第232話

 デッドマーカー。


 それは、魔王国に長年伝わるおとぎ話のひとつです。


 子供の頃に読む絵本などに登場する不気味なバケモノ……それがデッドマーカーなのです。


 絵本の中では、デッドマーカーは村に住んでいる一人と成り代わって村に住み着き、住み着かれた村では毎晩一人ずつ人が消えていくという現象が起きます。


 それが村でずっと続くと人が恐怖に狂い始め、デッドマーカーが手を出さずとも勝手に疑心暗鬼に駆られて隣人を疑って殺し合い、最後にはデッドマーカーを残して全員が死んでしまうという結末を迎える……絵本ではそんなお話が描かれていました。


 私は子供ながらに、その絵本を読んだ時に薄気味悪さを覚えたものです。


 この絵本には教訓もなければ救いもない。


 ただただ人の醜さだけが描かれています。


 そのことに薄気味悪さを覚え、私に強烈な印象を残したのでしょう。


 ですが、その胸のしこりは学生になって図書館の本を片っ端から読み進めていた時に氷解しました。


 デッドマーカーの話は絵本の中の話として語られていますが、実際にはそれと同じような事件が起こっていたようなのです。


 事件の内容を簡単にまとめると、森で行方不明になった女の子が三日後に村に帰ってきてから村人が徐々に消えていくという事件が起こりました。


 村人が疑心暗鬼になる中、やがて行方不明になった村人のが発見されるようになるのです。


 その事態を重く見た村長が近隣の大きな冒険者ギルドに依頼をしたそうなんですが……。


 五日後に冒険者が村に辿り着いた時には、その場に生き残っている者たちはおらず、ただ村人であった者たちの皮だけが洗濯物のように、そこら中に吊るされていたということでした。


 そんな事件が二件も三件も続き、魔王国の地図上の一部の地域には村の記載がなされていた場所に全てバツが記載され、DEADの文字が記されるようになったと言います。


 そして、その村を壊滅させたモンスターはデッドマーカーと呼ばれるようになり、他人に擬態し、中身を吸い取るモンスターとして恐れられるようになったといいます。


 子供用の絵本にデッドマーカーの話があるのは、子供に対して不審なモンスターに近づかないように警告するためと、大人たちにこういった凄惨な事件があったことを忘れさせないようにするための教訓として、絵本という形で残したのでしょう。


 そんなバケモノを目の前にして、私は全身から震えが駆け上がってくるのを抑えられません。


 早鐘のように心臓が鳴り始め、呼吸をするのも苦しくなります。


 そんな中、デッドマーカーは吊るされたミミちゃんから離れると、ゆっくりと私の方に向かって歩き出します。


 拘束して動きを封じた獲物と、今にも逃げ出そうとしている獲物がいたのだとしたら、逃げ出そうとする獲物を捕らえることを優先するのは当然です。


 私は迫ってくるデッドマーカーを相手に脳をフル回転させて考えます。


 正面から戦ってもまず勝てない相手であり、暗黒の森の妨害を受けても私の足で追いつけなかったことを考えると相手のスピードもまず上でしょう。


 私が優位な点で言うならサイズ感。


 木々を縫って走り回れば、相手は木々を破壊して動かなければならず、時間稼ぎぐらいにはなるかもしれません。


 あとは、相手は私を派手に傷つけようと考えていないのも有利な点です。


 デッドマーカーは、相手の皮をコレクションし、相手に擬態するモンスター。


 その大事な皮を派手に傷つけるようなことはしないでしょう。


 だから、いきなり私の首を刎ねるような攻撃はしてこないはず――。


「…………」


 ガタガタと震える膝に手をつき、私はともすれば逃げ出しそうになる気持ちを必死に抑えます。


 そして、ゆっくりとその場に膝をつきます。


 そのまま目をつぶり、胸の前で手を組みます――。


 怖い怖い怖い怖い怖い怖い……。


 あぁ……。


 怖くて気がおかしくなってしまいそうです……。


 私の中を恐怖という感情が塗りつぶしていきます。


 でも、そうした恐怖や絶望には残念ながら昔から慣れ親しんでいました。


 だから、堪えられます。


 私は心の中の恐怖や絶望を押しやり、精神を統一します。


 ざっ、ざっ、ざっ、ざっ……。


 草を踏む音が徐々に近づいてくることが私の焦りを増幅します。


 ですが、それもいつの間にか聞こえてこなくなっていました。


 絶望や恐怖を押し出したのは強い光――いえ、もしかしたら強烈な闇なのかもしれません。


 その絶大な存在に対し、私は真摯に祈りを捧げます。


 …………。


 …………。


 ダメ……、だったのでしょうか……?


 私の祈りに対してヤマモト様は応えてくれませんでした。


 私の祈りに応えてくれなかったことで、私の中を改めて恐怖と絶望が塗り潰していきます。


 私はそんな恐怖に押し潰されるようにして、恐る恐る目を開け――、


 目の前にデッドマーカーが立っているのを見てしまいました。


「ぁ……」


 デッドマーカーによってできた影に触れることで死の冷たさを感じてしまい、勝手に声が漏れてしまいます。


 私は覚悟を決め、歯を食いしばります――。


 願わくば、どうか痛くありませんように……!


 …………。


 ……?


 ですが、その時はいつまで経っても訪れませんでした。


 デッドマーカーは私を見ていませんでした。


 デッドマーカーは首だけをぐるりと回し、違う方向を見ていたのです。


 私はその視線の先が気になり、恐る恐るそちらを確認すると――、


 何故か濡れそぼった湯着を着た、とんでもない美少女が地面に膝を抱えて座り込んでいました……。


「…………」

「…………」


 目が合います。


「拝観料取るよ?」

「す、すみません……」


 さっと胸元を隠す美少女に、私は素直に謝ります。


 どうやら、色々と予期しないことが起こっているようです……。


 ■□■

 

学園担当ジャック視点】


 お風呂場からルーシーさんが出ていく。


 私はその背中を少しだけ眺めながら、ちょっとだけルーシーさんのスキップをからかったことを後悔していた。


 あんな指摘をした後だと、脱衣所で一緒になるのが少し気まずい。


 ここは少しだけ時間をズラしてから向かおうかなと思っていたら――、


 ▶巫女による深い祈りが捧げられました。

  神として交信しますか?


  ▶はい/いいえ


 巫女による祈り?


 ユフィちゃんがなんかやったのかな?


 えっと、交信って電話みたいな感じ?


 交易の調子はどうですか、とかそんなことを聞きたいのかな?


 私はそんな軽い気持ちで『はい』を選択したんだけど……。

 

 ▶【バランス】が発動しました。

  緊張と緩和のバランスを調整します。


 次の瞬間には、湯着一枚で外に放り出されていた。


 …………。


 ちょっとゴメン。


 自分でも何言ってるのかわからない。


 森……? 森かな?


 気づいたら森の中で地面に体育座りしてる私がいて、その近くにはなんか沢山ミノムシみたいなのが垂れ下がってて……。


 そして、ユフィちゃんも近くにいる。


 そんなユフィちゃんの目の前には女の人と蜘蛛が合体したアルラウネ? あれ、アラクネだっけ? が、今にもユフィちゃんに襲いかかる体勢になりながら、顔だけを私に向けて驚いている。


 うん。


 ユフィちゃんが緊迫感溢れる状態だっていうことは理解した。


 追い詰められてるもんね?


 で、私の方はというと、のんびり温泉に浸かって緩和状態だったと。


 その状況で交信によってユフィちゃんと私が繋がった瞬間――、状況の【バランス】が取られたってことかな?


 緊張状態のユフィちゃんと緩和状態の私を同じ場所に置くことで、状況としての【バランス】をとって、そこで話をしてくれって……多分、そういうことなんじゃないの?


 …………。


 いや、【バランス】の取り方おかしいでしょうよ!


 むしろ、カオスになってるでしょ!


 でも、タイミング的にはぐっしょぶ……?


 相変わらずよくわからないタイミングで発動するよね、【バランス】さんって……。


 そして、じーっとこちらを見てくるユフィちゃんと目が合う。


 いや、そんなに見つめられても困るんだけど……。


 というか、【偽装】付きの装備を装備してないから、ヤマモトだとわかってないのかな?


 それとも、信仰心は鼻から出るって奴?


 だったらヤダなぁ……。


 とりあえず、胸元を隠しつつ、


「拝観料取るよ?」

「す、すみません……」


 どうやら、普通に見惚れてただけだったみたいだね。


 神様ブーストって凄いね。


 同性でさえも見惚れさせちゃうなんて……私の背中から後光でも差してるのかな?


 まぁ、どどめ色な後光だろうけどね。


 なにせ邪神だしね!


 とりあえず、バスタオルを【収納】から取り出して頭を拭く。


 別に装備を換装しても、さっぱりと水気はなくなるんだけど、この辺は気分の問題だ。


 あーぁ、地面にお尻付いちゃったから泥で汚れてるんだろうなぁ……。


 まぁ、装備を換装すればその辺も綺麗になるとは思うけど……。


 とりあえず、タオルで大雑把に髪をワシャワシャと拭いてると――。


 ぽかり。


「いたっ」


 なんか頭をぽかりとやられたんだけど……?


「ガガさんですかー?」


 バスタオルを取って顔を上げてみたら、さっきのア……なんとか……ネというモンスターが巨大な鎌みたいな腕を私に向かって振り下ろしてきた!


 ぽかり。


「いたっ」


 大きな鎌を思い切り振り下ろしてくる光景はものすごく絵面的に怖いんだけど、実際には五歳児のパンチをお尻に食らってるくらいの衝撃だった……。


 痛くはないんだけど、何度もやられると鬱陶しいというか……。


 というか、私を叩いたことで腕の鎌が欠けちゃってるし、ヒビ入ってるんだけど?


 それ、耐久値大丈夫?


 砕けたりしない?


 そう思ってたら、次にぽかりとやられた瞬間に鎌が砕けちゃったよ。


 アなんとかネさんが呆然とした表情で自分の鎌を見つめる中、私は【収納】からいつもの軍服装備一式を取り出して装備するよ。


 いそいそ……。


 シャキーン!


 というか、髪を雑に乾かしたので枝毛とかにならないか心配だね。


 あとで、ヤマモト領の天然水を霧吹きにでも入れて噴霧して、髪にでも馴染ませよっと。


 あれだね、ヤマモト領の天然水は美容液的にも――。


 ぽかり。


「いたっ」


 そして、今の攻撃でもう一個の鎌も砕けちゃったアなんとかネさん。


 というか、何してくれるの? この子?


「あ、ヤマモト様!」


 ユフィちゃんが思わず声を上げるってことはやっぱり私だと気づいてなかったんだ……。


 軽く手を振って、ユフィちゃんに近づいていこうとしたら……。


 ぽかぽかぽかぽか!


 なんか、背後からやたらと攻撃されるんですけど!


 どうやら、さっきのアなんとかネさんが背後に回って攻撃してるらしい!


 装備の耐久値減るからやめて!


 私がそう思って背後を振り向いたら、今度はカマキリの鎌じゃなくてデッカイ鉈みたいな武器を振り下ろしてきてるし!


 これは見た目にも大迫力だよ!


 ぽかり。


「いたっ」


 けど、ハリボテかってぐらいにダメージないね!


「もー! 装備を壊そうとする嫌がらせ? そういうモンスターもいるの? やめなさいよ……ねっ!」


 さっ、と【収納】から『うごうごエストック』を取り出すと、それでアなんとかネさんをブスリ。


 パリン。


 と、ポリゴンが派手に飛び散って、ガラスが割れるような音が響いたのに、アなんとかネさんはまだ健在みたい。


 というか、姿が獅子の頭と蛇みたいな尻尾を持つバケモノに変わってる……。


 これは、キマイラかな? それとも、マンティコアって奴? こういう紛らわしい二択を突きつけてくるのやめてくれない?


 とりあえず、正体を現したってことでオーケー?


 よくわかってないけど、ノリでもう一回モンスターさんをブスリと突いてみる。


 パリン。


「また姿が変わった……」


 マトリョーシカか何かかな?


 今度はなんかキラキラした巨大な蛾だ。


 蛾(虫全般だけど)は嫌いなので、これもブスリとすると、また姿が変わる。


 なんなのこのモンスター?


「マトリョーシカモンスター?」


 どうしよう……?


 ルーシーさんも置いてきちゃってるし、あんまり時間もかけたくないんだけど……。


 私が困惑していると、ユフィちゃんが大声で叫ぶ。


「そのモンスターはデッドマーカーです! 生物の中身を吸い取って、その生物に擬態する危険なモンスターで……ミミちゃんもそのモンスターに襲われて――」


 ユフィちゃんの言葉に、木の枝に吊るされているミミちゃんの姿を確認する。


 そっか……。


 あれ、ミノムシごっこじゃなかったんだ……。


 …………。


 すぅ……。


 ズババババババババババババッ!


 私の無数の突きを受けたデッドマーカーが、まるでサブリミナル効果のように沢山のポリゴンと共に姿を変えていく。


 その中には山羊くんの姿もあったような気がしたけど、能力的には山羊くんとは違うのか、私の一撃を食らって簡単に姿を変えてしまっている。


 衝撃にデッドマーカーの体が歪み、吹き飛ぼうとするけど、吹き飛ぶよりも前に突きを斜めに入れてデッドマーカーの体をこちらに引き込み、それを許さない。


 瞬間的には、デッドマーカーはグネグネと動く奇妙なサンドバックに見えたのではないだろうか?


 そして、私の突きが終わった時にはデッドマーカーはポリゴンだけを散らして、私の目の前から姿を消していた――。


 ユフィちゃんの言葉でちょっと本気になっちゃったよ。……全く。


 ――ザバン!


「…………」


 そして、気がついたら私は軍服姿で風呂に浸かっていた。


 …………。


 交信の時間が切れたから帰ってきたのか、信徒のお願いを神様が叶えたってことで帰ってきたのかは知らないけど……。


「これはちょっと嫌がらせが過ぎませんかね?」


 なお、その後の交易は濡れた格好のまま続けて、ルーシーさんに変な目で見られたけど、なんとか上手くいったよ!


 ■□■


 ちなみに後日聞いた話だと、暗黒の森に取り残されたユフィちゃんとミミちゃんはちゃんと厨二担当が回収したらしい。


 そして、その厨二担当の戦う姿に惚れ込んでしまったのか、ミミちゃんがちょっとだけ厨二病を患ってしまったのだけど……。


 それはまた別の話である。

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