第十六話 『導きの糸』

 魍魎もうりょう…すなわち妖怪。

人ならざる者であり、人の魂を喰らう者。

女子おなごの姿で在りながら、人の魂を喰らう魍魎もうりょうを、人々は『人喰姫ヒグメ』と呼んだ。


 世は『百鬼ひゃっき魍魎もうりょう』がうごめく時代。

此処ここ…『山城国さんじょうこく』もまた、邪悪な魍魎の脅威に晒されていた。

山城国の姫…『月乃つきの』は、城下街を襲った魍魎『亀姫かめひめ』を、魍魎『長壁姫おさかべひめ長子ながこ』と共に制圧した。

負の感情から生まれし魍魎であったが、月乃の正の感情に触れ、長子の心は浄化されたのであった…。



 魍魎の襲来から二日経った。

城下の街は復興作業に追われていた。

月乃は城上じょうじょうから城下を見下ろし、深呼吸をする。


「今日でここともおさらばかぁ…」


その隣には、手すりに腰掛ける長子の姿があった。


「本当にいいのか?姫であるお前が国を出るなんて…」


「そうしなきゃ…いつまで経っても私は、この城から見ていることしか出来ない…。それじゃあ何も変わらない。それに…」


「…ん?」


「長子と色んな所にも行きたいからね!」


月乃は満面の笑みで答えた。

長子は少し顔を赤らめ、照れ臭そうに振る舞う。


「旅行気分か!全く…遊びでは無いんだぞ。」


「分かってるよー。」


あからさまに肩を落とす月乃に、長子は深くため息をつく。


「昨日も散々説明したが、百鬼ノ魍魎のかしらである『空亡そらなき』を止めねば、お前たち人間は滅ぶのだぞ。」


月乃の額に汗が流れる。


「先日…奴の妖気が一瞬だけ感じ取れた。ここからさほど遠く無い。まずはそこに行って奴の手掛かりを…」


話の途中だが、長子は口を止めた。

月乃が目を光らせてこちらを見ていたからだ。


「…な…なんだ?」


「んーん。長子が私の為に色々考えてくれてるのが嬉しくて!」


長子の顔が再び赤らむ。

そして勢いよく立ち上がった。


「やはりお前は緊張感が無さすぎる!魍魎にでも襲われてしまえ!」


「うわぁーん…そんなこと言わないでよぉ!」


彼女たちの新たな物語が始まろうとしていた。



        三日月。


 『銘刀めいとう三日月みかづき』…『宗近むねちか』という鍛冶職人が打った最高傑作。

そののち天下五剣てんかごけん』の一振ひとふりに選ばれる。

刀は孫の『日和ひより』に渡り、山城国の『勇男いさお』との間に産まれた子…『月乃』に受け継がれた。


「あれ…おかしいな…」


木々が生い茂る森の中、月乃は不安げに辺りを見渡す。

道を間違えたようだ。

すると刀の中から長子が姿を現す。


「城の外もろくに出たことのないやつが、この森を抜けるのは不可能だ…。」


長子は頭を抱え首を横に振る。


「ちょ…ちょっと迷っただけだよ!」


月乃は頬を膨らませ不満げな表情を浮かべる。

するとそれを見かねた長子は、地面に両手をつき、月乃の目の前に岩の階段を作り出した。

それは木々を越える高さまで伸びていく。


「うぉー!さっすがぁ…!」


月乃は空を見上げ感心する。

子供の様に飛び跳ねながら階段を登ってゆく。

頂上に着くと、森を一望できる。

すると真後ろに、目的地である寺が見えた。

月乃は苦笑いを浮かべ、下で待つ長子を見下ろした。


「ごめん…反対だった…。」


長子は溜め息をついた。



 日は暮れはじめ、辺りが次第に暗くなる。

月乃の足取りは順調では無かった。


「はぁ…はぁ…」


かなり体力を消耗しているようだ。

普段は城の中で生活をしている姫である。

一本の刀を腰に差し、森を抜ける事など体験し得ないことだ。

それでも月乃は足を止めることはしなかった。


「もう少し…頑張れ私…」


とうに限界はきているはず。

そんな月乃の姿を、長子は見ていられなかった。

すると突然、刀の中から妖気が漏れ出す。


「…え?」


刀は妖気に包まれ、やがて長子の姿へと実体化した。


「自分で歩く…これで少しは楽に歩けるだろ。日が暮れる前に行くぞ。」


そう言うと長子は月乃を追い抜かした。


「あ…まって…!長子!」


月乃は長子の背中を追いかけた。



 夜になり、ようやく寺が見えてきた。

月乃は長子の肩に寄りかかっている。


「…ったく。先が思いやられるわ。」


「ごめん…ちょっと疲れたかな…」


門には『松寺まつでら』と記されている。


「随分と荒れているな…」


「何かあったのかな…?」


「やはり…奴の妖気は間違いでは無かったようだな…。」


二人は警戒して寺の中へと進んだ。

心なしか空気が冷たく感じる。

人の気配は無い。

ただ床のきしむ音が響いている。


「誰もいない様だな…」


二人は更に奥へと足を進めた。


しかし、二人は足元にかかる蜘蛛くもの糸には気づいていなかった。

糸に足をかけるや否や、正面から無数の蜘蛛の糸が二人に飛びかかってきた。

月乃の両腕は糸に絡まり、身動きが取れない。

長子は瞬時に刀へと姿を変え、月乃に絡みついた糸を切断する。

しかし蜘蛛の糸の追撃がやってくる。

月乃は宙に浮いた刀を掴み、向かってくる蜘蛛の糸に刀を振った。


「一体なんなの…!?」


次から次へと糸は出現する。

月乃は一旦その場から離れた。

刀の中から長子が語りかける。


「魍魎の妖気だ…おそらくこの先に身を潜めている。」


「分かった…!けど…一旦退散!」


月乃は堪らず蜘蛛の糸に背を向け全力で走る。

やがて寺の外へ飛び出た。

滑り込む様に地面に着地する。


「ここまでくれば…届かないでしょ…」


月乃の言う通り、糸は寺の外を出てすぐに止まった。

そしてゆっくり中へと戻っていく。


「どうやら行動範囲が決まっているようだ。」


長子が冷静に分析する。

その時、寺の屋根を何かが突き破った。

月乃は咄嗟とっさに身構える。

それは月乃の目の前に落ちた。

砂煙が舞い、姿が隠れる。

影だけで分かるその禍々まがまがしい姿に驚いた。

砂煙が晴れると同時に、素早い一本の蜘蛛の糸が、月乃を目掛けて飛んできた。

糸は月乃の首に巻きつく。

月乃は寸前で左腕を挟み、締め付けをゆるめる。


「くっ……!」


しかし糸の締め付ける力は、どんどん強くなっていく。

月乃の左腕に糸がめり込む。

すると月乃は、目の前の姿をはっきりと捉えた。

肩まで伸びた黒い髪に茶色の着物…そこまでは人間の女子おなごと変わりない。

しかし、生えた腕は六本、指先からは糸が放出されている。


「なぁに?…私の食事の邪魔しようっての?」


「…食事?…寺の中に人間がいるの…?」


「あぁ…この寺には私のえさが沢山たくわえてある。誰にも渡すまい…」


月乃は右手の刀を振り上げ糸を切断した。


「はぁ…はぁ…はぁ…」


喉を押さえ、上がった息を整える。

すると長子は再び刀から人型へと姿を変えた。


「あいつは『魍魎・土蜘蛛つちぐも』…少々厄介な奴だ。」


緊張感がただよう。

月乃の体力は限界に近い。

長子は前に出た。


「月乃…お前は寺の人間の方へ行け。ここは私がやる。」


「長子…!」


「今のお前ではこの刀は使いこなせん。早く行け…。」


そう言うと、長子はてのひらから刀を出現させた。

その様子を見ていた土蜘蛛が口を開く。


「貴様…魍魎だな?人間の娘と何をしている?」


「お前に教える義理は無い。…月乃、行け。」


月乃は黙ってうなずき、その場を後にする。

しかし土蜘蛛は月乃を目掛けて糸を放つ。


「逃すか…小娘!」


糸は月乃の背中を追うが、それは途絶えた。


「…なに!?」


岩の壁が糸を遮断したのだ。

長子の能力…『城壁じょうへき』だ。


「貴様…人間に加担かたんするつもりか?」


「少なくともお前よりは親しいのでなぁ。」


土蜘蛛は深く息を吐いた。

そして長子を睨みつける。


「分かった…お前は殺す。」


土蜘蛛の妖力が膨れ上がった。

長子は右手で刀を構える。


「蜘蛛は壁が無ければ巣も作れんだろ?」


長子の挑発に乗り、土蜘蛛は六本の腕から無数の糸を放った。


「舐めるな!私の放つ糸は妖力によって強度を変幻自在に変える!貴様の胴体など真っ二つにしてくれるわ!」


糸に妖力が流れ込む。

その瞬間、糸は張り詰めたげんの様に引き締まった。


「『妖術ようじゅつ城壁じょうへき』!」


長子は目の前に岩の壁を出現させる。



「…甘い。」


土蜘蛛の一言と共に、岩壁は一瞬にして粉砕した…。

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