第7話 夜営

(今日はもうここまでか。)


倒木に溜まった水の上澄みを水筒に入れ、苦い茎を齧る。

相変わらずのマズさに辟易する。

一日中この苦みが口の中に広がっているからか、段々と慣れてきたが……。

本当に慣れてきたのかな?泣くほどマズかったものが食べれるようになるなんて、味覚が壊れてきているだけな気がする。


まぁ、良くも悪くもこの苦い茎を食べるのもあと数回だ。

予定では森の中でも同じ植物を採取できる算段だったが、植生の違い、詰まるところ森の中が想像以上に暗くて下草自体が少ないような環境で当てが外れてしまった。


できるだけ回避したかったが、何とか食べられそうなものを一か八か試すほかない。


今のところ採取できたのは

・灰色の固くトゲトゲしたこぶし大の木の実

わらびみたいな木の芽(ただし毒々しいどどめ色)

・人参そっくりな橙色の根っこ(ただし形がリアルな人型)


……全くもってろくなもんが無いな!


ぼんやりと明滅するキノコにぴくぴくと不規則に微振動している花、腕ほどある甲虫に巻き付くつる植物……。

これでも、そんな感じの明らかにおかしいものは省いたのだけれど。


どれもこれもが口に入れることが躊躇われる。

それでも食べなければいけないので、今日から少しずつ食べてみて体調を見ながら判断するしかない。


まずはトゲトゲの木の実からだ。

この実は森の中でも特に大きな樹木に生っているようで、どんぐりのように木の周りに散らばっているのを頻繁に見かけた。

頻繁に見かける=安定して採取できるということだ。

食べられるのならこれからの探索が一気に楽になる。


ただ、表皮が非常に硬く、短剣で何とか剥けるかといった具合。

加熱すれば何とか食べられるだろうか。

少しでも日を浴びようと伸びゆく木々に遮られ、この森の中の温度は昼間でも低い。

このまま日が完全に沈めば冷え込むのは必至なわけだ。

残り僅かな体力を持たせるためには、この状況下で目立つという最悪のデメリットを背負ってでも焚火をして温まる必要がある。

どうせ火を焚くならば、物のついでで焼いてみることにした。


まずは焚火の準備だが、これには苦労しなかった。

森の中ということで乾燥した木はすぐに手に入ったし、盗ってきた火打石は打った衝撃で零れ落ちた粉末がしばらくの間発火し続けるというまさに異世界仕様!


……小屋に火をつけた時は必死すぎて気が付かなかったけど、よく考えたら相当危ない仕様だよなコレ。


焚火をするのは、周囲より一段窪んだ場所の周囲を枝と布地で囲ったその中だ。

簡易テントで囲うことで少しでも目立つ明かりを減らしつつ寝るときには残った温度で暖を取ろうという魂胆で、昔、潜伏する忍者の術として某教育テレビでアニメをやっている漫画に書かれていたのをうろ覚えながらやってみた。

簡易テントを張るのは火を消した後だった気もするが、不完全でも目立たないようにするためにはこうするしかないのだからこれでいく。


結果として。

全身を布で覆った忍者じゃないから布地は足りないし煙いしであまり快適な焚火ではないが……まぁ、仕方ない。

背に腹は代えられないし。


煙にまみれながらも、大きな葉で包んだ実を一個ずつ焚火に投げ込んでいく。

実を放る度にジュッという小気味いい音と共にチリチリと舞う火の粉。

揺れる赤色を見ていると、段々と心が落ち着いてくる。


どこで聞いたか。

火の揺らぎは1/fゆらぎとかいうリズムを刻んでいて、それが心拍と同じリズムだからこそ人は火なんていう危険物を見ているのにリラックスするらしい。


――もう一つ実を投げ込む。


この異世界の身体は見た目こそ前世の人間と同じだ。

だが、異常な耐久力やこの状態でも歩き続けられる不可思議な体力を考えると、見た目だけ同じように進化しただけの全く別の生き物な気がする。


収斂進化。

サメとイルカや鳥と蝙蝠の関係のようなもので、似ているのは見た目だけで実はこの身体には心臓が7つ、脳が5つあると言われてもおかしくはない。


そんな身体も揺らぎのリズムの一致なんて言う前世の世界の理論に従っているのだろうかと考えると、恐らく違うだろう。


――火は、実に巻かれた葉をジリジリと黒く焦がしながら赤く揺れ動く。


恐らくこの安心感と静かな高揚感は――

赤が殺した男の髪と血、燃やした小屋を連想させたからだ。


火を見るより明らかなんて言葉があるが、橙色の夕日の中で逃げた現実は火を見ることで逃れようもなく明らかになっていく。


本来、俺のような平凡な人間には一朝一夕では耐えようの無い筈の罪悪感が、得られた生の実感で完全に上書きされている。

これまでの、あまりにも普通過ぎる人生では一度も得たことがないカタルシス。

そのせいで草の液で物理的に麻痺した身体よりも、心の方が余程麻痺しきっていた。

いや、麻痺というのは動かなくなることである以上あまりにも不正確か。


より正確に言うのであれば――


「心が痺れた」


この言葉に収束する。


何がきっかけだったのだろうか。

女神への復讐心か。

痛みと苦しみからか。

罪悪感から逃れたいからか。

達成感に飲み込まれたからか。


恐らく、タイミングが悪かった。

間が悪くて、魔が差した。


多くの要因が重なって、人間としてズレてはいけない部分がズレてしまったような。

外れてはいけない螺子とパーツが、突如捻じ込まれた危機を前に吹っ飛んでしまったような。

そんな変化に悲しくも辛くもなれず薄暗い安心と高揚に浸ってしまっている以上、きっと後戻りはできないのだろうな。


なんて。


何に対してかも分からない悔しさだけがほんの少し残っていて、深く吐いた溜息が舞い上がる火の粉をほんの少し吹き飛ばす。

悲しくない筈なのに涙が滲むのは煙のせいで、頬が熱いのは火に当てられたから――


「色々考えすぎてる間に焼きすぎちゃったな」


真っ黒に焦げた実を、棒で火の外に弾き出した。

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