第20話 戦支度

ドン、ドン、ドン。


何かを打ち付けるような、鈍い音が響く。


「ん……なんだぁ?」


すぐそばで鳴り続ける耳障りな音に耐えきれず、目を覚ます。

今は何時だろうか。


昨日は魔法を教わった後、部屋で夢中になって魔法の練習をしていた。

流石に姐さんが俺の魔力を操作して発動したときほどの威力は無いが、赤い炎が手の中で弾けたり、部屋の中に風を吹かしたりといったことが自由にできるようになったのだ。


楽しくないわけがない!


というわけで寝るのも忘れて練習しまくって、疲れていつの間にか寝落ちしたわけだけど……結局寝たの何時だったんだろ?


「よう!おそようさん。やっと起きたかよ、坊ちゃん」


声のかけられた方を見ると大柄な男、俺の剣の師匠であるところのキーカンが何故か窓の外の岩を足場にして立っていて、しかも外側から窓に大きな木の板を打ち付けていた。


「おはよう……って、何やってんだよおっちゃん!」


心の底からの叫びだった。

急に人の部屋の窓を封鎖するたぁどんな了見だ!

唯一の窓だぞ?

ドアの向こうの廊下は日当たり最悪で謎の蛍光塗料の明かりしかないんだぞ?

何やってんだ全く。


「あー。そうそう、なんでも森の向こうからとんでもない……魔物の群れが押し寄せているらしくてよぅ。砦を守るために臨時の補強工事中なんだわ!」


窓の外を見ると、既に多くの窓が同じように封鎖されている。

しかし、急に魔物とは。

この世界は危ない危ないとは思っていたが、やはり相当なものらしい。


「大変じゃんか!俺も準備手伝うよ」


魔物が来るとなれば、正直こんな木の板数枚でどうにかしきることは難しいだろう。

できる準備は一つでも多く。

俺にもできることがあるはずだ。


「そりゃよかった。じゃあ、倉庫に行って荷物運びを手伝ってやってくれや」

「了解!」


やることは決まった。

ベッドの下に置いた靴を履くと、すぐにドアを開けに向かう。


実はこの部屋……というか、この砦自体、転移部屋の曇ったもの以外に鏡がなかったりする。

身だしなみを整えようとしても、鏡がなければ自分を見ることができない以上朝の支度の諸々はしようがない。

じゃあ普段どうしているかと言えば、自分では軽く手櫛で髪を整えておくくらいで、なにかおかしな部分があったら他の誰かが直してくれるわけだ。


そのせいで俺はまだ俺自身の顔を見れていない。


鏡がないなんて変だと思うが、自身の姿が映るレベルで金属を磨いたりといったことはきっとこの世界の技術的に難しいのかもしれない。

いや、弥生時代にも銅鏡とかあったしある程度磨かれた剣がある以上、手間をかければ近いものはできるだろう。

鏡なんて高級品は金持ちの家とかにはあるけど……みたいなやつだろうな、多分。

しらんけど。


まぁ、それは置いといて。


部屋から出ていく直前、キーカンから唐突に呼び止められる。


「なぁ、カイセ。お前は剣の腕に恵まれているとは言えないが、練習にかける心意気は光るものがある。これからもサボらず頑張るんだぞ」


これまで聞いたことがない神妙な声色でキーカンは言う。

いつも豪快に笑い、飲み騒ぐ姿とはあまりにも対照的で、つい振り返ってしまう。


「なんだよ急に」


サボらず……なんて当然の話だ。

いつかあのクソ女神を叩っ切るかもしれない剣だ。

素振りの時だって、殺意と恨みを丁寧に丁寧に念入りに込めて振ってますとも。


それはこれからだって変わらない。

昨日、姐さんから狂信者たちの話を聞いてより一層そう思っている。


そして、振り返った先。

キーカンは一瞬目を見開くと、ニヤリと笑った。


「あー、うん……そうそう、あれだ!お前、昨日姐さんから魔法習っただろ?最初こそ遊び半分で教えたとはいえ、最近はかなり本気で教えてたんだ。魔法にかまけて剣を忘れられるのは師匠として悲しいからよ」


「そんなわけないっての。剣でバッサバッサ敵を切って進む楽しさを熱弁して、剣の練習に誘ったのはおっさんだろ?俺、まだそれやってないし。それに前に斬りたい奴がいるって言ったじゃん」


なんか神妙になったかと思ったら、弟子を取られると思ったのか。

師匠のそこはかとない残念さについジト目になる。


「ははっ。そうだったな。その意気なら安心だ。それ、早く倉庫行ってこい」

「呼び止めたのはキーカンじゃねーか!」

「がっはっは」


廊下に出た時、後ろにいたのはいつものキーカンだった。

剣を振る俺を、嬉しそうな、そして少し困ったような顔で見守るいつもの姿。


妙にその姿が脳裏に張り付いて離れないことを不思議に思いながら、廊下を進む。


「やぁやぁ、カイセ。今日も元気そうですね」

「あれ、スイノーさん。この時間に砦の中をうろついているなんて珍しい」


廊下の向こうから歩いてくるのは、一歩間違えば荒くれのような見た目のむさ苦しい男が多いこの砦では珍しい片眼鏡に長身痩せ型の優男。

会計係のスイノーだった。


スイノーは商人として昼は外へ、夜は専用の書斎に籠って仕事三昧という仕事中毒ワーカーホリックらしい。

らしいというのは、そんな生活である以上あまり俺は接点がないからで、正直普段の行動はよく知らなかったりする。


それでも砦の中では珍しく、物腰柔らか。

それに、遊び半分に俺を揶揄からかってきたりしない安心感があるので、見かけたときは俺から駆け寄って話しかけている。


「えぇ。魔物の群れが迫っているという話ですからねぇ。流石の私もできることをしないとというわけです」


目線の高さを合わせるようにしゃがみこんだスイノーはそんなことを言う。


詳しい話を知らない以上推測ではあるが、この砦が不自由なくいるのは、ひとえにこの砦に存在する転移の魔道具の存在に尽きる。

あれは忘却魔具アーティファクトだとか、神代の遺産だとか言われる貴重なもの……かつ、あの場所から動かせないものらしい。

商売の要でもある以上、ワーカーホリックのスイノーが守るためにこうして全力を尽くすというのはまぁわかる話だ。


「そうだ。カイセ。これをしばらく預かっていてはくれませんか?」


そう言うと、スイノーはポケットに入るくらいの大きさの黒い手帳を渡してくる。

随分と使い込んだ品らしく、革製のようだが表面は傷だらけで所々色も剥げていた。


「なんですか?コレ」


何だかは分からないが、見るからに大事そうなものを押し付けられて困惑しかない。


「コレ、実は私の商売や仕事のイロハが書かれた大事な大事な手帳でしてね。ただ、近く魔物の襲撃があるでしょう?私、こう見えても結構戦える身でして、最前線に出ようと思っているのですよ。負ける気はありませんが、いつも肌身離さず持っている手帳が戦いの中でズタズタになってしまったら……と思うと、戦いに集中できませんから。取りに戻るまでカイセが持っていてください」


スイノーは微笑みながらそう言うが、話に違和感しかない。


「それなら持ち出さずに書斎にでも隠しておけばいいのに。なんで俺に……。それに俺だって、剣も練習してるし、魔法を使えるようになったんだから一緒に戦うぞ」


この砦にくる前だって、傷だらけな上に栄養失調ぎみな身体で大きな目玉の怪物とやり合った。

不意を突いたとはいえ、大人も一人っている。


傷が治り、栄養を取って急成長している身体。

それに、剣や魔法まで覚えたのだ。

十分に戦える。

そんな自信があった。


「ははっ。流石私たちの砦の一員なだけあって勇ましいですね。しかし、幼子に戦わせるほど私たちは弱くありませんよ。前線で全部倒してしまいますから、残念ながらカイセの出番はないでしょうね」


そう言ってほほ笑み、頭を少し雑に撫でられる。

子ども好きな人なようで、頭を撫でてくることはこれまでもなんどかあったが、いつもの丁寧さがないその手つきが意外に感じた。


実は結構強い……なんて言っていたけど、戦いを前に高ぶるタイプなのだろうか。


見た目と合わない。

つくづくこの砦の人たちは、そんな傾向にあるなぁ。


そして、スイノーは顔をぐいと近づけてくる。

内緒の話らしい。


「ごほん。実は、その手帳には私のへそくり……隠し金庫に関する暗号が書かれていましてね。ただ、以前ひょんなことでキーカンやヤトゥー、イーパスたちにそのこと知られてしまいまして。彼ら、この砦でも有数の酒飲みでしょう?時折、酒代目当てに手帳が狙われているのです。書斎だと危ないですが、彼らもまさか!カイセに預けるなんて想像もしないでしょうから。そういった意味合いもあるのですよ」


そういってクスりと笑うあたり、スイノーと大酒飲み勢の知恵比べ的な遊びの一環なのかもしれない。

まぁ、そういうことなら預かっておこうか。

(ちなみに、ヤトゥ―は俺にスリのやり方を何度か教えてくれた人だ)


「どうしても気になったのなら封を解いて中を見ても良いですが……。あくまで暗号なので、少なくともカイセには読めないことは先に伝えておきます」


悪戯っぽくそう言うと、スイノーはこちらをじっと見て話しを続ける。


「中を見ても良いと言ったのは、この戦いが終わったら私の仕事を教えようと思っているからです。仕事のイロハについてはその際に教えることになりますから、予習するという意味で手帳を読むのは悪くないでしょうからね」


ちょっと前に姐さんが『スイノーが仕事を教えたいと言っていた』なんて話していたけれど、スイノーの中では教えることになっていたらしい。

商人であれば、この危険極まりない世界でも比較的安全に食い扶持を稼げるだろうし、大金を稼げれば人を雇うなど、女神への復讐にも役立つはずだ。


大変だとは思うが、やり手と聞くスイノーに教えて貰えるなら万々歳と言える。


「えっと……よろしくお願いします」


これから師匠になるわけなので、頭を下げる。

こういったとき背や腰まで曲げず、会釈程度に頭だけ下げるのがこの世界の所作だ。


「そうかしこまらなくてもいいのに」

「スイノーさん、いつも丁寧に話すんで砕けた感じにできないんですよ。無理ですって」


丁寧に話されたら、丁寧に返さざるを得ない。

前世を含んでも若造な身なので、丁寧に話してくる相手に雑に話すような振る舞いは生憎したことがなかった。


「ははっ。不思議なことを言いますね。砦の皆さんは私に対してそんな気を使っていないでしょう?話し方で内容は変わらないですから、そこは自由でいいんですよ。まぁ、商人の仕事ではいくつもの話し方や振る舞いが自然にできるのが理想です。少し寂しいですが、私とは丁寧に話す練習をするという意味でこのままでいいとしましょう!……それでは、私はまだやることがありますからこれで失礼」

「はい!」


スイノーは立ち上がると、そのまま廊下の向こうへと消えていった。


「みんな忙しそうだな」


普段、昼間は多くが外に出払っているというのもあるが……砦は、これまでにないほどに喧騒に満ちている。


荷を運ぶ者、武器を磨く者、倉庫にあった山ほどの魔道具を点検する者。

既に森との境界線には柵や堀が張られ、砦の入り口付近には幾重にもバリケードが築かれている。


俺もできることをしないと。

倉庫のある1階へと、階段を駆け下りていった。





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