第十五話 『日の光』

 魍魎もうりょう…すなわち妖怪。

人ならざる者であり、人の魂を喰らう者。

女子おなごの姿で在りながら、人の魂を喰らう魍魎もうりょうを、人々は『人喰姫ヒグメ』と呼んだ。



 地面から岩壁が出現する。

それは月乃の体を囲む様におおうう。

勢いよく放たれた亀姫かめひめの拳は岩壁に衝突した。


「ちっ…なんだこの壁は…!?」


厚い岩壁は亀姫の攻撃を通さない。

亀姫は咄嗟とっさに距離を取る。

すると岩壁は、ゆっくり地面に戻っていった。

中からは膝をついた月乃が出てくる。


「はぁ…はぁ…」


息を切らしているが意識はまだある。

亀姫は再び月乃に向かって駆け出した。


「くたばれ小娘ぇ!」


月乃は刀を構える

しかしこれ以上は闘えそうにない。

立ち上がるも、力が入らず崩れ落ちる。

そして目の前には亀姫が迫っている。



「亀姫…!」



しかしその時、声と共に岩壁が出現した。

亀姫は少し動揺した様子を見せる。


「この声は…姉…様…?」


その声は長子のものであった。

そして亀姫は、岩壁が長子の能力である事に気がつく。


「これは…姉様の『城壁じょうへき』!姉様…どこに居るのですか!」


すると月乃の持つ刀の中から、長子が具現化して現れた。


「姉様…!」


「なっ……長子…!?」


亀姫と月乃は驚いた。


「亀姫…私を探しに来てくれたんだな。」


「あぁ…そうだ。やっと見つけた。姉様…はやくこちらに…」


「私はもう…そちらへは行かない。」


長子の言葉に、亀姫の表情が強張る。


「何を言っているのですか!何故姉様がそんな刀の中に…!」


「私はこの娘の母親に倒された。そして今は、この刀の一部だ。」


「何を訳のわからないことを…の目的を忘れたのか?」


「忘れてはおらぬ…だが、私達が本当に求めていたものは、此処ここには無い。」


「どうしてしまったんだ姉様…人間に負けたとでも言うのか?」


すると長子は笑みを浮かべた。

それはどこか、月乃の母に似た優しいものであった。


「私達は…ただ人間の様になりたいだけなのかもしれないな…。」


その言葉に亀姫は怒りをあらわにした。


「見損なったぞ…!姉様…」


亀姫の妖力がどんどん増していく。

すると長子は月乃に語りかけた。


「…妖力を送る…私の力を使え。」


「…え?」


長子の言葉に驚いた。


「あれは私の妹だ。お前の力では、到底倒せる相手では無い。」


長子の言う通り、亀姫の妖力は怒りに呼応し、更に上昇する。


「お前の体を私が乗っ取り、代わりに闘ってもいいが…それはお前の母が許さんからなぁ…。だから私の妖力をお前に送る。」


「でも…どうして…?」


月乃は長子に問いかけた。


「母の温もりに触れて…私の中の負の感情が、『浄化』されたのかもな…」


「…え?」


「まぁそんなことはどうでもいい。妹を正しい道へと導きたいだけだ。」


すると月乃は、そんな長子を見て笑った。


「何がおかしい…?」


「んーん。なんかいいなって思って…それと」


月乃は再び刀を構えた。


じゃなくて…でいいって言ってるでしょ!」


長子は微笑み、刀の中へと戻っていく。

そして月乃は勢いよく地面を蹴り、亀姫の元へと飛び込む。


「月乃…私の能力は『城壁じょうへき』。お前の思った場所に岩壁を出現させる事が出来る。それと…こちらで不味いと判断した場合は、私が城壁じょうへきを出現させる…いいな?」


「わかった…!」


月乃の足元に岩壁が出現する。

次々と出現する岩は段となり、岩の階段が出来上がる。

月乃は軽快に階段を駆け上がり、瞬時に亀姫の頭上へ移動する。

そのまま上から刀を振り下ろした。


「はぁっ…!」


「くっ…!」


亀姫は片手で斬撃を防ぐ。

しかし刀は亀姫の腕にめり込んだ。


「ちっ…!」


刀の切れ味を悟った亀姫は、咄嗟とっさに体を丸め、背中の甲羅こうらを盾に月乃を追い払った。

すぐさま月乃の背後に岩壁が出現し、足場ができる。

そのまま両足で踏ん張り、亀姫に向かって勢いよく突進する。

刀は垂直に進む。

亀姫は右手を繰り出すも、きっさきは手のひらを貫いた。


「ぐあっ…くっ…!」


慌てて腕を引くも、刀はそのまま直進する。

瞬時に亀姫の背後に岩壁を出現させ、刀は岩壁に突き刺さって止まった。

右手を封じられた亀姫は、左手で月乃を捕らえようと試みる。

しかし長子の妖力をまとった月乃の動体視力は、通常よりも上がっていた。

右手に刺さった刀を抜き、向かってくる左手を素早く切り上げた。


「ぐあぁっ…!」


左手が宙を舞い、地面に落下する。

亀姫の表情が険しくなり、心なしか息が上がって見える。

完全に冷静さを欠いた亀姫は、今の月乃に敵うはずはなかった。


「貴様ぁ…!私の姉様を返せぇ…!!!」


亀姫のその表情は、怒りの中に悲しみが混ざった様な、とても切ないものであった。



「貴方は私が救ってあげる…!」



そう呟くと、月乃は刀をかざした。

その姿はまさしく空に浮かぶ三日月の様であった。

勢いよく振られた刀は、亀姫の頭から真っ直ぐに切り裂いた。


「ぐあぁぁぁぁあああ…!!!」


真っ二つに切断された亀姫の体は、ゆっくりと灰の様に朽ちてった。



 魍魎の魂は刀の中へと吸い込まれる。

荒魂あらたま』となった亀姫は、長子の中に吸収されたのだ。

月乃は刀をさやに収めた。

切ることによって魍魎は救われるのだろうか。

そんなことを思いながら深く息を吸い込んだ。


「ねぇ…長子…。」


刀の中に居る長子に語りかける。


「なんだ…?」


「貴方たち魍魎にも…感情があるのよね…」


「あぁ。人間の負の感情から生まれし存在だからな。」


「んーん…そうじゃなくて…。貴方がさっき、妹に対して思った感情は、決して負の感情じゃなかったと思う…。」


「……何が言いたい?」


「もし貴方に…少しでも『正』の感情があるのなら…これからも私の力になって欲しい…。」


長子は驚いた。

月乃の口から、この様な言葉が発せられるとは思ってもいなかったからだ。


「…私は…私はお前の両親を殺したんだぞ。」


「分かってる。それは決して許されない事……だけど…だからこそ貴方には、私のそばつぐなって欲しいの…。」


「…正気か…?」


すると月乃は刀を空に浮かべた。


「この十年間…長子と過ごした時間は決して嘘じゃなかった。私にしか見えていなかったのかもしれない…だけど私の目には、魍魎の貴方じゃなく人間の『長子』と言う側室が映っていた。」


長子は黙り込んだ。


「貴方は私の側室…姫に使えるのが、貴方の使命でしょ?」


その時、長子の頭の中である記憶がよみがえった。

それはまだ月乃が五つの頃…長子が初めて姿を現した時であった。



 「今日から貴方様の側室として働かせて頂きます…長子と申します。月姫様…どうぞよろしくお願い致します。」


床に両手をつき、深く頭を下げる。

幼い子供に化けた長壁姫おさかべひめである。

まだ五つの幼い子供を目の前に、長子の内心は憎悪ぞうおに満ちていた。


「頭…あげてよ!」


その言葉通り、ゆっくりと顔を上げる。

すると目の前に、月乃の顔が飛び込んできた。


「うわっ…!」


慌てて離れるも、長子は体勢を崩して転げてしまう。


「あはははははは!」


月乃はその様子を見て大笑いする。

長子にとっては、これ以上無い屈辱くつじょくであった。


「そんなにお利口にしなくていいよぉ!貴方…何歳?」


少し戸惑いながらも、その問いに答えた。


「……五つです。」


「なぁんだぁ…私と同じだね!お友達だね!」


「いや…ですから私は…貴方の側室です。」


「もう…どうして同い年の女の子が、私の側室なの?」


「それは…」


確かに無理があった。

咄嗟とっさに放った言葉ゆえ、何も考えてはいなかった。

しかし月乃にとって、問題なのはそこではなかった。


「私が姫様だから…?」


「…え?」


「私が姫様だから、長子は側室しなきゃいけないの?」


「と…当然です!私は月姫様をお守りすべく、貴方の側室として此処ここに参りました。国の姫に使えるのが…私の使命…。」


すると月乃は、長子の元へ近づいた。

そして、優しく頭をでた。


「じゃあさ!せめて姫様じゃなくて…名前で呼んでよ!」



「…名前?」



その時の月乃の姿は、とても眩しく見えた。

母の様な温かな、全てを浄化する様な光を放っていた。



 そして長子の意識は現実に戻る。

気がつけば長子は刀の外に居た。

具現化では無く、実体として。

目の前には満面の笑みを浮かべた月乃が立っていた。


「月乃…。」


「長子!」


月乃は長子を強く抱きしめた。

感触や温度がしっかりと伝わってくる。


「いつか貴方も…私が必ず救ってあげる…。」


二人は優しく照らす日の光に包まれた。

長子の目には涙が浮かんでいた。

この涙は決して負の感情からくるものではなく、それは『幸せ』と呼ぶ感情であった…。

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