第3話 勇者が天使となった日に
──100年以上昔。
天界にて。
目を灼くような光、それが人の形を成して切り株に腰掛けていた。
その正面には黒い煙。
煙もまた人の形をしており、こちらは立っている。
時折、煙の内部ではグスグスと何かが燃えるような反応がある。
煙はよく通る声で話し始める。
「ご覧ください、この幾百の世界を。あなたがお創りになったその全てを! 全ての世界の未来をご覧ください!」
【見ているが?】
「どの世界においても、あなたは忘れ去られる。いなかった事になる。微塵の痕跡すら遺さずあなたは失われる!」
【そうだな。】
「あなたが全てをお創りになった時、この天界における4000年ほど前でしたか? 私は警告致しました! このまま行けばあなたは忘れ去られると!」
【……。】
「なのにあなたは何もしなかった! 何が『自由意志を尊重』ですか! 結果としてヤツらは感謝もせず、敬いもせず、唯々腐り果てるだけのゴミとなった!」
【それは言い過ぎだろう。彼らも一生懸命生きているのだ。】
「妬み合う事に命を費やす生き物が、一生懸命生きている訳ないでしょう!? 私が警告した通り、あなたはもうあと僅かで失われる! 自分の作り出したルールと、生み出したゴミどもによって。」
【お前は警告したのではなく、そうなるように暗躍していたじゃないか。】
「は?! 知っていて何もしなかったのですか?」
【ああ。】
淡々と返る答えに煙が苛立ちを隠さなくなる。
「俺はその余裕綽々な態度が気にくわねぇんだよ! あんたはもう詰みだ!王手だ!チェックメイトだ! これからは俺があんたの椅子に座る! 見ていろ何もできなくなった神よ!」
煙が大爆発を起こし、雲の床を焦がしながら霧散する。
神はどこかともなくジョウロを取り出すと焦げた雲に水を撒く。
【ままならないものだね。】
知恵のある生き物達を愛している。
彼らが自分の意志で愛を返してくれたなら最高だと思う。
だが、そうなるように仕組むのでは意味がないのだ。
仮に、不幸な結末を迎える神知らぬ者がある。
それを捻じ曲げたとて「やったー! 俺は運がいい!」と自分を賛美するだろう。
だから、自分を信頼する者が助けを求めればすぐにでも介入しようと決めた。
だが、それもまた難しい。
神知らぬ悪人から取り上げて、神に助けを求める者に与えればいいのだろうか。
人の目から見て悪人だとしても、押し並べて愛する者たちである。
助けを求める者に限りなく与えたらどうか? 御し難いもので、困った時の神頼み、満ち足りるものは神を忘れるのだ。
何と不完全で愛おしい生き物達だろうか。
【この悲しい仕組みそのものに抗ってくれる。そんな勇士がいつか生まれてくれたら…。】
独り言を呟く天界の空はどこまでも青かった。
ーーーーーーーー
──とある世界。
今でこそ天使となった彼が、まだ尖っていた頃。
一人の青年がクチウラを指差して言う。
「お前を勇者パーティから追放する!」
「ほう? 勇者である俺を勇者パーティから追放するとはお笑いだぜ。」
「何が“お笑いだぜ”だ! お前のせいで何もかもがおかしくなったんだ!
そもそも何で勇者パーティに勇者が6人もいるんだよ!」
それぞれがその言葉に同意する。
今の勇者パーティは勇者6人に魔王1人である。
「それが、俺のせいだとでも?」
「そりゃそうだろ! オレたちの権能を見てみろよ!
アインは『鉄壁』、イーラは『雷神』、
ウィルは『魔法気功』、エドは『勇気』、
そしてオレは『正義の鎖』。
なのにお前は『バッドエンド粉砕職人』だぞ!
どう見てもおかしいだろ!」
うんうんと頷く一同。
クチウラの追放は勇者5人の総意だった。
そこへ、一人の少女が割り込む。
「待つのじゃ! これ以上クチウラへの暴言は許さぬぞ!」
彼らより頭一つ低い背丈、2本のツノにリボンを結んでいるのが特徴の女性である。
見た目こそ少女のこの人物は「魔王」であった。
だが、勇者は引かずに彼女にも詰め寄る。
「お前もお前だ! なんで魔王が勇者パーティに加入しているんだよ! オレらは何のために旅を続けてるんだっての!」
「そうよ! アンタはアタシ達勇者に目的があったんじゃなくて、クチウラ個人に興味があった。その事自体、コイツが異常なことの証明じゃないのよ!」
そんな様子にクチウラはこれ見よがしにため息をつく。
「お前ら1人じゃあ勇者として足りないから、バッドエンドにならないよう俺の権能で人数が増えたんだろ? それにそんな子どもが魔王だなんて誰が信じる? 誰に魔王討伐を誇るんだ? そんなこともわかんねぇのか?」
火に油を注ぐ。
「言うに事欠いてオレらが勇者として足りないだとぉ!? 手前ェはどうなんだ! 山賊を壊滅させろと言われれば開拓村に斡旋しやがった!」
「ダークエルフを追い払うと任務の時なんて、森ごとどっかに転移させたこともあったわ。
悪を滅ぼすのが勇者でしょうよ!」
喧々囂々といった様子で口々に責め立てる。
火中の本人だけは冷静なもので、やれやれと頭を振る。
「わぁーったよ、めんどくせえな。じゃあ俺はここでお別れだ。」
そう言うと追求の言葉が止まないうちから歩き始める。
誰の声も無視してスタスタと去っていった。
「チッ! 逃げ足の早いヤツ。」
その背中に悪態だけが吐かれる。
彼らは今までの愚行について頭を下げさせるまでが目的だったが、わざわざ追いかけるのも馬鹿らしかった。
一方、一人だけ追いかける者があった。
「待つのじゃ、クチウラ! わらわを置いていくとは許さぬぞ!」
クチウラは振り返ると首を傾げた。
「……? 魔王、なぜついてきた?」
「なぜって、お主に…。いや、監視じゃ。勇者を見張らねばなるまい。」
「なら、俺についてくる必要はないだろう。俺は勇者パーティを追放された以上、勇者ではなくなった。ただのクチウラだ。」
「えっ、そういうもの? じゃが…お主に…。」
「俺はただのクチウラで、お前は今も魔王。何の関係もない。旅に同行したいと言うなら、それに相応しい関係性ってものがあるだろう?」
「相応しい関係性!? そ、それはつまり男と女の…ゴニョゴニョ…。」
顔を真っ赤にする魔王。
彼は単に肩書きの話をしているに過ぎないのだが。
「魔王を辞めて、ただのお前になったら俺を追いかけて来いよ。」
「…。」
俯く魔王だったが、再び顔を上げた時には笑顔だった。
「わかったのじゃ。立派なれでぃーになって追いかけて見せようぞ!」
そう言って二人は別れる。
一方はアテのない旅に。
もう一方は、勘違いをしたまま(花嫁)修行に。
それからただのクチウラは真っ直ぐに歩き続けた。
ただひたすらに、もしかしたら何ヶ月も。
山の上を歩き、海の上を歩き。
十字路を右、左、右を見てから歩き。
敷かれたレールの上を歩かず、
空想の上も歩いた。
そして今は雲の上を歩いていた。
もしかすると何かの渦の中を通ったような気がしなくもない。
そんな雲の平原を行くクチウラに声がかかる。
【やあ! 待っていたよ!】
不思議な声だった。
ただ真っ直ぐ歩いていたクチウラにとって、初めて足を止めて聞くに値する声。
優しい落雷のような、聞いたことのない響きだった。
振り向くと強烈な光が人の形を成していた。
クチウラは素直に見たままを述べる。
「アンタ、めちゃくちゃ光ってるな。」
【わかっていたことだが、私が見えるというのはやはり驚くな…。】
「うん? ああ、いや、顔はわからん。光ってるからな。」
【うーむ。私が見えて命が無事だなんて奇跡としか言えないね。】
どことなく噛み合わない会話だった。
しかしクチウラはこの相手に興味を持つ。
今まで会った誰よりも不思議な存在だった。
「それで? アンタは何者だ?」
【それはもちろん、神様さ!】
「あー、ハイハイ。神様ね。」
クチウラは露骨に落胆する。
ここに至るまで、神を称する様々な存在に出会ってきた。
“海神”とは槍で格闘した。普通に勝てた。
“山の神”は気のいい好青年で、共に走った。
元いた勇者パーティの一人は“雷神”だった。
勇者を任命する神託委員会は“白の神”を信奉している。
でも、どれも力を持つ人に過ぎなかった。
この存在もそういう輩なんだな。と。
「それで? アンタは何の神なんだ?」
【何の、などということはない。敢えて言うなら“全部の”だな。】
「大きく出たな。だったらよ…」
【ハイ、ストップ。今キミは神を試そうとしたね? それはおすすめしない。
それにその方法は間違っている。私に金銭の賭けを挑んで、キミの能力が通用するか試そうとしたんだろうけど、私は財を失うことを惜しまないからね。】
「ほう? 俺の頭の中を読んだのか?」
【いや、知ってるんだよ。私はキミの想像の外にある。】
「…。」
【さて、先に結論を言っておこう。キミは私の部下として働くことになる。それはキミ自身が自分を疑っていることへの解決としてだ。
キミは誰かの不幸を覆す能力があるのに、どうやっても相手を幸せにするビジョンが浮かばないのだろう?】
クチウラは虚を突かれて驚く。
「アンタの言葉はすげーな。信じてもいいかなって気になる。これで嘘だったら大した詐欺師だぜ?」
【まあ、そう思うよね。見なさい。】
突然、無数の球体が双方を取り囲む。
色とりどりで、大きさもまばらな半透明な球体だった。
【これの一つ一つが世界だ。どう思う?】
不思議な威圧感を感じる球体群。
やはりクチウラは感じたままを述べる。
「なんつーか、寂しいな?」
【そーなんだよ。作った時はもっと輝いていたんだ。】
「ふーん? なんで寂しくなってるんだ?」
【いいところに気付くね。ズバリ世界が、世界を作った私を…忘れているからだね。】
「世界を創った…? ああ、思い出した。確か魔王が言ってたな。そんな神の伝説があるとか。」
【そうそう。ソレ私。】
人の形を成す光は自分をアピールする。
【ホラ? 見ての通り私は光だろう? その世界で私を知る者が足りなくなると寂しくなる…というか悪い力が働きやすくなる。】
「…悪い力ねぇ。」
【例えば、心の支えとなっているものが偶然壊れやすくなる。天災のような人の力や意志に依らない部分が望みとは逆に働いたり、子を望む者が子を授からなかったりね。】
「うん? 悪人が増えるってわけじゃないのか?」
【直接的に悪を望む者が突然増えると言うよりも、そのための土壌ができやすくなる。
私を知る者が悪の道に堕ろうとしたなら全力で引き戻すけれど、なぜか私を知る者ってそれより敵に狙われやすいんだよね。】
「じゃあ、そいつらが狙われるのを見てるだけなのか?」
【いや、祈りを通じて“私に”願うのなら、直接的にでも助けるさ。でも、私の存在を知っているだけで、私が何でもできるって信じてくれないんだよね。
私は出来るだけみんな幸せになって欲しいし、不幸な目から助けてあげたいんだけどね。キミが手伝ってくれたらって思うよ。】
「ふーん。せっかくだが、俺には関係ないな。
さっきアンタが言った通り、俺は誰かを幸せにする自分の姿が浮かばないし、そうする義理もない。
ま、アンタの話、なかなか面白かったよ。じゃあな。」
吐き捨てて背を向けようとする。
そこに声がかかる。
【そう言うと思ったよ。でも先に答えを出しちゃうと、キミにとっての「誰か」とは特定の誰のことではなく「目についた全員」全てを助けたいってことなんだけどね。】
「ああ?」
無視できない言葉にクチウラが振り返る。
勝手に自分の望みを決めるな、と憤慨した。
そんな彼の前に一つの球体が移動する。
【キミはどう思うかい? それ、キミのいた世界なんだけど。】
世界を写した球体がどんどん拡大して、ある景色を映し出す。
石造りの要塞の中。
見覚えのある少女がそこには映っている。
手足を鎖で繋がれ、ツノに結ばれたリボンが千切れている。
「オイ! なんだこれは!」
少女の周囲には数人。
やはり見覚えのある顔で、共に勇者を名乗っていた者たち。
おぞましい邪悪な顔を浮かべている。
一体どちらが“魔”なのかわからないほど。
【さっきキミが言ったじゃないか。魔王というその女の子が私のことを知っているって。だから敵に狙われているんだね。】
「そうじゃねぇ、どうしてこんな事が起きている!」
【勇者が魔王を討伐しようとしているみたいだね。】
クチウラは言葉を失う。
それは思い出せば“当たり前のこと”だった。
映像の中で、勇者の1人が皮袋から
そしてソレを少女の大腿に垂らした。
牙ミミズは近くにやわらかい肉がある事に気付くと、自分の棲家にしようと肉を食い破る…。
少女が痛みで暴れるが、鎖は切れない。
「オイヤメロォ! 何をしていやがる!」
映像の勇者たちは喜びに満ちた顔をしている。
その手には2匹目のミミズが握られている。
「お前ぇ! 見てないで何とかしろよ! 神なんだろ!?」
【さっきも言っただろ、私を知っていても、信じていない。私に助けを求めていないんだって。】
淡白にそう返る言葉。
そんな態度にさらに怒りを募らせる。
「じゃあ、アンタにはこれは当たり前の結果なのか!? それを見過ごすんならアンタが仕組んだも同じじゃねぇか!!」
その言葉に突然、光の塊が数倍の大きさに膨張する。
そして、目を開けていられないほどの真っ赤な閃光となる。
【私/俺/神/我が! この状況を! 望んだとでも!?】
「……!?」
雷を数倍する大音声。
不屈の精神を持つクチウラでさえ怯んでしまう。
光なのか、怒気そのものが圧力を持って迫っているのか。
【助けたいに決まってるだろうが! だが、この状況は彼女の選択の結果だ! なぜ私を知っていて信じない! なぜ頼らない! 祈らない! 彼女の意志でこの状況がある以上私は手を出さない!】
嵐のような圧力の中で、小さく反論する。
「…アンタを信じるように、変えたらいいじゃないか。」
巨大な赤い光の塊は、なおも怒気の波動をクチウラに照りつける。
【無理矢理に意志を変えろとでも!?
それで私を信じたら人形ではないか!
何のために自由を与えた?
自分の意思で信じ頼らねば意味がないのだ!】
怒りの波動を耐えるクチウラ。
そして反撃に出る。
「アンタ全部の神様なんだろ? 何とかできる力があるなら、何とかした方がいいに決まってるじゃねぇか!
俺がアンタなら、俺は絶対に見捨てない!
自分を信じる可能性があるやつを助けられる力があるなら、どんな手を使ってでも助けてやる!!!」
【ハイ、言質とりました!】
巨大化していた光がポンっと元の大きさに戻ると、パチンッと指を鳴らす。
すると苦しむ少女も、嗤う勇者も、石になったかのように動きを止める。
「は?」
【神様だもの。時間を止めるくらいは出来るさ。時間を巻き戻すことだって、ね。】
全てを逆戻しにするように世界の映像が戻っていく。
少女の大腿から出たミミズが勇者の手を経由して皮袋に収まる。
それをもう一度繰り返して、勇者が皮袋に手を入れた瞬間でピタリと止まる。
【ここがキミの最初で最後の分岐点だ。】
クチウラは光の塊に真っ直ぐ見つめられていることを意識する。
【私は私を信じない者…というより自分の意思で助けを求めない者に手を出さない。だがキミは違う。自分の意思で誰を助けたっていい。キミは私じゃない。
そして、今キミは
「…ああ。」
【…やるかい?】
「…ああ!」
【よっしゃ、キミは今日から天使だ。これを持って。さぁ、行ってこい!】
「のわ!」
テンション高めの神は、彼の手に2本のリボンを握らせる。
そのまま蹴飛ばされ、目の前の世界へと放り込まれる。
──その日から、全てのバッドエンド崩壊が始まったのだ。
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