第十二話 『空の彼方』

        空は灰色。


 今にも降り出しそうな雨に、鳥たちは群れを成し飛び立つ。

空気が重く冷たい。

立っているだけで体力が奪われる妙な感覚。

そして…魍魎もうりょうの気配。


十太郎とうたろう清姫きよめの妖気を追い、再び走り出した。


「なんだよ…!この空気!」


刀に戻った天狐てんこは中から語りかける。


「この妖気…嫌な予感がする…まさか…」


天狐の予想は的中した。


地面をう清姫の前には、百鬼ひゃっき魍魎もうりょうかしら

空亡そらなき』が立っていた。


「空亡…様…」


清姫は驚愕する。

すると空亡は清姫を見下ろした。


「お前は…」


少しの間があった。

清姫の表情に一瞬希望の様な笑みが浮かんだ。

しかしそれをさえぎるかの様に、上空を十太郎が勢いよく通過した。


「はぁあああ!!!」


「…誰だ?」


空亡の言葉と共に我に返る清姫。

十太郎が鬼丸おにまるを勢いよく振った。

しかし空亡の背後から黒い影が出現する。

影は空亡の前に盾を作り十太郎の斬撃を防ぐ。

外道の能力だ。


「くっ…!」


そのまま弾き返され後退し、十太郎は清姫のそばに着地する。


「清姫!大丈夫か?」


「小僧…」


すると外道は空亡の前に立ち、まるで護衛するかの様に立ち振る舞う。

空亡は十太郎をじっと見つめる。


「人間か…おかしいな。何故人間のお前から妖気を感じる?」


その問いに答えたのは外道だった。


「奴の刀にはそれぞれ二鬼にきの魍魎が封印されています。奴の手持ち刀には『化狐ばけぎつね天狐てんこ』が…そしてその場で野垂のたれ死んでいるのが『焔蛇えんじゃ清姫きよめ』です。」


「ほう…あの化狐ばけぎつねか。」


すると突然、清姫は空亡に向かって口を開いた。


「空亡様!この小僧はわらわの心臓を喰ろうた人間!百鬼ノ魍魎を全て封印するなどと、ふざけた事をぬかして…」



?…お前は。」



「…え…?」



「先程から同じ事を何度も言わせるな。聞こえなかったのか?」


先程から空亡が口にしていた言葉は、十太郎だけに向けたものではなかった。


「…わらわの事を…覚えて…」


「この世の魑魅魍魎ちみもうりょうの全てを覚えている訳が無いだろう。」


驚き絶望した。

込み上げる無数の感情で体が震え出す。


「それでは…あのも…」


「何の話だ?お前と交わした言葉など覚えておらぬわ。」


負の感情が一気に清姫を襲った。

屈辱…悲しみ…怒り…今にも消えそうな清姫の妖気は、今安定を失った。


その時、十太郎は地面に突き刺さる童子切どうじぎりを握った。


「お前ら魍魎のごたごたは知らねぇ。約束だかなんだか…どうだっていい。けど…これだけはわかる。」


そして十太郎は刀のきっさきを空亡に向けた。



「俺はお前が嫌いだ!」



強く言い放った。

すると空亡は外道を追い抜かし、十太郎の前に出た。


「人間風情ふぜいが…立場をわきまえろ。」


空亡は空に手をかざした。



ひざまずけ。」



手のひらを下にし、右手を振り下ろす。

その瞬間、一気に重力が増した。

辺りの木々は重力に負け、へし折られる。

地面には亀裂が走り地震が起きる。

十太郎は体勢を崩し、その場にひざまずく。

外道にも影響が及び、たまらず腰を下ろす。

十太郎は童子切を地面に突き刺し、必死に耐える。


「くっ……ぐっ……誰が…ひざまずくか!」


すると地面に押し付けられている清姫が、十太郎に言葉を放つ。


「馬鹿者!貴様のような下等な人間が、空亡様に敵うはずがないじゃろう!」


しかし十太郎は聞く耳を持たず、清姫に語りかける。


「清姫…刀の中に戻れ…」


「……っ!?」


「お前がそこで寝てちゃあ…闘いの邪魔だ…早く戻れ…」


十太郎は清姫の身を案じ、そううながしたのだ。

しかし清姫はそれに応じる気は無さそうだ。


「何を言っておる!貴様は人間じゃ!闘っても死ぬだけじゃ!」


すると十太郎は口角を上げ笑った。


「俺はもう…お前に心臓潰されてんだ。だからもう…簡単には死なねぇよ。」


十太郎の目は真っ直ぐ空亡を見つめていた。


「小僧…」


「早くしろ!清姫!」


その瞬間、空亡は手のひらを強く握り締めた。

それと同時に十太郎が立っている地面が、一瞬にして粉砕した。

そこに巨大な穴が生まれる。

粉砕した地面の瓦礫がれきと共に、先が見えない奈落の底に落ちていく。


「うわぁあああ…!!!」


十太郎の叫び声が響く。

そして跡を追う様に、清姫も共に落ちていった。



 何処からともなく現れた巨大な岩のかたまりが地上に浮かぶ。

これで穴を塞ぐのだ。

空亡は岩を操り、穴の中心に落とした。

穴は巨大な岩によって塞がれた。


「呪いをかけた。私が作った魍魎と言えど、これで出られまい。それに…」


空亡は空を見上げた。

雨が頬を打つ。

するとその瞬間、閃光と共に落雷が岩を直撃する。

帯電たいでんした岩は紫の雷光らいこうを放つ。


「行くぞ…外道。」


「はっ…!」


二鬼にきの魍魎は雨の中へ消えて行った…。



 

  魍魎もうりょう…すなわち妖怪。

人ならざる者であり、人の魂を喰らう者。

女子おなごの姿でりながら、人を喰らう魍魎もうりょうを、人々は『人喰姫ヒグメ』と呼んだ。

そして此処ここに、人喰姫ヒグメの心臓を喰った者が居た。

名を『柳楽やぎら十太郎とうたろう』と申す。

その者、この物語の主人公なり…。

そして彼は今…三本の刀と共に、奈落の底に沈んだ。


そして…彼の物語は此処ここで一旦途切れる。

しかしこれまでの記録は、ながき物語の序章に過ぎず、第二幕は直ぐに始まろうとしていた…。



【第一章 二鬼ノ人喰姫編『完』】


 

 『山城さんじょう』という栄えた国がった。

城が多く建ち並び、多くの人で賑わっている。

国は大きな山々に囲まれており、遠くの景色は緑で埋め尽くされている。


その国の一番大きな城。

城上じょうじょうから、緑を眺める一人の女子おなごが居た。

髪を一つに束ね、気品ただよう浴衣を召した容姿。


すると背後から、その者の名を呼ぶ声が聞こえた。


「『月姫つきひめ様』。」


声をかけたのは、同じく若い女子おなごであった。


「『長子ながこ』…その呼び方はやめてって言ってるでしょ?」


「めっ…滅相もございません!山城国さんじょうこくの姫であるお方に、他の呼び名など…」


「『月乃つきの』でいいって言ってるでしょ。としは変わらないんだから。」


月乃は山城国さんじょうこくの姫であった。


「…では…月乃様…」


「なぁに?」


名前を呼ばれたことが余程よほど嬉しかったのか、月乃は満面の笑みを浮かべた。



 敷地内にある道場。

月乃ははかま姿で竹刀しないを握っている。

向かうは体格の良い男。

こちらも竹刀を構えている。

静寂な時がしばしの間流れた。

すると月乃は大きく目を見開き、男に向かって踏み込んだ。

竹刀を素早く振り下ろす。

男はそれに合わせて後退し受け流す。

道場に竹刀がぶつかり合う音が響く。

長子ながこは二人の姿を離れて見守る。


「はぁっ!」


気合の入った月乃の声と共に、竹刀は体をしならせながら勢いよく振られた。

月乃の一振りにより、男の持つ竹刀はへし折れる。

竹の残骸ざんがいが宙を舞う。

月乃は男の目の前に竹刀を突き付けた。


「そこまで!」


男の掛け声により、月乃の竹刀は降ろされた。


「流石は我が娘だ。」


真剣しんけんなら…もっと本領を発揮出来ます。」


月乃は竹刀に対し不満をあらわにする。

男に背を向け、その場を離れる。


「月乃…お前が真剣を握る必要は無い。」


その言葉に反応し、もう一度男の方へと詰め寄る。


「どうして…?」


「城には警備の武士が大勢いる。万が一にも、この城が攻め落とされない限り、お前は闘ってはならん。」


「けど…最近では城下じょうかの森から化け物が姿を現す様になったって…」


「なっ…何故それを…」


男は驚いたが、すぐに長子ながこの方に視線を向けた。

長子ながこはその視線から目を逸らすように下を向く。

月乃は男の視線をさえぎる様に前へ出た。


「私の実力は武士以上です!私なら…もっと救える命が…」


「お前は山城国さんじょうこくの月姫だ!国にとって…決して欠けてはならん存在…」


すると月乃は男をにらみ、怒りを露わにする。


「国の姫は…たみが苦しんでいる姿をただ城上じょうじょうから眺めていることしか出来ないのですか…?」


男は黙り込んだ。

そして月乃は持っていた竹刀を手放し去って行った。



 夜の空をあおぐ。

城上じょうじょうから見る空の景色は城下じょうかから見る空の景色と、また違って見えるのだろうか…。

そんなことを思いながら、月乃は雲に隠れていく三日月を見つめていた。


そして此処ここに、新たな物語が始まろうとしていた…。



【第二章 山城国ノ月姫編】

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