第289話

 ■□■


【セドリック視点】


「――こんばんは、セドリックさん。今からどこかに行くんですか?」

「いや、なに、ちょっと野暮用にね……」


 フィザの街に全く馴染まない、黄金の旋律のクランハウスの門を出たところで、門番のように立つプレイヤーの一人に声を掛けられる。


 なので、私は誤魔化すようにして、くいっと飲み物を口元に持っていく動作をしてみせていた。


 どうやら、それだけで彼は納得したようだ。あまり遅くならないで下さいよ、と笑って見送られる。


 それにしても、彼は気づいているのだろうか?


 クランハウスに歩哨が立つという異様性に――。


 このフィザの街で次男と三男による次期領主争いが始まってから、プレイヤーたちは次男派、三男派に別れて争うようになった。


 それは最初はただの対抗心だったものが、今では互いにいがみ合うレベルにまでなってきている。


 そもそも、私は次男派でも、三男派でもなかったし、次期領主レースはどちらが勝っても構わないというスタンスを取っていた。


 私としては、自分が作ったアイテムがきちんと売れてくれて、私の資金が潤えばそれで良かったのだ。だから、買う人間が次男派だろうと三男派だろうと大して関係がなかった。


 だが、現状では魔物族の最前線組のプレイヤーが反目し合っている状況にまでなってしまっている。


 そうなると、私が作った消費アイテムをあっちには売るな、こっちには売れ、あっちが買ったのなら自分たちは絶対に買わないと、面倒な確執が生まれてくることになるだろう。


 私は作ったものが売れれば、それでいいのだが、その確執のせいで潜在的な顧客を逃すのは機会の損失となり、私としても望むところではなかった。


 だから、何か良い手はないかとずっと考えていたのだ。


 そんな折に見つけたのが、B級の調合レシピのひとつである。


 その名も【パナケイア】。


 ほとんどの状態異常を治し、HPも中回復するという【万能薬】の上位互換ともいうべき回復薬である。


 私はこのアイテムに注目した。


 元々、次男と三男の争いは、次期領主と目されていた長男が廃人になって帰ってきたことから始まる――。


 その結果、新たな次期領主の座を巡って次男と三男が争いを始めたわけだが……その長男が回復すれば、問題も一気に解決すると考えたわけだ。


 私はそのために【パナケイア】を作り始めたのだが、ダンジョンに潜れない生産職では【パナケイア】を作るための十分な量の素材を確保するのは難しかった。


 だから、魔物族側で最大のクランと称される黄金の旋律に取り入ったのである。


 表面上は、あくまでも黄金の旋律に協力するといった形式であった(こちらの企みがバレないように抵抗して、一発殴られた)が、それもこれも【パナケイア】の材料を集めるための芝居に過ぎない。


 結果として、私は黄金の旋律に協力的だということで、護衛付きでダンジョンに潜るだけの信頼を得た。


 いや、黄金の旋律は巨大なクランだ。


 だから、私一人の動向に大して注視していなかっただけなのかもしれない。


 そもそも、B級の調合レシピの中に【パナケイア】があることは、B級の調合士になった極少数のプレイヤーしか知らないことであり、私の企みが露見することはなかったのであろう。


 ダンジョンに潜り、素材を集め、そして先程、ようやく【パナケイア】を作ることができた。


 私は【パナケイア】を【収納】にしまい込むと、黄金の旋律のクランハウスを後にする。


 現在、次男派と三男派で魔剣を探しての探索バトルが行われていることは私も知っている。そして、勝者側には莫大な富や利権が手に入るであろうことも理解していたのだ。


 そこに、【パナケイア】という飛び道具を以て、全てを御破算にしようとしているわけで……。


 私の足も自然と早く進もうというものである。


 誰かに見られていないか? 誰かに尾行されていないか?


 そんなことに怯えながら、私は先を急ぐ。


 なにせ、こんなことをしようとしているのがバレたら、両陣営から命を狙われてもおかしくはない。


 今回の件で快く協力してくれたサラさんや、イチカさんには申し訳ないが、これもフィザの街の状況を正常に戻すためだと言えば、納得はできないかもしれないが、理解はしてくれることだろう。


 私はすこぶる挙動不審になりながらも、それでもフィザの領主館……これもこの街の建物にそぐわない妙に豪華な宮殿……へと赴く。


 領主館の前には、如何にも屈強そうな大男たちが武装をして待ち構えていた。


 なんとも剣呑な雰囲気。


 まさに、街の空気を模したかのようにピリピリとした緊張感が漂っている。


 私はカラカラになった喉を潤すために、目一杯の唾を嚥下すると、緊張を隠せないままに門番に声をかけていた。


「すみませんが、領主に面会させてもらえませんか?」

「……何の用だ?」

「御長男を回復させる薬を提供しに来たとお伝え頂ければ……」

「長男殿を? ちょっと待っていろ」


 もう日が落ちて、時刻もそれなりに遅い時間帯だ。


 領主に面会を断られないかと心配したが、正直に門番に要件を告げたことが功を奏したのだろう。


 私はそれこそ門番の直属の上司であるかのような丁寧さで、屋敷の中へと案内される。


 そして、そのまま待合室と思わしき部屋に通されて待たされる。


 一体どれほどの時間が経ったのか。


 十五分のような気もするし、一時間も待たされたような気もする……。


 私がソワソワとしていると、ようやくやってきた執事に連れられて、屋敷の奥深くへと案内される。


 まるで迷路のような道順を歩かされた後に辿り着いたのは、やたらと巨大で豪奢な扉が備え付けられた部屋であった。


 その部屋の扉を執事が押し開けて、私はようやく中に通される。


「良く来たな、客人」


 入った瞬間、私は自分の認識の甘さを後悔する。


 両脇の壁に武装した大男たちがズラリと整列し、最奥の豪奢な椅子には強面の男が眼光鋭く、こちらを睨んでいる。


 貴族というと小綺麗で人格者で、そして優しいであろうというイメージがあった。


 だが、私の勝手なイメージをこの男は簡単に打ち砕く。


 むしろ、私の勝手な想像はラノベや少女漫画のような甘い幻想で、目の前に広がっている現実は、どう見てもアウトなレイジやゴッドなファーザー的な世界であることを強烈に印象付けてくれる。


 これは……早まった、か?


「…………」


 思わず足が竦む。


 【パナケイア】は作ってきたが、それで長男が治る保証はない。


 失敗した時は、潔く謝って「無理でしたー」と軽やかに謝罪する予定だったのだが……彼らがそれを笑って許してくれるかというと甚だ疑問である。


 その思いが、私の足を重くする。


「なんでも、俺のガキを治す薬を持ってきてくれたんだって?」


 ドスの効いた声。機嫌はいいのか、そこまで低くない。


 私は自分の持ってきた薬を売り込むようにして、少しだけ早口で話す。


「は、はい! この【パナケイア】を使えば、大体の病気は治ると自負しております! 是非ともご長男様にお使い頂いて、その効果を確認して頂ければと!」

「なるほど、なるほど……」

「はい、是非とも一度お試し頂ければ!」

「余計なお世話だなぁ……」

「はい! ……は、い?」


 急に室内の気温が下がったような気がして、私は思わず自分の肩を抱く。私の腕は私の意思に反して、カタカタと細かく震えていた。


 刺さるような領主の視線。


 先程まではここまで空気が重くなかったはずだろうに、今は呼吸をするのが苦しいぐらいに空気が重い。


 まるで、心臓を鷲掴みにされたように息が苦しい中で、領主は私を睨む。


「聞こえなかったのか? 余計なお世話だって言ってんだ。俺様が望んだのは、魔剣フィザニアの探索。それ以上でもそれ以下でもねぇ。凡夫が一丁前に知恵を絞って賢人気取りなんざ、望んじゃいねぇんだよ」

「で、ですが、現在のフィザの街は、あなたの後釜を狙って混乱の渦中にあります。その騒乱を収めるには……」

「それの何が悪い?」

「え……?」


 自分が治めている街が荒れていて、気にしていないのか……?


 私は思わずフィザ領主の言葉に動揺する。


 まさか、現在の街の状態を知っていて、全く憂えていないとは思わなかった。


 読み違えた、という思いが私の中に去来する。


「争いは成長の糧だろ。前までは穀潰しでしかなかったクソガキ二人が、今では相手の息の根を止めるために必死で頭を回して成長していってる。いいことじゃねぇか。高い金を出して学園にやって早々に潰れた長男よりもよっぽど期待が持てるってもんだ」

「そ、そのために、被害を受けている街の住民だっているんですよ!?」

「それがどうした? フィザは俺の街だ。俺の街で、俺が望むことを進めて何が悪い? そもそも、魔物族ってのはそういうもんだろうが。気に食わねぇなら力尽くで止めてみろよ。それができねぇなら、しゃしゃり出てくるんじゃねぇ」


 ……駄目だ。


 話し合いとか、そういう問題じゃない。


 プレイヤーとしての私と、フィザ領主とでは価値観というものが違い過ぎる。


 これは、【パナケイア】を使っての交渉は無理か……。


 私が気落ちしたのが伝わったのだろうか、これ以上の交渉は無理だと思っていると、フィザ領主が一転して優しい声音で話しかけてくる。


「だがまぁ、お前さんがフィザの未来を考えて薬を持ってきてくれたという気持ちは汲んでやってもいいぜ?」

「え? それはどういう……」

「だから、その薬を俺様に寄越せ。俺様が有効に使ってやるからよ」

「…………」


 どういうことだ……?


 フィザ領主は長男に【パナケイア】を使う必要はないと言っていたのに、急に薬だけを献上しろと言い出した。


 混乱する私に対して、間髪入れずにフィザ領主は凄む。


「テメェだって、痛い目に遭いたくはねぇだろ?」

「…………」


 なるほど、そういうことか。


「なにかと屁理屈をこねて、脅しと暴力で私から薬を奪い取ろうという算段ですか。ですが、私はそんな脅しには屈しな――」


 ゴッ!


 目から火花が散った。


 本当に視界が点滅するなんてことがあるんだと自分のことながら感心してしまう。


 そして、遅れてやってくるのは鼻の奥から垂れ流れるドロリとしたものと、熱く焼けるような痛み……。


 男の一人がいきなり近付いてきて殴られたのだと気づくよりも早く、男に胸倉を掴まれる。


「あぁ? 良く聞こえねぇなぁ? 何か言ったか?」


 大男のわざとらしい言葉に、私は口を開こうとして……殴られる。


 口の中が鉄の味で満たされる中、私が口を開こうとする度に何度も拳が振るわれる。


 私の心を折ろうというのか……。


 そして、暴力に屈した私が自ら【パナケイア】をフィザ領主に捧げるように仕向けているのか……。


 ふ、ふははは……。


 私はこんな暴力には屈しはしない――……と言えれば良かったのだが、二、三発も殴られたところで心が折れた……。


 当然だ。


 本物の暴力は怖くて、痛くて、熱い。


 しかも、私が屈するまで何度でも続くのだ。こんなものが延々に続くと思ったら、私の心は簡単にへし折れていた。


 そもそも、こんな目に遭いたくなくて、私は生産職を始めたのだ。


 痛くて辛い思いを我慢して耐えられるのなら、普通に冒険者をやっている。


 私は顔を腫れ上がらせながらも、【収納】から【パナケイア】を取り出す。


「こ、これで勘弁して下ひぁぃ……」

「面倒かけさせんじゃねぇよ」


 【パナケイア】を取り出したところで、大男に引っ手繰られるようにして取り上げられ、私は床に無様に転がされる。


 そして、それがフィザ領主に渡ったところで、彼は悪魔のような笑みを浮かべてみせていた。


「その程度で済んで良かったなぁ? テメェがあまりに強情だったら、夜の砂漠にバラバラになった肉がばら撒かれることになってたぜ? クククッ……」

「…………」


 冗談、ではないだろう。


 私は背筋が震える思いで上半身を起こし、フィザ領主を見上げ、その視線が彼と合ったところで――、


「その目……気に入らねぇなぁ」


 え?


 今、単純に視線が合っただけだというのに……。


 大男が腰から短刀を抜いて、こちらへと近寄ってくる。


 待って、待って……。


 何をする気だ……やめろっ!


「その目を……くり抜け」

「嫌だ、嫌だ、嫌だ……。やめて、やめて、やめろぉぉぉ……」


 だが、私の懇願を聞き入れることもなく、大男が私の頭を鷲掴み、床へと押さえつける。


 銀色に光る短刀の切っ先が、恐怖を与えるためか、ゆっくりと私の目に迫ってきたところで――、


 コンコンコ――……ドゴンッ!


 物凄い勢いで巨大な扉が飛んできたかと思うと、その扉が大男の身体を巻き込んで吹き飛んでいく。


 いったい……、なに……、が……。


「ノックの力加減を間違えた……」

「なんでやねん!?」


 事態を把握しようとゆっくりと上半身を起こす私の目の前で、扉を吹き飛ばしたであろう張本人はまるで反省していない様子で、堂々と室内に入ってくる。


 その姿は神々しくもあり、同時に頼もしくもあり、そして妙に認識がし辛い感じが、彼女だということを如実に語ってくれていた。


 あぁ、ヤマモトさん、生きていたのか……。


 そして、私を助けてくれたのか……。


 ありがとう……。


 本当にありがとう……。


 両手を腹の上で組み、まるで崇めるようにしてそのまま脱力する。


 ヤマモトさんは、ただの1プレイヤーかもしれないが、今の私にとってはまるで女神のような存在だ。


 特に極限の恐怖に晒されていた分だけ……それが例え偶然だとしても……救ってもらったことに対し、感謝の念が絶えない……。


 あぁ、女神よ、感謝します……。


 ▶邪神に直接祈りを捧げたことにより、【邪神ヤマモトの加護】を得ました。

  以降、邪神の信徒として活動できます。

  【邪神ヤマモトの加護】を得たことで各ステータスが49上昇します。


 …………。


 私が女神だと思った存在は、どうやら女神とは対極に位置する存在だったようだ……。

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