泡沫の時間
オウヅキ
第1話 泡沫の時間
時間
「こんにちは」
ちいさな子供が無邪気に声をかけてくる。
これで何度目だろうか。
「ねえ、聞いてよ」
学生になった彼女は友人関係の相談や惚気話をしてくる。私が適当に相槌をうつと、ちゃんと聞いてよー、と不貞腐れる。
「久しぶりね」
小さな子供だった彼女は、いまでは立派な大人になった。
子どもがお腹の中にいるんだ。
彼女はそう嬉しそうに話す。
「元気にしてる?」
子供が巣立って今は仕事をしつつ、のんびりまったり暮らしているそう。
少し白髪やシワが目立ってきている。
「最後に貴方に会えて良かった」
彼女はそう笑う。もう長くないらしい。
最近は病院にずっといたのだそう。久しぶりに彼女の話に耳を傾ける。
「じゃあね」
そう言って彼女は立ち去る。もう二度と会うことはないだろう。
「泣いているの?」
声をかけられて振り向くと、幼さが残る顔をした娘がいた。
「泣いてる?馬鹿いえ。なんで私が泣く必要がある?」
「理由は分からないけど、私には泣いてるように見えるよ? 何かあったの?」
はい、とハンカチーフを差し出してくる彼女をまじまじと見る。
「私のことが怖くないのか? そなた、ものを知らぬ年ではないだろう」
私の言葉に何を思ったのか、娘は笑う。
「……何がおかしい?」
「いや、だって言葉がびっくりするぐらい古風だから。さっきも、ん? って思ったけど、そなたとか話し方とかいつの時代?」
ごめんごめんと言いながら、娘は無理矢理私にハンカチーフを押し付ける。
「貴方、人魚さん?」
笑いがおさまったらしい娘の一言に短くそうだ、とだけ答える。
「ふーん。別に怖いとは思わないな。本当にいるんだ、ってびっくりはしてるけど。貴方名前は?」
「知らぬ。忘れた」
「じゃあ私が名前つけてあげようか?」
「いらぬ」
強く拒絶する私に少し驚いたのか、娘は軽く目を開き、ゆっくりとまばたきをする。
「何かあったの?」
「何故そなたに話す必要がある?」
私の返答に娘はしばし黙る。娘の目に、少しめんどくさいという感情が湧いてくるのが分かった。
「他の人に話せば楽になったりするでしょ?そりゃあまあ、話したくないことは誰にでもあるだろうけどさ」
もし話せるなら話してよ。
そう言ってくる娘に対し、何故か既視感を覚える。真っ直ぐな目で見てくる娘に耐えきれず、ため息をついて話す。
「……今までに何回も名付けてもらったことはあるんだ。けれど、何回名前をつけてもらっても、いつのまにか忘れている。だから無意味なんだよ。私に名前をつけても」
それを聞いて娘は無表情になり、そのままぽつりと呟く。
「美優」
え? と口からもれる。
「今、なんて……?」
美優、その名前は、
「おばあちゃんが、私が小さい頃に話してくれたんだ。人魚と友人だって。
名前もつけたって。小さい頃になんとなくみゆうって名付けて、後で美しいと優しいという漢字を当てはめたって聞いた。美しくて優しい人魚。小さい頃の名付けは大正解だったって
言ってたよ」
「そなた、優子の……?」
「孫だよ。にしてもひどくない?友人の孫なんだからちゃんと気づいてよ。それに名前つけても無意味っておばあちゃんの立場どうなるの」
むう、と頬を膨らますその様子は、優子とよく似ていて。
「あれ、また泣いてる」
ぼろぼろと涙が溢れて止まらない。
「ねえ美優、おばあちゃんのこと好き?」
首を傾げて可愛く尋ねる娘を前に、本心を隠すのはもう無理だった。
「好きだった。純粋で優しくて元気いっぱいで、少し我儘で」
でもどれだけ大切に思っても人間だから、皆私より先に逝ってしまう。優子も、その前に関わった人間たちも。
「よしよし」
娘はなにを思ったのか私の頭を撫でる。
「何をする?」
「悲しい時におばあちゃんがよくやってくれたの。美優はやってもらったことないの?」
「そういえば優子が小さい時に一度だけ」
優子の前の友人が亡くなった日の夕方、優子はここにやってきた。迷子になってたどり着いたらしい。
優子は自分が迷子になって怖くて大声で泣いているにも関わらず、泣きそうになっていた私の頭を撫で、大丈夫か聞いてきた。
あの時は何をしているのか不思議だったが、あれは私を慰めようとしていたのか。
「ねえ美優。おばあちゃんはまだ生きているよ」
突然何を言い出すのか。私は娘を見つめる。そういうことに対して、私のかんは外れたことがない。優子は死んでいる。確実に。
娘は私の心を読んだかのように頷く。
「そうだね。でもさ、人って誰かがその人のことを覚えている限りは本当の意味では死なないんだよ。だからさ、美優が生きて今まで出会ってきた人たちのことを覚えている限り、その人たちは死なない。美優は何人もの人を生かしているんだよ」
その言葉は私の心を少し軽くする。私が長く生きている意味もあるのだろうか。
一人一人のことをはっきりと覚えているわけではない。けれど少しでも覚えていて、それが皆を生かすことに繋がっているなら……。
「だが、何故そのようなことをわざわざ?」
「おばあちゃん心配してたの。美優のこと。一見冷たそうに見えるけど、でも本当は心優しい人魚だから、私が亡くなった後どうなるか不安だって。
あと、話し相手になってあげてって言われたの。もちろん強制的にではないよ。私が話したかったから来たの」
「そうか」
優子がそんなことを。
嬉しい、と思う。認めるのはなんとなく癪にさわるが。
人間の生涯は一瞬で終わる。いい加減人間の話し相手になるのも嫌になってきていた。仲良くしても、ほんの少し喋っただけで、すぐに逝ってしまうから。
「おばあちゃんの話聞かせてよ。どんな人だったの? どんなこと喋ったの?」
「そうだな……」
娘も今までの人間と同じようにすぐにあの世へ行くのだろう。
けれど私が生きていることによって、友人たちが本当の意味で死ぬことがないのなら、新たに友人をつくっても良いかもしれない。
「その前に教えろ。そなたの名前は?」
娘は目を見開き、その後すぐに満面の笑みで答える
「私の名前は――」
泡沫の時間 オウヅキ @sakuranotuki
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