第二十八話 『緋色の剣』

 魍魎もうりょう…すなわち妖怪。

人ならざる者であり、人の魂を喰らう者。

女子おなごの姿で在りながら、人の魂を喰らう魍魎もうりょうを、人々は『人喰姫ヒグメ』と呼んだ。


 全ての魍魎をその手で封印すべく奮闘する少年『柳楽やぎら十太郎とうたろう』と、同志の少女『月乃つきの』は、百鬼ひゃっき魍魎もうりょうに対抗すべく、この世に存在する優れた五振ごふりの刀『天下五剣てんかごけん』の最後の一振ひとふりを求め、北の国『石加賀いしかが』を目指す。

御者ぎょしゃ(馬を運転する人)の男『吉助きちすけ』の馬車で進む二人だったが、休憩で立ち寄った村で『元太げんた』という少年と出会う。元太の祖父の安否を確認すべく、急遽祖父の住む『みさきの丘』へと同行することになった。しかし、二鬼の魍魎『野槌のづち』と『饕餮とうてつ』に行く手を阻まれるのであった…。


 十太郎は饕餮とうてつの巨大な拳を、二本の刀で受け止める。

背後にいる長子ながこは、地面から出現させた岩壁で十太郎を援護する。

饕餮とうてつの重く強烈な攻撃は、十太郎を押し潰す勢いだ。

十太郎の両足が地面にめり込む。

額から溢れる汗が地面に落ちる。


「くっ…この…!」


歯を食いしばり必死に耐える。

しかしそれも限界に近づいていた。


「ぐあぁぁあああ…!」


とうとう声を出さずにはいられなくなった。

月乃はその背後から見守ることしか出来ない。


「十太郎…!」


「小僧…耐えろ!」


長子の呼びかけに応える様に、十太郎は再び気を引き締めた。


「上がれぇええ…!」


その様子を見ていた饕餮とうてつは、十太郎を嘲笑あざわらう。


「ふん!いい加減潰れて死ね!」


饕餮とうてつは右腕を再び振り上げた。

巨大な拳の重みから一時的に解放されるが、その場を離れる力は残っていなかった。

十太郎はその場に両手をつく。

その間にも饕餮とうてつの拳は勢いよく振り下ろされる。

その時、長子は咄嗟に刀へと姿を変えた。

刀は空中で回転する。

それを掴んだのは月乃だった。

すると饕餮とうてつは月乃に言葉を言い放つ。


「お前の刀で俺は切れねぇ!」


しかし月乃は躊躇ちゅうちょすることなく刀を振りかざした。

そしてその刀は饕餮とうてつではなく、十太郎の足が埋まる地面の方へと振り下ろされた。


「……何!?」


驚く饕餮とうてつの目線の先には、地面を切り裂く月乃の姿があった。

地面から十太郎の足が抜ける。

すると今度は、十太郎の足元から岩壁が出現した。

そのまま十太郎を乗せて饕餮とうてつの頭上へと一気に上昇する。

上を見上げる饕餮とうてつの視界には、燃え盛るほのおまとった刀…童子切どうじぎりを天高くかざした十太郎の姿が飛び込んできた。


「…お前、さっき月乃に『お前の刀で俺は切れねぇ』…って言ってたな。」


「くっ…!」


「俺の刀ならお前を切れるぜ!」


饕餮とうてつは十太郎に切られた左の拳を思い出し、狼狽うろたえる。

十太郎はほむら太刀たちを勢いよく振り下ろした。


するとその時、十太郎と饕餮とうてつの間に何かが割り込んできた。

そしてそれは十太郎の斬撃を受け止めた。


「なっ…!?」


その正体は野槌のづちだった。


「どうした?僕が君の斬撃を受け止めた事がそんなに不思議かい?」


十太郎が驚いたのは、全力のほむら太刀たちを片手で受け止められたからだ。



「…雛鳥ひなどりは飛ぶにはまだ早いよ。」



次の瞬間、野槌のづちは十太郎を地面に向かって投げ飛ばした。

受け身を取ることも出来ずに地面に叩きつけられる。


「十太郎…!!!」


慌てて月乃が駆け寄る。

野槌のづち饕餮とうてつの頭の上に着地する。


「さて…饕餮とうてつ。君に任せると言ったけど、なかなか苦戦しているようだから…ここからは僕も加勢するよ。」


「けっ…!勝手にしやがれ!」



十太郎はよろめきながらも、月乃に支えられながらなんとか立ち上がった。


「ありがとな…月乃。…でも、今は逃げた方がいい。」


「…え?」


「今の俺達じゃ…こいつらには敵わなねぇ。」


十太郎は険しい表情で野槌のづちを睨んだ。


「相手の力量を測れないほど馬鹿では無いみたいだねぇ。それにしても妙な人間だ。魍魎をしたがえているとは…まぁ関係ないか。」


野槌のづちは長い舌を出して笑った。


「…どうせ殺すんだからね!」


野槌のづち饕餮とうてつの頭を蹴り、勢いよく飛び出した。

野槌のづちの右手には、鋭く伸びた五本の爪。

そこには毒々しい紫色の液体がまとわりつく。


「逃げろ!月乃!」


十太郎は月乃を庇う様に刀を構える。


「俺に毒は効かねぇぞ!」


野槌のづちに向かって言い放つ。

すると野槌のづちは突然速度を緩めた。

そして自らの右手に視線を向ける。


「…そうか。…ならば」


言葉が終わると同時に、その右手は急激に巨大化した。


「え…?」


「毒が効かないなら叩き潰すまでだ。」


それは十太郎の体を余裕で越えるほどの大きさだ。

十太郎は目の前の現実に呆然と立ち尽くすしか出来なかった。


刹那…十太郎の視界は真っ暗になった。


理解が追いつくのにかなりの時間を要した。

痛みは無い…。

訳も分からず、ただ目の前に映ったものを認識した。

それは『緋色ひいろ』だった。



「『ほむらつるぎ一閃火いっせんか』。」



その言葉を唱えたのは女の声だった。


次の瞬間、十太郎の視界を遮っていた緋色ひいろのそれは一瞬にして消えた。

そしてそれは激しいほのおまとった刀と共に、野槌のづちの巨大な右手と衝突した。


「くっ…なんだ!?」


野槌のづちの目の前には、緋色ひいろの髪を束ねた女の姿があった。


「毒爪か…。」


そう呟くと、女は刀に力を込めた。

すると刀は爆発的に妖力を増し、目に見えるほどのあかい妖気をまとった。

野槌のづちはこの光景に驚いた。


「まさか…貴様も刀に魍魎を…!?」



「出てこい…『鈴鹿御前すずかごぜん』!」



女の呼び声に呼応し、妖気は形を変え、大きく渦を巻き始める。

そしてそれは大きな黒髪の女へと変貌する。

手指の関節を奇妙に動かし、鋭く伸びた八重歯を剥き出し、黒目の無い白眼はくがんを見開いた。


「『緋叉那ひさな』様ぁあ…お呼びですかぁあ…?」


不気味な声を発し、奇妙な笑みを浮かべながら出現した。


「この魍魎の爪が邪魔だ。いでくれるか?」


「もちろん…!!!喜んでぇえ…!!!」


すると鈴鹿御前すずかごぜんは、奇声を発しながら両腕を広げた。

その瞬間、先程まで自身を包む様に渦巻いていた妖気が、大きな十本の刃へと変形した。

鈴鹿御前すずかごぜんは腕を交差させると、第二の両手の様に連動し、十本の刃は野槌のづちの右手に襲い掛かる。

野槌のづちは反射的にその場を離れた。

しかし、刃が右手に到達する速度の方がまさっていた。

刃は野槌のづちの右手に接触する。

切れ味が良過ぎるあまり、ただ刃が通過した様にしか見えなかった。

だがその時、野槌のづちの右手は一瞬にして八つ裂きとなった。

それと同時に大量の血が飛び散る。


「ぐわぁああああああ…!!!」


「あはははははは…!緋叉那ひさな様ぁ…!出来ましたぁあ…!!」


「良くやった…もう戻っていいぞ。」


緋叉那ひさなの命令通り、鈴鹿御前すずかごぜんは刀の中に戻っていった。

十太郎と月乃はこの状況を飲み込めずにいた。


「…誰?」


「わからない…けど…助かった。」


そんな二人を他所よそに、緋叉那ひさな野槌のづちに向かって歩いて行く。


「後ろのでかぶつもまとめて相手をしてやる。覚悟しろ。」


「くっ…何者だ…この女…」


後退りする野槌のづちに対し、次は饕餮とうてつが前線に立った。


「情けねぇ奴だ!さっきの威勢はどうした野槌のづちぃ!たかだか女一人…」


饕餮とうてつ…!!!よせ…!!!」


「あ?」


次の瞬間、饕餮とうてつの視界はゆがんだ。

逆さに映る景色。

饕餮とうてつは首を刎ねられ、頭が宙を舞っていたのだ。


「……っ!?」


饕餮とうてつ…!」


「の…づ…ち…お…おれ…」


野槌のづちは目を見開いた。

饕餮とうてつの頭は野槌のづちの目の前に落ちた。

一瞬の出来事に理解が追いつかず呆然とする。


饕餮とうてつ…!!!」



「どうした?そんなに狼狽うろたえて。魍魎にも仲間意識というものがあるのか?」


「くっ…貴様ぁ…。」


緋叉那ひさな野槌のづちを見るその目は、魍魎のそれよりも冷酷れいこくなものであった。


「安心しろ。すぐにお前もあの世へほおむってやる。」


その言葉に反応するように刀が小刻みに揺れた。

それはまるで刀の中で、魍魎がけらけらと笑っている様だった…。

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