道路を使えば二時間半で到着できる。


遠方の県大会へ出場経験がないバスケ部は、社会見学で利用する地元のバス会社を予約すると想像したが、当日の朝に男子バスケ部が乗車したのは、白い車体にブルーとレッドのストライプ、英文字の筆記体で『????・リゾート』とペイントされていた。


「先生、立派な観光バスですね、午後からの第二試合に勝てば宿の予約も大丈夫ですか?」

橋本ハッシーの心配に僕もそうだと思う。


「今回はご父兄のご好意で交通費と宿泊費をご支援頂いた、という事だ」

顧問の説明では分かりにくいし、それが資産家のサポートなら、市議会議員を務める橋本ハッシーの祖父か、スーパーチェーン『内田屋』の会長、内田ウッチーのお爺さんが寄付したと想像した。


午前九時の開会式から試合開始まで、到着時間と準備運動アップの三十分を逆算して午前六時前にバスは出発した。


それでもベンチ入りメンバーの十五人と顧問の男性教師、三年生から一年生の女子マネ五人を含めて、更に二年と一年の応援部員まで五十五人を乗せた観光バス。


その最前列に顧問の先生と女子マネ五人が座席に着き、最後列に僕たち三年生の先発スターターメンバーが座った。


最寄のインターチェンジから高速道路で神山市まで二時間半、武者震いと緊張が高まる僕は、周りのチームメンバーが遠足へ行くような笑顔で談笑するのが不思議だった。


「なぁ、後藤ゴッチ、ずいぶんリラックスして楽しそうだな?」

推定身長185㎝、体重90㎏の重量級センターに訊いた僕へ、


「え、そうかな、槇原マッキーは楽しくないのか、まさかビビってないよな?」

後藤ゴッチの返事に僕だけが試合のプレッシャーを感じているのか、そこが不思議で納得できない。


橋本ハッシー、もう槇原マッキーに言ってもいいだろ?」

そう言う後藤ゴッチ橋本ハッシーは、


「そうだな、俺たちが楽しみにしているのは槇原マッキーと、俺たちには今回が中学最後の公式戦で、運良く勝って全国大会に行けても八月の末で引退だろ?」

橋本ハッシーの言う通りだけど、それが何だ?」


僕の疑問へ橋本ハッシーに代わって内田ウッチーが、


「俺たちは高校生に成ったらやりたい事が有るから中学でバスケを卒業するけど、槇原マッキーが将来NBAプレーヤーになるのを信じている、その時は友達に『中学時代の槇原裕人まきはら ひろととチームメイトだった』って自慢するし、年に一度の灰原中OB会をNBAプレーヤーに成った槇原マッキーおごりで開くんだ」


いつもはシャイな内田ウッチーが真顔で冗談か本気か、それよりも気になるのは、

内田うっちーが高校生に成ったらやりたい事って何だ?」

僕の問いに、

「俺は大学に入るまでバイトして海外旅行に行きたい」

内田ウッチーは未だ知らない世界を自分の目で見たいと言うのか、それに続いて後藤ゴッチは、

「俺もバイトして、大学に合格してから大型二輪の免許を取得して、夏休みにツーリングで北海道を回りたい」

確かに大柄な後藤ゴッチならアメリカのビッグバイクが似合いそうだ・・・


「俺は将来パティシエに成りたいから、全国の有名洋菓子店を訪ねてその味を経験したい」

林田リンダも自分の夢を語りだした。


残るのは僕の親友、小学校から今まで八年間付き合う橋本ハッシーは、

「俺は神奈川の大学に入って湘南でサーフィンを始めたい」

小さい頃から運動神経抜群で、中学から始めたバスケでもキャプテンに成った橋本ハッシーならプロサーファーを目指せると思う。


「明確な目標が有るなんて、みんな凄いなぁ」

思わず口から本音が出てしまった。


「凄いのNBAを目指す槇原マッキーの方だろう、そして槇原マッキーはOB 会で金髪美人のガールフレンド達を俺たちに紹介してくれ」


真面目で一度も冗談を聞いたことの無いSFスモールフォワード林田リンダまで調子に乗る。


「金髪美人って、全員にか?」

「そうだ、三年生全員の十三人な」


万が一でも僕がNBAプレーヤーに成れたなら、金髪美女を誘ってOB会を開こう。

「金髪美女と親しくなりたいと思うなら英語をマスターしろよ」

冗談と皮肉を込めた僕へ、


槇原マッキー、日本語の話せる巨乳美女をお願いいたします」

キャプテン橋本ハッシーのボケに全男子部員が爆笑して、更に顧問の男性教師も、

「そのOB会に俺も招待して貰えるのかな?」

「勿論ですよ先生、歓迎します」


顧問のボケと僕の相槌あいづちに、男子部員は橋本の『巨乳美女』より大きく笑った。


ただ一人、女子マネ・リーダーの吉田サユリさんは後輩の女子マネ達に、

「男ってバカでしょ、男子バスケ部と付き合うならよく考えて選びなさいよ」


これまでの流れから、これは吉田サユリさんのボケだと思う一年の男子が、

「やっぱり女将おかみさんは厳しいですね、橋本ハッシー部長」


その発言に瞬間だけ時が止まった。

後輩から密かに『女将さん』と呼ばれているとは、吉田さん本人は知らない。

「おい、誰が女将さんだ!」


それまで神山市へ向うバスに漂うなごやかな空気が寒いほど凍りついた。










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