第58話 ユミ先生のお願い。

松下エミさんに連れられて訪れたヘアサロン、初めての緊張で気付かなかったが僕が知る理髪店や母が利用する美容院には漫画雑誌やゴシップ女性週間誌が置かれているけど、ここには外国人モデルが表紙のファッション誌が目に留まる。

サロン内には幾人の若い女性スタッフと、白い蝶が連なるランの鉢と甘い香り。


「無理を聞いて貰ってゴメンね」

松下さんに連れられて訪ねたヘアサロンのユミ先生は、何かをお願いするらしい。


「ヒロ君、髪が伸びたよね、ユミ先生が若い男子の髪を切りたいってお願いされたの、ねえカットモデルをお願いしても良いでしょう?」


それって、無料で髪を切ってもらえるなら嫌じゃないし、元々髪型に拘りは無い僕は短髪が好きでも、月に何度も理髪店に行く時間がないから有り難い。

「短髪にお願いします、もし切り過ぎたらスポーツ刈りか丸坊主でも構わないです」

ベテランの美容師さんが失敗するとは思わないけど、特にリクエストが無い僕の気遣いに、

「悪い事をした人みたいな坊主頭はダメよ」

ユミ先生より先に口をだすエミさんはイメージの悪い坊主頭を気に入らないらしい。


勧められるチェアに座り、切った髪を避けるマントかケープを体に掛けられて、はさみを持ったユミ先生の手がシャキシャキシャキと滑らかなリズムを刻む。

「若い男の子の髪は太いし固いね、カットにもかなり力が要るわ」

耳さわりの良い音と頭皮に伝わる振動が心地良く、瞳を閉じて数秒の居眠りをした。


「ねえヒロ君、ヘアカラーを試してみない?」

何かを訊かれているが返事に遅れる僕は、

「茶髪や金髪は校則違反に成るから」

極当たり前に答える僕へ、

「え、ヒロ君って高校生か大学生じゃないの?」

ユミ先生は驚いたように言う、


「老け顔で済みません」

と答える僕へ、さらに、

「見た目と背の高さで中学生だと思わなかった、シャンプーで落ちるヘアカラーも有るから好きな色を試しましょうね?そう、いま流行はやりのアズキ色はどう?」


ユミ先生は僕が中学生でもヘアカラーを勧めたいらしい。

シャンプーで洗えば落ちるカラーなら、エミさんの彼氏の振りをする僕は素直に従うべきか、今日と明日の土日は両親も不在で小言を言う人も居ないはず。


「じゃぁアズキ色でお願いします、これもカットモデルの込みですか?」

「お代は心配しないで」

僕とユミ先生のやり取りに彼女役のエミさんは黙っているなら反対じゃないらしい。


それでも話し過ぎるとニセ恋のボロが出ると思い、なるべく無口を演じる僕へ、

「ねぇ、ヒロ君がエミちゃんに告白して交際になったの?」

ユミ先生の尋問に近い問いに、ニセ恋の依頼に馴初めの設定は無く、僕はマジで返事に困った。


「ユミ先生、ヒロ君はシャイなんだから、その質問は困るわ、今日ここに連れてくるだけでも苦労したんだから、ヒロ君と付き合う切欠は私から告白したの、もう質問はこれで良いでしょう?」

エミさんの助け舟に救われた僕は心の中でホッと安堵した。


「ヒロ君ごめんね、自分の娘のように可愛いエミちゃんを大切にしてね」

どれ程の時間が流れたのだろう、ヘアカラーの時間が終わり、下を向いて洗髪する理髪店と違い、女性用のヘアサロンでは、顔に薄い紙を掛けて上を向いて髪を洗う事も始めて知った。

ドライヤーで乾かして髪型を整えられ、初めて正面の大鏡を見た。


「それほど短くカットしてないけど、トップが立ってソフト・モヒカンに成っちゃった」

アニメで見るアズキ色のスパー野菜人みたいな僕の頭、ソフトモヒカンって、なんですか?・・・


「とても好いわ、ヒロ君が凄く強そうに見える、髪が起って身長2メートルよ」

あまり嬉しくない誉め言葉に苦笑いで答えて、ユミ先生のサロンを出た。


これでエミさんから解放されると少し油断した僕へ、


「ねえ、ヒロ君は私の印象をどう思う?」

誰にも優しく学年一の人気者で、モデルの天野サヤカを除けば一番可愛く成績優秀で先生の評価も高い。スポーツも得意で文武両道、非の打ち所が無い完璧女子だと思う僕は、それをそのまま伝えると、


「それって、両親も含めて回りから期待されているから、私なりの努力と言うか本心を隠して無理しているの、ユミ先生から彼氏に会わせてとか、お買い物で女性スタッフに勧められると断れないとか、良い子を演じているけど・・・」


僕のように他人に無関心なら、そんな気苦労もないだろうが、それはエミさんの個性と言うか性格の問題だろう・・・


「エミさんは人の事なんか気にしなくて良いのに」

「じゃぁ、ヒロ君には本音で言っても良いのね?」

実害が無ければ愚痴の一つや二つを聞かされても平気だよ、そんな感じで。


「僕で良ければ」

「やったぁ、それじゃ、これから901に行って私が『この服どっちが良いと思う?』って訊いたら『両方とも今一だから』って反対して」


洋服を薦めるスタッフに断る役を求めるのか、他人の意見に従わない僕に楽勝だよ・・・

今回は役どころが明確に決まっていて、ヘアサロンみたいな焦りは無いないだろう。

二月の中旬には冬物最終バーゲンより、淡いパステルカラーの春物が店頭を飾る。


残り僅かの冬服は50%オフの50%オフ、定価から75%オフの最終価格でエミさんを誘う。

「これシーズン初めに欲しかったダウンコート、黒とキャメルのどちらが私に似合うかな?」


「お客様の様な女性にはどちらもお似合いですよ」

エミさんは中学生でも元々の美少女がお化粧して大人びて見えるし、アズキ色の髪が起つ大男の僕と一緒なら尚更に可愛く見える、そしてスタッフのセールストークも不快に感じない。


「ねぇ、ヒロ君、どっちが私に似合うかな?」

これは女性スタッフへ断るサインと思い、

「そうだね、これを買っても次の冬に着るつもりなの?、やめた方が善いと僕は思う」

「彼が反対するから買わないわ、お姉さんごめんなさい」

そんなやり取りで幾つかのアパレルショップを後にして、最後にお洒落なブティックを訪れた。


「これ素敵よね、どうしよう?」

エミさんが言う春の新作は首周りから肩まで開いた胸を強調するニットに、太股があらわなショートパンツのジーンズ。


「そんなの着たら春でも寒くて風邪を引くよ」

ここでも迷うエミさんへ約束どおり僕は反対する彼氏を演じる。


「本当にこれだけは買いたい、一生のお願いだから」

台本に無い台詞に戸惑いながら、

「そこまで言うなら買っても善いけど、後悔しないでよ」

結局の所、最後のお店で買い物を済ましたエミさんを僕は家まで送り届ければ、今日の任務は終了と思った。






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