第4章

第13話

 暴走するシンを殺し、駐屯地を脱出したアオイはしばらくの間、各地を放浪していた。山中で元キャンプ場にあった管理人用の建物を家代わりにするようになったのもその時だ。

 およそ一年を掛けて、各地を巡って分かったのは、この国は破壊し尽くされたということだった。

 複数の飛行機が墜落したことによる被害は甚大だ。加えて、CMEの影響で火災が発生した家や建物も多かった。停電によって水道から水は出ず、消防車が来ることもないので、雨が降るまで悠々と燃え広がり、多くの場所が焼け跡と化していた。


 食料の問題も深刻だった。初めこそ協力する者達も多かったようだが、早々に奪い合いへと移行した様子だった。特に冬が訪れ、過酷さを増してからは。

 お互いを縛り守っていた秩序は失われ、大半の人は自らの為に容赦なく他者を犠牲にすることを選んだのだ。

 略奪。強姦。殺人。凄惨な光景を何度もこの目で見た。秩序を失った人間がどれだけ醜い存在なのかを理解した。世界は悪に堕ちた者で満ち溢れていた。


 それでも、その流れに抗う者達もいた。僅かだが、コミュニティが形成されていたのだ。せいぜいが数百人という規模だが、彼らは自給自足の体制を整えることを目指し、こんな世界でも秩序を持った人で在ろうとしていた。

 この狂った世界では蔓延る悪からか弱い善を守らなければならない。

 コミュニティも無暗に人を増やすわけにはいかず、悪に堕ちた者を全員は救い切れない。

 なら、奴らは不要だ。誰かが抹殺する必要がある。善で在ろうとする人達を守る為に。


 それゆえ、アオイは決意したのだ。善を守る為、悪を裁く法になろう、と。それこそが自分の役割だと思えた。

 それ以来、他者に害を為す者を探し出しては迷わず撃ち殺した。何度も、何度も、数えきれない程に。

 一発撃つ度に自分の心にも孔が空いていくようだった。殺した人間を夢で見るようになった。

 日に日に精神が摩耗していくのを感じた。なぜ彼らを殺しているのかも良く分からなくなっていった。それでも、義務感に駆られて悪人を狩り続けた。そうすることで一人でも多くの善人が救われると心の底から信じていたのだ。


 そんなある日の夜、滞在していた町で争う気配を感じ取ったアオイはその場所へ突入した。

 けれど、そこでは一人が既に刺殺されており、一組の男女が部屋の中を漁っていた。

 すぐに状況を理解する。この二人は略奪を是とする悪だ、と。


 こちらが持つ銃を見て彼らは即座に逃げようとしたので、まず女の方を撃ち殺した。

 玄関を出たところで男の方も転倒したので、回り込んで拳銃を突きつけた。すぐに撃つつもりだったが、男は逃げるのを諦めてみっともなく命乞いを始めた。


「た、頼む、命だけは助けてくれっ! 私にはミウが……娘がいるんだっ! 子供一人じゃとても生きていけない! 死んでしまう! この通りだ!」


 その言葉を聞いて虫唾が走った。思わず言葉を返してしまう。


「だったら……だったら、何でこんなことをしたんだッ……!?」

「生きる為には仕方ないだろ!? 知らない他人よりも家族の方が大切だっ!」


 その言葉は正しい部分もあったのかもしれない。けれど、それでは先には決して繋がらない。奪い合う世界に未来はないのだ。人類は手を取り合うことで続いてきたのだから。


「こんな狂ってしまった世界にだって、今も頑張って皆で協力して生きていこうとしている人達がいるんだよ……その努力を怠って安直で楽な方に流れたあんたみたいな奴に、生きている価値はないッ……!!」


 アオイは心の奥底から漏れ出たような叫びと共に引き金を引いた。

 銃弾が放たれ、男の額を穿ち抜いた。途端に周囲には沈黙が満ちて、突き刺してくるようだった。

 それから逃げるようにしてその場を去った。車に乗ると、急いで町の外まで走らせた。普段なら夜は危険なので移動しないが、一刻も早く離れたかった。


 もし万が一、ミウという名の娘に会うことがあれば、どうすれば良いか分からない。自分でその両親を殺しておいて、知らない振りをして保護するのか。そんなこと、出来るわけがない。

 けれど、子供一人ではとても生きていけないだろう。そう遠くない内にきっと死ぬ。唯一の庇護者である両親を奪った、ということはつまり、その子もこの手で殺したに等しい。

 そんな自分の行いから必死に目を逸らすことを選んだ。ただ悪を討っただけで、その子供のことなんて知らない、と強く思い込もうとした。そうしなければ、溢れ出る罪の意識にもう心が耐えられそうになかったのだ。


 その後はしばらくの間、山中の家で広大な自然の中に身を置いて過ごした。誰もいない世界に身を置くことだけが少しずつ心を癒してくれた。

 やがて、コミュニティの為の物資回収は再開したが、悪を裁くことは受動的に行うようになった。積極的に探すようなことはせず、あくまで自分が襲われたり、誰かが襲われる現場に直面してしまった時だけ。それなら、少しは気が楽になった。


 けれど、そんな時に出会ってしまったのだ。自らの罪の象徴ミウと。

 すぐに悟った。過去からは決して逃れられないのだ、と。

 罪をあがなわなければならない。こんな自分に何が出来るだろうか。罪滅ぼしになるかは分からないが、彼女がこれからも一人で生きていけるようにしようと考えた。

 それを終えたら、この身を差し出す。復讐を果たさせる。出来ることなら、彼女がその小さな手を血で濡らすのは一度だけであって欲しいと思う。




「私は、あの子に殺されなきゃいけないんです」


 アオイがミウを外に行かせてからイワタニに語ったのは、罪の告白だった。初めて誰かに打ち明けた。それはまるで懺悔のような感覚だった。


「そんな事情があったのか……」


 長い話を聞き終えたイワタニさんは掛ける言葉がないようだった。

 けれど、別に救いを求めているわけではない。ミウに復讐を果たさせた後、彼女をこのコミュニティに引き取ってもらう為だ。その為には話しておかなければならなかった。

 少しして、ふと思いついたように問いが来る。


「……となると、彼女が言っていた頬に傷のある男というのは?」

「恐らく、ただ死体を漁っていただけだと思います」

「なるほど……」


 頷いた後、再び沈黙。

 恐らく、どう止めようか考えているのだろう。イワタニはコミュニティの為なら非情な決断もするが、基本的には善良で人が死ぬことは望まない人だから。

 しかし、もう随分と前に決めたことだ。今更、何を言われても考えを変えるつもりはない。


「私が死んでからのこと、お願いできますか?」

「待ってくれ。ミウ君が本当に君を殺すことを望むと思うのか? 少し話をしたに過ぎないが、私にはとてもそうは思えない」

「きっと大丈夫です。ミウの復讐を望む気持ちは本物ですから。たとえ私が相手でもそれが揺らぐことはありません。ちゃんと情が移らないようにも心掛けました」


 ソファから立ち上がると、イワタニの前にポケットから取り出した鍵を置いた。


「これ、私の乗っていた車の鍵です。使えそうな物は全部積んでおいたので、後で見ておいてください。今日中には終わるようにしますから」


 一方的に言って、部屋を出ていこうとする。

 しかし、その前にイワタニの声が背に届いた。


「アオイ君。君はもう少し自分が他人からどう想われているかを知るべきだ。それでは他人を軽視しているのと変わらないよ」


 イワタニの言葉は、間違えてばかりなこの身に深く突き刺さった。

 昔からそうだ。相手の言動を観察すれば、どういう状態か、何を欲しているかは分かる。

 けれど、奥底にある感情は分からない。それらの間には大きな断絶があると思う。

 だから、誰かと深く関わることを避けてしまうのだろうか。そんな他人の想いが怖いから。


「……そうかもしれません。でも、他の生き方なんて私には出来ませんから。失礼します」


 静止の声を振り切って廊下に出た。押し問答をする為に来たわけではない。

 イワタニは善い人だ。きっと頼んだ通りにしてくれるだろう。


「さて、ミウにはどう話すかな」


 可能な限り彼女が罪の意識を抱かないように。念願の復讐を果たしてスッキリできるように。これからも前を向いて生きていけるように。

 そんな風に演出する必要がある。こちらを抹殺すべき悪だと認識させたい。以前から考えてはいたが、改めて考え直しながら、近くにいるはずの彼女の姿を探し始めた。




「……おかしいな」


 学校内も公園内も一通り見回ったが、ミウの姿が見当たらない。

 一体、どこに行ったのだろう。擦れ違いになってイワタニの所にいるのだろうか。まさかコミュニティの外には行ってないと思うが。

 車に戻っている、ということは鍵が掛かっているのであり得ないと思うが、念の為、通りがかりに見ていくことにする。

 校門の側から入って確認した。やはり中には誰も乗っていない。しかし、車の扉には妙な紙が挟まっていた。停めた時はこんな物なかったはずだ。

 引き抜くと、そこには地図らしき絵と文字が書き記されていた。


『少女を助けたければ下記の場所に一人で来い』


「なっ……!?」


 思わず声を上げて驚いてしまう。少女とはミウのことだと思って間違いないだろう。

 つまり、誘拐だ。指定場所はコミュニティの外にある廃工場のようだ。

 それにしても、この字、どこかで見た覚えがある気がする。けれど、思い出せない。とにかく急いで向かわなければ。

 一瞬、車の鍵を取りに戻ることを考えたが、廃工場の方角は道路の損壊が酷くて車は通れないことを思い出す。

 距離はたかだか500m程度だ。走って行くしかない。ダッシュで向かう道中、門番の二人に問いかける。


「ねぇっ! 誰か出て行かなかった!?」

「い、いえ! アオイさん達が来た後は誰も通っていませんが……何か問題でも?」


 ということは、コミュニティを取り囲む金網を越えていったということだ。

 定期的に巡回もしているので、よじ登るのは難しいだろう。しかも、人質と一緒だ。

 事前に準備していたのかもしれない。夜にでも草むらに隠れた辺りに穴を空けておけば、そうそう気づかれない。用意周到な相手だと分かる。


「……いや、何でもない。あんた達はしっかりここを守っておいて。私はちょっと出てくる!」


 彼らを連れていくことも考えたが、相手が只者ではないなら助けにならないかもしれない。

 一人で来いと書かれている以上、バレればミウの命が危ない。

 問題ない。一人でも十分に戦える。その為に磨いてきた身体と技術だ。

 指定の廃工場に向けて全力で駆けていく。胸中は一つの祈りで埋められていた。

 ミウ、無事でいて……!

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