第5話 盗走

「ぐぇッ!うっ……うぅ……」


翌朝。

腹に強い衝撃を受け目が覚める。


痛い、苦しい、痛い。

痛みで腹がと萎むように痛む。

荒い息が止まらない。


頭が苦悶で真っ白になるが、事態自体は予想していた通りだ。

何をすべきか、混乱の中でもなんとか思い出す。

決して起き上がらず、その場で緩慢な動作で腹を抑えようとして、失敗する。


正確には


『×××!!?××××××ッ!!』


痛みを追うように浴びせられる、雷のような轟音。

そして、再度の衝撃。


飛びそうになる意識を無理やり手繰り寄せながら薄目を開ける。

そこにいたのは昨日の痩せぎすな男ではなく、筋骨隆々な大男。

俺が本当にもう鉱山で働けない状態なのか最終確認に来たのだろう。


ここで動けば、働けるものとして再度連れていかれる。

日が長引けば隠した準備がばれる可能性もあり、何としてでもここは誤魔化す必要があった。


ズンズンと足音を立てながら迫る大男。

再度蹴られるその瞬間、何とか身をよじって蹴り飛ばされる方向を廃屋の入り口の方にずらす。


『チッ』


大男は舌打ちすると通り道に転がる俺を外に蹴り飛ばし、唾を吐いた後鉱山の方へと向かっていった。


「ぐ……ぐぅ……」


痛みで目がチカチカする。

息がうまく吐けず、吸えない。

恐らく骨の何本かは逝ってしまっているだろう。


ただ、そんな重苦の中でも俺は口の端を歪め、去っていった男を見る。


――狙い、通りだ……。


去っていく大男。

そして、視線の先、大男に引き連れられるように唯一廃屋になっていない小屋から出ていき鉱山へと向かう6人の男たち。


あの小屋にいる奴隷管理の人間は全部で7人。

日によっては昼間も中に誰かしら人が残ることがあり、それが金や武器確保の最大のリスクだった。


思わず傷を負ってしまったのは大きな痛手だが、今日やるべき準備は上手くいく。

全員が出払ったのを見ることができ、そう確信を持てたが故の笑みだ。


数分後。

男たちが十分に離れたのを確認し、起き上がる。


廃屋に戻り、草の汁を塗ったことで痛みは引いたが、最後に蹴られた足にうまく力が入らない。

それでも、今しかない。


急いで昨日確保した服や、指輪や紙片、壺を手に持つ。


苦い茎で飛びそうになる意識を戻しながら(ついでに腹も満たしながら)、足を引きずるようにして小屋へと入る。

中はベッドのほかにも武器や工具、鞭や酒樽などが散乱していた。

万が一のため、物音をたてないように慎重になりながら使えそうなものがないか物色していく。


まず見つけたのは小ぶりな短剣とナップザック、そして紐だ。

どちらも体の小さな俺には大きく、短剣は剣のようなサイズに思えるし、ナップザックは気を抜くと肩からずり落ちてしまう。

それでも替えはない。

ナップザックに急いで詰め込んでおく。


次いで見つけたのは、乾燥した肉の塊と火打石にタオル、そして皮の水筒。

男たちの生活拠点なだけあって、旅の必需品は大方揃えられそうだ。

鉱山にあらかた持っていかれている可能性も考えていたので、非常に運がいい。


後は、金だな。


夜。

酒に酔った男たちに小屋に連れてこられ、余興代わりになぶられた記憶があった。

その場で一人が銀やら金の小さな塊を指ではじいて笑っていたが、あれは十中八九貨幣かそれに類する物だろう。


そして、この場にいる奴隷は

事実、少年は金や銀を見てもまるで石ころでもみているかのように、何の感情も持っていなかった。

奴隷たちがそれらの価値を知らないということを男たちは知っているため、奴隷に盗まれるなんてことは端から警戒していない。


だから、絶対にどこかにあるはずだ。

棚をひとつひとつ漁っていく。

その過程で謎の液が入った豪奢な薬瓶や包帯も見つけたのでついでに拝借しておく。


後は、奥の棚だけだ。

そう思ったとき、遠くで足音が聞こえた気がした。


(マズい!)


忘れ物か何かで男が帰ってきたのだろう。

急いで棚の大扉にナップザックを押し込み、その隣に身を滑り込ませて内側から扉を閉める。


閉まらない!


持ち手の無い内側からでは扉が閉まり切らず、ほんの少し開いたままだ。


(ヤバイヤバイヤバイっ!!)


半ばパニックになりながら、震える身体を両腕で抱え押さえつける。


片手には短剣。

棚の中の暗がりで鈍く光る刃を見つめた。


いざという時は殺る。

殺ってやる。

そう思うと心が段々と冷えてきて、震えが収まってきた。


ちょうどその瞬間、ギィという玄関のドアが開かれる音が聞こえた。

次いで、ガサガサと音がする。


何かを探しているのか、部屋の中を歩き回っているようだった。


(こっちにはくるな、来ないでくれ)


一度抑えたはずの恐怖がまたぶり返す。

震える腕、揺れる短剣。


頼む、頼むから今だけは――


――カタッ。


不意に。

乾いた音がした。


それはすぐ真横からで、ナップザックの中身が零れ落ちた音。


冷や汗がとこめかみを伝い、落ちる感覚。

少しずつ大きくなってくる音。


一歩ずつ一歩ずつ。


布のこすれる音、息遣い。

開いた扉の隙間に差す影。


音はすぐ目の前で止まる。


逃げられない。


震える手で、短剣を握りしめる。

固く、硬く。


チャンスは一回きり。

外せば死ぬ。

ごくりと飲み込んだ唾は、乾ききった喉に痛みと共に零れ落ちた。


両足に力を籠める。

動く影、差す光。


相手を視認するよりも早く、構えた短剣を前に突き刺しながら全力で飛び出す。


スッ……と抵抗なく進む短剣。

あまりの手ごたえのなさに外したかと目を見開く。


次の瞬間、視界が染まる。

赤く、朱く。

反射的に目をつぶって横に転がった。


意識は妙に冴えわたっていて、あるのはただ殺すという意志だけ。

腹を抑え、倒れる男に何度も短剣を突き刺す。


差して、抉って。


何度それを繰り返しただろうか。

血のような赤髪の男はとっくに動かなくなっていた。


男は。

少年の記憶の中では一番の新参で、少年の好物であった例の腐敗肉の塊を配給していた者だった。

新参だったからだろう。

記憶の中で少年はまだこの男に暴力を振るわれたことはなく、食べ物をくれる人として慕ってすらいたようだった。


とんでもない勘違いだと思うが、それでも少年の感情が記憶から溢れ出して、止まらない。

涙となって血溜まりの上に落ちたのは、少年の感情か、それとも俺の罪悪感か。

感情がごちゃ混ぜになって苦く、苦しい。


息が荒い。

全身の血が沸騰したかのように、身体が熱い。

見開いたままの目が、自分の意志で閉じられない。


――人を、殺した。


恨みも怒りもない相手を、必要だからと躊躇なく。

転生させられ、それからたった二日間で盗みに殺しと、あまりに急ではないか。


デスゲーム物の映画やサスペンスドラマを見てこんなにも簡単に、その辺の人が殺しをするようなことがあるかと思っていた。


しかし環境が、状況が変われば。

俺はこんなにも簡単に人を殺せてしまえたのか。

躊躇なく刃を突き立てられたのか。


そう思い至った瞬間、こみ上げる吐き気。

胃酸と茎の酷い苦みが喉から口内にせり上がって来るのを無理やり飲み込む。


その気が狂いそうな味に混乱していた意識が戻ってきた。


(そうだ、逃げねぇと!)


男が帰ってこないことを不審に思って、他の奴らも来るかもしれない。

急いでまだ漁っていなかった棚を覗くと、狙い通り金や銀の粒が多数入った袋が見つかった。

音が鳴らないよう、袋の口をきつく締め、紐でぐるぐると巻く。


ナップザックを背負い外に出ようとしたとき、ふと血だまりの男の手が不自然に伸ばされているように見えた。


(何をしようとしたんだ?)


伸ばされた手の先はただの壁であった。

しかし、怪しいと思ってよく見てみると薄い線が天井際から床まで伸びていることに気づく。

ぐいと壁を押してみると、中には普段掘っている赤い鉱石の大きな結晶と古びた本が一冊入った小さな空間があった。


(随分と嵩張るけどしょうがない)


少年がこの場所で何をさせられていたのか。

本と結晶は何かの手掛かりになるかもしれない。

ナップザックに無理やり詰めておく。


この身体は、衰弱こそしているが日々の重労働で筋肉はしっかりあったのが救いだ。

みっちり詰まったナップザックを背負い、腰に短剣をぶら下げた。

履いていたぼろ雑巾のようなズボンで血を拭いて、服を着る。


(服を着たまま血を浴びなくてよかった)


布の擦れる音が出ないようにと、着ないでいたのが正解だった。

紐で縛った苦い茎がナップザックから顔を出しているが、不格好なのは仕方ない。

食べていくうちに無くなっていくから問題は無い。


予定にはなかったが。

手に入った火打石を手に取り、小屋の裏の茂みの端に火をつける。

枯れた葉を伝うように炎は一瞬で目の前の茂みを覆い尽くした。


赤く揺らめく熱気が、栄養不足と極度の緊張で冷えた身体に心地いい。


これで少しは俺がいないことに気がつくまでの時間稼ぎになってくれるはずだ。


ここからは時間との勝負。

煙が上がるまでに急いで離れなけらばならない。


一度、廃村を振り返る。

崩れた家に伝う蔓が、最初に見た時よりも青々としているように見えた。


――絶対に、生き延びる。そして……


人を殺してしまった苦しさと、逃げ延びられる解放感。

それらを抱えながらも前へと進む。


鬱蒼と茂る深い森の奥へと。

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