第二十六話 『地を這う大蛇』

 魍魎もうりょう…すなわち妖怪。

人ならざる者であり、人の魂を喰らう者。

女子おなごの姿で在りながら、人の魂を喰らう魍魎もうりょうを、人々は『人喰姫ヒグメ』と呼んだ。



 天狐てんこの目の前に現れた大蛇は、とぐろを巻き、舌をちらつかせる。

鋭い牙を生やした口元からは、大量の唾液が分泌され、地面にぽたぽたとしたたる。


「気色の悪い蛇だ…。どこぞの蛇女に相手をさせれば良いものを…あの小童こわっぱめ。」


愚痴をこぼしながら、天狐は右の手のひらから刀を出現させた。


「まぁいい…ぶつ切りにしてやる。」


妖気がぶつかり合い、風が強くなる。

十太郎は未だ動く気配のない吉介きちすけに向かって、再び声を上げた。


「先に行ってくれ!吉介さん!」


吉介は躊躇ためらった。

少年一人を置き去りにして行けるものかと。

その様子を見兼ねて、屋形の中から月乃つきのが語りかける。


「吉介さん!ここは十太郎に任せましょう!」


「くっ…」


目を瞑り、十太郎から目をらす。

すると今度は、元太げんたが十太郎に言い放つ。


「本当に大丈夫なのか…?」


すると十太郎は背中を向けたまま言った。


「任せとけ!こう見えても強いんだぜ?」


元太は十太郎を信じることにした。


「吉介のおっちゃん!馬車を出してくれ!」


吉介は元太の声に押され、強く握ったむちを勢いよく振った。


「えぇええい…!死んでも俺を恨むなよ!」


むちは馬の尻に当たり、再び馬車が動き出した。



 十太郎は天狐の元へ駆け寄る。

改めて大蛇の大きさに圧倒される。


土蜘蛛つちぐもの比じゃ無いな…」


十太郎は思わず苦笑いを浮かべる。

自然と刀を握る手がりきむ。

すると天狐は刀をぶんぶんと振り回し始めた。


「どうしたわっぱ怖気おじけ付いたか?」


「へっ…誰が!」


その時、大蛇は勢いよく突進し、十太郎と天狐の会話をさまたげる。

左右に散らばり攻撃を避ける。

大蛇は地面を突き破り、そのまま中へと潜って行く。


「天狐!千里眼せんりがんで奴が出てくる場所を先読みしろ!」


「言われなくても分かっている!」


天狐は空中で目を閉じた。

千里眼…相手の行動を先読みする能力。

そして能力のみならず、気配…音…匂い…振動…視覚…あらゆる条件から次の行動を予測する。

そして天狐は悟った。


わっぱ…」


「どこだ…?」


「…ぬしの下だ。」


そう言い放った瞬間、十太郎の足元を突き破り、地面から大蛇が勢いよく飛び出した。


「もっと早く言えぇえ…!!!」


十太郎は空高く吹き飛ぶ。

すぐに大蛇の追撃がやってくる。

十太郎はほのおまとった童子切どうじぎりを盾に、空中で大蛇の鋭い牙による攻撃を防ぐ。


天狐は刀を地面に突き刺し妖術を使う。

五体の分身を出現させ大蛇に向かって走り出す。

本体の天狐は地面に両手をつけると、辺りに風を巻き起こした。

五体の分身は風に乗り、大蛇の頭部目掛けて飛び上がった。

そして一斉に刀を突き立てる。



退け…邪魔だわっぱ。」



十太郎は刀を大蛇の牙に押し付け、その反動で場を離れる。

その瞬間、五体の天狐は大蛇の頭に刀を突き刺した。


「シャアアアアアアアアア!!!」


大蛇は奇妙な叫び声と共に崩れ落ちる。

十太郎は燃え盛る刀を振りかざし、大蛇の元へと垂直に降りて行く。


「このままたたみ掛ける!」


手のひらの上で器用に刀を回転させると、両手でつかを握り、剣先を真下に向けた。


「『童子切どうじぎりほむら太刀たち流星群りゅうせいぐん』!」


十太郎の体は隕石いんせきの様な焔の球体に包まれ、大蛇の頭に衝突した。

その瞬間、辺りには大きな爆発が起こる。

その衝撃は、先を進む月乃たちの元へと到達する。

地面が大きく揺れ、強い爆風が吹き荒れる。

元太は咄嗟とっさに屋形にしがみ付いた。


「おわっ…!あぶねぇ…」


「十太郎…」


月乃は馬車の後ろから、見えない十太郎の姿を探した。



 砂煙は少しの間、十太郎たちの姿を隠していた。

すると天狐は両手を勢いよく広げ、風の力で砂煙を吹き飛ばした。

十太郎と天狐の姿がはっきりと見える。

その背後には、黒焦げになった大蛇が横たわっていた。

十太郎は振り返る。


「案外あっけなかったな…。」


天狐に語りかける。

すると天狐は大蛇の姿を見つめ異変に気づく。


「…おかしい。お主と衝突する寸前、此奴こやつの妖気が消えた。」


「…え?」


その瞬間、大蛇の体はぼろぼろと崩れ始めた。


「なっ…!?」


それは跡形もなく地面に崩れ落ちた。


すると童子切の中から清姫きよめが具現化した。



「おそらく…脱皮じゃの。」



「脱皮…?」


十太郎が問うと清姫は語り始めた。


「蛇の持つ特性じゃ…。皮膚を新しくする為に古い表皮を捨てる。化狐ばけぎつねに刺された際、すでに脱皮して地面の中へと逃げたんじゃろう。」


天狐は辺りを見渡した。

しかし清姫は首を横に振る。


「奴はもうここにはらん。まんまと出し抜かれたな。」


「…え?」


十太郎は状況を理解していなかった。

清姫は呆れた口調で言い放つ。



「わからんのか…奴の狙いは初めから馬車の方だったと言うことじゃ。」



十太郎の表情が凍りついた…。



 馬車は順調に進んでいた。

吉介は後ろを気にしながら馬を操る。


「元太ぁ…お前の爺ちゃん家はまだ着かねぇのか?」


「もう少しだ!この道を抜けた先にある!」


辺りは異様に静まり返っている。

聞こえるのは馬の足音と車輪の音だけだ。

月乃は何か嫌な予感がしてならなかった。

どうも心が落ち着かない。

この先に何かが待ち構えているのでは無いかと言う不安が襲ってくる。


すると黙り込む月乃を心配するように、元太は月乃の手を握った。


「お姉ちゃん…十太郎なら大丈夫だよ!」


元太の言葉に気付かされた。

心配事は十太郎の事も含まれているのだと。



「だって強いんだろ?十太郎!」



月乃は十太郎に『任せる』とは言ったものの、その言葉に責任を感じていた。

二人はまだ出会って間もない。

月乃は十太郎の力を完全に信用出来る程、長くは過ごしていなかった。


「…そうだよね。…うん…きっと大丈夫。」


月乃は自分に言い聞かせるように呟いた。



「見えたぞ!家がある!」


月乃は吉介の声で我に返る。

馬車はゆっくりと速度を落とし家に近づく。

二人は屋形から顔を覗かせ、前方にある家に視線を向けた。

それは家というより小屋と呼ぶ方が相応ふさわしい。

馬を飼っていたのであれば納得がいく。

吉介は元太に問うた。


「お前の爺ちゃん…馬小屋にでも住んでいたのか?」


すると元太は青ざめた表情で言った。



「ち…ちがう…無い…」



「え…?」


思わず月乃は聞き返した。



「無い…!爺ちゃんの家が…」



その時だった。

月乃はただならぬ妖気を感じ取り、咄嗟とっさにこの場が危険だと判断する。


「二人とも…ここから離れて!」


月乃の声が二人に届く前に、地面は大きく裂けた。

月乃は元太をかばう様に両手を広げる。

次の瞬間、地面は大きな爆発と共に弾け飛んだ。

元太を抱えたまま月乃は地面に転がる。


「ぐっ…!」


「姉ちゃん…!」


月乃の体を心配する元太は、視線を馬車の方へと向ける。

しかし屋形は跡形もなく吹き飛び、そばには馬が倒れていた。


「吉介のおっちゃぁあん…!!!」


元太の叫び声が響き渡る。

すると月乃は体を起こし、元太に語りかける。


「大丈夫…」


「…え?」


砂煙の中から人影が飛び出し、月乃と元太のそばに着地する。

それは吉介を抱きかかえた長子ながこであった。

吉介は長子の腕の中で気を失っている。


「吉介のおっちゃん…!」


元太は心配そうに駆け寄る。

そして見覚えのない長子の姿に困惑する。

月乃は元太に優しく語りかけた。


「安心して…長子は私の仲間よ!」


すると長子は吉介をゆっくりと下ろした。


「元太と言ったか…この男と共にこの場から離れろ。」


そう言うと長子は、地面から岩の壁を出現させ、そこに吉介と元太を乗せた。


「す…すげぇ…」


「驚く余裕はあるようだな。ならしっかりと掴まれ。」


岩の壁はその場を離れるように勢いよく直進する。


「うわぁっ…!」


元太は落ちないよう、吉介に必死にしがみ付く。


二人を見送ると、月乃と長子は地面から飛び出したそれに視線を向けた。

目の前に現れたのは、先程十太郎と対峙たいじしていたはずの巨大な大蛇だった。

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