第三十三話 『幸運の持ち主』

 魍魎もうりょう…すなわち妖怪。

人ならざる者であり、人の魂を喰らう者。

女子おなごの姿で在りながら、人の魂を喰らう魍魎もうりょうを、人々は『人喰姫ヒグメ』と呼んだ。



 『大火たいか』の国で育った緋叉那ひさなは、身寄りの無い者たちが集う宿舎で風樹かざき八重一郎やえいちろうと共に暮らしていた。

剣術を磨き上げ、強さを追い求める緋叉那。

しかし突如現れた空亡そらなき鈴鹿御前すずかごぜんに、国を破滅の危機へと追いやられる。

刀で応戦するも、鈴鹿御前の圧倒的な力に苦戦をいられる。

そこへ現れた八重一郎は、薙刀なぎなたで鈴鹿御前と対峙するのであった…。



「『かわした』んじゃない…『当たらなかった』んだよ。」


八重一郎は薙刀なぎなたの刀身を眺めながら言った。

離れた場所から見守る緋叉那は、この状況を理解出来ていなかった。

いや、それは八重一郎と直接対峙している鈴鹿御前も同様。


「どぉいうこぉとぉお…?なぁあんでぇ…?」


「なんでもなにも無いさ…ただ…」


八重一郎は奇妙な笑みを浮かべた。



「『運』が良かっただけさ。」



そう言い放つと、刀を右回しに大きく振った。

刀は風を切り裂き、力強い音と共に鈴鹿御前に切り掛かる。

しかし大振りな動作ゆえ、簡単に躱されてしまう。


「そぉおんなにぶいう動きぃい…!当たるわぁけがぁあ…」


その時、躱したはずの鈴鹿御前の胴体に、大きな切り傷が付いた。

激しく血が噴き出す。


「あぁあ…あれぇええ…?」



「どういう事だ…?」


緋叉那は考えた。

自分の目で追えていないだけで、攻撃が当たっていたのかもしれない。

しかし、あれ程大振りな動作を見間違える程、緋叉那は冷静さを欠いてはいなかった。

それに先程の八重一郎の言葉が引っかかる。

緋叉那は八重一郎の言葉を思い返していた。


『躱したんじゃない…当たらなかったんだよ。』



すると八重一郎は鈴鹿御前の胴体に刀を突き刺した。


「ぐぁぁあああああ…!!!」


「さっきのは攻撃を『躱された』んじゃなく、攻撃が『当たった』…だよ。つくづく僕は運が良いねぇ。」


胴の傷をえぐる様に刀を押し込む。

鈴鹿御前は、この奇妙な現象に混乱する。


「理解が追いつかないだろう?相手に能力を悟られる前に相手を倒すのが僕の戦略だよ。」


「うぐぐぐぐ…!!!」




「何を手こずっている?」



刹那…空亡のその一言により、注目は全てそちらに向いた。

空亡は鈴鹿御前の背後からゆっくりと歩み寄る。


「空亡様ぁあああ……ぐへっ…!」


鈴鹿御前は瞬時に地面へと叩きつけられた。

必然的に、八重一郎の刀も地面に落とされる。


「なっ…!」


それは重力によるものだった。

鈴鹿御前の顔面が、刀と共に地面にめり込む。


「くっ…!」


体感したことの無い重力に八重一郎は狼狽うろたえる。

次第に重力は八重一郎の体にも影響を及ぼす。

立っているのがままならない程の重圧が体にのし掛かる。


「ぐあっ…!」


やがて体は地面をう様に張り付いた。

八重一郎は視線だけ上に向ける。

そこには自分を見下ろす空亡の姿があった。


滑稽こっけいだな…人間よ。手も足もでまいか?」


「く…くそ…!」


「だが鈴鹿御前を相手にここまで踏ん張った事は褒めてやろう。褒美にお前の望みを一つ叶えてやる。可能な範囲内だが…言ってみろ。」


「へ…へぇ…。魍魎が情けをかけてくれるなんてねぇ。それじゃあ一つ…この国から出て行ってくれないかなぁ…。なんて…」


すると空亡は八重一郎を見つめた後、辺り全体を大きく見渡した。



「良かろう。その望み…叶えてやる。」



それは一瞬の出来事であった。


人々の悲鳴は一瞬にして止み、空虚な空には雲さえ見えない。

静まり返ったこの地には、耳鳴りが続くだけであった。


「あ……あぁ…」


呆然と立ち尽くす緋叉那の目に映ったものは、遥か遠くまで突き抜けた真っさらな大地だ。

先程まで映っていた景色は消え、そこに大火の国の面影など微塵みじんも無い。


緋叉那は膝から崩れ落ちた。

八重一郎は地面に張り付いたまま、その光景を目の当たりにする。


「な……なんということを…」


すると空亡は一瞬笑みを浮かべ、八重一郎たちに背を向けた。


「望み通り…お前らの国から出てやったぞ。」


それは余りにも残酷で許し難いものであった。



「うわぁぁぁぁぁあああああ…!!!」


叫んだのは緋叉那だった。

刀を握りしめ、空亡へと突っ込んで行く。


「いい表情だ!その感情こそ美しい!」


「やめろ!緋叉那ちゃん!!!」


八重一郎の声が緋叉那の耳に届くわけも無く、緋叉那は八重一郎を追い越し、空亡の背中に切り掛かる。


しかし、緋叉那の目の前に鈴鹿御前が立ちはだかる。


「ざぁあんねぇえんん…!!!」


「うわぁああああああ…!!!」


緋叉那は訳も分からず、無我夢中で刀を振り下ろした。


その時、刀は突然光を放ち、緋叉那たちを包み込んだ。

これには空亡も驚き振り返る。


「なんだ…!?」


光はやがて縮小し、大きな爆発と共に辺り一面を吹き飛ばした。


「くっ…!なんだあの小娘…」


空亡は目を細め、右腕で顔を覆い爆風をしのぐ。

そして大きく腕を振り、爆風を一瞬にしてき消した。


空亡は目の前の光景に驚いた。

そこには刀を構えた緋叉那の姿と、それに取りく様に背後から現れる鈴鹿御前の姿があったのだ。


「どういう…ことだ…?」


空亡は唖然とする。

先程までこちら側にいた魍魎が、緋叉那のがわにつき、あろうことかこちらに敵意を向けているからだ。


「緋叉那様ぁぁあああ…?緋叉那さぁ…ま?」



すると地面に転がる八重一郎は、その光景を目の当たりにする。


「ま…まさか…。あの魍魎を刀に封印しちゃったのかい…?緋叉那ちゃん…。」


独り言の様に静かに呟く。

そしてそばに倒れている風樹の存在に気がつく。


「…げほっ…ごほっ…」


風樹は砂煙のせいで咳き込んだ。

命に別状は無いようだ。


八重一郎は溜息をつく。


「今日はとことん…運が良い。」


再び緋叉那の方に視線を向ける。

今にも飛び出しそうな鈴鹿御前と、全神経を研ぎ澄ます緋叉那。

そして対峙する空亡は、どこか表情が固い。


「妖力の使い過ぎか…。これでは本来の目的が果たせんな。」


「貴様の目的は何だ!」


緋叉那が強い口調で問う。



「五年後…お前がまだ生きていれば教えてやる。」


すると空亡は、緋叉那に向かって右の手のひらを突き出した。



「眠れ。」


「…え?」


次の瞬間、空亡の手のひらから放たれた衝撃波により、辺りは爆煙に包まれた。



 …荒れた大地に雨が降り始めた。

まるで終戦を告げている様だった。

改めて冷静になってみると、生き残ったのは自分達三人だけだと分かった。

次第に体が小刻みに震え出した。

これは怒りと悲しみからくるものである。

そして握った刀が地面に勢いよく刺さる。


「亡き大火の国へ…犠牲となった人達へ…

必ず空亡を殺し、世界に平和を取り戻す。」


緋色の姫は、降り注ぐ雨に逆らうように空を見上げた。


「それが我ら…『魍魎剣士もうりょうけんし』の使命だ。」


こうして緋叉那一行は、魍魎を滅する旅を始めたのであった…。




 緋叉那の吐息により、灯されていた蝋燭ろうそくの火は消された。

十太郎たちは相変わらず深刻な顔付きだ。

八重一郎は目を瞑り、風樹は左頬に付いた傷痕きずあとを優しくでる。


すると緋叉那は十太郎を見つめ、語りかけた。


「これが現実いま起きている奇譚きたんの全てだ。」


そう告げると、緋叉那は再び立ち上がった。

そして十太郎と月乃の顔を順に視線で追った。


「これらを踏まえてもう一度言う。」


十太郎と月乃はそれぞれ立ち上がった。


「柳楽十太郎!そして山城国の月乃!お前たち二人を我ら魍魎剣士に迎え入れる!」


二人の目に迷いは無かった。


「同志としてお前たちの力を貸してほしい!」


緋叉那の言葉に、二人はうなずいた。


「こんな話聞かされて、断る理由が見つからないぜ!」


「強い味方は大勢いた方が心強いです!宜しくお願いします!」



「決まりだな。」


緋叉那は風樹と八重一郎と顔を見合わせた。

二人の表情に自然と笑みが溢れる。


「足引っ張んじゃねぇぞ!」


「新たな旅の始まりだねぇ。」


緋叉那は真ん中に拳を突き立てた。


「これより…我ら魍魎剣士は『北の国』へ向かう!」


五人の拳は合わせられた。

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