思春期(1)
夏になると日が長い。時刻はすでに十八時を過ぎているが、陽の暮れる気配はない。じっとりとした汗をカッターシャツの下に感じながら、キヨヒコは自転車置き場へ向かう。
「キヨ、一緒に帰ろう?」
声に振り向くと、ミサが立っている。彼女はテニスラケットを持ち、まだスコート姿だった。
「いいけど」
「やった。すぐ着替えてくるから、待ってて」
言うが早いか、部室へグラウンドの隅にある部室棟へ駆けていく。厳しい練習メニューをこなした後だというのに、なぜまだ走れるのだろうとキヨヒコは不思議に思う。
キヨヒコ自身は将棋部に所属している。昨年四月の部活動体験では、部員も似た者同士で、穏やかに過ごしているのが気に入り、入部した。毎日十七時前には帰ることができる、非体育会系な活動を謳歌していたのだが、今年度からそうもいかなくなった。転任してきた校長が、大の将棋好きだったのである。会議や書類仕事の合間を縫っては将棋部の部室へ顔を出し、対局していく。顔すら見せないことの多かった顧問も、校長が来るとあって、入り浸って檄を飛ばすようになった。それで、この時間なのである。
「あれキヨヒコ、誰か待ってるのか?」
よく話しかけられる日だ。顔を見なくても誰だかすぐに分かる。「駄菓子屋除霊組」は、三人そろって、地元のこの高校へ進学していた。
「ミサが一緒に帰ろうって。ツトムもそうしようよ」
真っ黒に日焼けしたツトムは目を見開いた。頭にタオルを巻いているのが、やたらと似合っている。
「おや、お熱いこって。俺がいると邪魔になっちゃうな」
「違うって」
ツトムはげらげらと笑う。相変わらず声が大きい。
「最近、帰りが遅いじゃねえか。今日も校長さんが来たのか?」
「そう、『会議が早く終わっちゃったからねえ』って。それで、対局に二時間つかまった」
「二時間って、すげえな。校長相手にそこまで闘えるキヨヒコもすげえ。あの人、初段か何かだろ?」
「連日、鍛えられてるからね」
話していると、ミサが戻ってきた。ツトムを見て目を丸くする。
「え、なんでいるの?」
「またまた、うれしいくせに」
「何を言ってるの。ムキムキすぎて、私の好みにほど遠いわ」
ミサはツトムの腕を叩く。野球部で鍛えられている二の腕は、キヨヒコの太ももほどもある。見るたびに、キヨヒコは自分の貧弱さを実感する。
「本当にうらやましいね。さすがピッチャー」
「いや、まだ先輩には敵わない」
「そのうちエースになるよ」
話している間に、陽が傾いてきた。自転車置き場も、生徒でごった返してくる。
「ねえ、そろそろ行かない? 特別にツトムも同行を認めるから」
「ありがたき幸せ」
三人とも、自転車を用意し始める。キヨヒコがバッグをひもで括り付けていると、いつの間に来たのか、ミサが肩をつついた。そのまま、後方を指さす。見てみると、ツトムが二人の女子生徒に話しかけられていた。
切れ切れに「先輩」という言葉が聞こえる。二人とも、どうやら下級生のようだ。黒髪をショートにした、いかにもおとなしそうな女の子と、それに付き添っているポニーテールの女の子。大方、奥手な女の子が友人に励まされて、話しかけに来たというところだろう。
ツトムは、普段のにこやかな顔をゆがめ、ぎこちなく二言三言対応してから、振り切るようにこちらにやってきた。
「よし、帰ろうぜ」
「モテる男はつらいね」
「なんのこっちゃ」
三人で自転車をこぎながら、先ほどの女子生徒の話をする。
「結局、あの二人は何をしたかったの?」
ミサが尋ねると、ツトムは苦笑いする。
「メールアドレスを教えてくれと。でも、携帯忘れたことにして断った」
「えー、もったいない。結構かわいい子たちだったじゃん」
「ばかお前、前のヤンデレ事件を忘れたか」
ヤンデレ事件とは、昨年度、ツトムがメールアドレスを教えた女子がいわゆる「ヤンデレ」だったことから起きた一連の事件である。彼女はツトムに昼夜を問わず連絡し、返信しないと、人目もはばからず学校で泣きじゃくりながら詰め寄る、ということを繰り返した。もちろん、二人は恋人でも友人でもなく、ただのクラスメイトである。彼女のその傾向は中学時代からのものであるらしく、生徒たちのみならず教員も把握していた。彼女の思い人にはブームがあるらしく、二か月も経つとツトムは解放され、別のイケメン男子が標的となっていた。それ以来、ツトムは重度の女性恐怖症なのだ。まともに話ができるのは、ミサだけという状況である。
「それよりもさ、ミサはどうなのよ? 今年の大会」
「ああ、テニスの方はほぼ趣味だし、勝ち進めそうにないよ。でも、書道のコンクールは、自信ありかな」
ミサはテニス部と書道部を兼部している。特に書道部では才覚を発揮し、一年生のころから多くの賞をとってきた。学年や性別を問わず校内でも有数の人気者だが、彼女自身はどこかのグループに属すことなく、ツトムやキヨヒコと一緒にいることを好んだ。
「さすがだね。そういえば、校長さんもこの前ほめてたよ」
「え、本当?」
「対局のときに、なんとなくミサの話になってね。『才媛という言葉はあの子のためにあるようなものだ』とかなんとか言ってた」
「サイエンって?」
「才能のある女性のこと」
ミサはまんざらでもなさそうに「ええ、そうかなぁ」と笑った。
「でも、キヨには勝てないよ。この前の模試もすごかったんでしょ?」
「いや、僕より上なんていくらでもいるよ」
「いいなあ、俺なんて下から数えた方が早い」
体格のいい野球部のツトム、才女で人気者のミサ、物静かなキヨヒコがつるんでいるのを、周囲は不思議がっている。しかし、三人からすれば、それはずっと昔からのことであり、周囲の反応にも慣れっこだった。
「そういえばさ、最近トミ婆に会ってる?」
ツトムが言う。トミ婆とは、駄菓子屋のおばあさんのことである。本名がトミ子であることから、三人はいつしかトミ婆と呼ぶようになった。
「私、先週顔出したよ。元気そうだった」
駄菓子屋は三年前に閉店した。トミ婆の足腰が本格的に悪くなったためだ。しかし、車いすを使うようになっただけで、トミ婆は至って元気、減らず口もそのままだ。
「おお、それなら安心だ。俺、最近部活が忙しくて行けてないんだよな。キヨヒコは?」
「僕は先月かな。そろそろ顔出したいな、と思ってたところ」
「じゃあ、今週末でも行くか」
「わかった」
小学四年生の一件から、もう七年以上が経過している。その間、三人は駄菓子屋除霊組として、多くの悪霊を祓ってきた。もちろん、周囲には秘密である。
年に数回、トミ婆がどこからか依頼を引き受けてきて、三人が駆り出される。基本的に三人は「足止め」や「おとり」を担当し、最終的に除霊するのはトミ婆だ。
「トミ婆に会ったら、新しい封魔の呪を教えてやらなきゃ」
「え、また作ったの?」
ミサが目を丸くする。ツトムは近頃、封魔の呪を開発することにはまっているのだ。
「おうよ、いつまでも『うんにょろ』じゃ様にならないからな」
「前の呪って何だっけ? 『天竜なんとか返し!』みたいな。中二病の」
「誰が中二病じゃい。前のは『天竜暗雲返し』。威力としては、『天竜』が『うんにょろ』の半分」
「『うんにょろ』の方が強いの? 初耳だわ」
ミサは理解に苦しんでいるようだ。ツトム曰く、言霊を込めやすい響きや語順があるらしく、様々な文字列を口に出して確認しながら、効果的な呪を練っていくそうだ。一人、部屋でそんな作業にいそしんでいることを想像すると、どこか心配になる。
「今回は、『解夏の五月雨』。聞いて驚け、『うんにょろ』の四分の三ほどの威力があるぞ」
「だから、『うんにょろ』の方が強いじゃん」
ミサのツッコミが鋭く決まる。キヨヒコは聞きながら笑った。
「笑ってるお前はどうなんだよ? 最近、なんかやってるか?」
悔しかったのか、ツトムがキヨヒコに話を振る。キヨヒコは少し考える。
「だいぶ前に、トミ婆に教えてもらった『俯瞰視』は覚えてる? 中学時代はうまく習得できなかったけど、最近もう一回挑戦してる」
「え、あの、あれか? 建物とか敷地の中で、霊や瘴気の位置を俯瞰できるあれか? 三人そろってギブアップしたあれか? 何お前、そんな難しいことやってんの?」
「だいぶできるようになったよ。自分のマンションとか、学校とか、ある程度構造の分かっているところなら」
「ま、マジかよ…」
ツトムが絶句する。
「うわー、さすがね。典型的なコツコツ努力型ってかんじ」
「ミサ、お前はどうなんだよ? なんかやってんのか?」
「ふふん、私はお札をほとんど極めちゃってるからね。今はあれに手を出してるの、魔法陣」
「魔法陣?」
「うん、まだレパートリーは少ないんだけど、大人数を霊障から守るにはもってこいよ」
ミサの能力は悪霊を封じたり、人を守ったりする方向に特化している。お札や魔法陣のような道具は、彼女の専売特許だ。トミ婆も舌を巻くほどである。
ツトムは、悪霊と対面して足止めすることに、自分の役割を見出している。使う呪文そのものはそれほど高度なものではないが、霊力が無尽蔵らしく、どれだけ闘ってもエネルギーが枯渇しない。
キヨヒコは、攻撃も防御も不得意である一方で、霊の存在や特性を察知することに長けている。加えて、瘴気のもとをたどり、霊障を引き起こしている原因を突き止めるのも彼の役目だった。
「なーんか、二人ともすげえな」
「何言ってんの、ツトムがいないと除霊できないんだからね」
「そうそう」
ミサの言葉に、キヨヒコも相槌をうつ。誰か一人でも欠けていれば、除霊組は成立しなかっただろう。
「明日は何だっけ? 学年で行事があった気がするけど」
照れ隠しなのか、ツトムが話題を変える。
「行事ってほどでもないと思うけど、地域のお年寄りの話を聞く会がある」
キヨヒコが言うと、ツトムは露骨にげんなりとした表情を浮かべた。
「あれか、地域の文化を受け継ぐってやつか。いいよぉ、俺はもうトミ婆の昔話だけで十分だよ」
「でも何が聞けるのかな。書道とか神社の話、聞けないかな」
ミサはまんざらでもなさそうだ。
三人は、他愛のない話をつづけながら、帰路をたどる。空は陰り始め、どこかでセミが鳴いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。