思春期(2)
「はい、それでは今日お話しいただく、竹中トミ子さんです」
学年主任が紹介し、三人はあんぐりと口を開けた。車いすを押されて入室したのは、まぎれもなくトミ婆だったからである。
この視聴覚室には、長机が大量に並べられ、二年生全員が一脚に三人ずつ座っている。座る場所はあらかじめ指定されていたのだが、何の因果か、キヨヒコ、ツトム、ミサは、同じ机に座ることになっていた。ちょうど教室の中心にある席であり、否が応でもトミ婆の視線を感じる。
トミ婆は車いすを押してくれた職員にお礼を言うと、マイクを受け取った。
「ああ、皆さんどうも、ご紹介にあずかりました竹中と申します」
三人の聞いたことのない、丁寧な物腰である。ツトムが「トミ婆、猫被ってやがる」とささやいた。
「私はこの地域で、ずっと駄菓子屋を営んでおりました。もう店はやめてしまったんですけれども、もしかしたらこの中にも、もっと小さなころにお会いした方がみえるかもしれませんね」
言いながら、トミ婆は三人の方を見てにやりと笑う。
「駄菓子屋とは別に、とある神社で巫女をやっていた時期もありました。と言っても、ババアの巫女姿を想像しないでくださいよ。これでも若いころがあったんですから」
生徒の間から、かすかに笑い声が漏れた。少しではあるが、場が和らいでいるようだ。
「今日はその神社のことや、駄菓子屋のあった下町のことを中心にお話しできたらと思っております。それと、神社に勤めていますとね、やはり不思議な出来事にも時々遭遇しましてね。そういった、硬くない話も含めようと思いますので、どうぞ一時間足らずですが、よろしくお願いいたします」
結果から言えば、トミ婆の講義は大好評だった。神社の歴史や、下町の成り立ちなどは要点だけをかいつまみ、合間合間に昔流行った都市伝説だの、神社で起こった不思議な話だの、下町に住む人々の濃すぎるキャラクターだの、そういったエピソードや小話をふんだんに盛り込んでいる。高校生のハートをつかむには十分だった。
話の最後に、トミ婆はこう言った。
「長話に付き合ってくれてありがとう。皆さんが少しでも、この地域を好いてくれたらうれしいです。それと最後に、私の駄菓子屋には、昔、常連がいましてね。毎日のように来ては、もんじゃのせんべいを食い散らかしていったんですよ」
そして、三人の席を指さした。
「そこに座っているクソガキ三人。ツトム、キヨヒコ、ミサ。この後、車いすを押すのを手伝いな。先生方の手を煩わせるんじゃないよ」
学年の全生徒がこちらを見て笑う。どう反応してよいのか分からずキヨヒコはうつむき、ミサは苦笑い、ツトムだけが「うっす」と返事をした。
結局、ツトムが車いすを押し、脇をミサとキヨヒコが歩く形で、校長室まで案内することになった。先生たちはそのあとをぞろぞろと付いてくる。教室に戻る生徒たちが、興味深そうにこちらに視線を送っていた。
「ちょっとトミ婆、先週行ったときに、何も言ってなかったじゃん」
ミサが言うと、トミ婆はいじわるく「聞かれなかったから言わなかっただけ」と答える。
「その程度も見抜けないなんて、あんたらの洞察力もまだまだだね」
「それにしてもびっくりしたって。心臓に悪い」
ツトムの言葉にトミ婆が笑う。
「何言ってんだい。そんな体格して気の弱いこと。いがぐり頭のくせに」
「誰がいがぐりじゃあっ」
「キヨヒコはあれだね、うすうす思っていたけど、もっと社交性を磨くべきだね」
突然の歯に衣着せぬ物言いに、キヨヒコはぎくりとする。
「指さされて下向いているようじゃ、先が思いやられる」
「ええ、厳しい…」
トミ婆と三人のやりとりを、教師たちは「付き合いの長いお年寄りとのハートフルなコミュニケーション」と受け止めたようだった。斜め上の誉め言葉を周囲から受けながら、校長室の前で三人はトミ婆と別れる。
別れる直前、トミ婆は三人にだけ聞こえるようにささやいた。
「もうしばらく校長室にいるからね、何かあったら呼びなさい」
三人は表情を引き締めた。トミ婆が「何かあったら」と言うときは、おそらく何かが起こる。だからこそ、トミ婆はこの講義を引き受けたのかもしれない。
教室に引き返しながら、三人はこそこそ相談する。
「これからここで、何か起こるってことか?」
「分からない。少なくとも、僕はまだ何も探知できてないけど」
「キヨヒコに探知ができないなら、俺には無理だな。とりあえず、キヨヒコは俯瞰視で様子を探ってみてくれ」
「分かった」
トミ婆を校長室まで送っていたため、休憩時間は残りわずかだ。授業が始まってしまう前に、少しでも情報を共有できた方がいい。キヨヒコは意識を集中した。
キヨヒコの脳裏に、校舎と校庭の俯瞰図が現れる。一昔前のテレビゲームのような、ドット絵を彷彿とさせる光景だ。まだ明瞭なイメージを構成するまでには至っていない。校舎の中で、オレンジの光がいくつも点滅し、密集や移動を繰り返している。校舎内にいる人間が、このように浮かび上がるのだ。
キヨヒコは、青い渦を探す。霊的なものは、いつもそのかたちだった。微弱な青い渦は、校舎の中にいくつか点在している。理科準備室の人体模型、三階のはずれにある女子トイレの花子さん、校庭の二宮金次郎像。どれも、入学してから三人で確認し、対処してきたものだ。花子と二宮金次郎は、もとから悪さをできないほどに弱体化していたため、少し呪を振りかけるだけで簡単に抑え込めた。人体模型に至っては、害を及ぼすどころか、むしろ学校の守り神になりそうな気配すらあったため、封印の必要がなかった。
青い渦が見つからないため、校舎を各階ごとに切り分けてイメージする。これで少しは見やすくなる。
一階に、何かを見つけた。青い渦には違いないが、色は極めて冷たく、白に近い。外から来たというよりも、地面の中から湧き上がってきたようにも見えた。ただただ、禍々しいものであるということだけが分かった。それは、目的をもって動いているように思える。
「一階にいた。何かは分からないけど、たぶん、やばいやつ。もうすぐ一階を素通りして、二階に上がってくる」
ここの校舎は、一階に一年生、二階に二年生、三階に三年生という配置になっている。特別教室は、一階に被覆室と調理室、二階に理科室と理科準備室、三階にコンピュータ室と生徒会室だ。職員室や給食室、音楽室などは別棟にある。校長室があるのもそちらの別棟だ。
「ちらっと、見てみるか」
ツトムが教室から顔を出し、廊下を覗く。
「出てくるとしたら、どのへんだ?」
「ちょうど、ツトムが今見てる廊下のど真ん中かな」
ツトムの肩が跳ねた。
「マジかよ…」
放心したようなつぶやきを聞き、ミサとキヨヒコも廊下を覗き込む。
授業がもうすぐに始まることもあり、廊下に人の姿はない。その真ん中に、何かが立っているのが見えた。はっきりとは見えないが、男のようだ。髪はなく、肌はどこか軟体動物のような質感をしている。目と鼻と口のある場所には、黒々とした穴が開いていた。もやがかかったような黒い胴は長く、頭が天井につっかえてしまっている。だからなのか、首を不自然に折り曲げていた。手足も不自然なほどに長く伸び、ゆっくりと踊っているような動きを繰り返していた。
目が合う前にと、三人は首を引っ込めた。見てわかるほどに、全員が汗をかいている。
「あれはやべぇ。俺らじゃきつい」
「トミ婆を呼ばないと」
ミサが言うと、ツトムはかぶりをふった。
「どうやって? 別棟に行くには、どうやったってあいつの目の前を通らなきゃいけねぇ。でも、俺たちみたいな霊力の強いやつが姿をさらすのは、逆に刺激することになるだろう」
それについては、キヨヒコも同感だった。見えない人間が近くを通っても、問題になることは少ない。性急に目立つ動きはしない方がよかった。
「それなら、とにかく私は授業中にこっそりお札を用意してみる。無いよりはいいでしょ」
ミサの言葉に、ツトムとキヨヒコはうなずく。
「うまいことに、俺の席は廊下側だ。もし何かが起こるようなことがあれば、足止めできる」
「僕も、モニターし続けてみるよ。何か動きがあれば、二人に合図するから」
チャイムが鳴った。教室に担当教員がやってきて、現国の授業が始まる。三人はそれぞれの席につき、キヨヒコは俯瞰視を、ツトムは廊下の監視を、ミサはお札の作成を始める。
五分ほどが、何事もなく過ぎた。
ツトムが一回、軽く咳払いする。キヨヒコは、将棋の駒を置く要領で、机に定規をぱちりと置く。ミサは、筆ペンの尻を机に軽くぶつける。「異常なし」の合図だった。これらは三人が中学生のころに編み出した方法で、十分、できれば五分おきに、現状を伝え合う。音を立てるのが一回ならば「異常なし」、二回ならば「異常あり。意識を伸ばして確認せよ」、三回ならば「戦闘態勢を作れ」。
授業開始から十分経過、キヨヒコの俯瞰図に異変が起こった。青白い渦が少しだけ揺らいだのだ。これほど俯瞰視を続けているのは初めてだったので、最初は集中が途切れかけているのかと思った。念のため、と思い、定規を手に取る。
また渦が揺らいだ。キヨヒコは動きを止める。ドット絵のようなイメージの中で、その渦だけが生々しく動いている。廊下にいる男の顔が浮かんだ。タコのような、ぐにゃぐにゃとした頭。目も鼻も口も穴が開いているだけだ。その口が、笑うようにべろりとゆがんだ。弾けるような敵意を感じた。
「――来る」
キヨヒコは定規を三回、机にたたきつけた。
教師や周りの生徒がいぶかし気にキヨヒコの方を見る。しかし、構っていられなかった。廊下の男は、一直線にこの教室へ向かっている。
ツトムが勢いよく立ち上がり、教室後方の扉を閉めた。教室の前方に座っていたミサも立って駆け出し、もう一方の扉を閉める。その手には、略式のお札が握られている。
「え」
「何これ?」
生徒がざわめき始めた。窓の外も、教室の扉の外も、突如として真っ暗になったからだ。停電とも夕立とも違う。トンネルに入ったかのように、真っ暗な闇だけがある。
「全員動くなっ」
ツトムの怒号に、教室内が一気に静まり返った。
「頼む、みんな、静かに聞いてくれ。絶対しゃべるなよ。まずは、廊下側の人、できるだけこの教室の真ん中に移動してくれ」
ツトムが仕切っている間に、ミサは教室前方・後方の扉にお札を貼り付けた。キヨヒコは、俯瞰図をイメージし直し始める。
「次に窓側の人も、真ん中に。先生も」
一番落ち着きを欠いているのは教師のようだった。一般常識に凝り固まっている分、こういった非常時にパニックしてしまうのだ。静かにしろと言われたにも関わらず、「これはどういうことだ、早く説明せんか」などと言っている。ツトムはそのすべてを無視した。
「キヨヒコ、あいつは今どうなってる?」
ツトムの声に、キヨヒコは目を閉じたまま答えた。
「近くにいるよ。でも中には入れないみたいだ。ミサのお札が効いてる。それよりも、この教室だけ切り取られたみたいだ」
「切り取られた?」
「この教室以外、俯瞰図が出てこない。この教室しかイメージできないんだ」
ツトムとミサが視線を交わす。そんなことは三人も経験したことがなかった。しかし、ここが異次元であれ、異世界であれ、この教室だけが隔離されてしまったのは動かしがたい事実のように思えた。
「私たちが、逆封印されたようなものかしらね」
ミサが苦笑いする。
突然、前方の扉が大きな音を立てた。何かが突進したようだ。生徒たちが悲鳴を上げた。
「あいつが動き始めた。侵入するつもりだ」
キヨヒコが言う。
ミサがマジックペンを取りだした。
「魔法陣を書くわ。ねえ、誰かトミ婆と交信できないの?」
「俺たちは、テレパシー的な力はからっきしだったからな」
三人とも、脳内の会話をうまくできたためしがなかった。トミ婆は「便利なのにねぇ」と残念がっていたが、どうも三人ともベクトルが違っていたらしい。
ミサは生徒たちの周囲をぐるりと囲むように円を描いた。フリーハンドとは思えぬほど、整った円だ。外側に円を描いて二重にし、周囲に呪文を記していく。
侵入に備え、ツトムは印を結び、全員をかばうように立ちはだかる。
キヨヒコには、赤い光と、それに向かって体当たりする青白い渦が見えていた。赤い光は、ミサの書いたお札から発せられている。赤い光は、体当たりのたびに、急速に弱まっていった。
「もうもたない。入って来るよ」
キヨヒコが言うと同時に、お札が壊れた。破れたというよりも、破裂したと言った方がふさわしい。そして、扉ががらりと開いた。
扉の向こうには、闇が黒々と溢れていた。そこから、異様に長い腕が伸びる。
悲鳴が上がった。
「解夏の五月雨!」
ツトムの声が響き、腕の動きがぴたりと止まる。しばらくして、探るように、腕はまたそろそろと動き始める。
「ツトムのバカ、こんなやばいときにかっこつけてどうすんのよ! そこは『うんにょろ』でしょうが!」
ミサに叱られ、ツトムは「ごめんって」とつぶやく。
キヨヒコは、何とかしてトミ婆とやりとりできないものかと、校舎の残りの部分をイメージ化しようとしていた。しかし、どれだけやっても、ドット絵がパズルのように剥がれ落ちてしまい、校舎の形を作れない。
ブツリ、と音がして、放送が入った。それに反応したかのように、長い腕の動きも止まる。
『あ、あー、皆さん、聞こえるかい?』
トミ婆の声である。ツトムが、「あの婆さん、やっぱりすげぇな」と苦笑いした。
『そのお化けは、なかなかに手ごわいもんだ。ツトムとキヨヒコとミサには、ちょっと手に負えないね』
「分かっとるわい!」
ツトムが吠え、ミサが「ちょっと黙って」とたしなめた。
『私がそこへ行けると一番いいんだが、ちょっとそれも難しそうだ。だから、代わりに味方を送り込んであげる。そいつに頼りなさい』
ミサが「味方って?」とキヨヒコに視線を送る。キヨヒコは、分からない、と首を振るしかない。
『巻き込まれた生徒の皆さん、かわいそうにね。でも、ツトムとキヨヒコとミサがいなかったら、全員死んでたよ。悪いけど、三人の邪魔だけはしないように』
それだけ言って、放送はブツリと切れた。同時に、闇から伸びる腕も、活動を再開する。
ずるり、とタコのような頭も教室の中に入ってきた。
「うんにょろかっかそわか!」
ツトムが唱え、そいつが少しだけたじろぐ。足止めにはなっているようだ。
トミ婆の放送に効果があったのか、生徒たちは大人しく魔法陣の中にいる。教師は意識を手放したらしく、魔法陣の隅に寝かされていた。
「あっ」
キヨヒコが声を上げ、「どうした?」とツトムが振り向かずに声をかけた。
「理科室と理科準備室が復活してる」
「嘘だろ? それが味方?」
ミサとキヨヒコは顔を見合わせる。ミサは大きく瞬きした。
「もしかして、人体模型?」
守り神と化しかけていた人体模型は、たしかに理科準備室にある。その力を借りろと言うのだろうか。
しかし、問題が一つあった。
「でもよぉ、理科準備室行くには…」
「うん、あいつの後ろを通らなきゃいけない」
霊は教室前方の扉から入ろうとしている。教室後方の扉から出て、霊の後ろを走り抜けた先が理科準備室である。
「ミサは、魔法陣でみんなを守ってやってくれ。お札をもっと用意すれば、最悪の事態になっても時間を稼げるだろう」
ツトムの指示に、ミサは「任せて」とうなずいた。
「キヨヒコ、人体模型を頼めるか? 俺があいつを引き付けるから」
キヨヒコも「分かった」と返す。
「いいか、合図したら飛び出せよ。扉は閉めなくてもいいからな。一回、あえてあいつを中に入れたうえで、動きを止める」
キヨヒコはじりじりと教室後方の扉へ向かう。幸い、廊下の男は教室に入ることに躍起になっていて、気に留めていないようだ。
キヨヒコが扉の横についたことを確認し、ツトムは印を少し緩めた。
途端に、獣を思わせる吠え声を発して、男が長い手足をくねらせながら、教室に踊り入る。
「行け!」
ツトムの声で、キヨヒコは闇の中に飛び出した。黒いもやで覆われた廊下を走り抜ける。
横から吠え声が聞こえた。男に気付かれたようだ。
「うんにょろかっかそわか!」
ツトムが男を引き留めているらしい。
教室内から長い腕が伸び、それが髪をかすめた。しかし、それ以上腕は追ってこない。
理科準備室の扉は廊下に面しているが、常に鍵がかかっている。しかし、理科室の中にも準備室へ通じるドアがあり、そこは基本的に未施錠だった。
キヨヒコは理科室へ飛び込み、ドアノブをつかむ。案の定、扉は開き、キヨヒコは準備室へ至ることができた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。