第十四話 『母の腕の中』

 魍魎もうりょう…すなわち妖怪。

人ならざる者であり、人の魂を喰らう者。

女子おなごの姿で在りながら、人の魂を喰らう魍魎もうりょうを、人々は『人喰姫ヒグメ』と呼んだ。


 世は『百鬼ひゃっき魍魎もうりょう』がうごめく時代。

此処ここ…『山城国さんじょうこく』もまた、邪悪な魍魎の脅威にさらされていた。

山城国の姫…『月乃つきの』は、城下で暴れ回る魍魎に対抗する為、側室である『長子ながこ』と共に、城の地下に隠されている刀を求め地下室を訪れる。

月乃は地面に刺さった刀を抜こうとするが、突如出現した邪悪な妖気に体の自由を奪われてしまう。

長子の正体は、女子おなごの姿に化けた人喰姫ヒグメであったのだ。

操られた月乃は、追ってきた父を刀で刺してしまう。

そして月乃の悲痛な叫びが響き渡った…。



 喉を貫かれた勇男いさおは、やがて呼吸が止まる。

刀を握った月乃の手は震えている。

背後から長子が姿を現し、月乃の手に両手を重ねた。


「どうだ?人間を殺す感覚は…最高だろう?」


狂気に満ちたその笑みは、月乃の感情を爆発させた。


「うわぁああああ…!!!」


怒りと憎しみに呑まれる。

目から溢れる涙が止まらない。


「そうだ…そうだ…もっといかれ!負の感情こそ魍魎の根源…さぁ…我が身にゆだねよ…。」


月乃の意識は次第に遠のいていった…。



「…月乃!目を覚ましなさい!」



聞こえてきたのは女の声だった。

それはどこか聞き覚えのある優しい声だった。


月乃は正気を取り戻す。

すると刀の中から、白く綺麗な二本の腕が出現した。

そしてそれは長子を捕らえ、刀の中に引きずり込む。


「くそっ…なんだ…これは…」


長子は力強く引き寄せられる。

その様子を見ていた月乃は、聞こえてきた声と共に、ある事に気がつく。


「…お母…様…?」


その言葉に反応する様に両腕は力を増し、長子を一気に刀の中へと引き戻した。


「おのれぇ…!小娘がぁ…!」


長子は完全に刀の中へ戻った。

月乃の体は自由を取り戻した。


「お母様…お母様なの…?」


月乃は刀に呼びかける。

すると刀は青い光を放ち、そこに人の姿を映し出した。

それは母…『日和ひより』の姿だった。


「月乃…大きくなったわね。」


「お…母…様…!」


止まりかかっていた涙は再び流れ出す。


「ごめんね…。もう少し早ければ…」


「どうして…」


「え…?」


月乃は母に訴えかけた。


「どうして…貴方たち二人は…私に謝るの?」


「月乃…」


月乃は自分を責めていた。


「…こんな状況になったのは…全部私の」


「誰のせいでもないわ。もちろん…お父さんだって悪くない…。ただ…運が悪かっただけ。」


切ない表情を浮かべる母に、かける言葉が思い浮かばなかった。


「だけどね…貴方を巻き込んでしまった事は、私達夫婦の責任…だから謝りたいの。」


「違う!お母様のせいじゃない!お父様も…全部この化け物のせい!こいつらさえ居なければ…」


月乃はその場に崩れる様に座り込む。

すると日和は優しく語りかけた。


「月乃…よく聞いて。魍魎は元々人間の負の感情から生まれたもの…言わば憎しみや怒り…悲しみや苦しみ…誰もが抱く感情がいつしか形となり、人間を襲う様になった。」


すると刀の中から長子が口を開いた。


「ふんっ……知った様な口を…」


「私は十五年間、長子あなたの中から月乃を見守ってきた。長子あなたの心の中は嫌でも分かる…。寂しさや怒りも…」


「ちっ…。」


長子は黙り込んだ。


は人間を襲う事でしか自分を表現できない悲しい生き物なの。だから…誰も悪くない…」


「綺麗事だな…」


長子は反抗する。

しかし月乃の長子を見る目が少しだけ変わった。

あわれんでいるのか、その表情はとても切ないものだった。


「それでも…この魍魎は私の父と母の命を奪った…。その事には変わりない。私はこいつが憎い。許せない…」


うつむく月乃に、日和は優しく語りかける。


「貴方が魍魎たちを、呪縛から解放してあげなさい。」


「…え…?」


「その刀で…終わらせてあげるのよ。」


「この…刀で…」


月乃は手にした刀を見つめた。

刀身には三日月の波紋はもんが浮かび上がる。


「その刀は『天下五剣てんかごけん』の一振ひとふり…『三日月みかづき』。私の祖父が打ってくれた刀よ。」


「天下五剣って…この刀が…?」


「夜空に浮かぶ月の様に…全ての闇を照らし出す…。」


すると突然、刀から再び邪悪な妖気が漏れ始めた。


「お前は行かせぬ!私が体を乗っ取り…この街の人間を喰い尽くす!」


それを抑え込む様に、日和が長子を引き戻す。


「貴方は私と共に成仏じょうぶつするのよ!大人しくしなさい!」


「離せ!私はまだ死なん…!」


刀が激しく揺れる。

月乃は刀を強く握り締め、震えを抑える。


「私はまだ死なん…死んでたまるか…!待っているんだ…妹が…」


長子の言葉に反応し、日和の力が弱まった。

それと同時に邪悪な妖気は外に漏れ出す。

月乃は刀を振り回し、妖気を払おうとする。

しかし妖気は月乃の体を埋め尽くした。



 辺りは真っ暗になった。

視界がさえぎられたのだ。

何も見えない。

そして体がまた動かなくなっている。

長子に乗っ取られてしまったのだろうか。


すると突然、眩しい光が差し込んだ。

それはとても温かく、優しい光だった。

光はそのまま月乃の体を包み込んだ。

それはまるで…母の腕の中の様だった…。


「もう…頑張らなくていいのよ…長子。」


その声は日和のものだった。

日和は確かに月乃を抱きしめていた。

しかしそれは、月乃の中にいる長子を包み込んでいるような感覚だった。


「お母……さん…?」


長子がそう呟いた途端、光は月乃の体を包み込み、視界が真っ白になった。



 目を開けると目の前には刀が転がっていた。

体は自由に動く。

月乃は刀を手にすると、三日月の波紋はもんを見つめた。


「…お父様…お母様…ありがとう。」


月乃は目をつむり祈りを捧げた。



 城下の街は火の海と化していた。

逃げ遅れた人々の悲鳴が、この悲惨な現場を物語っている。

焼けただれた屋根の上に何やら人影の様なものが映る。


「人間共…!姉様をどこへ隠したぁ!」


怒り狂った様子のそれは、人の形をした魍魎だ。

肌は薄緑に染まり、皮膚は硬く亀裂が入っている。

そして背には大きな甲羅こうらが飛び出している。


「やはりあの城か…待っていろよ…姉様。」


魍魎は屋根を飛び降り地面に着地する。

顔を上げると、そこには月乃が立っていた。


「…なんだ?小娘…」


月乃の手には『三日月』が構えられている。


「この『亀姫かめひめ』とやり合うつもりか…?」


亀姫の言葉に、月乃は唾を飲み込んだ。

額から汗が流れる。


「もう貴方たちの好きにはさせない。」


「言っておくが…そこらの武士では相手にならんかったぞ。小娘に何が出来る?」


「私は武士より強い!」


「ほう…ならばその威勢いせい…どこまで続くか…」


その瞬間、亀姫は月乃の目の前に現れた。



「試してみるか?」



月乃は瞬時に刀を振る。

しかし初動が遅れた。

蹴りを腹に喰らってしまい、そのまま後方へ吹き飛ぶ。


「ぐあっ…!」


勢いよく小屋に突っ込む。

亀姫はゆっくりと近づいてくる。

すぐに体勢を整えなければやられる。

しかし思ったよりも攻撃は重く、中々起き上がる事が出来ない。


「どうした?それではさっきの武士以下だぞ?」


月乃は力を振り絞り、立ち上がった。

既に体は傷だらけだ。

それでもなんとか刀を構え前を見つめる。


「よし…それでいい。その表情を崩すなよ?」


刹那せつな、亀姫は再び姿を消した。

次に現れた時には、月乃の死角で拳を振りかぶっていた。


「それでこそ痛ぶり甲斐がいがある!」


「…くっ!」


咄嗟とっさに刀を振るも、既にこぶしは月乃の腹に決まっていた。


「ぐはっ…!!」


地面に叩きつけられながら吹き飛ぶ。

もはや刀を握る力は残っていない。

地面をい、その場でもがき苦しむ。


「くそ…くそ…くそ…!」


小さな拳を地面に叩きつける。

悔しさから溢れ出す涙と、体から流れる血で地面が湿しめる。

ぼやける視界に亀姫の足元が映った。


「もう立てぬか?…か弱き人間よ。」


月乃の返答は無い。

少し間があったが、亀姫は拳を構え振りかぶった。


「そうか…ならば黙って死ね!」


その瞬間、月乃の体を囲む様に、四方の地面から大きな岩の壁が出現した…。

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