第231話

【ユフィ視点】


 ヤマモト領にとって、初の他領との交易は現在のところ順調に進んでいるようです。


 私はヤマモト様に頼まれて、回遊都市マーマソーからの交易品の品定めに参加した後、領主屋敷の中でお茶をぐメイドとして再び待機する予定でした。


 ですが、その予定は早々に崩れてしまいます。


 ヤマモト様がバイオレット様と屋敷に戻るのを確認した後で、私は少しだけ足早に屋敷の西側に向かいます。


 領主屋敷の西側には厨二担当ジョーカーさんの店がポツンと建っているだけで、他には何もありません。


 だからからこそ、見えてしまったというか……。


「ヤマモト様が家の中に閉じ籠もってるようにと言ったんですけど……」


 西側の暗黒の森との境目付近に子供が三人立っているのが見えました。


 あの後ろ姿には見覚えがあります。


 ルーク、アベル、ジョージの三人組でしょう。


 あの三人は子供たちの中でも年長者であり、もっと小さな子供たちのお手本となるように立派に行動して欲しいのですが、やはり遊びたい盛りでもあるのか、ヤマモト様の命令に逆らって勝手に外に飛び出してしまっていたようです。


 ヤマモト様は子供たちが粗相をして、手打ちになったりしないようにと配慮されていたのですが、親の心子知らずとはまさにこのことでしょうか。


 とにかく、こんな場面をヤマモト様に見られたらショックを受けかねません。


 私がどう言って三人に家に戻るように言い聞かせようかと考えていると、三人が血相を変えてこちらに走ってきます。


 私に見つかったことを知って逃げ出してきた、というわけではないようですが……。


「せ、先生! ミミが、ミミが!」

「神獣様がミミを!」

「神獣様がクモで!」


 慌てた三人の言葉は要領を得ません。


 ですが、その態度からただ事ではない雰囲気を感じ取ります。


「落ち着いて? ひとつひとつ順番に説明して? ね?」


 私の落ち着いた態度に少しだけ平常心を取り戻したのか、代表してジョージくんが説明し始めます。


 途切れ途切れの内容を繋ぎ合わせて解読するのに苦労しましたが、その内容は驚くべきものでした。


 驚きのあまり思わずその内容を口に出してしまいます。


「モンスターが神獣様に化けていて……、そのモンスターに近づいたミミちゃんが攫われた……?」

「ミミは神獣様がこの村に近づいちゃいけないって領主様に言われてるのを知ってたから、神獣様に注意しようとしたんだ! そしたら、神獣様の姿からいきなり蜘蛛のバケモノになって! ミミが糸で巻かれて!」


 神獣様の姿に擬態するモンスター……?


 それにミミちゃんが騙されて、暗黒の森の中に足を踏み入れた瞬間、ミミちゃんを攫っていった?


 高い知能を持つ暗黒の森のモンスターの話は聞いたことがありますが、まさかここまで狡猾だとは……。


 ですが、まだミミちゃんの安否が絶望的になったというわけではありません。


 糸でミミちゃんを絡め取ったということは、まだミミちゃんは生きているということ。


 蜘蛛型のモンスターは獲物に毒を注入し、その体を麻痺させて後で食べるというような記載を図書館の本で読んだ覚えがあります。


 今ならまだ間に合う……でしょうか?


 ちらりと私が暗黒の森に視線を送ると、その蜘蛛型のモンスターは大型だったのでしょう。


 森が破壊された痕跡が残っています。


 ですが、今も時間が経つに連れて森の姿が元に戻っていくのが見えます。


 このままでは、痕跡が消えてしまって、そのモンスターの後を追うのが難しくなってしまうかもしれない――。


「ヤマモト様に――」


 口に出してから、それはできないことを思い出します。


 ヤマモト様は今、バイオレット様との交渉の真っ最中。


 その最中さなかに余計な情報を入れてしまっては混乱させてしまうことでしょう。


 同じく、兵士さんたちのお世話をしている屋敷担当クイーン様にも話を通すことはできません。


 だとしたら、残るは御一方おひとかただけです。


「あなた達は厨二担当ジョーカー様にこの話を伝えなさい。そこのお店にいない場合は領地内を探し回ってでも伝えなさい。ただし、お客様の前ではお行儀よく行動するのですよ?」

「わ、わかりました……」

「せ、先生はどうするのですか……?」

「私は――……ミミちゃんを追います」


 自分の中の思いを言葉にした途端にぶるりと背中が震えます。


 私のステータスは、オール三百オーバー。


 A級冒険者と同等かそれ以上の強さが私にはあります。


 ですが、暗黒の森に入るにはあまりに心細い強さ。


 もしかしたら、何もできずに死んでしまうかもしれない。


 でも、ミミちゃんはそれ以上に絶望的な状況に置かれていることでしょう。


 かつては、私も絶望的な状況に囚われていました。


 でも、ヤマモト様に救われた……。


 今度は私がヤマモト様の巫女として、ミミちゃんを救う番です。


 …………。


 でも、怖い……。


 怖くて震えが止まらない……。


 死んじゃうかもしれない、死にたくないという思いが溢れてきて、私は思わず三人を抱きしめてしまいます。


 生徒たちに怖くて泣いてるのを見られたくなかったから……。


 だから、誤魔化すように生徒たちを抱きしめて、心を落ち着けます。


「先生がなんとかしてみるから。だからみんな安心して……」

「うぅ、先生ぇ……」

「僕たちが言いつけを破ったりしなければ……」

「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 子供たちも私が悲壮な決意をしていることに気がいたのでしょう。


 つられてわんわんと泣き出してしまいました。


 私はそんな子供たちの頭を軽く撫でてから、暗黒の森に向かいます。


 泣き止むのを待ってる時間はありません。


 今も追跡のための痕跡は徐々に消えていってるのですから、ミミちゃんのためを思うのなら、覚悟を決めて暗黒の森に飛び込まねばなりません。


 震えはいつの間にか止まっていました。


 子供たちの泣く姿を見たことで、私がしっかりしないと……と、そういう気持ちになったのが大きかったのかもしれません。


 もしくは生き残るために体が自然と震えを止めたのかも……。


 答えはわかりませんが、覚悟は決まりました。


「いきます――」


 私は静かにそう呟くと暗黒の森に足を踏み入れるのでした。


 ■□■


 走る、走る、走る――。


 足をひたすら前に投げ出すようにして暗黒の森の中を駆けていきます。


 手探りで道を切り拓いていく手間は要りません。


 何故なら、既に暗黒の森の中に広い道が出来上がっているからです。


 そこを足場が悪くて転びそうになったりもしますが、息せき切って駆けていきます。


「はぁ、はぁ、はぁ……!」


 時折、足元から木の根が伸びたり、視界の端から蔦が伸びたりして、遥か前方に向かって突き進んでいきますが、すぐに力を失くして地面に落ちてしまいます。


「落ち着いて行動しないと……」


 前を行く蜘蛛のモンスターは暗黒の森の攻撃を受けてもビクともしないくらいに頑丈でパワフルだということは見てわかります。


 そして、その時点で正面から挑んでも全く勝ち目がないことも理解できてしまいました。


 暗黒の森ではA級冒険者でさえ、簡単に命を落とすことがあります。


 そして、私の前を走るであろうモンスターはそんな暗黒の森の抵抗を苦にもしないほどのバケモノ……。


 どちらの強さが上かは、現時点ではっきりと理解できるでしょう。


 ですが、勘違いしてはいけません。


 私がやるべきことはミミちゃんの位置を調べ、ヤマモト様に伝えること――。


「オババさんから聞いた話ですと、神に仕える神官さんや巫女さんは月に一度だけ自身の仕える神に懸命に祈りを捧げることによって、神と会話することができるそうです。私にそれができるかはわからないですけど、それでヤマモト様にミミちゃんの居場所が伝えられれば……」


 月に一度という希少性からまだ試したことはないので、上手くできる保証はありません。


 けれど、現状でできそうなのは、蜘蛛のモンスターに追いつき、その奇跡を以てミミちゃんの居場所をヤマモト様に伝えるぐらいしか、私には思いつきません。


 もう少し、相手のモンスターの強さが弱ければ、私だけでもなんとかできたのかもしれないのですが……。


 今は完全に相手の力が上だということを理解し、冷静に手立てを考えている自分がいます。


 もし、会話ができなかった場合には、厨二担当様の到着を頼りにして、蜘蛛のモンスター相手に時間稼ぎを行うだとか……。


 こうして追っている最中にも森の中を偶然神獣様が通りかからないかと視線を巡らせたりだとか……。


 そうしたことを考えながらも私は懸命に前を行くモンスターを追いかけます。


 同時に、冷静な思考の中で、私の行動を批判する考えも浮かびます。


 ヤマモト様であれば、もしかしたら逃げた相手を追うようなスキルを持っているかもしれない……。


 私がミミちゃんを追うのはヤマモト様に対して負担をかける行為なのでは……?


 ……そう考えてしまうのです。


 ですが、モンスターに連れ去られたミミちゃんの絶望や恐怖を考えると、自然と体が動いてしまいます……。


 私自身が長い時間絶望と恐怖に囚われていたからこそ、私の生徒には同じような思いをさせたくないという感情が溢れ出てきて止められないのです……!


「はぁ、はぁ、はぁ……。――ッ!?」


 目の前が急に開けました。


 暗黒の森の中にこんな森の切れ目があるなんて……、と驚いたのも束の間です。


 私は目の前の光景を見て、ぞっと背筋を凍らせます。


「神獣……、様……?」


 巨大な木の枝に糸のような物で吊るされた神獣様の姿が見えます。


 それも一体や二体ではありません。


 合計八体の神獣様が吊るされ、その姿はまるで天日に干された服のように薄っぺらくなっているように見えます。


「これは何……? まるで中身だけを吸い取られたかのような……」


 言うなれば、外側の皮だけ。


 それを服のように干している光景に鳥肌が立って止まりません。


 それが、海産物や洗濯物であれば、あるいはほのぼのとした光景だったことでしょう。


 いえ、森の中ですからやはり不気味だったかも……。


 とにかく、皮だけの姿になって吊るされてるのは神獣様なのです!


「ミミちゃんを攫ったモンスターは、神獣様よりも強い……?」


 神獣様の正確な強さは把握していません。


 けれど、蜘蛛のモンスターが神獣様をのは確実でしょう。


 ここまできて、私は自分が蜘蛛のモンスターを過小評価していたことに気づきます。


 領地から人を攫うのに、わざわざ私たちと親しい神獣様の格好をして出現するほどのずる賢いモンスターなのに、逃走方法があまりにもお粗末だったのは何故でしょうか?


 まるでこちらに逃げていますと言わんばかりに森を破壊して痕跡を残しつつ、追う人間を誘導するように導いていたのは何故でしょうか?


 ……私は背筋を凍らせます。


「誘い込まれた……?」 


 私は慌てて周囲に視線を走らせます。


 木に吊るされた神獣様以外に、蜘蛛のモンスターの姿はありません。


 同時にミミちゃんの姿も見当たりません。


 私が追ってきた森の道は早くも道幅を狭め、退路を塞ごうとする動きを見せています。


 一瞬、逃げた方がいいのではと恐怖心が私をつつきますが、私は結論を出せません。


 危険にびんな冒険者だったら、もっと早くに撤退していたのかもしれません……。


 けれど、私はただの学生です。


 そんな決断を即座に下せるほど、成熟していません……。


「…………」


 私は臆病です。


 ミミちゃんを見捨てて退くことも決断できなければ、モンスターに誘い込まれたことを承知で突き進むこともできない。


 フラフラと波間に漂う小舟のように、状況に流されることしかできない。


 結局、私は当初の指針に従うことしかできませんでした。


 ヤマモト様に縋ることにしたのです。


 心の弱さをヤマモト様に対する信仰……あるいは信頼で埋める……そうすると不思議なもので、今まで見えていなかった景色が見えてきます。


 視野が広がるとでも言うべきでしょうか?


 むしろ、今までが緊張と恐怖で見えていなかっただけなのかも……。


 何か物音のようなものが聞こえ、私は森の切れ目よりも先に足を踏み入れます。


 そこには、木々の枝から糸によって垂れ下がる様々なモンスターの姿がありました。


 そのいずれもが、神獣様と同じように皮だけの状態となって吊るされています。


 風にそよぐ皮のコレクションを見た時、私の脳裏にパッと何かが思い起こされます。


 それは遠い昔に見た記憶――。


 子供の頃に見た……魔王国の住民であれば、誰もが知っている絵本です。


「そんな……、まさか……」


 ガサリと音の響いた方向にゆっくりと近づいていきます。


 そこには糸によって吊るされたミミちゃんと、蜘蛛の下半身に女性の上半身を持ったモンスターがいました。


 一見すると、アラクネという半人半蜘蛛のモンスターに似ています。


 ですが、そのモンスターの口が徐々に細く尖っていき、まるで針のようになったかと思うと、その先端をミミちゃんの頭に突き刺そうとしているのを見て……その判断を覆します。


「デッドマーカー……」


 その光景を見た瞬間、私は思わずそう呟いてしまいました。


 そして――、


 ギョロリ。


 口元だけセミのようになった女性は、首だけを回して私の方を振り向くとニタリと目だけで笑うのでした……。

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