第三章 緋色ノ魍魎剣士編

第二十五話 『地を駆ける馬車』

 魍魎もうりょう…すなわち妖怪。

人ならざる者であり、人の魂を喰らう者。

女子おなごの姿で在りながら、人の魂を喰らう魍魎もうりょうを、人々は『人喰姫ヒグメ』と呼んだ。


 これは全ての魍魎をその手で封印すべく奮闘する少年『柳楽やぎら十太郎とうたろう』と、同志の少女『月乃つきの』の物語である。

二人は百鬼ひゃっき魍魎もうりょうに対抗すべく、この世に存在する優れた五振ごふりの刀『天下五剣てんかごけん』の最後の一振を求め、北の国『石加賀いしかが』へ向かう道中であった…。



 御者ぎょしゃの男…吉介きちすけは宿の外で頭を抱えていた。

馬車の馬が消えたのだ。

馬を繋いであった縄は引き千切られた形跡が残っている。

そして月乃の刀…三日月みかづきに封印されし魍魎…長壁姫おさかべひめ長子ながこいわく、魍魎の仕業では無いかと推測する。

十太郎達は馬がいないと北の国へ行くことが困難であるのだ。

吉介はその場にしゃがみ込んでしまった。


「あぁ…なんてこった…俺の相棒が…」


それを見兼ねた月乃は刀の中の長子にそっと語りかける。


「ねぇ長子…ここに残ってる微かな妖気を追えば、馬が見つかるかもしれない。」


すると長子は刀の中から静かに語りかけた。


「残念だが…妖気の跡は途絶えている。探し出すのは難しいだろう…」


「そっか…。」


そう呟くと月乃は、ふと左に視線を向けた。

すると目の前に思わぬものが現れたのだ。



「あぁー!!!馬ぁ!!!」



大きな声をあげ指差す方向には、見覚えのある馬の姿があった。

十太郎と吉介は視線をそちらに向ける


「あ…相棒!!!」


馬の首元には確かに縄が付いている。

しかし一つ違う点を述べるとすれば、その縄の先には一人の少年がぶら下がっていることだ。

少年は泥まみれになりながらも、縄を必死に握りしめている。


「ま…待て…絶対に…離さな…」


「離せぇ!この糞餓鬼くそがき!」


吉介の拳骨げんこつが少年の頭に直撃する。


「いってぇええええ!何すんだよおっさん!」


少年は両手で頭をさすりながら吉介の方を見上げた。

すると次第に顔が引きる。


「…げっ!」


少年の表情に焦りが見える。

瞬時に目の前の男が、この馬の持ち主だと気付いたのだ。

少年は慌てて背を向け走り出そうとするも、首元を吉介に勢いよく掴まれる。


「逃すか!大人しくしやがれ!」


その様子を見つめる十太郎と月乃は、大きな溜め息を吐いた。



 馬は宿の中の柱に縄で繋がれている。

しつけが成っている為とても大人しい。

そのすぐそばには、少年が正座をさせられている。

目の前には腕を組み仁王立ちする吉介と、十太郎と月乃が立っている。

少年は膝の上で拳を握りしめ、奥歯を噛み締めていた。

すると吉介は少年に問いただした。


「なんで馬を盗んだんだ?」


少年は吉介の目を見る事もなく答えた。


「…どうしても馬が必要なんだ。この村では、馬なんて滅多に見ないから…。」


「そうかそうか…馬なんて珍しいもん売りゃあ大層な金額になるからなぁ…」


「違う…!そんなんじゃないっ…!」


少年は吉介を睨みつけた。

だが吉介は動じる事なく話し続ける。


「理由はどうでもいいんだよ!とにかく俺の相棒を盗んだのには変わりねぇ!罰として、お前の有金全部置いて行ってもらうからな!」


すると二人を見兼ねた十太郎が仲裁に入る。


「吉介さん…相手は子供だぜ?金をき上げるのはあんまりだよ。」


「いやしかし…こいつは俺の相棒をだなぁ…」


怒りが収まらない吉介を他所よそに、十太郎は少年の目線に合わせてしゃがみ込んだ。


「俺は柳楽やぎら十太郎とうたろう!こっちの女の子は月乃で、この人は吉介さん!君の名前は?」


少年は相変わらずそっぽを向く。

だが渋々答えた。


「…『元太げんた』だ。」


その様子を見つめる月乃の表情に笑みが溢れる。

十太郎は優しく問いかけた。


「元太…どうして吉介さんの馬を盗んだりしたんだ?何か理由があるんだろ?」


十太郎の穏やかな声とは裏腹に、吉介は元太を睨みつける。

その威圧感から、元太の額から汗が噴き出る。


「行きたい場所があるんだよ…。」


元太の言葉に三人は反応を示す。

すると月乃が問いかけた。


「行きたい場所?」


元太が答える前に吉介が口を開いた。


「どうせ馬に乗りたいだけだろう…」


「吉介さん…!」


月乃は強い口調で吉介を呼び止める。

元太は静かに話し始めた。


じいちゃんに会いたいんだ…。」


それまで怒りを露わにしていた吉介だったが、その言葉に冷静さを取り戻した。

すると十太郎は優しく問う。


「おじいちゃんは遠くにいるのか?」


「…爺ちゃんは、『みさきの丘』って言うところに住んでいるんだ。とても歩いて行けるような場所じゃないから、五日に一回馬に乗って会いに来てくれてたんだ。…でも、ここ最近全く顔を出さなくなった。なんの前触れもなく…」


十太郎たちは神妙な面持ちで元太の話を聞いた。


「それは…寂しいよな。」


「寂しくなんかねぇ!…ただ…心配なんだ。」


不器用ながらも、祖父への思いが伝わってくる。

月乃は微笑ましく思った。

するとその隣で、すすり泣く声が聞こえてきた。

あろうことか吉介が泣いていたのだ。


「くっ…なんだよ…この糞餓鬼くそがき…泣かせやがってよぉ…そんなの俺に言ってくれりゃあ、すぐに連れてってやるのによぉ…」


十太郎は満面の笑みを浮かべた。


「よしっ!そんじゃあ予定変更!まずは元太の爺ちゃんの安否を確認しに行こう!北の国はそれからだ!」


「そうだね!私も気になるし!」


元太は二人の優しさに触れ、今まで抱いたことの無い感情が芽生え始めていた。

自然と涙が溢れる。



「おいおい…何泣いてんだよ!これだから泣き虫はよぉ…」


すると元太は吉介を指差して言い放った。


「おめぇも泣いてんだろうがよぉ!大体なんでお前が泣いてんだ!」


「お前言うな…!今から連れてってやるって言ってんのに…なんだその口は…!」


十太郎と月乃は顔を見合わせ大きく笑った。



 再び馬が屋形に繋がれる。

吉介は馬の背中にまたがり、後ろを振り返る。


「全員乗ったか?」


吉介の声に反応し、十太郎が屋形から右手を出して合図を送る。


「三人とも乗ってるよ!」


十太郎の合図と共に、吉介は進行方向を見つめ、馬の尻をむちで叩いた。


「行くぜ相棒!…はいやぁっ!」


馬のいななく声と共に、馬車は勢いよく走り出した。

屋形が激しく揺れる。


「うわぁっ…!」


三人は振り下ろされまいと屋形にしがみ付いた。    

風を切り、どんどん速度を上げて行く。


道はやがて平らな地面となり、馬車にとってはこの上なく快適なものとなった。

元太は馬にまたがる吉介の背中に、祖父の面影を重ねていた。


そして思い出に浸る…



「爺ちゃぁん!」


まだ幼い頃の元太は、馬から降りる祖父に向かって走って行く。


「元太!良い子にしておったか?」


祖父は元太を強く抱きしめる。


「俺…毎日お馬さんの本を読んで勉強してるんだ!いつかは爺ちゃんみたいに、かっこよく馬に乗るんだ!」


「そうかそうか…それは楽しみじゃな。」


祖父は元太の頭を優しくでた。


「いつか俺の馬車で、爺ちゃんを色んな所に連れてってあげるんだ!」


この時の元太は活力に溢れていた。


しかし今はとても険しい表情で屋形の外を見つめる。

するとそんな元太を見兼ね、十太郎が語りかけた。


「心配すんなよ元太!爺ちゃんなら…きっと大丈夫だ!」


確証のない言葉だったが、今の元太にはその言葉が小さな支えでもあった。

元太は静かにうなずいた。


その時、十太郎と月乃は何かを感じ取ったのか、同時に目を見開いた。

二人は目を合わせると、小さく頷き合図を送る。


次の瞬間、十太郎は屋形の外を目掛けて刀を投げつけた。

それは銘刀めいとう鬼丸おにまるだ。

それを見た元太は慌てて刀の行先を目で追う。


「おい…!何やってんだよ!」


するとその瞬間、刀は黄色い妖気に包まれ、人の形を成した。


「なっ…!?」


驚く元太の目には、地面に立つ天狐てんこの姿が映った。

馬車は天狐を置き去りにして進んで行く。


「どうなってるんだ…?」


元太は屋形から身を乗り出す勢いで、天狐の姿を凝視した。


その時、地面が激しく揺れ始めた。

思わず馬が速度を落とし、馬車は急停車する。

吉介は馬に必死にしがみ付いた。


「なっ…なんだなんだ!?」



十太郎は素早く屋形から降りる。


「吉介さん!このまま行って下さい!」


「なぁに言ってんだ!お前はどうすんだよ!」


「俺はあいつを倒してから行きます。」


「あいつ…?」


困惑する吉介だが、瞬時に十太郎の言っているそれが目の前に現れる。


天狐の目の前の地面が割れ、中から巨大な何かが現れたのだ。

それは十太郎の体長を遥かに越える大蛇だ。

地面の色と同化し、ごつごつとした岩の様な皮膚は、とても力強い威圧感を放つ。


元太は空高く伸びる巨影を見上げ、口が開いたままだった。


「で…でけぇ……」


吉介は十太郎の背中に投げ掛けた。


「おいっ…!あんなやつとどうやって闘おうってんだ!皆んな喰われちまうぞ…!」


すると十太郎は背中から童子切どうじぎりを抜いた。

刀はほのおまとう。


「こいつで倒す!」


十太郎たちの前に新たな障害が立ちはだかる。

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