第296話
■□■
【ツルヒ視点】
私の朝は毎日三十分のストレッチから始まる。
怪我の防止も兼ねて体をほぐす目的と体を温める目的を兼ねて、まずは念入りにストレッチを行うのだ。
そしてストレッチが終わった後は、二十キロのマラソンから始まり、鉄塊のような両手剣を片手で交互に素振り千回。腕に疲労を感じたところで、今度は短距離ダッシュと【縮地】の練習をこれまた千回ほど行っていく。
全身に疲労が蓄積されたところで、整理運動を兼ねながら形稽古に入ったりするのだが、大体この辺りでエギル殿が乱入してきたりすることが多い。
勿論、このメニューをこなすにはそれなりに時間がかかるため、私は毎日、日が昇る前には起きて、日が昇る頃には全てを終わらせているのだが……。
「うぅむ……」
それにしても、これだけやってもヤマモトに勝てるビジョンが見えないというのはどうなんだろう?
本日も整理運動を兼ねた形稽古を行っていたのだが、その動きに乱れが生じて、私は動きを止めていた。
動きに乱れが生じたのは、ヤマモトのことを考えていたからだ。
「ヤマモトは決して勝てない相手ではないはず……」
ヤマモトの戦い方は何度か見たことがあるが、技量的には稚拙もいいところ。
だが、それを補って余りある肉体的なパワーが全てを粉砕してしまう。
恐らくは、
例えば、中級スキルである【修羅】や【頑強】を極めていれば、それだけで物攻や物防といったステータスが1.5倍にまで跳ね上がる。
更に上位スキルである【毘天】や【頑健】を極めていれば、物攻や物防が1.75倍にまで上昇するが、それらは同系統のスキルである【修羅】や【頑強】といったスキルと効果が重複する。
そのため、同系統の中級スキルと上級スキルを極めていれば、1.5×1.75倍の補正が掛かり、該当の能力は2.625倍にまで上昇するのである。
ヤマモトはこういったスキルを狙って取得することによって、自身のステータスを馬鹿げたレベルにまで高めているのではないだろうか?
つまり、ステータスさえ追いつけば、技量に勝る私にもチャンスはあるはずなのだ。
「だが、こんな訓練で果たして追いつけるのか……」
スキル自体は順調に育ってきている。体を痛めつけることで、各種ステータスに関係するスキルは成長してきているのだ。
だが、肝心の素のステータスが伸びていない。
当然だ。
現在は学生の身であり、学生というものは学園によって保護され、より安全に、より効率的に学びを得られるという立場――。
そこには、危険を冒してまでモンスターを倒そうという考えはなく、あったとしても必要最低限でというスタンスだ。
生徒を預かっている身である学園側としては、生徒を危険にさらすわけにもいかないという判断なのだろうが……私からすればヌルイと言わざるを得ない状況だ。
おかげさまで私はモンスターを倒す機会が得られず、自身の成長の停滞を感じている。
かくなる上は、危険を承知でダンジョンに単身で乗り込むか?
だが、一人でダンジョンに潜るというのは……。
これでも私はノワール家次期当主という立場だ。
ノワール家は代々腕利きの暗殺者を排出してきた家系であり、今も私の寝首をかき、次代の当主を狙っている輩は少なからずいる。
そんな状況で単身でダンジョンに乗り込むなど、獣の檻に生き餌を解き放つようなものではないか?
一体どうしたら……。
……おや?
どうやら、こんな時でも長年培ってきたものというのは勝手に発揮されてしまうらしい。
初代魔王に暗殺者として重宝されていたノワール家では、相手の敵意や殺意に鋭く反応するよう幼少の頃から厳しく躾けられる。その躾けられた感覚が、靄の先に何かがいると訴えかけてきたのである。
「出てこい。そこに隠れているのはわかっているぞ」
一寸先も見通せぬリンムランムの朝靄。
暫しの静寂が私の言葉を虚言にみせかけるが、果たして相手はゆっくりと朝靄を割って現れた。
つば付き帽子を深く被った金髪の……男だろうか? 女だろうか?
とにかく、魔将杯の最中であるにも関わらず、パーカーと皮のズボンという随分とラフな格好は自信の表れと捉えるべきだろう。
そんな金髪はこちらに視線を合わせることもなく口を開く。
「流石はノワール家次期当主。どこぞのセルリアン家のボンボンとは大違いだ」
「シーザ・セルリアン殿のことか? その話をするということは、貴殿がシーザ殿を倒したという噂の転入生か?」
「噂かどうかは知らないけれど、彼を倒したかどうかで言えばイエスだね」
なるほど。
どうやら、この金髪殿がシーザ殿を倒した転入生ということらしい。
「それで? シーザ殿の次はこの私を倒しに来たというわけか?」
「いやいや、別にそんなつもりはないさ。ボクはただ知りたかっただけなんだ。魔王軍四天王候補と呼ばれていた連中がどのぐらいの実力なのか、そして魔王軍特別大将軍を名乗る者がどの程度の実力なのか……それを知りたかっただけさ。だから、様子を見ていたってこと」
「様子だけを見ても真価はわからないだろう? 知りたいのであれば、一手教授しようか」
「好戦的だなぁ。……嫌いじゃないけど」
私が剣を構えると、相手も拳を構える。
そもそも気になっていないわけではない。
元四天王候補、シーザ・セルリアン。
彼はセルリアン家が生み出した不世出の天才と呼ばれる存在だった。智謀に富み、魔力を扱わせれば、この学園の中でも五指に入る逸材であったことだろう。
そんなシーザ殿が後れを取ったという剛の者。
その存在が一体どれほどの強さなのか……武に身を置く者であれば、気にならないわけがなかった。
私は静かな興奮に口の端をつり上げる。
「ふん、何が好戦的だ。その切り替えの早さ、元々仕掛けるつもりだったのだろう?」
「そんなことはないさ。ボクは母さんと違って平和主義者なんだ。理由もなく襲い掛かったりなんかしない」
母さん……?
何故、そこで母親が出てくる?
――いや、集中しろ。
向かい合って初めてわかったが、この相手は強い。
まるで、凶悪なモンスターに魔物族の皮を被せたような、そんなヒリついたものを感じる。
油断のならない相手だ。
私は足の指だけを使って、じわりじわりと一足一刀の間合いにまで近づこうとしていたのだが――、
「おー、いたいた! 何やってんだ、お前ら?」
急にかけられた無粋な声によって、私は集中を切らす。
そして、水入りだとばかりに剣の切っ先を思わず下ろしてしまっていた。
チラリと見れば、金髪殿も拳を下ろしている。興が削がれたということだろう。
「エギル殿」
「エギル・ヴァーミリオンかぁ。どうするの? ボクは二人がかりでも全然構わないけど?」
「ふん、そんなつもりは毛頭ないだろうに」
「あ、バレた?」
さっきまでのピリついた空気が嘘のように消えている。
あのままやっていれば、どうなっていただろうか?
恐らく、どちらもただでは済まなかったのではなかろうか――そんな思いが一瞬だけよぎる。
私がそんな思いに顔をしかめていると、朝靄を割ってエギル殿が現れ――、
…………。
「エギル殿。背中に何か憑いてるぞ?」
「あ?」
朝靄を割って現れたエギル殿の背後には白装束を着た長い黒髪の
幽霊系が相手に
エギル殿は武だけではなく、魔法の才においても恵まれている者。
幽霊系の魔物族を祓うなど造作もないはずだ。
それなのに、それをしてないということは……。
「聞いて驚くなよ? へへっ、彼女、俺様のファンなんだぜ!」
「「…………」」
ファン……?
いや、知っている。
魔王軍次期四天王候補と言われた私たちには、熱烈に支持をしてくれている者たちがいる。
シーザ殿はクールな性格と見た目も相まって女生徒によるファンクラブもできていたし、私にも親衛隊なる組織ができていると風の噂で聞いたことがある。
だが、エギル殿に関しては……。
転入早々に学園のオブジェとされてしまった印象が強かったのか、あまり表立ってファンを名乗る者が現れなかったのだ。
いや、現れても、あのイロモノが好きなの? と奇異の目で見られるのがわかっているせいか、誰も言い出さなかったというか……。
それでも、他の次期四天王候補にはファンクラブのようなものが作られているのに、自分だけなかったことがよっぽど悔しかったのだろう。
ファンが一人いたというだけで、随分と楽しそうに語ってくれていた。
いや、それにしても……。
「ファンにしても随分と距離が近くないか?」
むしろ、取り殺されそうな距離なのだが……大丈夫なのか? エギル殿?
「わかってねぇなぁ! ファンサだよ! ファンサ! ファンサービス!」
「「…………」」
ファンがいなさ過ぎて、ファンとの距離感を間違えてるようにしか思えないのだが……。
まぁ、エギル殿がそう言うのであれば、そういうことにしておこう。
「というか、テメェだってファンサしてんじゃねぇか! なんだ? ファンに剣を直接教えてやってるのか? 良かったなぁ! 剣姫から優しく教えてもらうなんてこと、滅多にねぇことだぞ! 俺様なんかいつもボコボコにされながら教えてもらってるからな! ワハハハ!」
「は、はぁ……」
そう言って、金髪殿の肩を無遠慮に叩くエギル殿。
うん、悪い奴ではない。
悪い奴ではないのだが、デリカシーの欠片もないのが玉に瑕だ。
「それで? 何をしに来たんだ? なにやら私を探していたようだが?」
「…………。――あぁっ!? そうだよ! テメェの力が必要だったんだ!」
珍しいな。
エギル殿といえば、独善的な考え方をしているから他者の力などアテにしないと思っていたのだが……。
だが、そうか。
ファンができたことで、少しだけエギル殿も変わったということか。
私もヤマモトに敗れてから、あるいはヤマモトに助けられてから、自分が変わりつつあることを自覚している。
それが良いことなのかどうなのかはわからないが、とりあえずヤマモト憎しという感情ではもう動いていない。
エギル殿もきっとその境地に達したのだろう。
自信満々に笑みを浮かべるエギル殿を見て、私は思わず親のような気持ちになって微笑を浮かべる。
そして、エギル殿は言った。
「俺様と一緒にヤマモトの屠殺場に行って、一緒に死んでくれ!」
「なんだそれは! お断りだ!」
なんなんだ、その不吉アンド不吉な名前の場所は!
そして、幽霊殿! 呪い殺すような目で私を見ないでくれ! そんな目をされても、無理なものは無理なんだ! わかってくれないか!
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