第406話
「それは、現魔王であるマユンを裏切るということか?」
「そうね。彼女の期待に背くことになるわね」
降りしきる雨の中で、俯くイブリースちゃんの表情はわからない。
だけど、やがて「クックック……」とくぐもった声が聞こえてきて、彼女が笑っていることに気が付く。
「そうか、そうか。マユンを裏切るか。理由を聞いてもいいか?」
「一番は、イブリースちゃんと敵対したくないからよ。私はまだ死にたくないし」
「なるほど。当然の理由だな」
「それに、また一から新生魔王国を作るというのも面白そうでしょう?」
「そうだな」
私はゆっくりとイブリースちゃんに近付くと、握手を求めて片手を差し出す。
「というわけで、よろしくね? イブリースちゃん?」
「あぁ、いいだろう」
イブリースちゃんは喉を震わせて笑いながらも、私の手を取ろうとし――、
バッ!
――私はその手を思い切り引いていた。
「どうした、アトラ? 握手をしないのか?」
「…………」
「まぁ、その直感は正しいがな」
イブリースちゃんが濡れて垂れてきた前髪に人差し指をあてると、すぅっと横にずらしていく。
それだけで、目元を隠していた前髪が細かな塵となって砕け散り、深く下ろされた髪に隠れていた凶暴な紅い瞳が露わになっていく。
「お前が私の手を握った瞬間に、お前は死んでいただろうからな」
「何故……」
「何故、そんなことをするのか、か? それとも、何故バレたのか、か?」
「……!」
イブリースちゃん相手なら、上手く騙せると思ったんだけど……。
そう思い通りにはいかないか……。
「【刻死紋】だったか? 触れた相手に小さな紋様を刻み込むユニークスキルだったな。その紋様が刻まれた相手には、好きなタイミングで苦痛を与えることができ、また力も削ぐことができる、だったか? 何も知らずに刻まれていたら、突然の苦痛に集中をかき乱され、私もユニークスキルが使えなくなるところだったぞ?」
「随分と私のユニークスキルに詳しいのね。私がイブリースちゃんに、自分のユニークスキルのことを語ったことはなかったはずだけど……」
「今の私には優秀な
私のユニークスキルについての情報を知っている?
確かに、私のユニークスキルの情報を知っている魔物族はいるわ。
でも、そんな魔物族はマユンちゃんや私の側近といった極一部のはず。
よっぽど優秀な
「そして、決定的だったのはこの場所だ。この場所に私を呼び出したことで、疑惑が確信に変わった」
「そう……なら、隠す必要もないわね」
私がつま先で地面を叩くと同時に、大地に巨大な光の筋が広がっていく。
それは一見すると、地面の罅割れに見えたことだろう。
だけど、違う。
これは蜘蛛の巣だ。
王都ディザーガンドと暗黒の森の間に作られた広大なスペース。
そこに巨大な蜘蛛の巣が広がっていく。
これは、元々暗黒の森からの
この巣の中では、私と私の眷属のみが強化され、異物は力を削がれ、動くことすらままならなくなる――そういう代物だ。
「暗黒の森のモンスターたちが
「私としては、大誤算だわ。最初の不意打ちで終わっていたはずだもの」
「では、あらためて、お前の意思を聞いておこうか、アトラ? お前は不意打ちで私に【刻死紋】を刻むことを狙い、こうして対スタンピード用の防衛陣をも起動させた。その狙いは何だ?」
「それをいちいち説明しなければわからないの?」
マユンちゃんには魔将杯決勝の一週間後にイブリースちゃんとの決闘の約束を取り付けたと報告していたけれど、あれは嘘。
本当のイブリースちゃんとの決闘の日時は明日だ。
そして、明日の詳細な日程を教えるという名目で、イブリースちゃんをこの場に誘い出した。
マユンちゃんは、一週間後の決闘に向けて、腕自慢の……言い方は悪いけど、消滅してもいいような素行の悪い魔物族だとか、戦争推進派の魔物族だとかを集めているみたいだけど……。
彼らを人身御供としてイブリースちゃんの前に突き出したところで、イブリースちゃんが満足するとも思えない。
彼女が求めているのは、自分の存在価値を証明してくれる強者。
それこそ、ヤマモトちゃんのような強さの底が知れないバケモノとの戦いを望んでいる。
だけど、今の魔王国にヤマモトちゃんは必要な人材だ。
そんなヤマモトちゃんをイブリースちゃんの生贄として、差し出すわけにはいかない。
そもそも、イブリースちゃんの要求に簡単に応えていては、彼女の要求は次第にエスカレートしていくことだろう。
だからこそ、ここで禍根を断つ必要がある。
ヤマモトちゃんを除いて、現在、この王都ディザーガンドで一番強い存在で、イブリースちゃんに届き得る存在がいるとしたら……それは、多分私だ。
だから、全てを出し切り、ここで――、
「イブリースちゃん……いえ、イブリース……あなたをここで殺す」
「なるほど。つまり、ヤマモトは私の贄には出せないということか? そして、幼馴染のアトラであれば、私が手心を加えるとでも思ったのか? マユンの考えそうなことだな」
「マユンちゃんは関係ないわ。これは、私が考えてやったことよ。だから、例え、私が死んだとしても、マユンちゃんに危害を加えるのはやめて頂戴」
「自分の命を賭して、情に訴えかける気か?
嫌いだな、そういうのは。もっとシンプルに来い。……暴力で私を屈させてみるがいい」
「もちろん、そのつもりよ」
パチン、と指を鳴らす。
それと同時に、地面に広がった蜘蛛の巣状の陣から音もなく、様々な姿の魔物族たちが現れる。
だが、その魔物族たちの顔には、いずれも生気が感じられない。
その様子にはイブリースも気が付いたようで、どこか神妙な面持ちで彼らを見つめる。
「コイツら、どこかで……」
「彼らは、魔王国統一戦争時に戦死した英雄たちよ。いずれもが、名うての戦士だったけれど、不幸にもあの戦争で倒れてしまったの。今はその力を国を守るために使わせてもらっているわ」
「死者を眷属化する種族スキルか? ……悪趣味極まりないな」
「どうとでも言いなさい。私は、この国を守るために形振り構わずに努めてきたの。その信念は今も変わらない。気紛れで国に混乱を引き起こそうとするあなたには一生わからないでしょうね」
棘のある言葉に、けれどイブリースは怒るでもなく、肩を竦めるだけだ。
「私は最初に竜の置き物を作る予定だったんだ――」
「竜? 何を言って……」
「まぁ、聞け。例え話という奴さ。――だけど、私の尻馬に沢山の者が乗っかった結果……出来上がったのは竜ではなく、獅子の置き物だったのさ。だから、それを床に叩き付けて壊そうとしている。私が作ったものが、私の理想と違っていたのだから、壊したところで何の問題もないと私は思うのだが、アトラは違うというのだな?」
それは、竜をイブリースが理想とした魔王国として例え、獅子をマユンちゃんが理想とした魔王国として例えているつもりなの?
だったら、私の答えはハッキリしている。
「その獅子の置き物は、みんなの思いや願いというものが数多く含まれて作られたものなのよ。もはや、それはあなただけのものではないわ。それでも、あなたは自分勝手にそれを破壊する気なの?」
最初はイブリースだけの夢だったものが、最終的には変質して、彼女の求めていたものとは違ってしまったのかもしれない。
だけど、今更それを無かったことにはできない。
なかったことにするには、あまりにも獅子の置き物は重くなりすぎてしまったからだ。
けれど、イブリースはハッと蔑むように笑う。
「当然だ。新たに作った竜の置き物と比較されて、みすぼらしいと言われるのは嫌だからな。だったら、最初から破壊して、新たに竜の置き物を作り直した方がいいだろう?」
それは、魔王国という現在の国をとことんまで破壊し尽くして、あらためて違う国を興そうということなの……?
それが、一体どれだけの魔物族たちに被害を与えることになるのか……。
私は目を瞑ってから頭を振ると、キッとイブリースを睨み据える。
これは、絶対に彼女をここで倒さないといけないわね……。
「眷属たちよ。全力で異物を殺せ……!」
『「『ウォー……!』」』
「あぁ、いいぞ。全力でやってみせてくれ。まぁ、殺せるものなら……だがな」
一千近い数を誇る私の眷属たちが雄叫びを上げ、イブリースの命を狩ろうと一斉に動き出す。
そんな中、私はその眷属たちの中に隠れ、イブリースを殺す機会を窺うのであった――。
■□■
【
魔王に頼まれて、アトラさんの監視を始めて早三日――。
その日は朝から雨だった。
外に出るのは嫌だなーと思っていたら、そういう日に限って、アトラさんが外出するし……。
仕方がないので、尾行を行うために目立たない色の傘か、雨合羽がないかなーと【収納】の中を漁っていたら、なんかドブ色をしたネズミのデザインの合羽が出てきたんだけど……。
…………。
これが、本当の濡れネズミ……。
――ってやかましいわ!
多分、分身体の誰かが作ったであろう装備のセンスにツッコミつつ、装備を換装してアトラさんの後をひっそりと尾ける。
いやぁ、それにしても雨が降ってて良かったかもしれないね。
雨が降ってると、足音とか気配とかが分かりにくくなるから、アトラさんに気付かれる心配がかなり減る。
あとは、【追駆】だとか、【追跡】のスキルを使って、一定の距離を保ってアトラさんの足跡を辿ればいいだけだからね。楽な仕事だよ。
それにしても、この三日間、アトラさんを監視してた身としては、アトラさんの動きがなんかおかしいというのはわかった。
まず、違和感その①としては、魔王との接触を極力避けてるように見えたということ。
魔王へ報告をしなきゃいけないような話も部下にやらせて、本人は執務室に閉じ籠もっているように見えた。
一応、魔王にも確認したけど、普段は息抜きに自分の足で魔王の執務室とかを訪ねてきてたらしいのだが、それがこの三日間は完全に無くなったという。
つまり、アトラさん側で魔王を拒否するような、何かがあったのだろう。
じゃあ、なんで魔王を拒否するのかと考えた時、私は魔王のユニークスキルに起因するのかな? と考えた。
魔王のユニークスキル【見透すもの】は、見ようと思えば相手の情報を何でも見透かすことができるスキルだ。
それは、思考も読むらしい。
だから、アトラさん的には思考を読まれるのが嫌だったんじゃないかな? と私は考えたわけだ。
で、考えが読まれて困る場面といえば……。
普通に考えたら、悪巧みしてる時とか?
そう考えると、アトラさんの動きが途端に怪しく見えてくる。
なんか良くわからない川の流れとか調査してたし、街の中の警備体制とか念入りにチェックしてたし、挙句には魔王に会わないように立ち回っていたし……。
これは、もしかして、ド派手な悪巧みをしているのでは!? と私の直感がビンビンに反応したんだよね!
魔王もそれに気付いたからこそ、アトラさんを監視しろって命令を下したのかもしれないし。
というわけで、本日も雨に打たれながら、アトラさんの後を尾けてるんだけど、どんどんと街の中心部から離れていく。
これは、もしかして街の外に出るルート……?
だとしたら、このまま尾けていったら、目立っちゃうかもしれないね。
というわけで、私は建物の屋根に素早く飛び移ると、アトラさんの動きを確認してから先回りしていく。
アトラさんは真っ直ぐディザーガンドの正門に向かってるみたいだから、私は一足先にディザーガンドの正門を出て、外でアトラさんを待ち構えるよ!
というか、外は脛ぐらいの高さの草が生え揃った草原だ。
身を隠す場所があんまりない……。
仕方ないので、門から結構離れた位置に腹ばいになって隠れよう……。
…………。
うわぁ、合羽にべちゃあって雨水が染み込んでくるぅ……。
気持ち悪いよぉ……。
で、草むらの中に隠れ潜むこと、十分くらいかな?
やがて、やってきたアトラさんが草むらの中央辺りで歩みを止める。
あれ? もしかして隠れてるのがバレたかな? と思っていたら、その後ろから見覚えのない女性がやってきてアトラさんの背後に立ったね。
女性は金髪に白いドレスを着ていて、この土砂降りの中だというのによく目立つ格好だ。
というか、なんで傘差してないのかな?
ずぶ濡れなんだけど?
で、その女性とアトラさんが何か話をしている。
これは、もしかして……悪巧みの相談をしている真っ最中なのでは?
ほらほら! アトラさんが握手を求めて、手を出してるし!
えぇっと、こういう場合はどうしたら……?
とりあえず、後ろから黒服の男が近付いてきて、鉄パイプでガツンと殴られないことを確認してから、立ち上がろうとして――、
あれ? アトラさんが手を引いた?
んん? どういうこと?
というか、雨音が強過ぎて、会話が全く聞こえないのは困ったね。
なんか、アトラさんと女性が口論してる?
これは……悪の組織同士の揉め事かな!?
…………。
いや、アトラさんは別に悪の組織ってわけじゃないし。
むしろ、公務員だし。
とりあえず、様子を見守った方がいいのかな?
というわけで、草むらに潜むこと数分。
なんか、私の寝そべってる草むらが光り始めたんですけど!?
えぇ、なにこれ!?
そして、ちょっと体が重くなっ――……まぁ、誤差かな? ちょっと体がだるくなった気がするぐらいの現象が起こる。
で、一方のアトラさんたちの方は、一転して険悪そうな雰囲気になってる!
交渉決裂?
まぁ、なんの交渉かは知らないけど。
そしたら、アトラさんが指をパチンと鳴らして合図を……って、急に近くの地面から虚ろな表情をした顔色の悪い人たちが出てきたんですけど!?
そして、その人たちが一人だけ草むらに倒れてる私を「なにやってんだ?」って感じで見てる気がする……。
「…………」
仕方ないので立ち上がって、その人たちと一緒に立ち尽くしてみる。
うん。
周りがバラエティ豊かな魔物族の人たちばかりだからか、私の濡れネズミ姿が特に目立つこともないね。
でも、ずっとこのまま立ちっぱなしというのも困るなぁ……と思っていたら。
『『『ウォー……!』』』
なんかみんな吠え始めた!
「う、ウォー……」
そして、とりあえず、それに乗る私。
こんな一斉に同調圧力を掛けられたら、乗るしかないじゃん!
なんか怖いし!
そして、私がウォーとちょっと気合いを抜いて言っていたのが許せなかったのか、近くにいた顔色の悪い人たちが私に殴り掛かってくる!
痛い、痛い!
ダメージ自体はほぼないけど、彼らからしたら真面目にやってることを馬鹿にされたようなもんだろうしね!
ここは甘んじて殴られることを受け入れるよ!
とりあえず、殴られながらも、もう少しアトラさんたちに近付いてみようかな?
せめて、何を言ってるのか聞ける距離まで近付ければいいなぁ……。
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