第83話 眠れない夜は。

交通事故から人生初の入院、そして夜を迎えた僕はお腹を空かせていた。


午後四時の夕食を頂いたが、栄養師の監修でカロリー計算された塩分控えめの超薄味、更に人参とジャガイモなど根野菜の煮物と、ホウレン草のおひたしは火を通し過ぎて柔らかい、お茶碗に八割の白米だってお粥かと思うほど柔らかいのは、消化系に負担をかけない高齢の入院患者用なのか。


兎に角、今の僕は肉が食べたい、スジの硬い外国産のステーキ牛だって大歓迎する。

このままじゃ空腹で眠れないし、幸いなのは集中治療室や大部屋でなく個室に入れたこと、自分で言うのも変だが僕は小さい事も気に成る。


他人が同じ病室に居たら落ち着けないし、きっと朝まで眠れないと思う。

ただ、枕が替わると眠れないほど繊細な性格では無いが、ここは奈央ねえさんがつとめる総合病院で人が産まれたり天国に旅立つ施設、奈央ねえさんに直接訊いてないが地下には霊安室が有り、病院の裏口のスロープを通って葬儀業者が亡くなった人を迎えにくるらしい。


もしかして今この瞬間に入院患者の魂が神に召されるかも、オカルト映画の舞台に有りがちな病院施設、人より嗅覚が優れた僕は病院の玄関から病室と医療従事者、事務職員を含めて、エタノールアルコールかクレゾール消毒液の匂いがすると思う。


亡霊やゾンビなど存在しないと信じるが、不安から消灯時間まで部屋の照明を消せない。

午後九時、いつもなら喜んで眠る時間に病室のスライド扉からノックの音が聞こえて、

「槇原さん、消灯時間ですよ、部屋の照明を消しますね」

夜間シフトの看護師さんは、僕の返事を待たずに灯かりを消して扉を閉めた。


暗くなった部屋には小さな常夜灯がある、その薄暗さに眼が慣れるまでに白い壁から何か得体の知れないモノが浮き出てこないか、そんな不安に僕は神経質よりビビリと思う。


スライド扉の擦りガラス越しに廊下の照明も薄暗くなったと感じる。


その扉が静かに開き、向こう側には女性の姿がシルエットで浮かぶ、僕は恐怖で声が出ない。


「裕人君、私よ、奈央、病院食だけじゃお腹が空いたでしょう?」

勤務明けで私服に着替えた奈央ねえさんが、僕を心配してくれたのに、病院の怪談を想像して驚いた僕は恥かしくなる。


「はい、お腹が空いて眠れなくて」

奈央ねえさんは手にげたトートバッグから、ラップに包んだお握りを三つ出して、

「塩鮭とオカカに梅シソだけど、嫌いじゃないでしょ」


「塩味の食べ物は大好物です」

空腹は最大の調味料なんて失礼を言わない、本当に美味しいお握りに満足した僕は、幾つかの疑問が浮かび、


奈央ねえさんに質問しても善いですか?」

「私に分かる事なら何でも」


「事故から時間が経って肩と背中に痛みが出てきたけど、これも怪我です?」

「事故直後はアドレナリンやドーパミンで痛みを感じなくても、時間経過で痛み出す事もあるね、裕人君の場合は打撲と思うよ、医者じゃないから正式な診断は出来ないけど」


「じゃぁ、事故の瞬間に僕が受けた違和感は?」

危険が迫る真衣ちゃんを追いかけた瞬間、視覚はセピアに聴覚を失い時間の流れがスローモーションに成ったと、奈央ねえさんに尋ねた。


「私も良く知らないけど、人が絶体絶命の窮地に追い込まれると能力以上の力が出るって聞いた事は無いかな、ほら『火事場の馬鹿力』って」


「それって、僕が持つ100%以上の力で車の上を跳び越したって、その時にハムストリングと腓腹筋ひふくきんからブチブチ千切れる音が聞こえた気がしたけど」


「う~ん、正式名称が筋挫傷きんざしょうの肉離れなら痛くて歩けないよ、症状が軽くて良かったね」


足の痛みはそんなモノか、軽症なら明日に退院して直ぐにバスケが出来るだろう、そして奈央ねえさんのお握り三つできっと熟睡できるから感謝する


僕のお礼より先に奈央ねえさんは、

「入院患者に食事の差し入れは禁止されているの、しかもナースの私からなんて規則違反を犯してまで裕人君を思っての行為を理解できるよね?」


「はい、感謝します」

「だから、私を責めないで」


「え、ナニが?」

「明日に成れば判るから、笑って許して、じゃあ、ゆっくりお休みなさい」


勤務時間外に看護師が病室を訪ねて差し入れはダメなのか、奈央さんの言葉は何を意味するのか、それが分かるのは翌日になってからの僕だった。

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