第二十四話 『旅立ちの雨』

      始まりを告げる雨。


 旅立ちの日は生憎あいにくの雨だった。

朝の太陽は雲に完全に覆われ、村の景色は霧がかってかすんで見える。

かえるが水溜りに飛び込むと、激しく水飛沫みずしぶきが上がる。

風は無く、雨が垂直に降り続ける。

十太郎とうたろうは家の入り口から顔を出し、空を見上げる。


「こりゃあ止みそうにないなぁ…」


ため息をつくと、家の中へと戻っていく。

中には丸机を囲む様にして座る月乃つきの恒次つねつぐが居た。

机の上には美味しそうな食事が並んでいる。

恒次は十太郎に語りかけた。


「さぁ…たくさん食べて体力をつけなさい。食は生命の源だ。」


恒次は両手を合わせ、目を瞑った。

目の前に十太郎が座ると、右隣に座る月乃が十太郎の分の白米を器に盛る。


「いよいよだね…十太郎。」


「あぁ!八日間…必死に修行したんだ!今までの俺とは違うぜ!」


そう…あれから八日の時が流れていた。

十太郎と月乃は恒次の指導の元、松寺まつでらこもり、日々修行に励んでいたのだ。


「それは頼もしい!それでは手を合わせて…」


恒次の合図と共に二人は合掌した。


「いただきます!!!」




 (バクリっ…!)




骨がこすれる様な鈍い音が響いた。

洞窟に映る大きな影は何かを食している様だ。

辺りに分裂した何かが飛び散る。

それは人間の指だった。

大きな影はそれをつまみ取ると、大きな口を開けて放り込んだ。

すると大きな影とは別に、人の形をした影が近づいてきた。


「食べ方がなっていないなぁ…もっと上品に食べないと。」


声質は女性の様に高いが、それは青年である。

辺りが薄暗いため、その姿までは見えない。

すると大きな影は青年に語りかけた。


「『野槌のづち』…俺は他の魍魎もうりょうと違って人間の体は微塵みじんも残さず食ってんだ。これのどこがいけないってんだ?…あぁ?」


青年は首を横に振った。


「『饕餮とうてつ』…僕は君の食べ方に関して言っているんだ。」


そう告げると野槌のづちは口角を上げ、不気味な笑みを浮かべた。


「食べるときは…丸呑みしないとね。」


暗闇の洞窟に残酷な音が響き渡った…。



 雨は激しさを増していた。

十太郎と月乃は着物の上に厚手の羽織をまとっていた。

三本の刀は背中に背負い、右手には大きな風呂敷に包まれた荷物を持っている。

月乃の腰には一本の刀。

荷物は背中に担いでいる。

恒次は火打ち石を両手に二人を見送る。


「くれぐれも気をつけてな。」


「恒次さん…ありがとう!」


十太郎は笑顔で返した。

すると恒次は、着物のふところからふだを一枚取り出し、それを月乃に渡した。


「役に立つかは分からんが…持っていきなさい。『言霊ことだまふだ』だ。」


「ありがとうございます!」


月乃は札を着物のふところに入れる。

いよいよ二人の新しい物語が始まろうとしていた。

恒次は二人に向けて火打ち石を打った。


「さぁ行け!少年少女よ!悪を恐れるな!前を向いて歩け!そこに未来が待っている!」


二人は傘を広げ、雨の中へと消えて行った。



 現在地は西の『竹の村』である。

北の国『石加賀いしかが』へ向かうには、歩いて十日はかかる。

それには時間と体力の消費が大きすぎる。

二人は馬車に乗ることにした。


「これなら雨をしのげるな。」


十太郎は月乃と向かい合わせに乗車した。

すると御者ぎょしゃの男(馬を運転する人)は二人に語りかける。


「お前さんら…どこに向かう気だい?」


「北の国の石加賀までお願いします!」


月乃の発した言葉に、御者の男は驚いた。


「石加賀だぁ…!?おいおい冗談じゃねぇぜ。お前さん…石加賀に旅行しに行くんじゃねぇだろうな?あそこはそんな場所じゃあねぇぞ。」


すると十太郎は屋形やかたから身を乗り出し、御者の男に言い放つ。


「旅行気分じゃねぇ!金なら払う!とにかく…石加賀まで俺たちを連れて行ってくれ!」


御者の男は躊躇ためらう素振りを見せた。

しかし十太郎の気持ちに負けたのか、進路の方へと視線を向けた。


「悪いが石加賀までは送ってやれねぇ…。そこはそんな場所なんだ。」


二人は御者の男の背中を見つめた。


「だが近くまでは連れてってやる。そっからは自力で行くんだな。」


男の言葉に、十太郎の表情に笑みが浮かんだ。


「ありがとう!恩に着るよ!」


御者の男は馬の尻をむちで引っ叩いた。

馬のいななく声と共に、馬車は進み始めた。



 日が暮れると雨はすっかり上がっていた。

馬車は宿の隣に停車している。

御者の男は濡れた着物を雑巾ぞうきんの様に絞る。

絞られた着物からは滝の様に水が流れ、馬は水に興味を示し顔を近づける。

すると宿の中から十太郎が出てきた。


「御者さん…我儘わがまま聞いてくれてありがとう。」


御者の男は着物を大きく広げてあおぐ。


「『吉介きちすけ』でいい。それにしても何だって石加賀に行こうってんだ?そんな刀三本もぶら下げて…」


十太郎の気持ちは複雑であった。

魍魎の脅威きょういを何も知らない人にとっては、知らないままの方が幸せに過ごせるのでは無いかと言う思いがあるからだ。

よって十太郎には、吉介に本当の事を打ち明けることはしない。


「探し物を見つけに行くんだ…。」


「探し物?」


「それが本当にそこにあるのかも分からないけど…この目で確かめたい。」


その言葉は決して偽りではない。

天下五剣の最後の一振を探しに行くのだから。

だが吉介はそれ以上は聞かなかった。


「んまっ…どう言う理由であれ、客を無事に送り届けるのが俺の仕事!明日は屋形の中でゆっくり昼寝でもしてろ!」


吉介は十太郎に笑いかけた。



 暗闇の中、月乃は椅子に腰掛け小刻みに震える右手を見つめていた。

すると刀の中から長子ながこが隣に姿を現した。


「不安か…?」


長子は優しく問いかける。

すると月乃はゆっくりと首を横に振った。


「んーん…。ふと思ったの。今まで私を守ってくれていた人達は、この痛みと闘ってきたんだなって…。」


城の中で守られる側の立場にいた月乃は、自らを守る為に犠牲となった武士たちを思い浮かべていた。


「だからもっと…その人達の分まで生きなきゃって思う。もっともっと強くなって…沢山の人の命を救いたい。」


長子は月乃の姿を見つめ、優しく微笑んだ。



「いいじゃねぇか!月乃!」


声の主は十太郎だった。

部屋の入り口にもたれ掛かる。


「…十太郎。」


「俺だって…村を出るときに誓ったんだ。全ての魍魎をこの手で封印するってな!」


十太郎は月乃に歩み寄る。


「俺達の誓いは、魍魎を全て封印して皆んなを笑顔にする!…だな!」


十太郎の笑顔に釣られ、月乃の表情にも笑みが溢れる。


「うん!」


月乃の活気の良い声が部屋に響いた。



 安らかな朝の眠りをさまたげたのは吉介の大きな声だった。


「十太郎ー!!!起きろ…起きろー!!!」


布団をまくり上げられ、十太郎は体を小さく縮める。

重いまぶたこすり、渋々しぶしぶ目を開ける。


「なんだよ吉介さん…こんな朝っぱらから…」


すると吉介は鬼の形相ぎょうそうで十太郎に言い放った。


「馬がいねぇんだよぉ!!!」


十太郎の頭は一旦停止した。

やがて状況を理解し始めると、突然目が大きく開いた。


「えぇえええええええ…!!!」


十太郎の叫び声は宿の外にいる月乃まで届いていた。

屋形の前でしゃがみ込み、切られたつなを手に取る。

そばには長子が立っている。


「妖気は感じ取れんが…おそらく魍魎の仕業だろう。」


すると月乃は驚いた表情で長子を見つめた。


「えぇ…!?お馬さん食べられちゃったの?」


目頭めがしらに涙を溜めながら長子の目を見つめる。

その表情はまるで、赤子の様な愛おしさが溢れ出ていた。


「し…知るか!」


長子は少し顔を赤らめて言った。

そして次は冷静に呟く。


「…だが物音も気配も一切消して馬をさらうとは…一体どんな奴だ。」


その時大きな風が吹き荒れた。

一枚の木の葉が舞い、風に流されていく。

村を抜けて川を渡り、そのまま遥か上空へと舞い上がり、からすが横切る。

からすは羽を大きく広げ、丘を越える。

そのまま森に入り、木の上に止まった。

くちばしには芋虫が咥えられている。

芋虫を木の枝に置くと、大きなくちばしを広げた。


その瞬間、からすは大木と共に何かに呑み込まれた。

激しく砂煙が舞う。

そこに映る影は、大蛇の様な禍々まがまがしい容姿であった。

それは馬など容易に丸呑み出来る程の巨大な影であった…。



【第二章 山城国ノ月姫編『完』】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る