第14話

「ここか……」


 アオイは指定の廃工場に到着した。恐らく以前は何かを製造していたのだろうが、使われなくなってすっかり錆びれている。壁や屋根は見るからに痛んでおり、敷地内は雑草が生い茂っていた。このまま放っておけば、いずれは台風などで倒壊するだろう。

 ここから入れ、と言わんばかりに扉が開け放たれているので、素直に従い中に入る。今は余計なことはしない方が良い。

 そこは開けた空間となっていた。元々は大小さまざまな機械が置かれていたのだろうが、今はもぬけの殻だ。三年前のことが原因ではなく、元からそうだったことが分かる。それが原因ならわざわざ撤去もしないだろう。


「おい! 誰か知らないけど、ちゃんと一人で来た! だから、さっさとミウを離せ!」


 工場全体に聞こえるように声を張ると、奥の空間から音がした。開かれている扉から誰かが出てくる。現れたミウを攫った犯人の正体に、アオイは愕然とする他なかった。


「三年ぶりだね、アオイ」

「あんた、は……」


 姿を見せたのは、三年前にこの手で殺したはずの男。以前よりも精悍な顔立ちとなっており、片頬に太い線のような傷跡があるとはいえ、見間違うはずもない。

 シンだ。死者が生者となり、目の前に立っていた。

 その手には拳銃、SFP9を構えている。ミウの所持していた物か、あるいは彼自身の所有物か。


「両手を見えるように上げろ」


 言われた通りにする。この距離で外すことはないだろう。現段階で抵抗は出来ない。


「何で、生きてる……?」

「君は俺を殺したと勘違いしたようだが、あの銃弾は頬を抉っただけだったよ。少しの間、気は失ってしまっていたけどね」


 そう言って、傷跡のある頬をそっと撫でる。確かにあの時は冷静な精神状態ではなかった。普段なら外すことはあり得ない距離だったが、狙いがズレてしまっていたのだろう。

 相手が倒れたので当たったと勘違いしてしまった。死体を確認する時間も余裕もなかった。

 改めて過去からの逃れられなさを実感する。ミウも、シンも、自分が犯し目を逸らした罪が眼前に現れている。罰を受けろと告げるように。

 別にそれは構わない。けれど、その為に誰かを巻き込むことは許されない。


「ミウを解放しろ。あの子は関係ない。何が目的かは知らないけど、私とあんたの問題でしょ」

「ミウ……ああ、彼女の名前か。そうだね、君が言う通りにするなら危害を加えるつもりはない。すぐに解放しようじゃないか。ただその前に聞きたいことがある」


 どうせこんな状況でされる問いはろくなものではない。しかし、拒否するわけにもいかない。アオイは黙ってその問いを待った。


「どうやら彼女は俺のことを両親の仇だとして追っていたらしい。しかし、俺は君の足取りを探していたことで偶然、彼女の両親の死体を見つけてしまったに過ぎない。残念ながら、パジェロの跡は途中で途切れてしまっていたが」


 頬の傷跡を見てすぐに察したが、やはりミウが追いかけていた男はシンだったらしい。あの時、彼の追跡の手がすぐ傍まで迫っていたことが分かる。

 ほんの少し何かが違っていれば、先にシンに見つかったことで、ミウの両親を殺すことのない世界もあったのかもしれない。それならば、彼女が苦しむことはなかったのに。


「なあ、アオイ。君は知っているんじゃないか。彼女の両親が誰に殺されたのかを。答えてくれ」


 どうやらシンは事の真相を理解している様子だった。その上で語らせようというのだ。まるで答え合わせでもするように。隠し通す意味もないので、口を開く。


「……ああ。ミウの両親を殺したのは、私だ」

「どうしてだ?」

「隠れ潜む他の人を殺して食料を奪っていたから、許せなかった」

「なるほど。俺の推測は間違っていなかったか」


 納得したらしいシンは軽く首を動かすと、後ろに声を掛けるようにした。


「ということだ、ミウ?」

「っ……!?」


 まさか、とアオイは動揺する。

 奥の部屋からゆらりと姿を見せたのは、ミウだった。怪我をしている様子はなく、拘束もされていない。しかし、その瞳はどこか虚ろだ。こちらとは目が合わない。


「さあ、君は約束通りコミュニティに戻ってくれ」


 その言葉から彼らの間には何らかの結託があったことが分かる。それはこの口から真実を聞き出すことだろう。シンは自らの潔白を証明し、ミウは本当の両親の仇が誰かを知る。加えて、彼女にはこの場から去るように定めていた様子だ。

 ミウは無言でこちら側に歩いてくる。横を通り過ぎる瞬間、彼女はこちらを向いた。


「嘘吐き……信じて、いたのにっ……」


 大粒の涙を溢れさせながらそう呟くと、地面を強く蹴って出て行った。それは彼女をどうしようもなく傷つけたことを表していた。これまで覆い隠していた嘘が深々と付けた傷跡だった。

 今日の内に全てを明かすつもりではあった。けれど、こんな形を望んでいたわけではない。


 いや、どちらにせよミウを深く傷つけてしまっていたのだろうか。イワタニの言う通り、彼女のことを何も分かっていなかっただけなのかもしれない。

 息苦しい。彼女を哀しませてしまった事実が、その果てに言わせてしまった言葉が、胸中で膨れ上がり圧迫していく。その苦しみから一刻も早く逃れる為、シンに向かい告げる。


「……撃ちなよ。それで満足でしょ」


 しかし、彼は首を横に振った。


「勘違いしてもらっちゃ困るな。俺は君をただ殺したいわけじゃない。ようやく邪魔者がいなくなったんだ。始めるとしようか」

「始める……?」


 一体、何をしようというのか。まるで見当がつかない。


「今、武器は何を持っている?」

「……SFP9とマガジン二つ、後はナイフが一本」

「ちょうどいい。俺も同じだ。やはり条件は対等じゃないとな」


 シンは頷き、いよいよ己の目的を告げる。


「殺し合いをしよう。どちらかが死ぬまで」

「……そんなことをして、何の意味があるって言うの?」

「何でだろうな。俺にも良く分からない。ただ、そうすることでしか前に進めないことは分かる。俺という川の流れを堰き止める巨岩なのさ、君は。打ち砕かなければならない。だから、この三年間、君を探し続けてきたし、戦闘技術を磨き続けてきた。全てはこの瞬間の為に」


 まったく意味が分からない。どうしてそんな自己満足に付き合わなければならないのか。消えて欲しいならさっさと殺せば良いのに。

 そんな態度を見かねたのか、シンは恐ろしいことを口にする。


「モチベーションが上がらないか? なら、良いことを教えてやろう。俺が君に勝った場合、あのコミュニティの人間を皆殺しにする」

「っ……!?」

「あそこに辿り着いたのは単なる偶然だが、そういう計画を考えていてね。実行する前に出会えて幸いだ。これで心置きなく葬ることが出来る。君が負ければ、誰も助からない。もちろんあの少女、ミウも」

「ふざけるなッ……!」


 一気に込み上げた赫怒が口から吐き出される。

 この命くらいならいくらでもくれてやるが、無辜の命を踏みにじることなど許されるはずはない。


「ふざけてなんていないさ。あの時の問答をもう一度しようか? こんな狂った世界で生きる意味はない。既に人類には苦しみの果ての滅びしか存在していない。だから、俺は彼らを救ってやるんだ」


 あの時よりも状況が分かっている。今も生きようと必死に藻掻いている人達はいる。

 それでも、言うのか。彼らの善く在ろうとする意志を否定するのか。

 だとすれば、自分達はどこまで行っても平行線だろう。どちらかが死ぬしかない。

 そして、そんな善の意志を守る為には、シンを殺すしかない。


「いいね。その眼だ。腑抜けた姿は見たくない。そうだな……一分やろう。それだけあれば十分だろう。その間に心を整えると良い。俺は本気の君と戦いたい。その上で俺が勝つ。君を殺してみせる」


 そう言うと、シンは奥の部屋に姿を消した。一分後から攻撃を仕掛けてくるということだろう。

 アオイはまず拳銃をホルダーから取り出して構えた後、大きく深呼吸をする。

 合気道で学んだ平常心の重要性。これまでの経験上も心が乱れている時はろくなことがない。


 それは分かっていてもミウの件で散々にかき乱されていたが、今は不思議と落ち着いている。

 大丈夫。戦える。最高のパフォーマンスを出せる。どんな大儀があろうと、他人を巻き込んだ心中なんて認められるか。死にたいなら一人で死ね。

 それが出来ないなら……今度こそ、この手で殺してやる。




 一人で廃工場を出たミウは、事前に教えられていたコミュニティの方角へとしばらくふらふらと歩いた後、その途上でガクリと膝を折った。


「う、ああぁぁぁあぁっ……!」


 悲痛な慟哭が虚しく響き渡る。それは今のミウの心境を切実に表していた。

 アオイは限界だった自分を助けてくれて、この一年でたくさんのことを教えてくれた、ヒーローのような存在。けれど、彼女は自分の大切な両親を殺していた。

 両親はいつだって自分の味方でいてくれて、誰より想ってくれていた人達。けれど、彼らは他人を殺して食料を奪っていた。

 善だと信じて抱えていたものが胸中から零れ落ちていく。忌むべき悪の汚泥に沈んでいく。


 今のミウにはもはや何が善くて何が悪いのか、分からなかった。

 もう何も考えたくない。このまま眠ってしまいたい。全部、夢ならどれほど良かっただろうか。しかし、全身が感じ取っている確かな現実感はその淡い願いを否定していた。

 全身に力が入らず、ただぼんやりとしたまま過ぎていく時間の中で、ふと思う。


 アオイはどうするつもりだったのだろうか。なぜ両親の仇であると知ってミウを鍛えようと思ったのか。

 彼女はいつだってこの胸の裡で燃え滾る復讐心を肯定してくれた。それは正しいことだ、と。何も間違っていない、と。どんなつもりでそう言っていたのか。本当の仇は彼女自身だったというのに。

 それはまるで、復讐を遂げさせようとしているようだ。そう考えた途端、パズルのピースがピタリと嵌るような感覚を得た。


 あくまで推測に過ぎない。それでも、納得はいった。復讐の相手以外を殺してはならない、という約束は彼女からすれば自分以外は殺してはならないという意味だったのだろう。

 けれど、やはりどうしてそんなことをする必要が、と思ってしまう。大人しく殺されることが贖罪だというのであれば、初めの時点でそうしていれば良かったのだ。わざわざ一年間、一緒に過ごす必要なんてどこにもなかった。


 駄目だ。仮に殺されようとしていたとしても、そこに至る心情は見当も付かない。

 だって、自分はアオイのことを何も知らないのだから。彼女がこれまでどんな人生を歩んできたのか、どんな感情を抱えて生きてきたのか。何一つ話すことが出来ていないから。


「……ああ、そっか」


 ミウはそこまで考えたことで自分が間違っていた点に気づく。

 この人は善い人でこの人は悪い人。そんな風に綺麗に線を引けるものではないのだ。誰だって色々な側面を持っている。善い部分もあれば、悪い部分もある。

 アオイから見たミウの両親は断罪されるべき悪人だった。それでも、ミウは両親が優しい人間だったことを知っている。彼女が知らないことをたくさん知っている。

 だから、たとえ悪いことをしていたと知った今でも、両親のことを大切だと思える。どうしようもなくてそうしたのだと思えるし、彼らは最後まで自分を想ってくれていたと信じられる。


 そして、それはアオイに対しても同じなのだ。両親を殺したことも、ずっと嘘を吐いていたことも、許せない。許せるはずがない。

 けれど、彼女がこのどうしようもない世界で自分に手を差し伸べてくれたことに変わりはないし、一緒に過ごすことで抱いた想いが消えてなくなるわけでもない。


 そこでふと、前に読んだ『星の王子様』のことが脳裏をよぎった。

 今なら「王子」の気持ちが少し分かるような気がする。自分が特別に想っていたバラが地球ではありふれたものだと知って落ち込んだり、別れを前にして相手に悲しい想いをさせるくらいなら初めから仲良くならなければ良かったと思ったり、その心情には重なるものがあった。

 けれど、そんな「王子」にキツネは言ったのだ。


「……大切なものは目に見えない」


 今の自分はどうしたいのだろう。自らの心に問いかける。

 両親の仇を取る。その決意は色褪せてはいない。たとえアオイが相手でも。

 一方で、アオイに死んで欲しくない。これからも一緒にいて欲しい。そんな風にも思う。

 矛盾している。どちらも取ることは出来ないし、今すぐには決められそうにもない。


 それでも、一つ言えることがあるとすれば、アオイを他の誰かに殺させてなるものか、ということだった。

 もう既に十発以上の銃声が遠鳴りに響いていた。今まさにアオイとシンが戦っているのだ。武器も持たない自分が介入できるとはとても思えない。だが、何かできることもあるかもしれない。

 そう考えて、ミウは廃工場へと踵を返すのだった。

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