第二十三話 『旅前の支度』

 魍魎もうりょう…すなわち妖怪。

人ならざる者であり、人の魂を喰らう者。

女子おなごの姿で在りながら、人の魂を喰らう魍魎もうりょうを、人々は『人喰姫ヒグメ』と呼んだ。



 「亡霊…!?」


十太郎とうたろう月乃つきのの声が部屋中に響く。

恒次つねつぐは思わず両手で耳を塞いだ。


「亡霊って…どういう事だよ!」


「死んだのに…生き返ったってこと…!?」


恒次は困り果てた表情を浮かべた。

そして心の中で思った。

魍魎と闘ってきた二人が、なぜこれ程までに『亡霊』に驚いているのかと。


「今更驚くことでもなかろう…亡霊まがいなものを沢山見てきただろう。」


すると十太郎は月乃と目を合わせた。


「そう言われると…」


「確かに…」


「あっはっはっはっは…!面白い奴らだ!そんな事ではこの先思いやられるぞ!」


大笑いする恒次を二人は睨みつけた。

すると十太郎はここである疑問を抱いた。


「ん?…待てよ。そもそも…この話と月乃の右腕を治す方法に何の関係があるんだ?」


十太郎の問いかけに対し、隣で月乃が何度もうなずいた。

恒次は人差し指を十太郎の中心に当て問い掛けた。


光世みつよは心臓を貫いて何故生きていると思う?」


その瞬間、十太郎の頭の中で思考が張り巡らされた。

これまでの経験や知識、そしてこの目で確かに見てきた景色の全てを思い返す。



「…人喰姫ヒグメ…!?」



十太郎の脳裏には、清姫きよめと出逢った最初の記憶が浮かんでいた。

するとその時、十太郎の背中の刀から清姫が姿を現した。


「清姫…!」


月乃と恒次は驚いた。


「なんと…!これが童子切どうじぎりに封印されし魍魎…『焔蛇えんじゃ清姫きよめ』!」


「す…すごい。」


すると清姫は恒次を睨みつけた。


「気安く呼ぶな…はげ。」


「は…はげ?」



十太郎は清姫に問いかける。


「急にどうしたんだよ!」


清姫は目を閉じ語り始めた。


「貴様が勘違いしているようなので説明してやろうと思ってな。貴様が心臓を失ってもなお生きていられるのは、わらわの心臓を喰ったからじゃ。」


「なんだよ今更…そんなことは分かって…」


すると恒次は十太郎の言葉をさえぎった。


「いや…つまり光世が死からの復活を遂げたのは、魍魎の心臓を喰ったからでは無いという訳だ。」


十太郎の頭は真っ白になっていた。

それを見兼ねた月乃が口を開く。


「魍魎の力ではなく…刀に宿った力でよみがえった。」


「そういう事だ。」


恒次が大きく頷いた。

十太郎は驚いた。


「刀…本来の力…?」


「だから『生命せいめいの刀』と呼ばれているのだ。」


すると月乃はある疑問を抱いた。


「…その刀には、人を生き返らせる力があるってことですか?」


月乃の問いかけに、恒次は首を横に振った。


「あくまで噂に過ぎない。大典太おおてんたにどんな能力が秘められているのかは不明だ。」


「じゃあ…可能性の話ってことか…。」


十太郎は力が抜けた様にうつむいた。

しかし二人には迷う理由など無かった。


「…この目で見て…確かめるしかない。」


十太郎は小さく呟いた。

そして月乃は寝床から体を乗り出した。

恒次はそれを慌てて止めに入る。


「いかん…まだ安静にしていなければ…」


しかし月乃は自力で立ち上がった。


「恒次さん…北の国への行き方を教えてください!」


月乃の真っ直ぐな目からは、強い思いが伝わってくる。

恒次は再び二人を見つめた。


「わかった…。だが北の国に行くには体力がいる。今は体を休めるのが優先だ。」


二人はうなずいた。



 それから二日が経っていた。

松寺まつでらの広間に大勢の人が集まっている。

修行僧が円になり、何かを囲んでいるようだ。

その中心には十太郎の姿があった。


「さぁさぁ!誰でもいい!どっからでもかかってきやがれぇ!」


十太郎は両手に木刀を握り、ぶんぶんと振り回している。

修行僧達の顔が引きっている。

すると人混みをかき分け、恒次が目の前に現れた。


「十太郎よ…修行僧はお主の修行相手では無い…木刀をしまえ。」


「え?でも…北の国に行く為に、今日から修行するんだろ?」


「お主の修行は私が見る。ついて来い。」


十太郎は目を輝かせた。


しかし、その目の輝きは一瞬にして消えた。

十太郎は目の前で両手を合わせ、大きな滝に打たれていた。


「ぐぬぬぬぬ…さ…さみぃ……!!!」


滝のそばにある岩場に恒次が立っている。


「ここでは精神を鍛える修行だ。一時間はそこで過ごしてもらうぞ。」


「こんなの…死んじまうだろ!」


「北の国の『石加賀いしかが』はもっと寒い。分かったら精神を統一させろ!」


「くっ…恒次さん…なんか人格変わってねぇか?」


「私は『修行の鬼』という異名を持つ!弱音は通用せんぞ!」


「ひぃいいいい…!」


滝に打たれる十太郎を他所よそに、恒次の後ろでは月乃が刀を振っている。

しかし刀を持つ手は左手だ。


「はっ…はっ…はっ…はっ…」


右腕が充分に使えない以上、利き手では無い左腕を鍛えるしか無いのだ。

恒次は月乃の姿を見つめる。


「今は耐えろ…この修行はのちの人生において、きっと役に立つものとなる。」


恒次は二人に語りかける様に一人呟いた。



 太陽は沈み、月は雲に隠れ、辺りは暗闇と化した。

十太郎は松寺の外で大の字に寝そべっていた。


するとそこへ、月乃がゆっくりと歩み寄ってきた。


「何してるのー?」


月乃は十太郎の顔を覗き込む様にして問いかけた。


「あぁいや…昔のことを思い出してたんだ。」


月乃はそのまま十太郎の隣に腰を下ろした。


「十太郎の故郷ふるさとって…藤の村ってところだっけ?」


「うん…小さな村だ。けど…すげぇあったかいんだ。」


嬉しそうに話す十太郎を見て、月乃の表情にも笑みが浮かぶ。


「じゃあ今から行く北の国とは正反対だね!」


「そうなんだよ…。俺寒いの苦手なんだ。」


「私も私も!」


たわいもない話は二人を温かい気持ちにさせた。

すると月乃は、少し真剣な表情で問いかけた。


「十太郎はさぁ…『空亡そらなき』って奴に会ったんだよね?」


少し間があった。

すると十太郎は上体を起こし、月乃の問いかけに答えた。


「会ったよ…半端じゃなかった。」


静かな声で言った。

月乃は十太郎の表情から空亡の力量をはかれた気がした。


すると突然、十太郎の隣に置かれた童子切から妖気が漏れ出した。

刀の中から清姫が具現化したのだ。


「清姫…!」


清姫は十太郎の背に寄りかかり、月乃の姿を見つめた。

月乃はこの光景に驚いた。


「ど…どうも…。」


すると清姫は口を開いた。


「空亡様は貴様の様な小娘など一瞬でちりにするぞ。死なぬ体を持つ小僧でさえあらがえんのじゃ。わざわざ死にに行くようなものじゃ。」


「おい清姫…!」


十太郎は思わず立ち上がった。

しかし清姫は十太郎を他所よそに、再び月乃に言葉を放つ。


の方は百鬼ひゃっき魍魎もうりょうかしら…貴様が封印した『長壁姫おさかべひめ』などとは比べものにならんぞ。」


すると名前に呼応するように、月乃の刀から長子ながこが具現化した。


「空亡に封印されていた貴様がよく言えたものだな…焔蛇えんじゃ。」


月乃は清姫に反論する長子を止めに入る。


「やめて長子…!この魍魎は十太郎の仲間よ!」


すると清姫は月乃に対して怒りを露わにする。


たわけ!誰が仲間じゃ!この小僧はわらわの入れ物…じきにこの体はわらわのものとなるのじゃ!」


それを聞いた十太郎は苦笑いを浮かべた。


「あはは…そういう訳なんだ…。月乃と長子が羨ましいよ。」


月乃と長子は十太郎の心中を察したのか、これ以上は何も言わなかった。

しかし十太郎には、どうしても気になることがあった。

それは清姫に対しての事だ。

十太郎は清姫を見つめた。


「なぁ…なんでそんなに空亡のことになると…むきになるんだ?」


「なに…?」


清姫は十太郎に聞き返した。


「いや…前から思ってたんだけど…清姫は空亡の話になると態度が変わるんだよ。何でかなぁって思ってさ…」


すると清姫の顔は次第に、ほのおが燃え盛る様に熱く赤くなっていった。


「貴様は余計なことを考えずにもっと力を身につけろ!このたわけが!」


清姫は怒りを爆発させ、刀の中へと戻って行った。

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