第15話
別に向こうから襲ってくるのを待つ必要はない。こちらから仕掛けてやる。
そう考えたアオイは奥の部屋へと踏み込むと、構えた拳銃で
しかし、やはり既にその部屋にはいなかった。もう一つ出入口があったので、そちらに行ったのだろう。
普通に考えれば、向こうは地の利がある分、こちらよりも有利だ。けれど、あの対等さにこだわる口ぶりから察するに、周辺の地形を熟知しているわけではないのかもしれない。
さて、どうするか。このまま追いかけるか、それとも一度引き返して外で身を隠すか。
我慢比べになって得することはないだろう。ならば、攻めるのが最適だ。
後を追って進むと、外に開かれた空間へと通じていた。トラック等が乗り入れる為の場所だろう。ドラム缶や建材といった遮蔽物があちこちに転がっている様子だった。
金属製の扉を盾にしながら慎重に確認していけば、案の定、一発の銃弾が飛んできて鋭い金属質音を奏でた。扉がしっかりと防いでくれたが、迂闊に顔を出していればやられていただろう。
おおよその位置の見当は付いたので、こちらも腕だけ出して撃ち返す。たとえ当たらなくとも、牽制にはなる。少し遅れて、向こうも連射してきた。出している腕狙いだろう。
こちらも撃つ度に引き戻し、高さを変えて再び撃つことで当てにくくする。ただでさえ小さい的だ。飛んでくる銃弾が牽制とは言え、警戒しながら当てるのは困難だろう。
まずは相手の正確な位置を掴まねばならない。その為にここは角度が悪い。扉は盾になるが、代わりに左手側がほとんど見えない。シンはそれを考慮して、そちら側に陣取っている様子だ。なので、何とか前に出て他の遮蔽物まで辿り着く必要がある。
見たところ、正面およそ十メートルの位置に積まれた建材があるので、盾にするのに良さそうだ。人より少し低い程度の高さで、立てば上から射撃できる。
しかし、流石にそのまま飛び出すのは狙ってくださいと言っているようなものだ。そうそう外してはくれないだろう。戦場で神頼みの戦術に頼るわけにはいかない。
その為に、シンが撃った銃弾の数を初めから数えていた。SFP9で用いるマガジンは十五発入りだ。十五発目を撃った後はマガジンの取り換えで僅かだがラグが生じる。その間に積まれた建材の元まで駆け抜ければ良い。
「……十三、十四、十五」
十五発目が撃たれた直後、アオイは盾にしていた扉から外に飛び出した。
その瞬間、背筋がゾクリとした何かが通り抜ける。危険が間近に迫っているのを肌で感じ、反射的に身を引き戻した。
すると、あり得ないはずの十六発目と十七発目が続けて飛んできて、脇腹と太腿を掠めた。
「くぅっ……!」
受けた傷を確認する。大丈夫、傷は浅い。この程度なら支障はない。
それにしても、一体どういうことなのか。なぜ十六発目が飛んでくるのか。マガジンを入れ替えているような時間はなかったはずなのに。
少し考えて、その方法に思い至った。最初だ。一発目の後に少しだけ間があった。
あの瞬間に入れ替えておけば、初めに装填された一発と撃った後に自動装填された一発、加えてマガジンの十五発で合わせて十七発の射撃が可能となる。
普段なら大して意味のない行動。けれど、今だけはそれが慮外の弾丸となった。
こちらの動きを読んでいなければ、そんなことをする意味はない。弾数を数えて行動に移ることはお見通しだったらしい。しかし、咄嗟の直感で凌ぐことが出来た。
その上、一瞬だが外に出たことで死角となっていた部分も視界に収められた。左手側は約二十メートルの辺りから草地となっており、巨大な倒木があった。どうやらシンはそれを盾にしているようだ。
このまま撃ち合いになれば、じきに弾が尽きる。申告通りマガジン二つなら、向こうは残り十三発。こちらはまだ十九発残っている。先に尽きるのは向こうだ。その場合、こちらが圧倒的に有利となる。
ここは危険を冒してでも正面の積まれた建材の場所まで行くことにする。相手の位置が概ね分かっているのであれば、そこを集中的に撃ちながら向かうことで撃たれるリスクは減らせる。
よし、行こう。一度大きく息を吸い、止めると再び飛び出した。即座にシンがいると思しき場所に向けて連射する。
撃ち返しては、来ない。一気に積まれた建材の裏手まで駆け抜けることに成功した。
この場所からなら互角に撃ち合える。建材の上から顔を出して銃を構えようとするが、その前に向こうが撃ってきた。屈んでタイミングを見計らう。
しかし、僅かな違和感があった。先程までの射撃と何かが違う気がする。ただ、その疑問に答えを考え込んでいる暇はない。相手の射撃が止んだタイミングで撃ち返そうと顔を出す。
「っ……!?」
見据えた倒木の辺りでなく、視界端のドラム缶の辺りを影が横切った。
そこで違和感の正体に気づく。射撃位置の違いがほんの僅かだが音の違いを生じさせていたのだ。
銃口をそちらに向ける間もなく影は一気に襲い来る。もはや足音を隠そうともしなかった。
シンだ。いつの間にか接近していた彼は右手に握ったナイフを閃かせた。咄嗟に拳銃で受ける。
「随分と小癪な真似をするね……!」
「戦術は大事さ。お陰でこういう結果に、なる!」
力づくで拳銃を弾き飛ばされた。
「くっ……!?」
拾いに行けば良い的だ。今は仕舞っているが、すぐにでも拳銃を取り出すだろう。
こちらもナイフを取り出したいところだ。しかし、シンはその隙を見せてくれない。
絶え間なくナイフを振るってくる。腕を掴まれるのを警戒してか、突いてはこなかった。
その為、致命傷にはならないが、上半身が少しずつ切り刻まれていく。
「っ……」
鮮血が舞い、各所に痺れるような痛みが走っていたが、歯を食い縛って堪える。
このままではジリ貧だ。反撃するしかない。ナイフを扱う相手で狙うべきは、意識外になりがちな下半身。
そう考えたアオイはシンの脛を目掛けて蹴りを放つ。ただ、それは定石的な対処法であり、向こうも分かっているので、決して意識を外してはいない。きっちりと避けてきた。
そして、こちらの伸ばした足にナイフを向ける。太腿を深く裂かれてしまえば、もはや戦闘続行は困難だ。それだけで失血死もあり得る。
だからこそ、引っ掛かってくれた。先に蹴りを行った足でそのまま踏み込むと、もう片方の足でナイフを振り下ろそうとする手に上段気味の蹴りを喰らわせた。
僅かでも軌道がズレれば致命傷。それでも、人体の構造を理解していれば、相手の体勢から十分に予測が出来る。
「ちっ……やるな」
ナイフを弾き飛ばしてやった。お返しだ。
そこで生まれた隙を見逃さず、即座に右手で抜いたナイフを振るう。だが、それはシンも想定内だったようで、左手で身を庇うようにしながら距離を空けた。残念ながら刃先が掠っただけとなる。しかし、今度はこちらが攻めに転じる番だ。
拳銃を取り出す余裕は与えない。たとえ男女の膂力差があろうと、ナイフを持つこちらに分があった。一気呵成に刺突を繰り出していく。
シンの場合は腕を掴まれ技を掛けられることを警戒していたのだろうが、こちらは掴まれても技を掛けさせないという自負がある。なので、迷わず一撃で殺しにいける。
シンは数度の突きを左右か後ろへのステップでかわす。その間に動きを見極めたのか、こちらの腕を的確に掴んできた。合気道は力の流れを利用する為、互いが使い手の場合はそれの読み合いになる。
腕を掴まれたこの状況でこちらが取れるのは、前に押し込むか、後ろに引っ張るか、左右に振るか。それを読まれて対応する動きをされた場合、体勢を崩すことになる。
そうなってしまえば、渦潮に呑み込まれた者のように、もはやその流れから抜け出せない。
だからこそ、研ぎ澄ました感覚を頼りに力の押し引きで読み勝つ必要があるのだ。
「っ……!」
胴体目掛けてナイフを力いっぱい押し込んだ。シンはそれを利用して、横にかわしながらこちらを引き倒そうとしてくる。冷静にナイフを持った側に回り込んでいるので、空いた左手でどうにかすることも出来ない。
しかし、その行動を予測していたアオイは事前に重心を後ろに下げていたので、容易く踏ん張り切る。
それでも、向こうからすればナイフを握った腕を掴んだままで、追撃される心配はない。眼前の隙だらけな身に攻撃を加えようとするだろう。シンは左腕を振りかぶった。
ここだ、とアオイは掴まれた腕を起点として身体を捻り、右手に握ったナイフを左手に
たとえどちらの手だろうと威力も狙いも損なうことはない。この距離でかわすことは不可能だ。一撃で終わらせる。
「ぐぅっ……!」
「なっ……!?」
シンは振りかぶったはずの左腕でナイフを受け止めていた。その刃先は胸部ギリギリのところで止まっている。中途半端な覚悟なら胴体ごと刺し貫けていただろう。しかし、一切躊躇いなく腕を突き出してきたことで、ほんの僅かに届かなかった。
アオイは眼前で起きた光景に驚愕し、一瞬だが固まってしまう。
「あぁぁッ!」
その隙を見逃すはずもなく、シンは唸るような叫びと共に強烈な蹴りを放ってきた。アオイはまともに腹部へと喰らってしまう。
「がっ……!?」
地面に叩きつけられ、強かに背中を打った。一瞬、息が出来なくなる。
シンはすかさず馬乗りになってきて、腕からこちらのナイフを引き抜くと、血が噴き出すのも気にも留めず、振り下ろしてきた。
アオイは何とかそれを受け止めることに間に合う。だが、シンは全身の体重を乗せてきているので、刃先が少しずつ顔面へと迫って来ていた。
想像を絶する痛みが襲っているはずの左腕も使っており、流れ出た血がナイフを伝って滴り落ちてくる。
「これで、終わりだ、アオイッ……!!」
シンが一層の力を込めた瞬間、そのタイミングを見極めたアオイは横方向の力を思い切り加えた。結果、ナイフの刃先はこちらの頬を掠めてコンクリートの床に突き立てられた。その衝撃に耐え切れず、刃が砕け散る。それはシンにも伝わっており、全身が硬直するのが分かった。
頬に灼くような痛みが走るが、怯んでいる暇はない。
「終わらせて、たまるかッ!」
自分を鼓舞するような叫びと共に、アオイは全身を使ってシンの身体を投げ飛ばした。
「ぐぁっ……!」
シンが怯んでいる隙に、直前の攻防で酸素が欠乏しているのを感じながらも、何とか起き上がる。
「はぁ……はぁ……」
疲労だけでなく銃弾による傷とナイフによる傷も相まって、全身が悲鳴を上げている。そのまま寝転がりたい気分だ。
シンも見るからに満身創痍な姿で立ち上がると、刃が折れたナイフを捨てた。左腕からは相変わらず血が滴り落ちている。もう使い物にならないだろう。そんな状態にもかかわらず、愉快そうに笑っていた。
「俺は今、かつてない生の実感を得ている……君はどうだ?」
「……私はさっさとあんたを殺して煙草を吸うことしか考えてないよ」
「ははっ、それはいいな……最高の一本になりそうだ」
いよいよ両者は武器を失い、徒手格闘となった。流れ出ている血の量からして、先に力尽きるのはシンの方だろう。
ならば、それまで守勢に回って粘るという作戦も考えられる。所持しているはずの拳銃を取り出すことさえ阻止できれば、こちらの勝利は疑いようもない。
そこまで考えて、否定した。それは駄目だ。普段は正々堂々など謳うつもりは毛頭ないが、今だけは無粋なことはしたくなかった。ちゃんと勝って、ちゃんと殺してやりたかった。
そう思うと、こちらもこの戦いが楽しくなってしまっているのかもしれない。癪なので死んでも口にはしないが。
「…………」
恐らく、次が最後の攻防となるだろう。お互い身体の限界は近い。
アオイは気持ちを正す意味も込めて、構えを取った。両手を縦に並べるようにし、半身となる。シンにもミウにも教えたような、模範的な合気道の構え。
これまでの人生で数えきれない程にこの構えをしてきた。その為だろうか、全身がボロボロでも一層研ぎ澄まされていくような感覚を得た。
「さあ、来な。引導を渡してやるよ」
「いいや、俺はここで師を超えさせてもらう」
刹那の沈黙。ほぼ同時に踏み込んだ。目前の相手を叩き伏せる為に壊れかけの全身を駆動させる。
アオイは右手で掌底を撃ち放った。狙うはシンの胸部だ。まともに当たれば、全身へと衝撃が広がり、一撃で沈めることも可能な部位。
それに対し、シンは右拳でフックを仕掛けてきていた。向こうは顔面を狙っている。身長差の関係から狙いやすく、それもまた一撃で戦闘不能に出来る部位だ。こちらは左腕で防ぐことが可能だが、向こうの左腕は動かせそうにない。
「ッ……!」
アオイの掌底が相手の身体まで届いた。これで止めだ、と念じる。
しかし、すぐにその手応えの薄さに気づいた。相手の踏み込みが浅い。土壇場でほんの僅かに引いたのだ。それによって、想定よりも衝撃が少なく、その身を沈めるには至らなかった。
「捕まえたぞッ……!」
「くっ……!?」
シンのフックは行われておらず、盾にしようとした左腕の手首を掴まれていた。外側に捻り上げられ、こちらの体勢が崩れていく。
これは小手返しだ。ここにきて合気道の技を使ってくるとは思いもしていなかった。意表を突かれたことで、対応が間に合わない。このまま横に転倒させられてしまえば、踏みつけを喰らって終わりだ。
万事休す、か……でも、仕方ない。自らの命を賭して挑んできたこいつの方が上だったってことだから……。
そうアオイが諦めようとした瞬間、走馬灯のように脳裏をよぎる光景があった。
それはつい先程見た、ミウの泣き顔だった。そんな顔をして欲しかったわけではないと思ってしまったからこそ、頭に焼き付いてしまったもの。
あれが最後になってしまうのか。別に再会したところで何を言えるわけでもない。それでも、このまま終わるのは、嫌だ。
そう思うと、全てを覆い隠そうとする諦念は振り払われた。探せ、最後の一瞬まで、勝利の可能性を。
すると、回転する視界の端、煌めく物が映った。それはかろうじて手の届く位置にあるようだった。
地面に叩きつけられて転倒する。シンは想像通りに踏み付けようと足を上げた。
その僅かな間でアオイは必死に手を伸ばして掴む。そして、それを振り下ろされる足へと思い切り叩きつけた。
「ッ……!?」
シンは声にもならない声を上げ、後ずさりする。その足からは鮮血が迸っていた。
アオイが掴んだのは、先に弾き飛ばしたシンのナイフだった。偶然、その場所まで移動していたらしい。
即座に立ち上がると、未だ状況に追いついていないシンの腹部に深々と突き刺した。その感触を自らに刻みつけるようにしてから手を離す。
その場に倒れた彼は、そこでようやく自分の状態に納得がいったようだった。
「俺の、負け、か……」
「そうだね」
まだ殺してはいないが、継戦が不可能なことは明らかだった。
アオイは倒れ込むようにしてシンの横に腰を下ろすと、宣言していた通りに煙草を取り出して紫煙をくゆらせた。
「なぁ、俺にも、くれないか……」
もう喋るのも辛いはずなのに、そんなことを言う。
「ああ、いいよ」
煙草をくわえさせ、火をつける。シンは酷い喘鳴の音を伴いながらも、満足そうな顔をした。
「ありが、とう……」
シンの命が刻一刻と燃え尽きていくのが分かる。それでも、特別なことは何もしなかった。師弟として一緒にいた頃のように。
「……ああ、やっと、分かった」
シンはポツリと呟いた。既にその口からは煙草が零れ落ちている。くわえ続ける力も残されていないらしい。そんな状態なのに、最後の力を振り絞るようにして口を動かす。
「俺は、多分……君のことが好き、だったんだろうな」
想いの告白。多分、自分達がこれまで誰に対してもしてこなかったことだろう。それをシンは今際の際で口にした。
別に感情が揺れ動いたりはしない。ただ、思ってしまう。どちらかがもう少し素直な人間でいられたら、こんな結末ではなかったのかもしれない。たとえ世界が狂ってしまっても、一緒に前に進むことを望めていたのかもしれない。
「……馬鹿」
そう言うしかなかったが、シンは微かに笑みを浮かべた。
彼が喋ったのはそれが最後で、もう動くこともなかった。
アオイは煙草を吸い終えると立ち上がり、静かにその場を後にした。
廃工場を出た途端、アオイの身体には異変が生じた。
フッと力が抜けてその場に倒れ伏す。まるで力が入らず、立ち上がることすら出来ない。
辛うじて動く目を自身に向けると、どこもかしこも血みどろだった。ろくに止血もしてなかったせいで流出し続けていたらしい。倒れたこの場にも既に血溜まりを作り始めていた。
全身が猛烈に冷えてくるのを感じた。寒い。血流が弱まっていっているのだろう。血を失い過ぎている。
……これは助かりそうにないな。
薄らいできた意識をこのまま手放せば、それが最後になるだろう。
こんな状態になるのは初めてだった。死神がすぐそこまで迫っているのを感じる。
それでも、怖くはない。いざ直面すると、穏やかな気持ちで受け入れることが出来た。
ずっと前から生きる意味なんてなかった。いつ死んでも良いと思っていた。根無し草として何とも繋がらず、意義を感じない生を送り続けてきた。そうすることしか知らなかったから。
そこからようやく解放される。楽になれる。
後悔があるとすれば、ミウのことだ。けれど、結果としてこれで良かったかもしれない。
仇は勝手に野垂れ死ぬから。その手を血で汚す必要はない。そんな下らない奴のことは忘れて、前を向いて生きていって欲しい。
そう思ったのに、遠くなった耳が微かな足音を捉えた。
「…………」
気づくと、傍にミウが立っていた。
立ち去っていなかったのか。離れて様子を窺っていたのかもしれない。
ミウに止めを刺されるなら、それも良い。当初の予定通りだ。何も問題ない。
さあ、やるんだ。内心で告げるも、ミウはなかなか復讐を遂げようとしなかった。
そればかりか、こちらの身体を何とか担ぎ上げると、引きずるようにしてコミュニティの方角へと歩き始めた。
「どう、して……?」
予想外の行動に、何とか絞り出した声で問いかけた。
すると、ミウは前を向いたままボソリと呟く。
「……わかんないよ。今だって頭の中はぐちゃぐちゃなまま。それでも……分かることもある。わたしは……アオイに死んで欲しくない。大切、だから」
その言葉には素直で純粋な想いが紡がれていた。それだけで自分の考えが間違っていたことが分かってしまった。情を持たせないことなんてまるで出来ていなかった。
「わたしだけじゃない……コミュニティの人達だって、アオイにすごく感謝してるのに……死んだらたくさんの人が悲しむ。もう、アオイの命は一人だけのものじゃない」
それを聞いて、イワタニに言われたことを思い出す。
『君はもう少し自分が他人からどう想われているかを知った方がいい。それは他人を軽視しているのと変わらないよ』
これまで必死に見ない振りをしてきた。そんなはずはないと思い込もうとしてきた。
誰かと関わるのは怖い。自分に自信がないから。本当は臆病なだけだ。
結局、シンとは似た者同士だった。だからこそ、通じ合える部分もあったのだろう。
いい加減、自分の想いとも他人の想いとも向き合わなければならない。いつまでも見て見ぬ振りをしてはいられない。
そうしなければ、繰り返すだけだ。擦れ違って、苦しんで、救われない。
今なら祖父のことも少しは分かるかもしれない。あの人もきっと、不器用なだけだった。
そんな自分達を唯一繋げてくれたのが、合気道だった。この身に体得した教えも技も祖父に与えられたものだ。そこには確かに温かな想いが感じられるような気がした。
「はぁっ……はぁっ……」
ミウは息も絶え絶えな様子だった。初めに会った時よりは遥かに成長したとは言え、子供が大人を担いで歩くには随分と距離がある。
無茶だ。ここで力を使い果たせば、共倒れになりかねない。そんなことは望んでいない。死ぬ間際に大切なことに気づくことが出来た。それだけで十分だ。
「もう、いいよ……このままじゃミウまで……」
「良くないっ……わたし達は生きるの……皆で手を取り合って、協力して、これからも生きていくのっ……!!」
ミウはこちらだけでなく、自分や世界そのものに宣言するように叫んだ。
利己的でなく、他己的な生の渇望。そこへ向かおうとする純粋な意志。そんなものがミウからは溢れ出ていた。
その姿を美しいと思った。涙が出そうになる程に。だから、前言を撤回する。
「……頑張って……私も頑張るよ」
「うん、頑張るっ……!!」
ミウは一歩ずつ地面を踏み締めて、進んでいく。少しずつ近づいていく。その身体から発される熱はとても温かくて、元気が出た。もはやまともな思考は困難だったが、それでも朦朧とした意識を切らさないように努力する。
意識と無意識の狭間を揺蕩い続けていた。やがて、どれくらいの時間が経ったか分からないが、ぼんやりとコミュニティの入り口が見えてきた。
「助けてッ! アオイを、助けてッ!!」
ミウに気づいた門番の二人はすぐに駆け寄ってきた。何か言っているが、良く聞こえない。どうやら聴覚は既に機能していないようだ。
運ばれる速度が上がる。どうやら担ぎ手が変わったらしい。
ただ、そこが意識を保っていられる限界だった。気を失う間際、自らの心に刻み込むように念じる。
もしもう一度、この瞼を開くことが出来たなら、その時は素直になろう。自分の想いとちゃんと向き合って、精一杯の言葉で伝えよう。大切な人に。
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