第11話
ミウは絞められていた感覚が今も残る首に違和を覚えながらも、車から窓の外を眺めていた。初めて見る色々な町並みが現れては消えていく。
悪人達の襲撃から一晩が明け、今はコミュニティへと向かっていた。
話には聞いていたが、未だにそんな場所があることが信じられない。ミウにとっては視界に広がっているような荒廃した光景が全てで、人が以前のように集まって過ごしているなんてとても思えなかった。
けれど、もしそんな場所が本当に実在するなら楽しみでもあった。一体、どんな風に過ごしているのだろうか。学校はあるのだろうか。
本来なら中学一年生になっている年齢だ。中学校は小学生からすれば憧れであり、そこではどんな体験が出来たのだろう、と今でも気になってしまう。勉強は苦手なので、出来ればない方が嬉しいが。
それらも今は遠い記憶だ。三年も経ってしまえば、どうしても最近の方が印象に残っている。
特に明るい気持ちで振り返れるのはこの一年、アオイと一緒に過ごすようになってからだ。辛く苦しいこともたくさんあったけれど、一年前の自分に言っても信じてくれないくらいに多くのことが出来るようになって、楽しかったと胸を張って思える。
身体を窓の方から正面に向けると、チラリとアオイの横顔に目を遣った。普段にも増して仏頂面だ。無表情というよりは少し苦しそうに見えた。
昨夜から少し様子が変だ。恐らく原因は昨夜の戦闘のことだろう。
襲ってきた男達の一人と戦うように言われた。しかし、自分を本気で殺そうとしている人と対峙した時、身体が震えて思うように動いてくれなかった。もう少しで死んでいた。何とか勝つことは出来たが、アオイに教わったことは全然活かせなかった。
それがいけなかったのだろうか。失望させてしまったのだろうか。
次はあんな姿は見せない。もっと上手くやってみせる。あの後、ちゃんとそう伝えた。
けれど、目の前のアオイは今も様子がおかしなままだ。これ以上、何を言えば良いのだろう。分からない。いけないところがあったなら、頑張って直すから、教えて欲しい。理由が知りたい。
考えてみれば、アオイのことを何も知らないと思わされる。
これまでも分からないこと、例えば合気道の技のことだったり、本に出てくる言葉だったりについては聞けば教えてくれた。だが、彼女は自分のことだけは決して話してくれなかった。
分かるのは話の端々から感じ取れるごく僅かなことだけだ。知りたいのに、近づきたいのに、何も見せてくれない。それは何だか寂しく思えた。
「……あっ」
正面を見ていると、変わった物が視界に入って、思わず声が出た。
金網だ。二メートル程度の間隔で配置されており、その間をワイヤーのような物で繋いでいる。それは辺り一帯を取り囲む壁のようになっていた。向こうには住宅が立ち並んで見える。
「あの内側がコミュニティになってるんだ。ああやって外敵が簡単に侵入出来ないようにしてる。人もそうだけど、野犬なんかもいたりするから」
アオイが普段通りに話してくれてホッと安心する。お陰でいつものように話しかけられる。
「それじゃあどうやって中に入るの?」
「もう少し進んだところに入口があるよ」
金網沿いに進んでいくと、アオイが言った通りに入れるようになっている場所があった。車二台分ほど開いており、そこにはミウが持つ拳銃よりも大きな銃を持った二人の男の人が立っていた。入口の警備のようだ。
アオイは車の速度を落とし、窓を開けてゆっくりと入っていく。
「お久しぶりです、アオイさん」
「ん」
ピシッと姿勢良く礼をする二人に対し、アオイは軽く手だけ振って応えていた。
入り口を抜けると道路が真っすぐ伸びており、そのまま緩やかな速度で走っていく。
「あの人達、アオイのこと知ってるんだね」
「ここには何度も来てるからね。いつも見つけた物資を持ってきてるからか、やたらと感謝されてる。別に大したことでもないのに」
「そうなんだ」
大したことだから感謝してるんじゃ、と思う。アオイはいつも自分のことを誇らないし威張らない。だが、こちらからすれば凄くてカッコいいことばかりだ。それはあの人達にとっても同じなのかもしれない。
「ほら、あれがこのコミュニティの中心部だよ」
「わぁっ!」
アオイが指し示した左手側には、真ん中に池のある大き目の公園があり、その横に学校が並んでいた。公園と言っても遊具があるようなタイプではなく、豊かな自然が広がっているようなタイプだ。
そこにはここからでもたくさんの人が見えた。皆が一生懸命に何かをやっている。
畑だ。昔テレビで見たことがあるような、細長くて段々の形に並んでいた。それが円形の公園内を埋め尽くしている。
公園の横を抜けて学校前まで行くと、校門から中に入ってすぐの所に停車した。
それは小学校には見えない大きさだ。中学校だろうか、それとも高校だろうか。どちらにせよ、入るのは初めてなので、何だかドキドキする。
校舎の向こうにある運動場も小学校に比べて随分と広く見えた。そこも隣の公園と同じように畑にしているようだが。
「行くよ」
アオイは車の扉を開けながらそう言った。
ミウも降りる動作をしながら問いかける。
「どこ行くの?」
「まずはこのコミュニティを仕切っている人のところに挨拶にね」
アオイはミウを連れ立って土足のまま校舎に入っていき、『校長室』という表札が出ている部屋の前で立ち止まった。扉をノックすると、向こう側から野太い声が聞こえた。
「どうぞ」
扉を開く。入室したところ、声が掛けられた。
「やあ、アオイ君。久しぶりだね」
「ご無沙汰しています、イワタニさん」
正面には白髪頭の眼鏡を掛けた男性が椅子に座っていた。その前には横長の高級そうな机があり、そこには何枚もの紙が並べられていて、それらを読んでいたことが分かる。
彼の名前はイワタニ。スーパーフレアによる被害が収まった後、近隣住民の生き残りを上手く取りまとめてこのコミュニティを作り上げた偉大な人物だった。
イワタニの視線がミウを捉える。
「おや、君は……」
「彼女がミウです。無線で伝えた通り、この一年、私が家で世話をしていました」
電話やネットは完全に失われてしまったが、今でも無線は機器さえあれば使用できるので、少なくとも知っている各コミュニティには設置されており、アオイ自身も山中の家から時折やり取りをしていた。
「そうかそうか」
イワタニは納得したように頷くと立ち上がって、ミウの前までやって来た。アオイよりも背が高いので見上げる形になっていたが、彼はすぐに腰を屈めて高さを合わせた。自分の体格が子供に威圧感を与えてしまうことを理解しているのだろう。
「初めまして、ミウ君。私はイワタニと言う。今はこのコミュニティの長をしているが、元は近くの病院で町医者として働いていた」
「町医者って……お医者さん?」
「その通り。だから、もしどこかおかしなところがあれば、何でも言ってくれたらいい。あまり多くはないが、薬もあるんだよ」
そう言って、イワタニは大らかな笑みを浮かべた。ミウは相手が男性ということで怯えがあるようにも見えたが、彼の態度に肩の力が少し抜けるのを感じた。
「よろしく、お願いします、イワタニさん」
「ちゃんと挨拶が出来て良い子だ。さあ、二人とも座ってくれ」
部屋の中には応接用の向かい合ったソファもあった。間には透明なテーブルが設置されている。そちらへと案内され、ミウと隣同士に座った。
イワタニは机の上にあった透明なボトルの中身、緑がかった液体を二つ分のコップに注ぎ入れ、差し出してくれた。
「どうぞ。松の葉を使ったお茶だ。血管の浄化や増強、抗酸化作用など様々な効用があって身体にいい」
彼は医者らしくコミュニティ内の健康状況にも気を遣っており、ただ生きる為の食生活という風にはしないように心がけている。 実際、今の状況で病気になってしまえば、治療できないケースもある。もし予防できるならそれにこしたことはないのだろう。
ミウと共に有難く頂く。一口含むと、爽やかな味わいが口の中を満たした。水以外の飲み物は久しぶりだ。アオイ自身はそういうことにあまり拘りがないので、こうしてどこかのコミュニティを訪れた際に飲むことがある程度だった。
「わっ、おいしいっ……!」
ミウも同様に水だけしか口にしていなかったので、やたらと感激していた。
向かいのソファに腰を下ろしたイワタニは、そんなミウの様子を見て微笑ましそうにしながら、口を開く。
「さて、それじゃあ話を聞かせてもらえるかな。無線では詳しいことは聞かなかったからね」
「はい」
アオイはミウと出会った時のことを話し始めた。イワタニは合間合間に相槌を打つだけで口を挟むことはなく、ミウもその間は大人しくしていた。
やがて、この一年間を短くまとめた内容を話し終える。
「──とまあ、そんなところです」
「ふむ、なるほど。ミウ君、その男の見た目は覚えているかい?」
イワタニはミウに訊いた。彼女は記憶を辿るようにしながら答える。
「黒髪でそんなに年は取っていなくて、背はアオイとイワタニさんの間くらいで、あと頬に太い線みたいな傷跡があった、です」
「頬に太い線のような傷がある男か……それは分かりやすいが、少なくともこのコミュニティでは見たことがないなぁ」
「そう、ですか……」
ミウが露骨に落ち込んで肩を落とすと、イワタニは豪快に笑い飛ばして見せた。
「まだ気を落とすには早い。後で他の者にも確認してみようじゃないか。それに、辺りを探索する為のチームもいるんだ。その範囲は少しずつ拡大していてね。もしかすれば彼らが以前に見かけたことがあるかもしれないし、これから出会う可能性もある。殺人者であるなら、忠告しておかなくてはな」
ミウに関する話は一通り終わったので、話題は次に移る。今度はアオイの方から問いかけた。
「最近のコミュニティの様子はどうですか?」
「ぼちぼち、といったところかな。食料は何とか自給できている。台風や地震を考えると、まだまだ油断は禁物だが。人数も少しずつだが増えている。探索チームが発見したり、偶然ここに辿り着く者もいてね。もちろん、事前に面談を行って身元や性格の確認はしているし、このコミュニティに害を為すようなことがあった場合、厳しい処分を下すつもりだ。今のところはそんなことがなくて助かっているよ」
「他のコミュニティも同様ですか?」
「ああ。定期的に連絡を取っているが、大きな問題は起きていなさそうだ。やはり他の場所の話を聞けると、安心することも多い。この国はまだまだ生きようと頑張っているんだ、とね。アオイ君がやり取りできるように無線機を届けてくれたお陰で本当に助かっているよ。ありがとう」
「いえ、私は一人で自由にやらせてもらってますから……」
アオイ達の会話を聞くことで、ミウは驚きを露わにしていた。彼女にとっての町や世界は滅んだも同然だったのだろう。せっかく生き残った人間が対立し、奪い合い、殺し合う。そんなどうしようもない状況しか見ることが出来なかったのだ。
けれど、今もこうして力を合わせて頑張っている人達はいる。少しでもまた昔のような日々を送る為に。
ミウにはそのことを知って欲しかった。これからの彼女が生きていく世界がそこにあるのだから。
コミュニティに関する話もひと段落したところで、アオイは言う。
「私はまだちょっと話があるから、ミウは外を見てきたら?」
「えっ……ここにいちゃ駄目?」
「そういうわけじゃないけど、まだ退屈な話が続くから。せっかくだし色々見てみたいでしょ?」
アオイにしては珍しく押しを強めにすると、ミウは渋々といった様子で頷いた。
「それじゃちょっと出てるね」
「この学校の敷地内か、隣の公園にいてくれれば、後で探しに行くよ。もし何かあれば、ここに戻って来れば良いから」
「うん、わかった」
そうして、ミウは部屋を出ていった。それから少しの沈黙の後、イワタニは言う。
「彼女に聞かれたくない話でもあるのかい?」
「……そうですね」
アオイは居た堪れなさから立ち上がった。窓際に行くと、運動場に出ていくミウの姿が見えた。こちらに気づいた彼女が大きく手を振っていたので、軽く手を振って返した。
その後、イワタニの方へと向き直って、告げる。
「イワタニさんには話しておかなければならないこと、それとお願いしたいことがあるんです」
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