第三十二話 『追憶』

 魍魎もうりょう…すなわち妖怪。

人ならざる者であり、人の魂を喰らう者。

女子おなごの姿で在りながら、人の魂を喰らう魍魎もうりょうを、人々は『人喰姫ヒグメ』と呼んだ。



 時はさかのぼること五年前…

此処ここに『大火たいか』と言う国が存在した。

紅葉の木に囲まれた小さな国…ここが緋叉那ひさなの故郷であった。


当時十五歳の彼女は、七年前に両親を亡くし、身寄りの無い者が集う宿舎で暮らしてきた。


風樹かざき八重一郎やえいちろうとはここで出逢った。

風樹は歳が五つ離れた緋叉那を実の姉の様にしたっていた。

八重一郎は宿舎の管理人で、父親の様な存在であった。


宿舎ここでは剣術に励んだ。

一人でも強く生きていけるようにと、八重一郎は剣術をいていた。

中でもいちじるしい成長を見せていたのが緋叉那である。

僅か十五にして、その剣術は大火のあらゆる武士をまさっていた。


緋叉那の刀捌かたなさばきは特別であった。

可憐かれんで一切無駄の無い動き、そして異常なまでに研ぎ澄まされた感覚と速力。

誰も緋叉那に敵う者など居なかった。



「いやぁ…緋叉那ちゃんは強いねぇ。僕はもうおじさんだから着いていくのがやっとだよ。」


八重一郎は地面に座り込み、ひたいの汗を拳でぬぐった。

緋叉那は息ひとつ上げず、真剣をさやに収めた。


「この程度じゃまだまだ…大火で一番になっても意味が無い。私はもっと強くなりたい。」


冷徹なその目は、八重一郎を困らせる。


すると何やら物音を立てて、何かが接近してきた。


「緋叉那ぁあ!俺と勝負しろぉお!!!」


叫び声の主は風樹であった。

右手に持った木刀を振り回し、緋叉那の元へと駆け寄る。


生憎あいにく木刀とやり合う気にはなれん。私と闘いたいなら、真剣勝負あるのみ。」


そう告げると、緋叉那は風樹の目の前に刀を突き立てた。

鞘に収められているとはいえ、真剣を突き立てられた風樹は狼狽うろたえる。

それを見兼ねた八重一郎は仲裁に入る。


「まぁまぁ…風樹くんはその年齢にしては充分強いからね。」


「う…うるせぇ。」



「私がお前の歳の頃には、既に真剣を握っていたぞ。」


緋叉那は風樹を挑発する。


「んだとぉ!俺だって真剣くらい持ってらぁ!今は八重一郎のおっさんに取り上げられてるだけだ!その気になりゃあ、お前なんていつでも越えられる!」


「真剣を取り上げられている時点で、お前にはまだ早いと判断されたのだろう。それはお前の力がまだ未熟な証だ。」


「んだとぉ……!」


「まぁまぁ二人とも。確かに風樹くんの真剣は僕が預かっているが、それは単に風樹くんの力が未熟だからってわけじゃあない。」


「ほれみろ!」


風樹は鼻の下を伸ばしながら緋叉那に言った。


「しかし今のままではを扱いきれないっていうのも事実だよ。」


「ほら見たことか。」


次は緋叉那が冷めた目つきで言い放った。


「ぐぬぬ……。」


風樹は頬を赤らめながら、込み上げる怒りを食いしばった。

八重一郎は二人の姿を微笑ましく見つめていた。



 厄災…それは突然起こった。

国を覆った紅葉の木は炎に呑まれ、逃げ場を失った民たちは次々と魍魎のえさとなった。



「さぁ…鈴鹿御前すずかごぜん。この地の人間を全て食い尽くしてしまえ。」



それは青年の姿へと変貌を遂げた空亡だった。

背後には空亡の背丈を超える巨大な鈴鹿御前が、禍々まがまがしい妖気を放っていた。


「にんげぇえんん…!ころぉおすぅ…!!!」


鈴鹿御前は空亡の元を勢いよく離れると、辺りの建物を無作為に破壊し始めた。


「あはははははは…!たぁぁあのしぃい…!」


家を突き破り、街の奥へと突き進んで行く。


炎が物質を焼き尽くし轟々ごうごうと音を立てる。

瓦礫が崩れ落ち、人々は悲鳴を上げる。


空亡はこの惨劇をたのしむが如く、道の真ん中を優雅に歩いた。


「さぁさぁ人間よ…魍魎様のお通りだ!」


空亡は高らかに声を上げた。



 一方…鈴鹿御前は宿舎の前で止まっていた。

よく見ると、入り口の前には刀を構える緋叉那の姿があった。


「だぁれだぁあ…?おまえぇ…!」


「それはこちらの台詞だ。なんだ貴様のその姿は…」


刹那…緋叉那は鈴鹿御前の目の前から姿を消した。



「まるで化け物だな。」



その瞬間、緋叉那の振るった渾身の斬撃が、鈴鹿御前の顔面に激突する。

そのまま激しく吹き飛び隣の建物に衝突する。

緋叉那は地面に着地し、己の刀に視線を向ける。

何か違和感を感じ取ったのだ。

刀身に血液は付着しておらず、自身も切った感覚が無かったのだ。


その時、緋叉那の体を大きな白い手が覆った。

突然の出来事に反応出来なかった。


「ぐっ…!」


緋叉那は鈴鹿御前の手にとらわれる。


「つぅかまぁあえたぁああ…!あははは…!」


不気味に笑う魍魎の顔が徐々に迫る。


「はな…せ」


緋叉那は抵抗する事も出来ず、ただ喰われるのを待つのみだった。



「どぉぉおおおりゃあああ…!!!」


激しい威勢と共に空から現れたのは、木刀をかざした風樹だった。


「…風樹!?」


振り下ろされた木刀は鈴鹿御前の腕を切り付けた。


しかし、木刀は不格好に砕けた。


「…え?」


その瞬間、もう片方の拳が風樹を襲った。


「…ごふっ…!」


「風樹!!!」


風樹は激しく地面に叩きつけられ、既に意識を失った。


緋叉那は目の前の現実に驚愕した。

それと同時に死を悟った。


「…喰いたければ喰え。」


緋叉那の言葉に鈴鹿御前は反応する。


「いぃいいのぉおお…?」


すると緋叉那は目を瞑り、何故か微かに微笑んだ。


「構わんが…胃の中から貴様の腹をっ切ってやるから覚悟しておけ…!」


緋叉那は鋭い眼光で言い放った。



「…いぃいぃいよぉおお…!」


鈴鹿御前は歯茎を剥き出しにし、これ以上ないほどの笑みを浮かべ、口を大きく開いた。



「いただきますは…ちゃんと言ったのかい?」



その時、鈴鹿御前の大きく開いた口の中に薙刀なぎなたが突き刺さった。


緋叉那を握る力がゆるまった。


「…え?」


状況は理解出来ていないが、取り敢えずは助かった。

すると緋叉那は、風樹が横たわる方へと視線を向けた。



「八重一郎…!」


そこに居たのは風樹を介抱する八重一郎だった。

同時に、刀を投げた張本人だと悟る。


「僕もまだまだ…おとろえちゃいないって事かな?」


八重一郎は表情こそ笑っているが、魍魎を見つめるその目には殺意が込められていた。


緋叉那は八重一郎の元へ駆け寄る。


「風樹は無事か…?」


「体の半分がいかれちゃってるねぇ。なんでこんな無茶を…」


「私のせいだ…」


「緋叉那ちゃん…自分を責めちゃいけないよ。だって悪いのは…」


八重一郎は立ち上がった。


魍魎あいつらなんだから…。」


表情こそ豊かだが、その目は完全に怒った者の目だ。


「いつまで僕の刀をしゃぶっているつもりだい?いい加減返してもらうよ。」


そう告げると、八重一郎は凄まじい速さで鈴鹿御前の元へと移動した。

鈴鹿御前は八重一郎に向かって刀を吐き出した。


「こぉろぉおすぅ…!ころぉおおす…!」


刀は八重一郎の元へ戻り、付着した血液を薙ぎ払う。


「さぁて…そんじゃあいっちょやりますか。」


八重一郎は刀を両手で回転させた。

次第に砂煙を巻き起こす。


「どうだい?刀が回転しているのを見ると、昔の竹蜻蛉たけとんぼ独楽こまを思い出すだろう?」


その問いかけに、鈴鹿御前は反応を示さない。


「そんな顔するなよ…君に話し掛けているんじゃないんだから…。」


その時、八重一郎は右足を大きく踏み込んだ。


「君に言ってるんだよぉ!ほぉら起きろ!

座敷童子ざしきわらし』!」


その言葉を放った途端、八重一郎の周りを砂煙が激しく回り始めた。

鈴鹿御前は異変に気が付き、即座に右の拳を放った。


「だぁぁあああれぇぇえええぇえ…!?」


八重一郎を目掛けて勢いよく放たれた拳は、接触する寸前で軌道が変わった。

そのまま八重一郎が立つすぐそばの地面に拳がめり込む。


「なぁぁあんでぇぇえ…!?」


鈴鹿御前が困惑するのも無理はない。

確実にまととらえていたはずの攻撃が、不自然にかわされたのだ。


鈴鹿御前は地面に埋もれた右手を引き抜こうとする。

しかしその時、八重一郎は回転させた刀を両手で掴み、鈴鹿御前の右手に向かって勢いよく振り下ろした。


「よいしょお!!!」


右手は綺麗に切断され、血飛沫ちしぶきが舞う。


「ぐぁあぁあああああ…!!!」


鈴鹿御前の悲鳴が鳴り響く。

すると八重一郎は、ゆっくりと鈴鹿御前の方を向く。


「変だよねぇ…。確実に当てたと思ったのに、何で躱されたんだろうね。」


「なぁあんでぇえ…?なぁあんでぇえ…?」



「『躱した』んじゃない…『当たらなかった』んだよ。」


八重一郎は刀身を眺めながら笑った。

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